DREAM FACTORY 2024 初夏

県総体団体 

固い3年生の絆で13連覇達成!

 どん底から真の強さを手にしたキャプテン

  日々の向き合いから強さを手にした仲間たち

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全国への挑戦権、今年も手にすることができました。

今年の県総体は完全に追われる立場。

冬の北信越選抜優勝、春のハイジャパ予選はダブルス、シングルスともに優勝。

こういう年は逆に難しいです。

どうしても子どもたちは気持ち的に受けてしまう。それを跳ね返せる強さを個人としてもチームとしてもどう作るか、春からそのことが頭を離れたことはありませんでした。

全国レベルの選手がいるわけではない。1,2年生からインターハイに出ていると言っても参加賞レベルです。精神的にも未熟、大会前に突如崩れるもろさ、不安材料はたくさんありました。

ただ、やはり北越畑で成長してきた子たちです。

自分の弱さと向き合いながら、人間として成長してきた、それを何よりのプライドとして戦ってほしい、そう願いました。

初日の個人戦、新潟県はベスト4=インターハイ確定まで出します。

安藤・冨樫、吉澤・土橋が順当に勝ち上がりましたが、外シードでキャプテンペアの下里・渡辺(昨年3位)がベスト8決めの試合で、長岡商業の森山さん佐藤さんペアに敗退するドラマがありました。

波乱とは言いません。ドラマです。

長岡商業のペアはとにかく向かってきました。

当たり前です。監督とともに3年間この日のために生きてきたのですから。

シード選手は、いつだって不安にさらされる状況で戦います。

敵の気迫、自分のスキルの調子、自分の心の質、体調、天候等の環境、背負う責任・・・

あらゆることが闘志を減じていく要素になりえます。

シードが上である中で、シード順が下の選手に向かってこられ、序盤が思い通りにならなかった時、あらゆる不安要素が膨張します。

ここですね。

この瞬間をどう生きるか。

闘志を燃やして、自分のベストを発揮して、反転攻勢できるか。

実際に押し返せそうな状況になりかけていたのですが、G2-3の第6ゲーム、デュースアゲインが続く中、ファイナルに追いつけるいくつものチャンスで、二人は自分たちを覆っている小さな焦りを振り払えなかったように見えました。

2-④敗退。

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ベンチに座ったまま、瞳は宙をさまよっていました。

残念ですが、相手にも3年間のドラマがある。

負けたのなら、そこから次の芽を出していくしかありません。

過去は変えられないのですから。

大きくとらえれば、新たな基点です。

この負けを2日後の団体戦にどう生かすか。

こういう時の監督の仕事は、呆然自失する選手の心をどう復活させ、自責の念に押しつぶされそうになっている内向きの思考をいかにプラスに、外向きに転じさせるかです。

北越高校には部旗があり、そこには僕の願いが大きく光る文字で書かれています。

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(キャプテン 渡邉七瀬のノートより)

無事13連覇を果たすことができて、今はとてもホッとしています。

3年になってから私らしいテニスが全く表現できずにいて、自分のプレースタイルすら忘れかけていた。何をやっても上手くいかず、私、去年の方が上手かったなって、何度思ったか…

4月のハイジャパ予選、5月の地区大会、去年だったら負けるはずのない所で、自己ベストも出せず、勝利を自ら手放した。

そしてキャプテンとしてもなかなか成長できず、何度も何度も先生からリーダーシップについて、キャプテンシーについて指導された。

それでも、自分を信じて前を向いて進んできたけど…

初日の個人戦、ベスト8決めで負けた。

長岡商業の森山・佐藤は全力で向かってきた。

私たちに小さな混乱が起こった。気持ち的にも少し受けてしまったんだと思う。

ペアのコミュニケーションもうまくいかなかった。

向こうはただ向かってきた。私たちは何とかしようとした。

勝負はすでに決まっていた。

試合後、事実を受け止められなかった。

去年、同じペアで県3位でインターハイ。それから1年後、優勝目指して臨んだのにベスト16で、インターハイに行けない。

ボーっとして、どん底をさまよっていた。

その夜、先生と話した。

先生は言った。

まだドラマは終わってない。

今日はどん底で、すべてが終わりだと思ってしまうだろう。

でも、これもおまえのドラマの一部なんだ。

次回へと続くドラマの途中だ。

個人戦で負けたから、団体戦で力強く戦えた。

そしてあの「どん底」があったから、長崎で自分は最高の花を咲かせた。

そういう連続ドラマのまだまだ中頃だ。

どんな小説でもどんなドラマでも、大きな試練のない作品なんてクソだ。

主人公は必ずそれを超えていく。

どんな時でも一緒に戦う。

団体戦、厳しい場面で一人になるな。

ベンチを見て、そこから自分が輝くパワーをもらえ。

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そうだ。

私は団体の優勝旗を獲って「あの舞台」で戦うために今までやってきたんだ。

勝負は団体戦で、私が勝利をチームにもたらすんだ。

次の日、会場を離れて、たくさんの人に手伝ってもらって練習した。

朋恵先生、愛コーチ、そして初めての県総体できっと個人戦の決勝を応援したかっただろうに、前衛としてお願いしたら快く引き受けてくれた1年生の須貝、丸1日、本気で私と下里のために協力してくださった。本当にありがたかった。

私はこの日、不思議に伸び伸びとした自分のプレーを取り戻せた気がした。

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団体戦。

私はどんな時でも先生、そして仲間たちと戦った。

常に心の真ん中に北越のベンチがあった。

チームと一体になって戦う。それを3年として表現し続けた。

下里も個人戦と違って力強く戦ってくれた。

そして決勝戦。

先生の予想通り、長岡商業が上がってきた。

試合直前、急遽ペアが変わった。

安藤・渡辺。3番手を任された。

整列したら、目の前に個人戦で負けた森山・佐藤がいた。

「試されてる」

そうはっきり思えた。

②ー0で勝つことが一番いいだろうが、でもなんか私に回ってくる気がした。

絶対、私は試される。

私の3年間を試される。

1番手、長岡商業の杉山・伊藤は凄まじい気迫で向かってきた。

うちらはハイジャパ予選で優勝した吉澤・土橋。

そのチャンピオンペアに対して、相手はとにかくラケットを振ってきた。

そして前衛はほぼすべてポーチボレーに来た。

吉澤・土橋は、最初から最後まで圧倒されていた。

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「あとにうちらが待ってるから、勝たなきゃとか思わないで思いきり戦って!」

そう伝えたけど、相手の勢いは止められなかった。

隣のコートでは2番手の下里・冨樫が、北越の3年生らしく、敵の攻めに一歩も引かず戦っていた。下里は一昨日と別人だった。

下里の力強いストローク、冨樫のウイニングショット、ぐんぐん勝利へ向かっていく感じだった。

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吉澤・土橋が負けるのとほぼ同時に、下里・冨樫が勝利。

1-1。

やっぱり、試されてるんだ。

人生って面白い、って思った。

コートに立つと、なぜかわからないけど、涙が流れてきた。

でも、全く不安や弱気はなかった。

そしてプレーボール。

安藤の思いのこもった重くつきささるボールに、相手の後衛は押されていた。

私は上がってきたボールを次々に相手コートに叩き込んだ。

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G2-0。

3ゲーム目は安藤のダブルフォルトから入って、なんだか変な感じの展開に。

P1-2の4ポイント目。

相手のレシーブがコーナーに深く来た。いつもならロブを上げて叩かれることが多いケース。

昨日の練習通り、顔を残してラケット振った。

案の定、前衛はセンターの中間にポジションをとっていて足元のボールに対応できなかった。

守らずに振ってよかった。

愛コーチ、ありがとう。

もう、そこからは1本1本がめっちゃ楽しかった。

絶えず声を出し続けた。

安藤と二人で攻め続けた。

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ベンチが鮮明に見える。

この県大会最後のコートに立って、北越のユニフォーム着てプレーすることが気持ちよかった。

あの試合、私はノーミス。

心も負けなかった。

全て、私ではなくみんなのおかげだ。

どん底の夜、これも希望の一部だと言ってくれた先生、あんな試合をしてもキャプテンとして認め続けてくれたチーム、どんな状況だろうと私たちのために協力してくれたコーチ。

私たち、愛されてるんだな、支えられてるんだな、って心から思います。

感謝しています。

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さあ、長崎!

「あの舞台」を目指して、私たちのドラマはまだまだ続くんだ。

この未熟な私、日々自分と向き合い続けて、ラスト2か月、最後の進化を成し遂げたい、選手としても、人としても。

キャプテン 渡邉七瀬

渡辺と下里の蘇生はドラマチックですが、僕は今回の優勝に欠かせない要因として、安藤愛莉と冨樫凛の人間的な成長をあげたいと思います。

安藤の成長のきっかけは、前回のドリームファクトリー(2024 啓蟄)で紹介した通りです。

「矢印」を自分に向けるようになってから、安藤は着実に強くなっていきました。

心が育ち技術が確かなものになる。成長した心に裏打ちされた技術と言えばいいでしょうか、2年間かかってようやくアスリートの心に目覚めた感じがします。

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あの時「県でベスト8を超えられない」と言っていた安藤でしたが、全国選抜での不甲斐ない敗退の後、さらに自分と向き合い、春から冨樫とペアを組んで4月のハイジャパ予選で3位。シングルスは優勝。この最後の県総体では個人戦2位、団体戦は自己ベストで全勝、チームのエースとして活躍してくれました。

もう一人、冨樫凛。

今回の13連覇に欠かせない人物です。

決勝は下里と組んで何度スマッシュを叩きこんだでしょうか。

隣でハイジャパ優勝の吉澤・土橋が追い詰められる中、全く動ぜずに勝ちきってキャプテンペアにつなぎました。

約3カ月前の北信越選抜で一人勝利の輪の外にいた冨樫とは別人でした。

冨樫の3年間は、自分の「質(たち)」との戦いだと言っていいでしょう。

その「質」とは一言で言えば「ビビリ」です。

ビビリにもいろいろありますが、冨樫のビビリはイップスに近いものでした。

(イップス=外部や自分の中から生じるプレッシャーによって普段できることが硬直してできなくなるスポーツ選手に起こる症状)

冨樫の2年にわたる長いドラマのスタートは、1年の夏。

今治インターハイの団体2回戦、東北戦で起こった「事件」でした。

興味のある方は、是非この記事の一番下にあるアーカイブから「2022年8月」の記事をクリックして、個人戦の記事の後にある団体戦のドラマをお読みになってください。

2年前のあの夏、入澤・本間がIHベスト4の快挙を成し遂げた、その後の団体戦、2回戦で第1シード東北高校と戦いました。

1-1の3番勝負で、1年生の冨樫は後衛として出場しました。

しかし、初めてのインターハイ、相手は前年度優勝で第1シードの東北高校、3番勝負を任された重責、あらゆるプレッシャーが冨樫のもともと弱い心を小さくしていきました。

固くなって、攻められるボールもガッツリ落として縦面でつないでいます。

そして短くなったボールを東北の後衛にアタックされる、前衛に叩かれる・・・

為す術がありません。

その時、3年生の本間友里那が反対側の冨樫に向かってベンチから立ち上がって叫んだのです。

「ねえ、誰のために戦ってんの!!」

ベンチの真ん中に座っているのが1年生の冨樫です。

G0-3のチェンジサイズ、本間は冨樫の前に立って、まっすぐに戦う心を伝えます。

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勝ち負けじゃないんだ。

自分のすべてをかけて相手に向かっていくんだ。

北越は自分のためじゃない、必ず誰かのためを思って戦うんだよ。

冨樫はつきものが落ちたように覚醒し、1ゲームを奪取。

次のゲームもデュースアゲインを繰り返して競り合います。

もちろん叶いませんでしたが、冨樫を使ったのは2年後のためでした。

技術的にとても良いものを持ちながら、ハートの弱さでそれを表現できない冨樫。

中学校の時もそうだったと言います。北越に入学してすぐにそのことはわかりました。

長所を前面に出して堂々と勝負できない。

逃げて、かわして、うまく立ち回ろうとする、だけど、自分がそうやって正面からぶつかり合うことを避けていることに気づかない、もしくは薄々気づいていてもそれを認めたくない、それが1年生の冨樫凛でした。

2年をかけてそのハートを強くしてやるのが、この子との短いけれど濃い月日になると思っていました。

冨樫の「質」の厄介だったところは、頭の回転が早くて、本当は「やらない」だけ、逃げているだけなのに、「やれない」と合理化してしまうことでした。

自分自身で自分を逃がしてしまい、しかも自分は逃げているとは思えない、「やろうとしているのにできないのだ」と自分に言い聞かせてしまうことです。

この子との格闘は長くなるなと覚悟はしていました。

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県内はごまかしながらなんとか勝っていくものの、県外との厳しい戦いになるとボロが出ます。

超えていないものは相変わらずそこにあり、超えるべき場面で必ず立ち現れます。

ファイナルのせめぎ合いで弱さは必ず顔を出し、敵に負けるのではなく、自分に負けて戦いの場から降りていくことが続きました。

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大事な場面でラケットを振れなくなるので、2年の夏は安藤とペアを組ませて雁行陣の前衛に、秋からは1年の吉澤と組ませてダブル前衛にして戦わせました。

ただ、これは根本的な「克己」にはなりません。ストロークで厚くフラットに戦うべき場面で自信を持ってボールをフラットで打てない。組んだペアのために消極的選択として前衛をしていただけです。

自分に厳しくない人間は人にも厳しくなれません。自分に厳しく生きた人間はその厳しさがわかるゆえに、土台に「愛」があって他者に優しく厳しくなれるものです。

本間から今治で受けた「愛」をいつまで経っても進化の契機にできませんでした。

2年の秋からは、あえて部長を任せました。責任と自覚の中で自分を磨いてほしいと願ったからです。

それでも、冨樫は自分と向き合えませんでした。

冨樫の弱さを一番よく理解していたのは、「恩送り」として後輩を指導していた3年生です。その頃の冨樫はアーカイブ「2023 秋」の記事に3年生の言葉として残っています。本当によく言い当てている。本人には見えないが「超えてきた」人間には丸見えです。

あの頃、冨樫は全く自分の問題を直視できませんでした。

そして、部長として仲間の信頼を裏切る行動をして、部長を続けられなくなりました。

2年の冬、ここが冨樫の「どん底」だったでしょう。

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ただ、僕はむしろ、この「どん底」を待っていたかもしれないです。

うまく立ち回って合理化してしまい、単なる反省にすり替えてしまう「賢さ」が冨樫の向き合うチャンスをスポイルしてしまうからです。

「どん底」はチャンスなのです。

だから、「どん底」を誠実に生きさせねばなりません。

長い人生、思春期に経験する「どん底」=挫折=試練は貴重です。

これまで何度も言ってきましたが、自分の弱さと向き合うことは「自分を知る」ことです。そして成長の契機です。つらい作業ですが、その過程を経て、人は真に強く優しくなれると信じます。

冨樫はこの後、テニスノートと別に「向き合いノート」を作って、ようやく自分の「質」と向き合う覚悟を決めます。

タイトルは自分でつけました。「3年目を生きるための向き合いノート」

やっとスタートです。

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年が明けて、最後の1年が始まります。

元日の地震で2月に延期になった北信越選抜大会。

チームは4年ぶりに優勝しますが、一人歓喜の外だったのが冨樫でした。

今日は北信越選抜、全国選抜の切符をかけて1日戦った。

結果は優勝! 全国への切符を手にした。

だが、私はそのドラマの中にいない。

私は何もできていない。

他の2ペアが大切な能登戦に勝利してくれて優勝した。

みんなは私たちもG0-3から2ゲーム獲ったことが大きいと言ってくれたけど、あれは吉澤にボールが集まって、吉澤がキーワード言いながら必死にラリーしてもぎ取った2ゲームだ。私は何もしていない。

長野戦、G3-0から追いつかれて、ファイナルジュースの末に逆転負けをした…

あれは、相手のマッチポイントだった。

相手の前衛がサイドに寄ったと判断してツイストを選択してしまった。

それをポーチされてゲームセット。

あり得ない・・・

気が抜けているとしか言いようがない。

何本も何本も、私を試すごとくボールが私に集まる。

早くその苦しさから楽になりたかったのか・・

全く誠実じゃなかった。

あれは、お互い苦しいせめぎ合いの中、勝負の土俵から降りたプレーだった。

私はなんて小さすぎる人間なんだろう。

弱い者となら戦える。ラケットも触れる。

だが、同格や格上の相手を目の前にすると身体が固くなる。

いろんな思いをエネルギーに換えられない。

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北信越選抜、この大会にかけてきた日々、何百球いや何千球とボール出しをしてくれた3年生にも恩を返すことなく、弱い自分に打ち克つこともなく終わった。

私の高校テニス人生、これでいいん?

この大会、これで最後だったよね、これでいいん?

このまま終わっていいん?

(2月12日)

最悪な試合を表現してしまった冨樫でしたが、今までの「向き合い」は反省であって向き合いではなかったことに気づきます。そして、冨樫は徐々に、このノートやテニスノートに自らの弱さや「質」について、隠さず書いていくようになります。

今日は1日勉強の日。そんな中で自分と向き合うことが嫌に思った。

今のクソな自分を忘れてしまえば明日できるようになってないかな、とかいろいろ楽になることを考えた。

こんな自分から逃げたいって思った。

最後1年もないのに何で前衛なんてやってんだ、って思った。

ここまで来ても、私は試合とか練習中でさえ自分の「質」に負け続ける。

向き合ってないのか。

超えたいって心の底から思ってないのか。

努力が足りないのか。

今日は向き合うのが嫌だった。

こうやって楽な方を考えてしまうってことは、何に対しても努力が足りないんだって言われてるように感じた。

今日は、ネガティブなことばかり考えた。

正直、心の中を書いているつもりだけど、弱音を吐いているようで、このノートに甘えてしまいそうになるから、今日はここで一旦やめる。

(2月15日)

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きれい事ばかり記していた冨樫が、初めて取り繕わない、自分の心を記した日でした。

本人にとっては「ネガティブ」100%の心でしょうが、僕はここに克己の萌芽を見ました。

その返事にこう書いて戻しました。

いらっしゃい!

ようやく、ここへ辿り着きましたね。

この闇の世界こそ、本物の光を放つために必要な場所です。

キレイごとではない、もがいてもがいて弱音も吐いて、ネガティブにもなって、それでも前へ行こうとする時に何かが誕生します。

君は蛹(さなぎ)に進化しましたよ。

(冨樫のその次の日のノート)

コメントありがとうございます。

この「向き合いノート」も2冊目になりましたが、ずっと吐いてこなかった言葉を書いた気がします。

きれいに取り繕ってきた今までの自分とはもう離れて、正直になっていかないとなって感じました。

「苦しみながら掴んでけ!」

苦しいのは当たり前、きれいに処理することなんてこれっぽっちもない。きれいにできちゃうことってそれは表面的なものだけだって学んできた。

それは自分の心も自分のスキルもだ。

北信越選抜でも変われなかった自分。

私もここまで自分の「質」を「飼い太らせ」ていたなんて思ってもいなかった。

そんくらい自分の「質」って面倒なやつなんだな。

ただ、思いきりテニスやればいいのに…

いや、私だって思い切って打ちたいよ!

でも、できないんだよ!

勝負のテニスやりたいよ!!

(2月16日)

冨樫の「向き合い」は次の段階に入ったと思いました。

今年の3月、新潟県高体連に依頼されて「チーム北越」の競技力向上の取組についてレポートをまとめました。

掲げたテーマは「自己の弱さと向き合い、己を知ることで克己心を養い、競り合いの勝負に強い精神力を育む」というチャレンジングな強化策です。そこに載せた克己心養成のイメージ図を転載します。

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冨樫はこの取組のケーススタディとして「うってつけ」でしょう。

第1段階の「弱みの自覚」までかなり時間がかかりました。

2年の冬から第2段階の「弱みとの向き合い」が始まります。

そして、今こうして苦しみながらもがきながら、イメージ図の第3段階で自分と格闘しています。

見守りながら、厳しい向き合いを励まし続けました。

まだまだ自分の「質」にガッツリとらわれる自分がいる。

基本練習なら何の問題もないのに、校内の試合形式ってだけでも固くなる。

全国センバツまで2週間を切りました。

毎日のように、私はみんなの役に立てるだろうか、と考える。

3年になって、私はチームの思いを背負って戦えるだろうか。

貢献してドラマの中に入れるだろうか。

1日1日が一瞬で過ぎていく。

私は全く変われていない。

先生は言う。

「質」はなくならないし変えられない。

でもコントロールする力は育てられるんだ。

本番でみんなの前で堂々と戦えるよう、ドラマの一員となれるよう、この手ごわい「質」と一緒に戦う自分を作りたい。

「質」にコントロールされる自分ではなく、「質」をコントロールできる自分を。

1年の夏、今治インターハイの団体戦で、友里那先輩に伝えられたことが、今になってようやく胸に響く。

「誰かのために戦えよ!」

私には今までいろんな人がくれた贈り物がある。

誰よりもあると思う。

先生だって、たくさん私に寄り添ってくれた。

私はもらいっぱなしだ。

もう3年の春が近づいている。

あと数か月で私のドラマも終わる。

私は北越がこういうチームだからこそ、北越を選んだ。

どの高校よりも絶対に人として成長できるって思ったから。

それを求めてきたから。

(3月12日)

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かなり自分を対象化できるようになってきました。

本間のこともノートに自ら書くようになりました。

そして、いつの頃からだったでしょうか。

冨樫は始発電車で誰よりも早く登校して、コート整備をし、ボールの空気調整をして、朝練習に参加する部員を待つ、ということを自らに課していました。

「これだけはやり遂げた」ってことが最後に自信になるから、自分で何か見つけてみなよ、と前に言ったことがありましたが、特に誰に宣言したわけでもなく始めていました。

冨樫は胎内市出身です。通学に1時間以上かかる県北の町から通っています。学校に近い仲間より、後輩より、誰よりも早くコートに来て、寒い日も小雨の日も、一人でネットを巻き上げ、しばらくしてやってくる仲間たち一人ひとりに「おはよ!」と明るく挨拶をして1日をスタートさせていました。

今日、みんなが私の「質」と向き合ってくれて、私自身が改めて自分の弱さと向き合う機会を作ってくれた。

私は自分が戦うべきものを理解していなかった。分かっていなかった。

全部「ビビリ」でくくってしまって、そのビビリがどういうものなのかを明確にしてこなかったんだ。蓋を開けるのが怖かったのかもしれない。

みんながそれを話し合ってくれて、最終的に先生が言語化してくれた。

1本のミスで不安になっていく女々しさ

大事なポイントってところでチームの思いを背負えない心の腰砕け

本当にその通りだ。

明知化できたからこそ、どの場面で私は「超えて」いかねばならないかがはっきりする。

こうしてネーミングされた私の「弱さ」、やっとスタートラインに立てたような気がする。

向き合ってきたつもりだったけど、吉澤に伝えてもらったように、本気さがないから変わらないんだってこと、認めます。

私は自分の壁と格闘していた気になっていたが、それがどんな壁かわからないまま当たって砕け、当たって砕け、その繰り返しが「向き合い」だと勘違いしていた。

先生から伝えられて、テニスコート以外の私とも向き合ってみた。

特にクラスの中の自分。

中学の時は、自分でもリーダー気質があるなって自覚していて、いろんな行事とかクラスでの話し合いとか、自分から意見を出して行動してまとめたくなる派だった。

話し合いがスムーズに進行できたり、詰まった時に良い案を出したり、そういうことが好きだった。

でも北越では全く行動しなくなっていた。

委員会も応援団も行事の実行委員も、全部部活を言い訳にして立候補なんてしたことない。

実際は、北越に来て初めて会う人ばかりで、周りの目を気にしてチキったってのが事実だ。

でしゃばりって思われるのが嫌だった。

そして、どんどん今まで自分から進んでやっていたことを人任せにするようになった。

私はそういう立場じゃないからって、行動しなくなった。

意見を出すことさえやらなくなった。

周りの友だちに合わせているってこともある。

周りに同調して、「いいんじゃね」「なんでもいいよ」そう言ったり思ったりすることが増えた。反対の意見を言うことにビビッているし、そもそも私があえて言わなくてもって思うようになっていた。

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先生は言う。

すべてがコート上の自分とつながっている。

テニスコートの上だけでは自分は変われない。

大事な場面でのインパクト面の薄さは、人間の薄さだ。

つながっていた。

今ならはっきりわかる。

私は教科の先生によって、態度や授業に取り組む姿勢を変えていたこと、ここに正直に書こうと思う。

話の聞き方だったり、授業の真剣さだったり、人によって自分を変えていた。

それが、試合に出る。

格下だと思う相手にはイケイケで試合ができる。だけど同格や格上だとビビる。

それって、同じじゃないか。

私は日常的に表裏を使い分けていた。

私は本気で変わりたい。

周りを気にして自分を抑えて、責任は負わず、安易な方に流されていく…

そうじゃない。

3年になって私がするべき姿、それはもう見えている。

今までの2年間の私を、私は潔く捨て去らなければならない。

(3月18日)

3月末の全国私学大会と選抜大会、冨樫はかなり自分の「質」をコントロールして戦えました。

でも、ペアの1年生の吉澤が崩れると、それを勇気づけ立て直すことができなかった。

まだまだ「超えた」わけではありません。

ただ、4月になり、冨樫のクラスに授業に行くと、掲示してあったクラス役員一覧の一番上に冨樫凛の名前がありました。

3年8組 ホームルーム委員(学級委員長) 冨樫 凛

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3年になってからの冨樫の試合はこれまでと全く違っていました。

4月のハイジャパ予選では県で3位(ペア安藤)。

同大会のシングルスでは、ほぼノーシードから難敵を次々と破り、決勝に勝ち上がりました。

誰がストロークで苦しんでいたんだ!?、という変身ぶりで、驚きながら見ていました。

長い間芋虫から抜けられなかった命がさなぎを経て蝶として羽化する様を目の前で見ているような感動を覚えました。

そして、最後の県総体。

個人戦では決勝で負けるまで、戦いきって全勝。

団体でも頼れる存在として13連覇の柱になってくれました。

3日間の大会を通して、ストロークはリターンも含めてほぼノーミスでした。

(冨樫の最終日のノートから)

自分の「質」に苦しみぬいた冨樫、団体優勝の柱になったにもかかわらず、何より仲間の成長を喜び祝福する人になっていました。

「負けから大きな力を得る」

まさに今日の七瀬と下里だと思う。

人が違った。

思いきりが全く違った。

決勝戦。

その二つ前の準々決勝で、私は自分の判断がはっきりせず、しっかり戦えなかった。

このままじゃいられないって強く思って臨んだ。

ペアは急遽、下里になった。

2月の北信越選抜、私はビビッてラケットが振れなくなった。

チームに迷惑をかけた。下里を絶望の底に落としてしまった。

それでもチームは優勝した。

私は全国に「連れていってもらった」。

今回も「連れていってもらう」???

そんなわけにはいかねぇ!!って強く思った。

下里はナイスボールを相手のコートに突き刺し続けた。

私は何回もスマッシュを叩いた。

戦うのが楽しかった。

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下里と私、メンタルにネガティブなものを抱えている似た者同士のペア。

でも、心の視界に全く雲はなかった。

「二人で1本」を表現し続けた。

思いきり戦うことがこんなに楽しいのかって思えた。

思い切ってスマッシュを叩いて、

「よっしゃー!」

「よっしゃー!」

何本もベンチを振りむいてガッツポーズした。

自分の弱さと戦い続けた日々、苦しかったけど、

でも、だからこその、あの団体決勝。

私は一生忘れない。

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隣のコートでは長商のエースが意地を見せて向かってきていた。

長商のエースも個人戦では夢が叶わなかった。

だからこそ、気持ちを入れ替えてプライドをかけて向かってきたんだろう。

吉澤と土橋はそれを跳ね返せなかった。

相手にもドラマがある。

1勝1敗。

13連覇はキャプテンペアに託した。

個人戦の1日目の夜、ミーティングで七瀬が泣いた。

決してメソメソじゃない。

どういう涙かは言葉にできないが、でも、七瀬があれほど感情を素直に表に出しながら、私たちにメッセージした姿を私は初めて見た。

団体メンバーで自分たちペアだけがインターハイ逃して、悔しいし苦しいだろうに、「団体戦でチームを優勝に導くから」って、涙流しながら、でも下を向かずチームのみんなを見て、真っ直ぐに、はっきり伝えた七瀬。

私は絶対に、七瀬と長崎で一緒に戦いたいって思った。

このチーム、このままじゃ終われんぞ!って。

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決勝、3番勝負。

個人戦で負けた同じ相手に、七瀬は見違えるように戦った。

チームを優勝に向かって、一歩一歩、力強く導いていく七瀬はカッコよかった。

やっぱり、このチームのリーダーは七瀬だよ!

長崎で、「あの舞台」で戦おうね!!

3年 冨樫凛

冨樫たちが3年になってから、僕は選手たちに聞いたことがありました。

「俺がこれまでかけた言葉の中で、どんな言葉を言われると一番勇気が出る?」

冨樫はこう答えました。

「コントロール!!」

「おまえの人生だろ!!」

冨樫凛の「向きあい」は最終段階に入りました。

これから、県外勢との戦いです。

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そうだよ、凛。

超えてけよ!

それを超えてけ、凛!

おまえの人生だろ!

一度しかない

おまえの人生だろ!