2024年3月12日 (火)

DREAM FACTORY 2024 啓蟄

4年ぶり 北信越選抜優勝

 苦境を切り拓いた心の成長

 それを受け止めた心の成長

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更新が大変遅くなってすみません。

先日、3年生の卒業祝賀会を開きました。毎年そこで3年間のドラマを1時間のフォトムービーにして卒業生に贈るとともに、現役や保護者と一緒にそのドラマを鑑賞するのですが、1月半ば~2月一杯、その制作に没頭していました。

さて、全国のブロック予選で最後になった北信越選抜大会。

4年前、コロナ禍で全国センバツが中止になった年。あの時以来の優勝です。

元日に北陸を襲った能登地震。

大会は1カ月延期され、会場も松本市の「やまびこドーム」に変更になりました。

優勝候補は石川県代表の能登高校。

去年まで3連覇中でしたが、地震で寮は使えなくなり、学校再開の目途も立たないそうです。

いたたまれない思いですが、北越の生徒たちには「だからこそ、全力で最高の試合をしよう」と伝えました。

「能登高校はいろんな人の思いを胸に闘志を燃やして戦ってくる。

どっちが勝っても負けても、ソフトテニスに本気で青春をかけて生きているチーム同士、いままででベストの戦いをしよう。それがおまえたちができる最大のリスペクトだ。」

前日の組み合わせで、能登高とは3対戦目となりました。

全勝対決でぶつかりたい。

生徒も僕も同じ思いでした。

ですが、、

2対戦目の長野代表 都市大塩尻高校に、同時展開の2面ともファイナルを落とし負けてしまいます。

エースペアを期待した安藤・渡辺は、序盤のミスをなんとか挽回してファイナルへ持ち込みましたが、ファイナルでもあえなく崩れて自滅敗退。

冨樫・吉澤ペアは、G3-0の圧倒的リードから、追いつかれて逆転敗退。

3番手として、仲間の冨樫の勝利を信じて隣で戦いをスタートさせていた下里は「魂が抜けたような気持ち」になったそうです。

下里は長野県出身の選手です。

全国で戦いたくて北越に来た生徒です。

それなのに長野県の学校に負けるということは、己の青春をかけて新潟に来た、その運命ともいうべき決心を根底から揺るがす「悲劇」だったのでしょう。

ショックなんて言葉を超越して、足元からガラガラと世界が崩れていくような感覚になったのだと思います。

下里鼓。このDream Factoryにも何度か「出演」していますが、これまでの下里はメンタル的な弱さを露呈してしまって結果を出せませんでした。

練習では問題なくても、試合になると、ちょっとした不具合が「不安」に発展して、自分が飲み込まれていく、相手に負ける前に自分に負けていくことの繰り返しでした。

2年目の夏を超えて、精神的に強くなりました。

大きな転機があったわけではありません。

挫折を繰り返し、北越畑でたくましくなっていきました。

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自分の弱さを対象化して向き合えるようになったことがすべてです。

1年生の頃は視野が狭く自分のことしか見えない子でしたが、何度も挫折し、自己嫌悪に陥りながらも、徐々に自分と向き合えるようになっていきました。

負けが確定した長野戦、下里のモチベーションが極端に下がっています。

G0-2。

気迫を失い、何でもないミスを連発しつづける状況。

以前の下里なら、このネガティブなムードに飲み込まれて、真っ逆さまに敗北へ落ちていったと思います。

このマイナスの嵐の真っ只中で、彼女は踏ん張りました。

「まだまだわからないから。」

「1-②だったら、全国のチャンスあるから。」

「きついのは分かるけど、ガンバ!」

僕の言葉に小さくうなずきながら、心を奮い立たせ、可能性を信じて挽回していく彼女に感動しました。

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最後はファイナルで勝利。

1-②で可能性をつないだものの、チームの士気は大きく下がっていました。

次は全勝の能登高校との決戦です。

ドームを出て、冬枯れの林の一角にチームを集めました。

キャプテン渡辺と新部長の土橋がありきたりな話をして、「先生お願いします」と僕に振ろうとしたその時、下里がそれを止めました。

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「ちょっと、いい・・」

溢れくる思いと涙にむせびながら、言葉を絞り出します。

「ねえ、みんなは悔しくないの?」

下里は、こういう場面で、ネガティブな状況を自らの手で切り拓くようなことは決してしなかった子です。

驚きながら、見守っていました。

「私は悔しい・・」

思いがあふれて、胸がつまって、トントンとこぶしで胸をたたきながら、なんとか言葉を紡いでいます。

「ファイナルに強い北越は、、どこに行ったの?」

この下里の熱い魂を一番深く受け止めたのは安藤だったと思います。

全勝対決をしようと誓ったのに、福井戦も長野戦も競り合いながら自滅敗退していた安藤。

目に涙を一杯にためて、真っ直ぐに、どこまでも真っ直ぐに下里を見つめていました。

見つめる、というより、心の中に深く吸い込んだ、という感じがしました。

心の底に炎が宿る、その瞬間を目の前で見ました。

これでチームは目を覚ましました。

令和5年度北信越選抜大会 能登高校VS北越高校の試合は、お互いがベストを尽くして戦う素晴らしい試合となりました。

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安藤・渡辺ペアは、リードされながらもファイナルに追いついて、今度は力強いファイナルを戦いました。

1-1で、3番勝負。

さあ、下里・土橋。

土橋もまた、ペアとして部長として、下里の思いを深く受け止めていました。

土橋も自己ベストの戦いで下里の思いに応えます。

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ファイナルの競り合いを制し、最後まで強気を貫いての勝利。

ファイナルに強い北越の復活。

戦いに魂がこもっていました。

見事な戦いだったと思います。

(下里のノートから)

北信越選抜大会 優勝。

去年のリベンジができた。この1年、この日に向けてやってきたことを表現できてよかった。

今日1日、たった1日だったけど、いろんなドラマがあり、いろんな感情の嵐に巻き込まれたけど、勝負となる3番勝負にしっかり勝ち切れたことが、全国につながったんだと思う。

勝負の能登戦の前、長野の都市大塩尻との対戦。

1番、2番がどちらもファイナルまでもつれた。キャプテンペアはファイナルに入ってもミスが続きあっけなく敗れた。私はG3-0でリードしていた凛たち(冨樫・吉澤)の勝利を信じて戦っていたけど、どんどん挽回されてきた。

そして逆転負け。

私は、あの負け方にショックを受けた。

戦いを自ら降りているような負け方にショックを受けた。

悔しくないのか・・

.

私はこの大会が長野に変更になって、長野の人たちに強くなった私を見てもらいたいと思って大会に臨んだ。

全国で戦いたい。もっと強くなりたい。そう思って北越に来た。

凛たちが力尽きて、長野戦の負けが決まり、なんか魂が抜けたような気持になった。悲しさがあふれて、戦う気力が失われてしまった。

G 0-2。

ベンチで先生が「リーグ戦だから! まだわかんないから、頑張れ!」と励ましてくれている。

初めてハッと正気付いた。

ファイナルまで挽回して勝てたのは、土俵際で自分を信じ切れたからだと思う。

「自分の弱さや質(たち)と向き合うことは必ず強さにつながる」

先生の言葉を信じてやってきた。それを証明できてうれしい。

能登戦の前に、外へ出てミーティングをした。

あの時、思い切って言ってよかった。

もしあのまま何も言ってなかったとしたら、どうだったのだろうか。

落ちているチームのギアを上げて、能登戦を戦うために何とかしなきゃと思った。

私は勇気をもってチームに伝えた。

そして、キャプテンペアは私の勇気を受け取ってくれて、信じてファイナルを勝ち切ってくれた。

私は試された。

勝負の能登戦、1-1の3番ファイナル勝負。

私は仲間に伝えたからには負けるわけにはいかない。

土橋と力をあわせて勝ち切った。

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いつもは先輩たちのDream Factoryを観て感動するばかりだったけど、私たちにも自分たちのストーリーを自分たちで作っていけたんだ。

いつも思うが、Dream Factoryの北越の先輩たちはかっこいい!

でも、強いんじゃなくて強くなっていった。

ここで、自分の弱さと向き合って、ギリギリの場面で強いアスリートになっていったんだ。

私たちのストーリーもこれで全国へ行けて終わり、じゃない。

課題なんて山ほどある。

夏の前に全国へチャレンジするために、もっともっと「強くなる!!」

(2年 下里鼓)

(下里の勇気を心で受け止めた安藤のノートから)

念願の北信越団体優勝を果たせて、本当に嬉しく思います。

昨日の夜、4年前、莉穏先輩のチームが最終戦で逆転優勝をしたDream Factory(ムービー)を観て、あの感動のドラマと本当にそっくりの展開で自分があのDream Factoryの中に立っているようにさえ感じた。でも違う。今日のドラマは、このチームで先生方と一緒に作り上げたドラマで、その中の一瞬一瞬を全力で生きたんだなあって、今実感しています。

今日のドラマのキーは、長野代表に負けた後、下里が涙をこぼしながら私たちに思いを伝えてくれた、あのシーンだ。

   みんな、悔しくないの・・・?

   ファイナルに強い北越はどこに行ったの・・・

すごい深く考えさせられた。

大事な勝負、特にファイナルで負けない北越。

それは、みんな自分の弱さと向き合い続けてきたからだ。

自分に負けない。

自分の弱さに負けない。

だから、ギリギリの場面で負けない。

それなのに、私は初戦の福井商業戦もあっさり負けた。

負けられない思いで臨んだ次の長野戦もファイナル負け。

本当にこれが北越なの?ってくらいの、ファイナルは相手の流れにはまってしまって、情けなさすぎる試合だった。

その直後の能登戦。

あれだけ強い思いがこもった言葉を伝えられて、私は絶対に3番の下里につなぐんだって誓った。

もう下里を泣かせたくない。

新潟に来ても無駄だったなんて、絶対に言わせるもんか!

だから絶対に回したい。いや回す。

厳しい場面は何度もあった。

そのたびにベンチの下里を見た。

G2-3。

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ここでこのチームの命、私が終わらせるわけにはいかないって強く思った。

そして逆転勝利!

能登戦にファイナル勝ち、そして優勝できたのは、間違いなく下里のあの言葉だ。

このチーム、本当に最高だって思う。

だからこそ、去年みたいに全国センバツの切符取っただけで終わりたくない。

全国の舞台で、何度も何度も戦い続けたい。

そのためには、本当にまだまだです。

実感しました。

私、頑張ります!

(2年 安藤愛莉)

この二人のドラマに、実は大きな伏線がありました。

約1カ月前のことです。

僕が不在だった部活でのこと。

思い通りにいかなくてミスを連発し、投げやりな態度になった安藤を下里が指摘したそうです。

それなのに、安藤は反抗的なつぶやきを下里に返した。

チームは翌日にミーティングを持ちました。

仲間の問題はチームの問題。

仲間の問題は、問題というより、チームが乗り超えるべき課題。

だから、それを乗り越えることがチームの成長。

「目の前の勝利より、人としての成長が大事」

チーム北越の原則です。

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テーマは「弱さと向き合う」

僕が読んで感動したラグビー日本代表 姫野さんの本をテキストにしました。

(第3章 本当の自分と「向き合う」より)

 ノートを書いて自分の弱さと向き合うことには、「“矢印“を自分に向ける」という意味もある。

 矢印とは、説明するのが少し難しいが「物事を考えたり、振り返る時の意識の方向」というようなものだろうか。例えば、上手くいかない理由を他人のせいにしたりして、自分自身の振り返りをしないのは「矢印が外に向いている」状態だ。学校や会社でもそういう人の顔がすぐに思い浮かぶかもしれない。ラグビーの世界でも、プロになるような有力選手の中にも「矢印が外に向いている」選手は少なからずいる。

 だが、そういう選手は伸びない。

 トップのトップ・・・一流にはたどり着けない。

 そういう選手は能力があってもケガもしてないのに、あるレベルにまで来ると伸び悩んだり、入った時は凄く期待されていたのに成長がピタッと止まってしまう。

 そして、いつの間にか表舞台からいなくなってしまう。僕はそういう選手を、大学でも社会人でもたくさん見てきた。

 彼らはほとんど例外なく、矢印を自分に向けていない。

 他人や周りの環境のほうにばかり向けていた。

 つまり自分や自分の弱さと、向き合えていない。

 自分という人間を知らない。

 わからないまま、知らないままに年齢を重ねてきたことで、自分がどこまでやれて、どこからやれないのかが自分でもわからない。自分の武器もわからないし、当然、弱さを受け入れる力も育っていない。

 だから、例えば試合に使ってもらえない状況になると、不貞腐れる。拗ねる。

 「なんで使ってくれないんだ」

 「あのコーチは全然見ていない」

 「アイツなんかより、オレのほうが絶対に力があるのに」

 そうやって矢印をチームを率いる上司やスタッフ、ライバルに向けてしまって、使われない理由を自分の中に探そうとしない。思い通りにいかないことは、全部他人のせいにしてしまう。

 他人から厳しいことを言われるのが嫌いな選手も伸びない。やはり弱さを受け入れられる柔軟性を持っていないから、順応できないまま行き止まりになってしまう。

『姫野ノート』 姫野和樹 著 飛鳥新社

安藤が「矢印」を外に向けるタイプだということはわかっていました。

あらゆる機会をとらえて、少しずつ自分を対象化させようとしてきました。

自分を対象化できれば、必ず人の心はステージUPします。

けれども、人間の「質」は自分自身と一体化しているので、それを自分から引き離して対象化するのはなかなか難しいです。

北越畑ではそれを「向き合う」という言葉に概念化して、大切にしています。

今回、姫野さんの力も借りて、チームとしてもう一度「向き合う」ことの意味と意義、そして自分の超えるべき「質」や「弱さ」について考えを深めてもらおうと思いました。

少なくとも今の安藤ならそれに堪えうるくらい心が育っていると判断したからです。

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(安藤のその日のノートより)

今日は私の「質(たち)」についてチームで話した。

私が思ってることとチームのみんなが感じてることって、大きなズレがあって、こんなにも私、周りが見えないんだなって気づかせてもらった。

私の質は、うまくいかなくなるとイライラする、ということ。

だから、昨日、自分で気づかずに態度が投げやりになっていたことを下里に伝えてもらった時、反抗的に「考えてるだけだし  (-"-)」って言ったこと、私自身が覚えていない。

私はまず、うまくいかなくなるとイライラするタイプだということをしっかり認めることからスタートだ。わかっているけど「認めていない」。

考えて見れば、私は小さい頃からうまくいかないことがあると、「もういい!」って逆ギレしたり、泣きわめいている子だった。成長した気でいたけど、私が思っているより心の成長が追いついていないんだ。

私は私の「質」を認めない限り、私の向き合いは始まらないんだ。

今日、みんなで読んだ姫野さんの本にも書いてあった。

自分は弱い人間だって認める。そこからスタートだって。

自分を知るところから。知るから、それを変えていける。

私は人に自分の感情を話すことで気持ちが少し楽になるのを知っている。

親に話す時も、自分視点で話してて、客観的なことを言わずに、自分を守るかのように話をしてる。自分の意志でそうしているわけじゃないんだけど、勝手にそういう立場で話してる。それって「逃げ」なんだって、今日はっきり思い知らされた。

うまくいかなくてイライラが募り、家で先生や仲間のことを悪いように言ってしまう。

「矢印」を人に向けて、自分が軽くなっているんだってわかった。

そんな自覚全くゼロだった。

だから「質」って怖い。

みんな本当にゴメン。

姫野さんが本で言ってる。

「矢印が外に向いている人は、それ以上伸びない。」

ビシッと書いてあった。

ある地点で止まって、それ以上は伸びないって。

それ、私だ。

自分と向き合う、つまり「矢印」を自分に向けるべきところで、それを人に向ける。

うまくいかないことを外のせいにする。

だから、いつまでたっても自分と向き合うことができない。

姫野さんは、先生がいつも言っていることと同じことを言っていた。

こんなにも同じなんだって驚いた。

ラグビーの日本代表として世界と戦っている一流アスリートも、私たちも同じなんだ。

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私は秋から勝てなくなった。

ペアが変わってもいつも県でベスト8。

先生が「技術がベスト8なんじゃない。人としてベスト8どまりなんだ。」って言ってくれた意味がようやくわかりました。

1年生~2年生の夏まで、私は元気出して思いきりラケット振って、そうやって向かっていって実力以上の結果を出してきた。

けど、最高学年になった秋から勝てない。

それは先生の言う「責任と自覚」を力にできないからだ。

言葉では「責任」「自覚」って言ってるけど、チームを背負うギリギリの場面で心がもたない。

自分と向き合うことから逃げてきたんだから、当たり前だ。

私はまだまだ未熟すぎる子どもです。クソガキです。

でも、夏のIHでは北越のエースとして戦いたいです。

全国の舞台でエース対決をして勝ち切れる選手になりたい。

人としてもプレーヤーとしても、エースと呼ばれるにふさわしい選手として戦いたい。

今まで向き合ってこなかった分、これからちゃんと自分の弱さを認めて、向き合い続けます。

誰よりも努力します。

みんな、本当にごめん。

そして、ありがとう。

(1月19日 安藤愛莉)

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改めて、この時期の若い心が成長していく様に深い感動を覚えます。

いつも思いますが、思春期の成長には仲間の関わりが大きく影響します。

でも、そういうチームの「文化」をつくり、それを促すのは、やはり指導者の姿勢だと考えています。

人間は「自分が傷つきたくないから」、仲間であっても「それ違うでしょ」とは直接言わない。逆ギレも怖い。ネット社会ですから、裏でどこで何を言われるかわからない。だから無難に、何事もなかったかのように振る舞う。

でも、本当はそうじゃないって誰もがわかっている。思春期という心の根っこをつくりあげる時期に、むしろそれは伝えるべきだし、伝えてあげることがお互いの幸せなんだという「社会」を経験させることは、大きな価値を経験することだと思うのです。

ただ、「向き合わせる」ことは途方もないエネルギーと根気強さが要ります。お互い消耗もします。ストレスもたまります。

こちらも眠れない夜を過ごします。

そんな時、心に期するのは「この子の成長、この子の人生」です。

諦めないでメッセージしながら、最後まで「この子の成長、この子の人生」と言い聞かせて畑を耕していると、必ず若い魂は何らかのドラマを得て、自分を超えていきます。

しかし、このような指導はこれから難しくなっていくでしょう。

先日送られてきた、日本スポーツ協会からの雑誌にこんなことが書いてありました。

「まだ追い込むような指導が行われている」

この文言の「追い込む」を「向き合わせる」と言い換えれば、僕の指導は世間の流れ的には間違った指導だということになります。甘い自分を対象化させるには、それと一体になって疑わない自分を追い込む必要もあります。それが「悪い指導」だとすれば、僕は退くしかありません。

でも本当にそうでしょうか。

古代ギリシャのソクラテスは問答法により、徹底的な対話で若者たちのドクサ(思い込み)を露わにさせ、「無知の知」(自分はわかっていると思い込んでいたけど、実はなにもわかっていなかったのだと悟ること)を自覚させ、自分と向き合わせることで精神の成長を促しました。

時代は変わっても人間の精神は変わらないはずです。思春期の発達課題も変わらないはずです。

精神の自立のためには、自分と向き合うことが不可欠ではないでしょうか。

部活動はその最適のフィールドだと思います。

けれども、時代はその部活動を「消滅」させる方向に進んでいます。

借りた体育館の隣で、別の競技が月謝を払った少年たちにスポーツを教えています。

「いいねえ」

「ナイス」

「どんまい、どんまい」

今後、外部化によって社会が求める青少年へのスポーツ活動や指導がこれだとしたら、もはや心の成長は指導において促すものではなく、精神的な向上を目指す者は自分自身で自分と向き合うしかなくなります。生まれつきそういう強さをもった子もいますが、多くはそうではない。だとすれば、もう中高生のスポーツの世界も克己心の養成に関しては「自己責任」であり、その結果、生まれつき「矢印」を自分に向けられる精神力の強い子とそうでない子たちの格差社会になっていくでしょう。

この点に関して、全国の高校野球の指導を始めたイチローさんが去年の暮れに興味深いことを述べています。

「高校生で自分を導くのは難しい。でも、結局自分しかいなくなっちゃう。だってそういう存在(厳しい指導者)いないでしょ。ということは自分に厳しくせざるをえない。自分を高めていこうと思ったら。自分に厳しくできる人間、中にはいますよ。そうするとどんどん自分を厳しい方に持っていく、厳しい道を選ぶ、それは若いうちにしかできないこと。でもそれを重ねていったら、大変で挫折することもあると思うけど、そうなれたらめっちゃ強くなる。でも、導いてくれる人がいないと楽な方に行くでしょ。自分に甘えが出て、結局苦労するのは自分。厳しくできる人間と自分に甘い人間、どんどん差が出てくる。厳しくできる人間はどんどん求めていくわけだから。うまくなったり強くなったりできる。求めてくる人に対しては求められる側もそれはできる。でも求めてくれなかったらできないから。でも自分を甘やかすことはいくらでも今できちゃう。そうなってほしくない。いずれ苦しむ日が来るから。大人になって、社会に出てからも必ず来る。できるだけ自分を律して厳しくする」。高校生とはいえ、自らを追い込み挫折も味わって強くなると説いた。

 チームについても「本当はこれ言いたいけどやめとこうかなってあるでしょ。でも、信頼関係が築けていたらできる。おまえそれ違うだろって。いいことはもちろん褒める。でも、そうじゃない。言わなきゃいけないことは同級生・先輩・後輩あるけど…1年から2年に言ったっていいよ今は、大丈夫。そういう関係が築けたらチームや組織は絶対強くなりますよ。でもそれを遠慮して、みんなとうまく仲良くやる、ではいずれ壁が来ると思う」と述べた。

(2023年11月6日、スポニチアネックスより)

チーム北越は、イチローさんの言う「そういう関係」が築けています。

だから、毎年「壁」を超えていく=ドラマが生まれるのだと思います。

ただ、うちのようなチームはもうレアになっていくのかもしれません。

「こんなチームもかつてはあった」というようにアーカイブ入りしてしまうのも、そう遠くない話でしょう。

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二十四節気の中で「啓蟄(けいちつ)」という言葉とそれがもたらすイメージが一番好きです。

「啓」は開く。

「蟄」は虫(ここではカエルなども含む)。

春が近づいて、雪解けした田畑の土の中で、冬眠していた虫たちが動き出す季節(3月5日~19日頃)、という意味です。

チーム北越の畑は、今「啓蟄」です。

冬の間、自分の弱さと向き合い続けた若い命たちが、動き出しています。

下里と安藤がもたらしてくれた向上を欲するエネルギーが畑に広がっています。

同時に、暖かくなってきた太陽と春風が「芽を出せ、芽を出せ」とささやいています。

「この子たちの成長、この子たちの人生」

今日もまた、「畑」に向かいます。

2023年11月 8日 (水)

DREAM FACTORY 2023 秋

2023秋

チーム北越の秋 紅葉見頃!!

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越後の山も色づいてきました。

人の立場から見れば紅葉ですが、木の立場からすれば、冬を前にして自分をそぎ落とす作業です。

夏に光合成で蓄えた力は幹の中で貯蔵されているだけなのでしょうか。そうではなく、一冬かけて春や夏に美しく花を咲かせ、新たな命を育む力として変換されているのではないでしょうか。

チーム北越も、紅葉が真っ盛りです。

北越の秋は、今年も「もがきの秋」。

自分と向き合い、自分をそぎ落とす「落葉」の時期です。

毎年、秋に自分の弱さが露わになるのはうちだけですか?

不思議です。偶然とは思えないです。

そこにある必然とは何でしょう。

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やっぱり、成長期の命たちにも、高みを目指せば目指すほど、「秋」が必要なのだと思います。

幼い自分と向き合い、弱さと向き合い、半端な自分をそぎ落とし、心は成長していくのでしょう。

それを見守り、前を向かせていくのは、今年も3年生です。

1年前、2年前、2度の秋を過ごした3年生にはこの時期の大切さが痛いほどわかります。そして、自分と向き合うことの難しさとその価値も身をもって理解しています。

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凛は、まだバック側の動きが硬くなっていました。

「2日間よかったから」って、それ自分が努力しなくていいっていう「言い訳」だよ。

まだ自動化なんてしていない。

凛は私と似た思考があって、多分、少しできると「できた」って油断する。

そのスキル練習をやっている時には油断なんてしていない。

そのことって、最近、私が気づいたことなんだ。

私も現役の時、よく「油断」って言われてて、「油断なんてしてないし、むしろ意識してるのに、それでもスキルが不安定になるんだ」って心の中で反論してた。

でも、これを別な場面に置き換えると

授業で教わった時には集中して聞いていてわかった。けどそのあと復習をいい加減にしかしてなくて、テスト当日「授業でわかったはずなのに、いま精一杯頑張ってるけど解けなくて困ってる」って言ってるのに等しい。

私の反論は反論じゃない。日頃の努力がないか、努力の的が外れているか、そこに目を向けないで、当日うまくいかないことに対して「言い訳」しているにすぎない。

身につくまでの努力が大切、それはわかってると思うけど、自分が思っているよりも「新たなスキルができた」→「自分に身についた」までの継続は難しいってこと。

毎日って、実は面倒くさいし、疲れて眠くてやりたくないなぁと思うこともある。うまくいかなくてモチベーションが下がってるときもある。

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でも、そこなんだよ。そういう時に「継続」できるかが「身につく」かどうかの分かれ道なんだよ。努力ってモチベーションが上がってる時とかうまくいってるときに必要なものじゃない。逆にしんどいなぁって時に必要なものなんだよ。

凛は努力できる子だ。

でもそういう時に「継続」できているだろうか。

できていたら言い訳なんてしない。自分が未熟なこと知ってるから。

その力をつけてほしい。

最後のインターハイ、やっぱり、私たちみたいに終わってほしくないんだ。

(3年 須貝若菜)

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後輩たちが「自分では自分の質(たち=自然と現れてしまう弱さ)と向き合ってるつもりだけど…」という気持ちはわからないわけじゃない。

北越の畑では自分の質を直視することが成長へのスタート。そこから長い「戦い」が始まる。たくさん失敗して、学んで、でもまた失敗して、また学んで、の繰り返しだ。

かつて、自分も何度も失敗した。

私の質=「お嬢様」を脱却できたのは間違いなく菜月先輩(斎藤菜月)のおかげだ。

菜月先輩は厳しかった。そして優しかった。どこまでも私の質につきあってくれて、向き合うことの難しさと大切さを根気強く教えてくれた。

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昔のノートを見返してみた。

いつも受け身で、自分で気づけず、先輩や同輩が先に動いてやってくれる。

自分ではやっているつもりだけど、基本的にその「つもり」が自己満足。

自分に問題意識を持つことがないから、何かを変えていこうと思えない。

これを先生は「お嬢様体質」と名付けてくれた。

自分の超えるべき壁に名前をもらってから、自分で「これか!こういうことか!」って自覚するまで約3ヶ月もかかった。

そこから「お嬢様」を抱えながら2年生になって、秋から新チームの部長も任せられながら、最終的に後輩を指導するようになって完全脱却した。

最近、ずっと田口に言っていること。それは、かつて自分がそうだったことだ。

ノートを振り返ってみればよくわかる。私だって…

 相手の気持ちを考える→×

 周りを見て判断、行動する→×

 コミュニケーションをとって自分に気づかないところを学ぶ→×

 すぐ動画に頼ってわかった気になる→×

 お嬢様行動を振り返る→×

ひどかった。何にもわかっていなかった。

コート上での自分、家での自分、帰り道 毎日のように振り返った。

先輩から伝えてもらったことをテニスノートに書かなかったり、私の場合は持久力が「赤点」だったから自主練したり、無責任さと戦って自分の日々を振り返ったり…

たくさんたくさん私も失敗して、それでも先輩たちは見捨てないで本気でつきあってくれた。

だから、私も最後までつきあっていく。根気強く。粘り強く。

(3年 宮川葵)

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夏に県外からいくつかのチームが合同合宿に来てくれます。若い指導者の方が一様に驚くのが北越の3年生の姿です。

宮川葵は中学からテニスを始めて、中学時代の実績ゼロで北越に入ってきた子です。懐かしいですね「お嬢様」。

「超えていくべき壁が自分の中にある」、頭じゃわからなくはないけど、実際にそれを自覚して超えて行こうとする意志を固めるのが至難の業です。

心理学で有名なアドラーは「変わることの第一歩は知ることにある」と言っています。

超えて行くべきものが何なのかわからなければ、人は超えて行きません。ラクな方が楽ちんですから。でも、それでは心の成長はありません。

最近は、自分で「超えていくべきもの」に気づける子は稀ですね。示してあげるしかありません。

宮川の辿った道は、まさにアドラー心理学の王道です。

アドラー心理学では人の性格や気質のことを「ライフスタイル」と呼んでいます。

この捉え方は自分の気質や弱さを考える上で革命的な転換をもたらしてくれます。

自分の弱さや悩みは「スタイル」として自分で選び続けているがゆえに、あなたのライフスタイルとして定着しているだけで、あなたが自分を「勇気づけ」て別の考え方や見方に基づいてこれまでのスタイルと違うスタイルを選択し続ければ、新しいライフスタイルが徐々に自分のスタイルになっていく。

つまり、人は生まれつきの性格やトラウマなどによって心の在り方を決定づけられているわけではなく、「人は変われる!」のだ、という希望の心理学なのです。

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宮川が「お嬢様」を超えていった過程は、まさに新しい「ライフスタイル」を手に入れたということです。

前々回「2023初夏」で載せた話、「極度のビビリー」と自覚していた須貝が3年になって「私はビビリーを克服した。ビビリーにならない方法を知ったから」と力強く言えるようになったのも同じことです。

僕は高校3年生が最後の大会で部活を完全引退するのは、とてももったいないと思っています。人は人を育てて自分も成長する生き物です。これは毎年見ていて強く確信します。受験で一時期離れたとしても、週に1回は後輩の指導をする、それだけでも大きな精神的成長が得られると思います。

北越の「恩送り」は先輩からもらった「恩」を後輩に送るだけではありません。先輩がどんな心で自分に愛情を注いでくれたのか、愛情に裏打ちされた厳しさに思い至る時間でもあります。

今、3年生が一番気にかけているのが、部長の冨樫凛です。

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凛はこのチームの部長。

部長が自分に甘くてどうするの。

やっぱ北越の部長として、誰よりも誠実に誰よりも自分に厳しく生きてほしい。

このチームのリーダーなんだから、その責任の中で強くなってほしい。

自分と向き合うのはきつい。

私もわからなかった。

何かうまくいかなくなったり、壁にぶつかったりするとすぐ体調を崩していた。

体調の問題にして、自分と向き合うことを避けていた。

3年になって、エースとしての自覚が芽生え、少々体調が悪くたってコートに立つ責任を自覚できたら、体調に負けなくなった。すべて自分の心の弱さから来ていたんだ、だから厳しい場面で逃げていたんだってわかったのが3年になってから。

幼かった…私も。

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帰りのバスの中で凛とちゃんと話した。

中心選手としての自立。

部長という存在の自覚と責任。

頑張れ、凛。

私みたいに「3年になってから…」って言わせたくない。

卒業まで私たちも全力でサポートするよ!

超えていけ、超えていけ、凛!

(3年 高橋寧々)

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寧々と二人で凛と話していて驚いたのは、簡単に妥協案を口にする姿だ。

私には「甘え」だとしか思えなかった。

今日の朝と同じだと思う。

「私はそれが精一杯でやれませんでした。」

いやいや、でも、みんなやってるじゃん! 1年生もやってるじゃん!

部長がそれ言う?

凛はまだ自分中心で世界を回してる。

それから、今日、私が見つけたこと、それは凛はヨッシーに甘えているんじゃないか、ということ。

後輩と組んでいる以上、自分の弱さをダダ漏れで後輩にさらしていいわけじゃない。

それを「ペア力」だとか、コミュニケーションだとか言ってるように見える。

そうじゃないよ。

弱さはいい。人は誰もが弱い。

ただ、自分で乗り越えろ!

「ヨッシーごめん!」ってキリッと言って、ダッシュするでも、開き直って声だしするでも、一人で苦しんで帰って来い!

強くなる近道はない。

コツもない。

孤独から逃げずに、一人で戦って強くなれ!

私たちはただ、信じて見守っている。

(3年 須貝若菜)

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県新人戦 R05.10.22 in柏崎市

 1位 下里鼓・渡邉七瀬

 2位 冨樫凛・吉澤茉子

  ※シングルスは荒天により今年は中止になりました。

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チーム北越、今年も自分と向き合い、自分を超えて成長していきます!

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2023年8月11日 (金)

Dream Factory 2023 盛夏

北海道IH 団体初戦敗退

来年へつながる1,2年生の経験と成長

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個人戦4ペアとも2日目に残れず、団体初戦敗退。

今回のIHは、苦い結果となりました。

毎年のように全国で活躍してきた先輩たちのようなドラマは生まれませんでしたが、今年のチームは団体でインターハイを戦えたこと、そして去年の入澤・本間の置き土産(個人戦8枠)を生かして4ペアが個人戦に出場し、そこで戦って悔しい思いを残せたこと、それ自体が大きなドラマだったと思います。

2年生の安藤・渡邉が去年のIHに続き今年も団体で勝利できたこと、同じく2年生の冨樫が県総体後に前衛へ転向しファイナルまで競り合えたこと、去年お話にならなかった土橋が1年生の吉澤と組んで個人戦、団体戦を戦えたこと、たくさんの経験ができて、来年へのドラマにつなげられたことは本当に良かったと思います。

出発直前まで指導・応援してくれたOGの皆さん、激励してくれた方々、心から御礼申し上げます。ありがとうございました。

インターハイの舞台に小さな成果と大きな課題を残してきた2年生と1年生のノートを載せます。

今日、団体戦で初戦敗退し、1年間の戦いが終わった。

私は、3番手に3年生エースを置くというオーダーを聞いて、1,2年生で集まり、絶対に3年生に回そうね、って誓いあって、それをやりきれたことは良かったと思う。

気持ちは作って入ったが、ゲームの入り、手が震えて思うようにコントロールできなかった。

その後ようやく立て直してG2-1。でもしっかり戦って取ったゲームじゃない。

ベンチで、先生が私の目を見てこう伝えてくれた。

「安藤、相手の後衛は確かに深いボールを打ってくるけど、お前なら下半身しっかり使ってカウンターで打ち返せる。信じて打ち切ってみろ。」

そう伝えてもらって、確かに少し気持ち的に受け身なところがあったことに気づけて、それからは先生信じて、しっかりコーナーに私のベストボールを打ち続けられた。そして七瀬(渡邉)がきっちり決めてくれた。

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私は、2年目のインターハイ、先生やペア、ベンチを信じて戦いきることができて、練習でやったことを信じてやりきれて、少し自信になりました。

振り返れば、私は北信越の団体で葵先輩(3年宮川葵)と組ませてもらったのに、大事な場面でミスをして勝利に導けなかった。それが悔しすぎて、インターハイの団体でその自分にリベンジしたかったです。

ベンチみて、葵先輩のガッツポーズ見て、一緒に戦えました。

団体、1回戦で負けたのは悔しかったけど、今日の準々決勝、準決勝を見て、私、来年こそ本気であの舞台で戦いたいって思いました。

1年の時に見ていたインターハイの準決勝は、遥か上の世界に感じられたけど、2年目のインターハイで見た準決勝、去年と違って、本当にあの舞台に立ちたいって思うことができました。

(2年 安藤愛莉)

今日は、絶対に3番の3年生につないでみせる!って気持ちを前面に出して戦った。

相手のゲームポイントの私のレシーブ、「私はできる!」ってペアに言ってから入った。

キャプテンとして責任がかかるポイントで心からチームの心を思って、自分信じて戦い切った。

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結果として初戦負けだったけど、良い意味でめっちゃ悔しいし、来年が楽しみになった。

残り1年、このメンバーで本気で毎日を生きていきたい。

来年の長崎IHで、必ず大きな花を咲かす!

そのために、日々を妥協せず、自分の限界を突破して、自分のBESTを日々更新していきたい。

私は強くなる。

あの舞台で戦いきって、日本一!

(2年 キャプテン 渡邉七瀬)

私は負けてしまった。

全力で向かって闘ってく気持ちはできていた。

でも、試合開始直前、私の手は震えが収まらなかった。こんなことは生まれて初めてだった。そしてミス連発。あっという間に1Gを落とした。

2ゲーム目。何とかラケットを振り切り、土橋先輩が決めてくれてG1-1。

チェンジサービス時に、ようやくベンチを見る余裕ができた。「チームで戦っているんだった」「私が、じゃない。チームのために」そう思えた。

すべてレシーブゲームを取り合って、G2-3。

チェンジサイズ、先生から、チームから気合を入れてもらって、私がまずラリーをしなければ戦いにならない。入れにいくようなハンパなボールはダメ!

6ゲーム目を絶対とって、ファイナル勝負! その思いしかなかった。

ベンチでみんなが「絶対勝てる!」と本気で伝えてくれた。

ベンチを離れる時、寧々(高橋)先輩と若菜(須貝)先輩と目を合わせた。二人の熱い思いが身体に伝わった。

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でも、思いとは逆にボールがコートに収まらない。ミスが続いてラケットを振り切るのが怖くなった。こんなことを試合中に思ったのも初めてだった。

ボールをコートに収めようとすればするほど、無意味なアウトが続いた。

とにかく焦りすぎていた。私はプレッシャーに弱い子供だった。

ただ、一つだけ、私、成長したなと思うのは、チームを想いながら戦えたこと。これは言い意味での初めての経験だった。何度もベンチ見た。応援席もはっきり見えた。たくさんの人が私を全力で応援してくれていた。

私は、その応援を力に換えられるハートが必要なんだ。泣き虫な弱い自分がいる限り、私はこのプレッシャーに打ち克つことはない。スキルやタクティクスも大切だけど、私はまず、この弱いハート、ここと戦います。

私が勝っていたら、団体1回戦負け、なんてことにならなかった。3番手の3年生に重たいプレッシャーをかけてしまった。

もう、このチームで団体を戦うことはできないけれど、私はハートを強くして、新チームでは勝利に貢献できる強い選手になります。自分を戒めて、これからの生活を送っていきます。

(1年 吉澤茉子)

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さて、今回の北海道苫小牧インターハイ、チーム北越はアイヌ民族について深く学び共に考えてきました。チーム北越のIHミニ研修旅行について紹介したいと思います。

監督である僕自身が若いころから旅好きで、バックパック一つでいろんな地方の街や世界各国を一人で旅してきました。その土地の文化に触れ、その土地の人の話を聞くのがとても楽しかった。

今、日本の風景はどんどん画一化してきています。特に幹線道路沿いはひどいもので、全国隈なく存在するコンビニストア、大手家電屋の巨大な店舗、仰ぎ見るほどのショッピングモール、紳士服の〇〇、全国チェーンファーストフードの派手な看板、駅前には全国チェーンのホテルと全国チェーンの居酒屋の看板、ネオン、、、同じ風景、同じ商品、同じ匂い、、、

そんな画一化していく風景や価値観の中で、新潟の高校生も「うちの町にはイオンがある」とか「うちの町にはスタバがある」とか、そういう単一の価値基準に取り込まれていきます。要は資本主義的情報消費社会に組み込まれていく。

せっかくインターハイで日本各地に行くことができるのですから、僕はその地方の誇るべき文化や自然を見せてやりたいといつも考えます。(というより、自分が見たい知りたい、だから子供たちにも見せてやりたい、というべきですね)そして、県総体でIH出場を決めた翌日から、ミニ研修旅行のプラン作成に取り掛かります。

ちなみに最近のインターハイでのミニ研修はこんな感じです。

R01 宮崎IH  屋久島の自然と文化(ネイチャーツアーガイドさんに詳しく実地説明していただきながら屋久島の自然に浸ってきました)

R03 石川IH  能登半島の農家民宿に泊まって、宿の方から里山文化や人として生きる意味について(ガンの宣告を受けてその後の治療で寛解に至ってから、残された生の使命として農家民宿を始められた方でした)お話をいただきました。

R04  愛媛IH  帰路に徳島県脇町のゲストハウスに泊まって、行政に頼らない地域文化再生そして世界との連携についてお話をいただき、高齢化による地域文化衰退と再生の問題について考えました。

さて、今回の北海道苫小牧インターハイです。

実は、今までのハイスクールジャパンカップで雨天により時間ができた時、生徒たちと北海道博物館や昨年はウポポイ(国立アイヌ民族博物館)に行きました。そこで、僕自身がアイヌについて何も知らなかったのだなということに衝撃をうけたのです。学生時代あれほど憧れて何度訪れたかもわからないほど旅して回った北海道でしたが、北海道を「開拓地」としてしか考えたことがなかった。アイヌ民族が住んでいたことはわかっていましたが、「滅びゆく民族」が木彫り等の文化を細々と伝えているに過ぎない、そんな漠然とした恥じ入るしかない思い込みで、アイヌ民族の人たちの歴史に思いを馳せることもなかった。何にも知らずにクラーク博士に憧れ、フロンティアスピリットに心震え、アイヌモシリを蹂躙したヤマト民族の無知な末裔として北海道を歩きまわっていたのです。

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IH出場が決まった後から、時間を作り出してはアイヌの勉強を集中してやりました。古本屋や書店から次々とアイヌ関係の本を買い、片っ端から読んでいきました。

そして、再び衝撃を受けました。

ヤマト民族は北海道を開拓したのではなく、先住民としてのアイヌと何の交渉もせず、何の許可も得ず、国益のためと称して一方的に土地をヤマト民族のものとし、アイヌの文化を根底から否定し、法律でアイヌの文化継続を禁止し、アイヌの人々を強制的にやせ細った土地に移住させ、アイヌを差別し、迫害してきたのです。

本当に何も知らなかった。知らされないのです。学んだのはヤマト民族の学校ですから。知らされないことは自分で学びとるしかない、そして今を生きるアイヌや少数派の人たちに心を配り、共生の道を探るしかない。

チーム北越の生徒たちには、僕の講義を4時間、ただ苦難の歴史を伝えるよりも、何も知らないまっさらな子どもたちですから、アイヌが口承文化として代々伝え続けてきたユカラ(物語)やウェペケレ(民族の昔話)を中心にして話をしました。ヤマト民族とは価値観も考え方もまるで違いますので、たくさんわからないところや不思議なところを質問させる中で、アイヌの世界への扉を開いていきました。生徒たちはまさに囲炉裏端でおじいちゃんの昔話を聞く子供のように興味を持って聞いてくれました。

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そして、IHの戦いの後、現在でもアイヌ民族が住民の7割以上を占めるという平取町二風谷のゲストハウスに泊まって、アイヌの方々からいろいろなお話をしていただきました。

二風谷アイヌ文化博物館でお話くださった貝澤耕一様、ゲストハウス二風谷ヤントの萱野公裕様、決して表面的なものではなく、現在のアイヌ民族のこと、個人的な思い等、誠実にお話くださって感動いたしました。ありがとうございました。

生徒のこの日のノートです。

今回アイヌについて、先生からたくさん話を聞いたり、アイヌに伝わる昔話を聞かせてもらったり、実際に博物館に行って学んだり、アイヌの人から直接話を聞けて、「人権」ということにすごい興味を持った。

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貝澤さんのお話

「今の国立アイヌ民族博物館(ウポポイ)は、観光施設的で、アイヌの文化や歴史をしっかりと伝えていない。国立とは日本=ヤマト民族が立てた施設であり、日本政府に都合の悪いことは見せないようになっている。ここに疑問を持ってほしい。」

実際、行ってみると、踊りや復元家屋など、初めて接するアイヌ文化に感動したけど、先生が教えてくれたヤマト民族による差別や強制土地収用、アイヌ文化の否定などはオープンにされていなかった。

差別と闘ってきた貝澤さんのようなアイヌから見れば、怒りを覚えるのも当然なんだろうなと思えた。けど、夜に聞いた萱野さんのお話からは、現代に生きるアイヌからの違う考え方も感じられて、この問題の複雑さも感じた。

今までアイヌが受けてきた差別や迫害を日本が積極的にオープンにしないことについて、どう感じているかと私たちが聞いたところ、萱野さんはこうおっしゃった。

「子どものころからいじめられてきたことに深い傷を負っている人に、いじめられてきた経緯をもう一度細かく話してくれと言うのと同じで、思いはあってもそれを言葉にするのは辛いと思う人もいる。」

すべての差別経験を吸い出すようなことは、かなり難しい問題なんだと思った。

「差別は今も存在するし、アイヌであることを隠して生きている人もいる。今を生きるアイヌの人たちには日々の生活があり、今の良好な関係を壊してまで、アイヌが受けてきた迫害をオープンにすべきだというのは、理屈的にはそうかもしれないが、実際には簡単に片づけられる問題ではない。」

こういう微妙な話を聞いて、私は大和民族がアイヌにどれだけヒドイことをしてきたのかが感覚的に分かった気がした。

(2年 冨樫凛)

今日は1日「アイヌDAY」

朝の散歩の時からワクワクしていました。

チセ(アイヌの家)がどうなっているのか、中に入ってみて、「あ、ここが神窓か!」とか、これは何だ・・「あ、イヨマンテ(熊の魂送り)の子熊を入れておく檻か!」とか、今まで先生が話してくれたウェペケレ(アイヌが口承で伝えてきた民族の昔話)と重なるところがいくつもあっておもしろかったです。

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夜の萱野さんのお話。

「アイヌが受けてきた辛い歴史をどうやって伝え広めていきたいか」という私たちの質問に対して、私は当然「もっと広めたい、もっと日本政府として歴史を正確に伝えてほしい」という言葉が返ってくるんだと思っていた。

でも、もっともっとデリケートな問題だった。

差別の歴史、祖母や祖父が受けてきた迫害、家族が被ってきた偏見等について、それを思い出したくないと思うアイヌもたくさんいる。

萱野さんが最後におっしゃた言葉は胸に刺さった。

「差別されたアイヌが差別の歴史を広めるのではなく、これは圧倒的マジョリティである大和民族の側の問題ではないか。日本は少数派を差別し偏見の目で見る傾向が強いでしょう。今問題になっているLGBTだって同じことだと思う。LGBTの人たちが安心して認められる社会、日本にいる少数民族(アイヌや朝鮮人、外国人労働者等)が差別されない社会、それはこの社会を作っている日本(ヤマト民族)がどういう社会を作りたいか、そこにかかっているのではないですか。」

(3年 須貝若菜)

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最後に、ゲストハウスでお話いただいた萱野公裕さんの御祖父にあたる萱野茂さんが、アイヌ民族初の国会議員への立候補を多くの人からの推薦もあり受諾した時の記者会見スピーチの一部を少々長いですが、引用させてください。

アイヌの心が、そして共生すべきヤマト民族への願いが切々と伝わってきます。

1.その昔、いま、わたくしたちが住んでいる北海道という『でっかい島』には、わたしたちの祖先であるアイヌ民族が、その島を自分たちの祖国として豊かに暮らしていました。その時代、この北海道を『和人』は『エミシ(アイヌ)』(引用者注:エミシはヤマト民族側からの蔑称)の住む島として『エゾヶ島』と呼び、わたしたちアイヌは『アイヌモシリ」と呼んでいました。

アイヌとは人の意であり、『モ」は静か、『シリ』とは大地の意味です。アイヌは、自分たちが住むこの島を『人の住む静かなる大地』として、暮らしていたのです。

2.やがて、(十五~十六世紀)和人社会が統一国家の道を歩みはじめ、また、社会が生産社会を歩みはじめるにつれ、多くの和人がなだれのように、エゾ地に侵入してきました。

わたくしたちの生活の場であるコタンも、わたくしたちの生命を育んでくれる大地も自然も和人の活動の場所となりました。

和人によるアイヌ民族への侵略、迫害、搾取は、世界の多数民族が少数民族・先住民族を侵してきた歴史と同様、横暴を極め、わたくしたちの先祖の抵抗にもかかわらず、アイヌ民族は滅亡の道を辿ることを余儀なくされてきました。

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3.日本が近代社会をむかえる明治に至って、アイヌモシリはアイヌから奪われ、和人社会への『同化』がすすめられ、『旧土人』としての蔑みと差別の中で、民族が誇りとする生活、文化を失ってきました。しかし、わたくしたちの祖先はもちろん、わたくしたち今いるアイヌも『一度として、このアイヌモシリを和人に売ったことも、貸したこともありません』。

4.不幸にして、世界の至るところで多数民族が少数民族を支配し、先進国といわれる国家がその領土的野望のために先住民族の生活、文化を滅亡させ、土地を奪いつくしてきたのです。

その歴史はいまもつづいています。

わたくしたちが住む日本においても、アイヌ民族への永い迫害の歴史はもとより、日本を祖国としない人々への差別と蔑視があります。

日本を代表とする識者にも、自分たちの文化のみをすすんだ文化とみなし、他の国や他の民族を蔑む風潮があります。

わたくしはこのような異民族への蔑視の思想は、表れ方はちがっても性差別や障害者などへの差別と病根を同じくするものと思っています。

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5.わたくしの住む日高は、『エゾ地』では、早くから和人が居住した土地であります。また、北海道で、もっともアイヌが多く住む地域でもあります。産業の中心は、農業、軽種馬生産農業、林業、漁業の一次産業であり、多くは、谷間の山間地であります。

ここでも、環境変化がすすんでいます。

森は伐られ、川は流れを止められ、魚は住むことを阻まれ、土地もまた、やせおとろえ、農業による汚染がすすんでいます。

地球の環境破壊や環境汚染はここでも十分見ることができます。

かつてのわたくしたちの祖先は、生態系などの学問的知識がなくても、自然の摂理に従い、資源が枯渇しないようにつとめていました。アイヌの生き方は自然を神として生き、自然を大切にする生活を営んできたのです。

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6.1993年は、国連による『世界の先住民のための国際年(国際先住民年)』であります。

この国際先住民年は、わたくしたちの住むこの地域から、民族的な差別観をとりのぞくとともに、侵されてきた先住民族、少数民族の権利の回復はもちろん、先住民族や少数民族の生活や文化を共に保障する社会を目指して行くものであります。

わたくしは、世界のすう勢である先住民族の権利保障が日本にあっても普遍的な価値として受け入れられる社会を創るため皆さんに訴えたいと思います。

かつて、わたくしたちアイヌ民族の祖国であるアイヌモシリを侵したのはあなた方ではありません。しかし、あなた方の祖先が犯した過ちを正せるのは『今生きているあなたです』。

あなた方の祖先が犯した過ちを正す行為は、決して恥ずべき行為ではないばかりか、差別の無い共生と平等な社会にむけての出発点であり、日本が国際社会で生きていくための基本であると考えます。

また、1992年は『地球サミット』の年でもあります。

すべての生物の生存を可能とする地球環境の保護こそ、人類が生きていく条件であることはすでに人びとが知っていることと思います。

社会は、限りなく求め続けられている『人間の欲望』をどう抑制するかの時代にあります。

わたくしは、わたくしたちの祖先が生きてきた生活や文化に学びながら、カラス、キツネ、フクロウ、熊などもろもろの生きものと一緒に生きられる地球環境を守るために全力をつくしていきたいと考えています。

(後略)

『完本 アイヌの碑』 萱野茂著 朝日文庫より

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最後まで読んでくださって、ありがとうございました。

末尾に僕が感動したYou tubeの動画のURLを下に貼っておきます。

是非、視聴されて、今を生きるアイヌの複雑な心を感じ、そして翻って、今を生きるご自身のアイデンティティについて、今の社会の在り方について、日本の在り方について、良い意味で自明性が揺らぎ、新たな指向性を探るきっかけになりますように。

https://youtu.be/QQPqHGG5NGc

2023年6月19日 (月)

Dream Factory 2023 初夏

成長を積み上げての12連覇

北越畑で成長したヒマワリたち

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令和5年県総体

🔶団体戦  優勝(県12連覇)

 決勝 ②ー0 中越高校

🔶個人戦

 2位 高橋寧々・須貝若菜

 3位 下里鼓・渡邉七瀬

 5位 安藤愛莉・冨樫凛、  吉澤茉子・土橋日加里

 以上4ペア、北海道インターハイ出場

秋の惨敗から半年、冬の間に張ってきた根を土台に花を開かせる初夏となりました。

県総体、ヒマワリ満開!

この半年の成長を花に変えました。

12連覇達成。

そして、これまで最高の4ペアIH出場です。

遡ること春まだ浅き3月、何とか策を講じて全国センバツには出場できましたが、やはり地力のないチーム、初戦で何もできず敗退しました。

ただ、すべては成長の大切な一場面ですから、己を知る、という意味でとてもいい経験だったと思います。

それから2カ月。

北越畑は向き合い畑。

一人ひとりが自分と向き合いながら、地道に己を成長させていったと思います。

秋からのDream Factoryに名前の挙がっているすべての選手たちが、自分の弱さと格闘しながら成長してきました。

特に、前回の最後にあえて期待を込めて書いた新3年生の須貝若菜が明確にリーダーの自覚を持ったこと、それがこのチームの成長の核になったと思います。

その須貝の選抜直後のノートから。

全国センバツ、初戦敗退。

最後のミーティングを終えて。

私のチームが団体で勝つために必要なことは、このチームで誰かが突出しなければならない。特に新3年生の誰かが突出してリードしなければならない、先生はそうおっしゃった。

突出するって、何をすればいい。

少なくとも、今の自分では突出できない。

いつもこういうミーティングの後には、「何をプラスすればいいか」と考える。

でも、うまくいったこともなければ、結果として現れたこともない。

今回は「何かを加えよう」ではなくて、「何かを変えよう」という風にしてみたい。

何でもいい。

私はリーダーとして話す時、「〇〇だったよね」とか「〇〇だったのね」とか、そういう言葉を使っている。それを「〇〇だった」「〇〇しよう」とか、言い切りの形にしてみる。

愛香先輩が今日でコーチを降りる。(1年間、コーチをしてもらった鈴木愛香。春から新しく生まれる「新潟ヨネックス」のメンバーとして新たに旅立つことになった)

最後に私たちにくれた言葉は心に刺さった。

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誰よりも誠実に生きること。日々の練習、自主練の時間(やってもやらなくてもいい時間)、家に帰ってから、どんな時でも自分はテニスで夢を叶えたいのだから、誰よりも誠実に自分を向上させようと生きること。愛香先輩は日体大でそうやって日々を送った。自分より上手い選手、高校時代実績のある選手はたくさんいたけど、1年生からレギュラーを任された。必ず見てくれている人はいるし、何より自信を持って戦える。

今の私たちに、こうやって胸を張って言える選手はいるのか。

そう考えたら、先生が「突出」って言ったことと重なった。

「今日で解散する旧チームは、頑張るチームだけど、誰よりも誠実に自分と向き合っているわけではない。「突出」して誠実に日々を生きていて、その選手がチームの中心になる、という者がいない。だから、負ける時には、ズルズルと0-③で負ける。誰かが踏ん張って1-1の3番勝負に持ち込めない。競っている試合に勝ち切れない。」

ならば、私がこのチームの「誠実」を創っていくしかないんだ。

日々の努力を努力のままにしないで、「誠実」に変える。

明日から新チームスタート。

(3月29日)

それから約1カ月。新チームになって初めて迎える県レベルの大会=ハイスクールジャパンカップ県予選を迎えます。この大会は県総体のシードポイントがかかる大切な大会でもあります。

しかし、チーム須貝は準決勝2ペアとも敗退。

県内高校のエースに勝ち切れないもどかしさが募りました。

今日のハイジャパ予選、準決勝で北越が2ペアとも負けて、決勝は巻vs中越。他の団体メンバーもベスト8に入れない。

総合的に言えば、新チーム初の県大会は北越の負けだ。

決勝を見ていて、こんなに悔しい思いをしたのは初めてだ。

相変わらずエース対決に勝てない、競り合いに勝てない。

先生が12連覇は危ないと警告してくれた現実が目の前にあった。

今日、みんながどれくらい危機感を感じてくれたかはわからない。でも一つはっきり言えることは、私ははっきりわかったということ。

本当に勝ちたい。このチームで、私のチームで勝ちたい。

この思いがあふれるくらい、こみあげてきた。

団体の3番に出て私が勝てないのは、期待されている場面で力を発揮できないこと。

実際、私は今まで一度も団体で期待に応えたことがない。

一度もない。

それをスキルだったり戦術だったりで反省していたけど、私に足りないのは「団体マインド」なんだと思う。

3番勝負。

「さあ、つないだぞ」

「あとは任せた」

「私たちの分、勝ってください」

色々な思いや声がある中で、私は弱い。

試合後のミーティングは自分たちだけでやった。

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チーム一人ひとり、1カ月後の県総体に向けて、自分が思うこと本音でぶつけて、と言った。

みんな本音で話をしてくれた。2年生も思いをぶつけてくれた。前みたいな発表会にならず、みんなで隠さずストレートに言い合えたと思う。

同じ3年の宮川には強く伝えた。

もう3年で、残りの月日があと1カ月かもしれないのに、まだ「連続ミスが…」とか「ペア力がなくて…」とか言ってるけど、それ去年と同じじゃないか。

「本気で考える」って言ったけど、そうじゃない。

「本気で何か取り組んでみろよ!」

考えたって、本気でやんなかったら何も変わらないし、今までそう言って変われてないのに、まだそんなことを言うのか。

私も変わる。

宮川も本気で変わろうよ。

私のお母さんは「私は毎日仏壇を拝んで、感謝を伝えてるよ」って言ってた。

そうすると、謙虚な気持ちで一日をスタートできるって。

私もやってみようと思う。

みんなの声を背負って戦える人になりたい。

(4月23日)

その1カ月後が県総体です。

須貝は明るく元気のいい子で、前向きなムードをつくることができる人です。

いつも健全な方向を向いて、一緒にいると前向きになれる、そういう素敵な資質を持っています。

2年前の1年生の時から団体メンバーに入れていました。

とっても良い子なのですが、テニスコートに立つと崩れます。

期待されると逆に小さくなってしまう。

周囲も見えなくなり、持ち前の責任感がさらに自分をネガティブな暗闇に落としていきます。

須貝の1年時の県総体後のノートです。

今日の団体戦で、私のメンタルがどれだけ弱いのか、先生もわかったと思います。私もここまで弱いとは思っていませんでした。

せっかく使ってもらった団体戦。

2試合目で、最初からメンタルがつぶれていたことが、自分自身の元気のなさでわかりました。終盤にかけて応援の声につられて、声だけは出せるようになりましたが、それは本当にただ声を張り上げているだけでした。

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先生に「戦おうとしていない」と伝えてもらいましたが、その時は「そんなことはない。戦おうとしているんだけどうまくいかない。どうしたらいいかわからない。」と思っていました。

「戦おうとしている」=「まだ戦っていない」、そう気づいたのは落ち着いて先輩たちの試合を見ている時でした。

3年生の試合をずっと見ていました。

もちろんミスもあります。ミスが続いて雰囲気が下がりそうな時もあります。でも先輩たちはそういう時こそ、心の底から気魄を出してラケットを振っていた。ミスは修正力で修正してまた戦える。そしてチームの方を見て「よしっ」ってなる。

先輩たちはチームと一緒に戦っていた。だから、応援する方も全エネルギーを送って乗り越えた姿に大きくガッツポーズをとる。

私が目指したいのはこの姿だ。

3年生の一体感がすごかった。

1点1点、チームの10連覇に向けて、3年生全員が力を合わせて進んでいくようだった。

すごい絆と信頼。

私も3年生になった時、今の1年生と一体になって全員で団体優勝を勝ち取りたい。

2年後、私はこの場にこんな風に立てるのだろうか。

(2021年6月6日)

1年後、2年生の県総体では北信越ブロック大会出場が決まる試合(個人戦2日目)で、またしてもビビリーが出ます。ペアの後輩は何とか持ち直したけれど、須貝は終盤になるにつれてラケットが振れなくなっていきました。

その日の2年時のノートです。

私はずっと長く何かを続けていれば変われるって思っていました。やっていることはまだちょっとかもしれないけど、去年よりは変わっている自分がいるはずだと期待していた自分がありました。

でも何も変わってなかった。

1年の時のビビって戦えなかった弱い自分のまんまで、もう情けなくて…

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本当は逃げ出したいです。

もちろん実際に逃げ出すなんてできません。でも苦しいです。

こんなこと言っても無駄だってわかっています。

弱音吐いて、それで変われるくらいなら皆が日本一です。

寧々は後輩と組んで個人でもインターハイ。

寧々、小学校から一緒にやってきたけど、ここまで差が開くなんて思ってもいなかったよ。

寧々がチームの鍵になってる。

入澤・本間で1勝。

もう一つ、それは寧々なんだ。

冬、負けた時、私たち二人が変わらないと11連覇はないって誓い合ったことを思い出した。二人で変われる、二人で変わろう、そう思ってた。

でも違った。寧々は一人で変わった。

私は何をしているんだろう…

明日、団体戦。

みんなでドリームファクトリー(ムービー)を見た。

ずっと前の星先輩の代のものだった。

星先輩は中学時代無名の後衛で、北越に来てから前衛になったという。

それが2年の冬から3年の夏まで半月板の手術で試合に出られなかったという。何という悲劇だろう。

7月にようやくドクターから許可が下りてコートに立って、インターハイ団体で優勝した文大杉並に勝つ。

信じられないことだが、北越では実際に起こる。

そう、北越って変われる場所なんだよ。

なんで私は変われないのかな。

変わるって、どうしたらいいんだろう。

明日の団体戦、私がコートに立つことはない。

今年もチームの力になれない…

県総体終わったら、もう一回前衛やってみないか、先生はそう言ってくれた。

それを聞いて、実は少しネガティブになったけど、私が生まれ変わるきっかけとなる1歩を用意してくださったんだと思います。

真剣に考えようと思います。

(2022年5月28日)

こういう歴史があっての最後の県総体です。

前日の3年生須貝のノートから。

私は、今まで県総体で良い思い出が一つもありません。

1年生の時は、同じ1年生の三条高校の相手に負け、団体戦ではラケットを振ることが怖くなりビビッて負け。

2年生の時は、またしても三条高校の1年生相手に競り負けました。競り負けたと言っても、終盤になりファイナルを戦う中で、やっぱり私はプレッシャーに怯え、ビビッて負けたのでした。今、こうして書きながら、あの時の自分の小ささをはっきり思い出しました。

私は、極度のビビリーだった。

でも、私は ビビリーを克服した。ビビリーにならない方法を知ったから。

ビビリーって、もともとあるものじゃなくて、ビビリーの道へ自分が進んでいくからビビるんです。私はやっとわかりました。そして、ようやくそっちの道でなく、別な道へ自分を導くことができるようになりました。

今まで、県総体で1度も良い思い出はないけれど、そのことがあって今の自分がいる。

2度の失敗を3度目に成功に変えてみせます!

先生がおっしゃっていた「神様からの試練」

絶対に私にも来る。

今まで調子がいい時に、調子がいいままで終わったことなどないから、いつも一番大事な試合でやらかす。私に与えられた試練だと思えないで負けていく。だから超えられた試しがない。

「3度目の正直」ってよく言うけど、それなんだと思う。

今日の初戦、2年目の下里がビビリーですごく苦しんでる。去年の私のようだ。

それ、試練なんだよ、下里。

でも、さっきのミーティングで下里の決意を聞いたら、自分の弱さを逃げずに認めてるって感じた。認めて前へ進もうとしている意志を感じた。

そんな仲間たちと一緒に戦うんだ。

私だけが試練に向き合うんじゃない。

北越は「向き合うことから逃げないチーム」なんだ。

全員が向き合いながら戦っていることを忘れずに、明日は全力で闘います。

おやすみなさい。

(6月2日)

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すごい成長だと思います。

行間からあふれ出る自分への自信とプライド。それがあるからこその、弱さと向き合う後輩への強く温かい思いやり…。

超えてきた、とはまさにこのこと。

これだけで、須貝の北越での2年間は一生を照らす価値があるものだと思います。

迷える思春期に、こうして悩みもがき、悔しさに何度も涙しながら、自分と向き合い、自分を超えていく。もう翌日の勝ち負けなど取るに足りません。

こういう子供たちの挫折と成長と共に生きていけること、そして感動させてもらえること。そこに少しでもかかわれること、感謝しかありません。

次の日、個人戦2日目。

第1シードだった須貝と高橋寧々、向かってくる相手に受けてしまった場面もありましたが、振り払うようにして決勝進出。

さらに、北越畑で2年目を迎えた苗たちが成長の証を見せてくれました。

特に、須貝がノートで呼びかけていた2年生の下里も、前日とは別人のように強気でラケットを振り切り、3位入賞。

インターハイのかかったベスト8決めは、昨年の県総体で自滅して敗れた中越高校の選手が相手でした。秋の県新人戦でもおびえてラケットが振れなくなった相手です。

3度目の正直!

圧倒しました。④ー0勝利。

2年生の下里・渡邉ペア、素晴らしいチャレンジと1年越しのリベンジを見せてくれました。

それから同じ2年生の安藤・冨樫、1、2年生ペアの吉澤・土橋も、インターハイ決定戦で上位シードをうち破ってのインターハイ出場!

2年生は「おまえたちが鍵になるんだ」という僕の言葉を心で受け取って、毎日2年生ミーティングを開いていました。そして去年の本間・入澤が掲げた「超えるべきは今、この瞬間」という横断幕を張って、その前で「3年生と一緒にインターハイ!」と誓い合って練習に入っていました。その日々が、一番大切な試合で花に結晶したように思います。

さて、一方、決勝に進出した高橋・須貝でしたが、決勝では抜群のセンスを持つ中越高校のエースに全く立ち向かえずに0-④で敗退します。何もできずに終わってしまいました。

中越のエースは優勝まで失ゲームがたったの「1」。絶好調です。

3年生主体のライバル校は全力で団体優勝を狙って向かってくることが予想されました。厳しい戦いを覚悟しました。

その夜のミーティング。

リーダーの提案で、それぞれの選手が誓いを紙に書いてみんなの前で発表しあいました。

須貝は「1試合1試合、やるべきことを全力でやりきって、勝利へ導く。」

高橋は「北越らしく、泥臭く、全力の気魄で戦う。絶対12連覇!」

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ここ1週間は特に苦しかった。

日に日に県総体が近づいてくるのに、はがれおちるように毎日何かがぶっ壊れる。

悩んでる2年生のサポートもしてあげられなかった。

「今年の県総体は赤信号」

今までの県総体を思い出し、また私で負けるのかと不安があった。

けど、絶対に最後の県総体はやりきりたい。

私が磨いてきた武器を全部使って挑もう。

そう誓って臨んだ昨日の個人戦。

1週間前の練習試合で絶好調だった寧々(高橋)の調子が悪い。

私は寧々をサポートするためにできることをすべてやった。

向かってこられて厳しい試合もあったが、何とか決勝進出。

中越のエースとの戦いだ。

今度こそ。

だけど、先生が伝えてくれた戦略を実行せずに、0-④で何もできず敗れた。

やれることをやらずに負けてきた自分に腹が立って腹が立って仕方なかった。

夜、「このままじゃ、私のチームがこの県総体で終了してしまう」

私の青春がこんなんで終わり。

絶対ありえない。

もう、シンプルに雑念を全て捨てて、向かっていこう、そう誓った。

団体戦当日。

キャプテン七瀬が決めたチームスローガン。

「ベストで向かって来い! それをベストで跳ね返す!」

その気持ちで臨んだ。

3回戦、前日の個人戦でIH出場を2ペア決めた三条高校。

厳しい戦いになる、そういう予感がした。

2面同時展開。

風が強い中、相手はラケットを振って向かってきた。

少し私たちは受けてしまって、ゲームカウント1-2。

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競り合っている最中、隣のコートで、安藤・冨樫が敵のエースに敗退した。

後がない。

正直、怖かった。

先生が落ち着かせてくれた。

「リードされたと言っても、すべて風が強い中で風下のゲームを取り合っている状況。

落ち着いて、これからの風下の2ゲームをしっかり攻めて取っておいで。」

これで落ち着けた。

寧々と目を見合わせながら、1本1本。

丁寧にしっかり攻め続けた。

敵のミスが増えてきた。

そのまま④ー2で勝利。

キャプテンペアに3番勝負を託した。

もう夢中だった。

あんなに声を出して、心のすべてのエネルギーを捧げて、一つになって応援したことが今までにあっただろうか。

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全員、気持ちは一つだった。

ベストで来い! それをベストで跳ね返す!

向かってきた三条高校を、チームで跳ね返した。

決勝戦。

予想通り、中越高校。

オーダーは第2対戦で、昨日1ゲームも取れずに負けた中越のエース。

絶対にこうなると思っていた。

二度と昨日のような思いはするもんか。

やるべきことをやってチームを優勝させるんだ。

まっすぐに、それだけ。

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今日は先生からアドバイスされた戦略を最初からやりつづけた。

ミスもあったが、ポイントした方が圧倒的に多かった。

G2-0リード。

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私たちは試された。

リードしてチャラいことをする。

リードして安心する。

それが今までの私たち。

絶対、そっちの方へ行くもんか!

デュースアゲインが繰り返される。

どちらにもゲームポイントがあった。

向こうも必死だ。

私達は何回アドバンテージを逃したんだろう。

それでも前へ出続けた。気持ちが退くことはなかった。

そして、前へ出た私の後ろに中ロブが上がった。

苦しい体勢だったが、後ろに大きくジャンプしながらラケットを振った。

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アウトかと思ったが、線審は真っ直ぐに右手を伸ばした。

⑩ー8で第3ゲームゲット!!

G3-0。

私たちは試練を超えた。

昨日の個人戦決勝で0-④で負けた敵のエースに、団体の決勝で④ー0のリベンジ。

隣では、ここまで勝ってなかった安藤・冨樫(2年生ペア)が必死で戦っていた。

G2-2のP0-3の劣勢から、1本1本追いついてデュース。

今までの安藤・冨樫には絶対なかった姿だ。

そのままゲームを取ってG3-2。

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さあ、第6ゲーム。

ずっと、この二人が課題にしてきた第6ゲーム。

強かった。

練習通りやりきった!

最後は嬉しすぎて、必死すぎて、よくわからない。

私たちは涙の中、12連覇を果たした。

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先生、ありがとうございました。

先生方の支えがあって、12連覇を果たすことができました。

本当にギリギリまで、色々ぶっ壊れがあり、ペア間の意思疎通とか、いろいろあったけど、一つひとつ乗り越えていったのは、諦めないで励まし続けてくれた先生方のおかげです。

そして、みんな、本当にありがとう。

選手だけじゃなく、ベンチの全力応援。

たくさん応援に来てくれた先輩たち、コーチ、そして親たち。

みんなみんな黄色いTシャツを着て、一緒に戦ってくれた。

私たちは青春のど真ん中にいた。

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そして、この青春は夏の北海道に続く。

1日1日、貴重な日々を精一杯生き続けます。

(6月4日)

2023 県総体のドラマ

最後にペアの高橋寧々のノートと、僕の返事で終えます。

最後の県総体。

最後の最後でベストを出せた。

今日1日、本当に苦しかった。

昨日の決勝戦の不甲斐ない試合から立ち直れず、朝の会場練習でも全くダメだった。

昨日の夕方、わざわざコート借りて調整してもらったのに、得意なはずのストロークが不安定すぎた。でも落ち込んでいても何も始まらない。とにかくいいイメージを取り戻したかった。一人でノート見てイメージトレーニングを繰り返して試合に臨んだ。

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一番苦しかったのはベスト4決めの三条高校戦。

向かってきた相手にG1-2でリードされた場面。

でも昨日と違って、今日は須貝の目をしっかり見て須貝の言葉を心で受け止めながら戦えた。須貝の目はまっすぐで、私に勇気をくれた。何度も何度も助けてもらいました。

準決勝の村上戦からやっと自分の身体が戻ってきた感じで、狙ったコースに打ち切ることができてきた。

決勝戦は、ほぼ思い描いた通りの戦いで昨日のリベンジを果たせた。

私に力を与えてくれたのは北越の団体戦。

苦しい中で私が復活できたのは、絶対にチームのおかげだ。

チームとして、どんなに相手が向かってこようとも、それをもっと超えて跳ね返すエネルギーがあった。

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私は今まで、苦しくなると人の目を見れなくなって、ひとりで閉じこもってすべてが崩れて負けていった。でも、今日はその自分と戦いつづけて打ち克った気がする。

先生、私が苦しすぎた時、駐車場で声をかけてくれてありがとうございました。

イメトレを修正してくれて、勇気をもらって、戦いつづけられました。

今まで私が厳しいことを伝えてきた2年生が大事な場面で勝利をもたらしてくれた。

チームの応援、先生方のアドバイス、私は団体戦で復活できました。

本当にありがとうございました。

私、もっと強くなります。

絶対に去年みたいなIHにしたくない。

自分を超えて、自己ベストで戦えるよう頑張ります!

(高橋寧々 6月4日)

寧々、おめでとう。

僕が強く感じたのは、本当にダメダメな状態でも、自分を投げ出さない、自分を諦めない寧々の姿です。

1年生の時から、君は苦しい場面ではすぐに逃げた。

強引に点をほしがったり、無意味に前に出て失点したり、カッティングに逃げたり…

日常生活でもそうだったね。超えるべき時なのに、甘い方向に自分を逃がす。

でも、今日は違ったね。

成長したな、寧々。

おまえとしても、チームとしても一番苦しかった三条戦。

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おまえはあのベンチワークの1分間、決して下をむかず目が泳ぐこともなく、まっすぐにこっちを見て、俺のアドバイスを受け止めた。

そして、自分でではなく、ペアでチームの願いを力にして、苦境を超えていったね。

だから、決勝戦の圧勝につながったんだと思うよ。

君を誇りに思います。

全勝したからではありません。

苦境から逃げなかった君にです。

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2023年1月24日 (火)

Dream Factory 2023 冬

何とか間に合った全国切符

秋の負けから成長した精神力

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🔶北信越選抜大会 R05.1.14  in石川県小松市

◎県1位校リーグ

 北越 1-② 高岡商業(富山)

 北越 ②-1 敦賀(福井)

 北越 ②-1 松商学園(長野)

 北越 0-③ 能登(石川)

 2勝2敗で3位。

◎第3代表決定戦

 北越 ②-1 福井商業(福井)

秋の県新人戦でベスト4に一つも残れずに敗退してから、3カ月。何とか全国選抜への道をこじ開けました。

夏は誘われた研修大会も断って、ひたすら基本をやりました。

力があるチームではないので、下地を作ってこの大会に臨みたかったです。

チームとしての土台作りに日々精進した夏。惨敗の秋。

落ち葉の下に夏に咲く花の根を地道に作ってきましたが、真冬の小松ドームで、ようやくその芽が出てきた感じです。

今年のチームスローガンは「日々向上」です。

とてもシンプルですが、今の幼いチームにぴったりだと思います。

2面展開で夜18時過ぎにスタートした第3代表決定戦。

高橋寧々・渡辺七瀬ペアの試合は長いラリーが続き、隣のコートで第1対戦と第3対戦、2試合が終了(1勝1敗)してもまだG3-2で続いていました。

消耗戦です。

相手の福井商業はダブル後衛。とにかく粘ってきます。

高橋が最後までよく打ち切りました。

ガマンだったと思います。

ガマンしながら攻める。ガマンしながら走り切る。

1時間を超える熱戦でした。

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秋の高橋では勝ち切れていなかったでしょう。

あの頃はまだガマンすることの大切さをわかっていませんでしたから。

きっと1点を安易に取りたくなって、不要なところでドロップショットを使ったり強引に攻めてミスをしたりしていたと思います。

G3-2でマッチポイントを握りましたが、ダブルフォルトで逃し(まだまだ幼いのです)、ファイナルへ。

ファイナルも一進一退。手に汗握る展開です。

「ガマンするって『超強気』なんだよ」

どこかでそう言ったことがあります。

あの緊張とあのプレッシャーの中、辛抱強く正確に闘い続ける精神力が試されました。

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高橋が自分の幼さと本気で向き合う意志を固めたのは、秋以降です。

まだコントロールしきれるところまでは成熟していませんが、ようやく自分の弱さと向き合うアスリート魂が芽生えてきました。

「弱さと向き合う」とは「甘さへの逃げ」と向き合うことですから、幼い心では耐えられません。精神的に幼いとあらゆる方便を使って向き合うことから逃れようとします。本人は自分が逃げていることに気づきませんが、こちらはわかります。

全国切符をつかんだ次の日、祝福を伝えに来てくれたある監督さんから「先生は、こういうギリギリの勝負に強いですよね。何故ですか。」と聞かれました。

あまりの直球にたじろぎ、適当なことを言ったと思います。申し訳ない…

その先生の勇気ある直球に応えられなかったことが心にひっかかっていましたので、答えになるかどうかわかりませんが、ここで自分なりの考えを述べてみます。

まず監督さんが最後はギリギリの精神力勝負になるのだと肝に銘じているか否か。

肝に銘じているとすれば、日々の練習がたとえば200日あったとして、200本の糸がその勝負になるギリギリの場面に集まっていくイメージ。200日間、その日を目指していなければなりません。子供たちにそんなこと無理です。こっちが日々そのXdayに導いていくのです。高校世代の育成監督の、ここが最も大切で最も難しいところだと思います。

さらに事を難しくさせるのは、若い魂は成長に一人ひとり差があること、しかもそれぞれの魂は発展途上にあるということ。200日あったとして、170日目あたりでようやく言えることを30日目あたりでは言っても効果はありません。でも、30日目で言った方がいい子もいます。押したり引いたり、試行錯誤。右往左往。問題で山積の部隊を連れて、でこぼこ道に行く手を阻まれながら、予期せぬ場所での地雷爆発に慌てつつ、でも着実に目標地点へ全員を進めていくのです。

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それからわかっておくべきなのは、生徒が真に成長するためには監督の指導よりも、仲間からの刺激がとても重要だということ。だからチームの土壌を「成長畑」「進化畑」にしておく必要があります。ネガティブな空気はできるだけまん延させないように。

北風も重要です。春風お日様ばかりでは、ギリギリの勝負になんて耐えられません。

生徒の挫折こそチャンスです。挫折のない成功ドラマなんてありますか? 挫折や停滞はむしろステップアップへのターニングポイントです。監督は(そして親も)そうとらえる度量が必要です。

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こうして、生徒それぞれが自分の弱さを隠さず認めて、たとえ行ったり来たりしながらでも、自分と向き合う勇気を失わず、転んでも立ち上がって前に進むよう全力で促していく。

とどのつまり、監督が最後はこの子たちとギリギリの勝負を戦うのだと覚悟していること。そして、その先の感動を強く思い描き、徐々に生徒にもイメージさせて同じ思いを共有すること。

いかがでしょう。

僕はこうして1日1日を北越の子供たちと生きています。

高橋は秋以降、自分の弱さにようやく真っ直ぐ目を向けることができるようになりました。以前とまるで違います。ただ、まだまだ。大将戦に勝ち切る強さはありません。

やっとこれからですね。でもスタートは切りました。ガンバだ、寧々!

ペアの渡辺七瀬は、秋の新人戦、高く上がったマッチポイントのスマッシュを叩けませんでした(Dream Factory 2022秋 参照)。あれがこの子のトリガー(引き金)でした。日々、自分の弱さと向き合ってきました。今回の試合は大事な場面で何本もスマッシュを打ち切りました。

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もう1ペア、全国選抜へ扉を開いた立役者は、安藤・土橋ペアです。

特に土橋はそれまで全敗。しかも、「ミス祭り」=ミスの連発で試合を壊してきたこれまでの土橋と同じでした。

ただ、秋からの土橋の「姿勢」は以前と変わりました。

幼いながらも必死で自分の弱さを引き受けようとしてきた。実際には心と実態が嚙み合わないことも多いのですが、意志だけははっきりあった。

最終戦は、土橋の「向き合い続ける強さ」にかけてみました。

すると信じられないことが起こりました。

土橋はこの試合に限って、ほぼノーミス。

安藤も自己ベストで戦い、一番大切な試合を④-0で勝利したのです。

「どんなマジックを使ったのか」と翌日に問われましたが、何もないです。

ただ、土橋が「向き合い続けていたこと」を知っていた。

家に帰ってからも、倉庫の中で自主練していたことを知っていた。

だから、一カ所だけ調整して、ガンバ! と言って送り出した。

それだけです。

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スタートの高岡商業戦、結局何一つ積み上げてきたことができなくて、もうこれ以上ないってくらい、もう誰も手に負えないくらいミスの連発祭りだった。

その後も立て直すことができず、リーグ戦全敗…。

また私は自分を見失った。

それでもチームは2勝2敗でリーグ3位。

2位校リーグから上がってきた福井商業と最後の出場枠をかけた第3代表決定戦を戦うことになった。

先生はこんな私にチャンスをくれた。

先生、最後まで私にチャンスをくださり、ありがとうございました。

おかげで、自分の学びに何が足りないのか、最悪な状況だとしても、何を整理し、何を明確にすれば戦えるようになるのか、ようやくわかった気がします。

あれだけ努力してきたのに、今までと変わらない自分。でも、最後の決定戦ではほとんどノーミスでポイントし続けられた。やっぱり、私は自分のことをまだ知らない。今日1日で経験できたもの(地獄と天国)は大きいです。これを言語化して、3月の全国選抜で最初からベストを出せるように、チームを信じて、先生を信じて、積み上げていきます。

  1月14日 土橋日加里

まだ、「力」ではありません。

リーグ戦全敗ですから。わかった気になったとしたらむしろ怖い。

でも、自分と向き合うことに目覚めた。

「芽生え」ですね。

花を咲かすには、まだまだ、たくさんの超えるべき壁が、超えるべき自分があります。

土橋もガンバだ!

秋の県新人戦の時、相手の前衛に疑心暗鬼になって怯え、戦えなかった下里が(Dream Factory 2022秋)、この大会で2試合出場したことは最後に付け加えておくべきでしょう。

「自分に閉じていくものは、自分に負ける」この法則を地で行く下里でしたが、秋の負け以降、自分の殻に入ってしまう自分の「質」と必死で向き合おうとしてきました。

「他者と協働することに自分を進化させるキーがある」、という僕のアドバイスを受け入れて、自分地獄から抜け出してきました。決して得意でも好きでもないですが、自らを鼓舞するように他者の中へ交わっていきました。

そうして、いろんなところに協働することで、向上の扉が開いていくことにようやく気付いていったように思います。県選抜で一度も出さなかった下里をトライさせたのは、彼女の冬休みの取り組みと成長を認めたからです。

実際、練習では自分を超えた強さを表現できるようになってきたので、チャレンジさせました。

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結果は2戦2敗ですが、価値ある出場、価値ある負けだと思います。

将来の劇的なドラマにつながるきっかけにしてほしいです。

春の全国選抜に向けて奮起してほしいのは、勝負どころで全敗した須貝・冨樫ペアですね。

県の選抜大会では成長を表現できた二人ですが、他の仲間が次々と自分と向き合い始めたのに、なかなか覚悟ができず(アスリートとしての覚悟というものがわからず、と言った方がいいかな)、自分の甘さに妥協してきた日々がこの上位大会で露わになりました。

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この大会、石川県の能登高校は完勝です。

昨年のインターハイで団体ベスト8。今年はその上を狙っているはずです。

同じブロックに、このような真っ直ぐなチームがあることはありがたい限りです。

5カ月後、夏の北信越でどこまで迫れるか。

須貝と冨樫の脱皮が大きな鍵になるでしょう。

ガンバだ!!

それから、もう一つ。

冒頭の写真に、一人だけ謎の青トレーナーを着て真ん中に写っている田口未晄(みこ)という1年生がいます。まるでバレーボールのリベロみたいですが、まさにチームのリベロのように頑張ってくれています。

フィジカル、スキル、タクティクス、どれをとってもチームについてくることができず、秋くらいまではネガティブな思い込みにとらわれていましたが、精神的に1歩成長しました。

できないことを他者と比較してマイナスにとらえるのではなく、できないからこそできるように努力することが必要だということ、その日々を自分の成長過程としてポジティブにとらえること、その当たり前すぎることを受け入れたように思います。

何より素直になりました。


Japanの元監督さんが、成長していく選手の条件の一つとして「素直さ」をあげていましたが、強く共感します。まだまだ幼く、あらゆる面で大失敗を繰り返していますが、その一つひとつを経験値として成長していくはずです。田口のこのような「素直さ」はチームの土壌をポジティブにしてくれます。今回の全国切符獲得に確実に貢献してくれました。

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大晦日に田口から1年の総括と新年の決意を伝えるメールが届きました。そのメールと僕からの返事を載せます。田口のメールのキーワードは「人間性」と「周りみて」です。さりげなく書いていますが、自分の弱さと課題をちゃんとつかんでいるんだなと嬉しくなりました。

こんばんは。
今年1年色々失敗もあったけどスキル面だけじゃなく人間性の部分でも沢山学ぶ事が出来た1年だったなって思います。
来年もチームで日本一を目指して日々向上できるように周りみて動いていきたいし、自分もIHの切符を掴めるように、時にはきついこともあるけど乗り越えて恩返しできるように頑張っていきます。

たよろしくお願いします。      

 未晄



田口、あけましておめでとう。

大晦日の決意、確かに受け取りましたよ。

君は9ヶ月で本当に大きく成長したと思います。

幼い君には厳しい場面もたくさんあったと思いますが、このチームでの成長に許された時間はたった2年間しかないのです。

スキル的にもフィジカル的にも戦術的にも精神的にもスタート地点が低い分、君だけ急な坂を登らされているような気にもなったでしょう。

でも、君は逃げずに受け入れて、つまずく度に前を向いて進んできましたね。

チームはそんな田口が大好きなんですよ!

失敗を繰り返しながらも、自分の幼さと向き合いながら、今年も進み続けなさい。

厳しい道だけど、価値ある道ですよ。

ガンバ!

現役から恩送りの3年生へ 感謝を込めて

県選抜 2年ぶりの優勝カップ奪還!

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県インドア個人戦

1位 渡邉七瀬・高橋寧々

2位 冨樫凛・須貝若菜

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Another Dream Factory(後半)

一昨年の12月に届いた、ある高校生からのメール。

リーダーとして理想を描きながらも現実は全くかけ離れていて、必死でなんとかしたいのだけれど、孤立無援。

顧問の先生も力になってくれず、仲間も去っていく中、いつも空回りして、自分自身の努力や存在さえ疑うようになってしまった孤独な魂からの便りでした。

藁をもつかもうとする喘ぎのようなメールから、翌年の県総体までの半年間、彼とやりとりした心の交流を、彼の許可をいただいて、前回に引き続き掲載します。

きっと、全国の部活動で、理想と現実のはざまで悩み、苦しんでいる若い魂がたくさんあるはずです。

その魂たちへ、

現実に折れそうになっている君へ、

無力感に苛まれている君へ送ります、

Another Dream Factory!

(前回の前半部を読んでいない方は下へどんどんスクロールして、Dream Factory 2022秋の記事を先にお読みになってから、今回の後半をご覧になってください)

津野先生、お久しぶりです。

夜遅くにすみません。

返信に2ヶ月もかかってしまったこと、お詫びします。自分の中でも、部活の中でも様々な出来事があり、自分の中で気持ちを整理して書き出すのにとても時間がかかってしまいました。すみません。

 

まず、前回お話した自分が練習中にひどい言葉をかけてしまった部員についてですが、翌日謝罪をし、自分がその部員に対して期待していること、最後まで一緒にプレーしたいことなどを伝え、それ以降、以前よりも部活動に意欲的に取り組んでくれているように感じます。

次にブレーン制についてです。

自分達の部では、テストで欠点を取ってしまったりしてその補習で練習に来れなくなってしまう部員が数人ですがいます。テスト明けに大会が入っていることが多く、大きな問題だと感じたため、学習について呼びかけを行ったり取り組みをする係を追加で決めました。2月上旬にテストがあったため、それに向けてその係の生徒と話し合い、その生徒のやりたいことを尊重しながら、アドバイスをすることを続けました。その係について責任を持ち、意欲的に取り組んでくれて、中々上手くいかなったもののいくつかの取り組みも行いました。

ただ、不運なことに高校で新型コロナウィルスの感染者が出てしまい、自分も濃厚接触者となり、感染こそ無かったものの1週間近くトレーニングすら出来ない状態でした。ただ、その期間中もトレーニングに関する仕事を行う係の生徒と話し合い毎日のトレーニングメニューを作ったりなどして、なんとか1日1日を無駄にしないように、取り組みを途切れさせないように努めました。2年生の中での話し合いの機会も増えてきて、まだまだ上手くいかないことの方が多く少しずつですがブレーン制が機能してきたように感じます。

自分自身も自粛期間終了後は走り込みや体幹、インターバルなど春夏の大会を戦い抜けるように体力作りを重点的に行いました。(ここで宣言させて欲しいです。休校で落ちた体力を戻すためにも明日から毎日5時に起きてランニングをします!)

ただ、1月末あたりから副部長徒が体調不良などを理由に練習を欠席することが何回かあり、先生にも退部したい、という旨の話をしに行ったそうです。本人は、モチベーションが本当になくなってしまった、それが理由なんだと言っているのですが、おそらく仲の良かった同級生のBが抜けたことが彼にとってかなりダメージだったのだろうと容易に想像できます。けれども、練習に参加している時は私語もなく非常に真面目に取り組んでいて、尚更不思議に感じます。

そこで気付いたのですが、自分は初めて関わった1年生と向き合うことばかりに気を取られて、1番身近でプレーしてきた副部長と全く向き合おうとせずに避けてきていました。今、まん延防止も解除され、やっと待ちに待った通常通りの部活動を行うことができます。その部活で副部長としっかりと向き合って、どうして辞めたいのか、どうしたらモチベーションが上がるか、自分は一緒に最後までテニスしたいこと、副部長を最後まで続けられるかを話したいと思います。また他の部員一人一人とも、自分が日頃感じていること、1年前と比べて変わったこと・変われていないこと、部長の自分に対して抱いていることなどを改めて話し合いたいと思っています。

先生から受け取った、「一日一日を成長の現場にすること」この言葉を毎日思い出します。今日自分は、チームは成長できたか、出来てないのなら何が悪かったのか。

もう3月です。地区大会まであと2ヶ月程度しかありません。自分が部長になったとき、正直この時期には県の上位で戦えるレベルになると考えていました。けど、そんなに甘くなかった。それなのに、休校、部活動の時間短縮、声出しも禁止、接触も禁止。自然とネガティブな思考になってしまう時間も増え、差を縮めるどころか他のチームがどんどんと先に行ってしまうような感覚に陥っていました。

そんな時テレビで、4回転アクセルに挑戦し、惜しくも転倒してしまった羽生選手のインタビューを見ました。その中でも衝撃を受けた言葉がありました。それは、

「報われない努力ってあるなって思った。命がけで練習してきたけど、それを達成できなかった。それに関しては正直無駄だったなと思う。」

という言葉です。金メダルを2度も取り、それでも挑戦をし続けて努力を続けた人ですら、報われないことがあって、無駄だった、と言ってしまう。

高校に入ってからの2年間、特に部長になってからの1年間、ほとんどの事を長く続けられない自分がこの部活だけは、全力で続けてこられた。毎日に悔いがないかと言われたらそうじゃない日もたくさんあるけど、それでもそれを最大限無くす努力はしてきた。なのに、まだまだ思い描いてた自分じゃないし思い描いてたチームじゃない。このまま目標を達成できずに終わって、 全部無駄だったと思ってしまうのだろうか。

休校期間やまん延防止が発令されている期間、ずっとこんな事を考えてしまっていました。本当に自分は弱いです。絶対に希望を捨ててはいけないはずの部長が勝つビジョンを持ち続けられない。もちろん練習も締まりません。

でもそうやって考えていくうちに何通か前に先生から頂いた言葉を思い出しました。「結果承認が欲しいだけだ」という言葉です。

自分は失敗がとても怖くて嫌いです。ポーチボレーもスマッシュを追うのも苦手です。だからこれまでの人生、挑戦することが怖くて無難な道、成功する確率が高くて失敗しない道を選んできました。失敗してもなんとか自分を正当化して、合理化して自分を保ってきました。そんな誰よりも弱い自分に今ある使命は「チームで県ベスト4に入ること、そして個人で北信越、IHに進むこと」。これが達成できなければ失敗だし、しかもその失敗は今までとは違ってチームみんなに迷惑をかけて失望させてしまう。

けど、そうじゃないと気付きました。もちろんそれらが達成できなかったら失敗になってしまうことに変わりはないけど、今まで挑戦という事を恐れていた自分が、「成功確率のとても低い目標」に対して「報われるかどうか分からない努力」を約1年間にも渡って続けてこれている。こんなチャレンジができているんだと気付きました。中3でコロナで本当に悔しい思いをして、それでもまた、その辛い経験をしてしまうかもしれないリスクを背負いながらここまで続けてきた自分を誇りに思うし、今自分は今までで1番輝けてるんじゃないか、と思うことができるようになりました。気付きをくれてありがとうございます。

地区大会まであと約2ヶ月、もっと輝けるように、もがき続けます。

最後に質問があるのですが、今まで自分は、技術も実績も他校に劣る自分達がベスト4以上に入るために、必要なことだけを無駄をなるべく無くして要点を絞って練習してきました。ただ、最近友達と練習方法について話す中で、合理的に進めることだけが果たして正解なのか、という疑問が浮かびました。

こういう時こそ遠回りするべきなのでしょうか?

先生の意見を聞かせて欲しいです。

長文失礼いたしました。

2022.3月

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山科君

お便りありがとう。

2か月の間、いろいろあったね。

そして、いろいろ考えたんだね。

僕が一番印象深く感じたのは、山科君の心の成長です。

理想と現実のギャップに苦しみ、思い通りにならなくて悩む日々。

仲間の離反の動き。そこへ追い打ちをかけるように襲ってきたコロナ禍。

これほどのネガティブな状況下で、君はそれでも前を向いて進もうとしている。

僕の言葉もエネルギーとして燃やしながら、次から次へと訪れる試練から逃げることなく、粘り強く困難を打開しようとしている。

強くなったな、山科君。

 

そうだよ。

君は今、とても輝いているんだよ。

一生の宝物になるような貴重な経験の真っ只中にいるのだよ。

 

羽生結弦選手のあの言葉は、僕も聞きました。

そしてショックを受けました。

あの言葉は超人的な努力と挑戦をし続けてきた彼にとって、感情的にそのままなのかもしれないけど、僕はその感情は言葉にすべきではなかったと思っています。

報われない努力はどこにでも数えきれないほどあるし、金メダル獲得者以外のすべての結果はある意味「報われない」ものかもしれません。

だけど、目標を達成できなかったから、その努力は無駄だった、というのは間違っています。

人にとって、「無駄」な努力など一つもありません。

結果につながらない努力も、報われない努力も星の数ほどあるけれど、すべての努力はその努力自体に星のエネルギーにも匹敵するほどの価値があります。

努力は、必ず何かにつながります。一見関係ないと思われることに影響を与えたり、自分自身の見方考え方を広くしたり深めたり、直接の結果にはつながらなくても全く別のフィールドに種が蒔かれたりします。

羽生選手は偉大なチャレンジャーですから、自分のこの「公にすべきではなかった言葉」の重さも自分への負荷にして、さらなる飛躍につなげてほしいと思います。

結果はわからない。

わからないからこそ、そこへ向けて努力するんです。

結果がわかっていたら純粋な努力って成立するでしょうか。

未来の君が現在の君の元へやってきて(ドラえもんの18番)、君は目標を達成すると告げられたら、嬉しいでしょうが、その後の「努力」は別のものであるはずです。

そして、それに価値はあるでしょうか。

努力とはそういうものです。

 

地区大会まであと2か月。

朝のランニングの誓い、シカと受け止めましたよ。

5時はまだ暗いね。

でも、春分点が過ぎるあたり、走り始めるころに東の空が白み始め、走り終わるころに全天の朝焼けが君を祝福するようになるよ。

努力し続ける自分とそれを包んでくれている世界との一体感を感じて、これ以上ないほどの充実感を覚える時が必ず来るから。

頑張りなさい。

最後の質問に答えますね。

いい質問です。

君たちが懐疑的になっている「合理的に練習を積み上げていくことが目標達成(勝利)のための必要十分条件なのか」という疑問は、全くその通りです。

必要なことですが、十分ではないです。

我々、北越女子も現在、県で10連覇中ですが、第1シードで臨んだのは約半分くらいです。

勝負事は基本的に同じだと思いますが、(合理的に)積み上げてきた実力を本番で発揮できるかどうかは、別の因子が絡んできます。

メンタルとか、闘志とか、チームスピリットとか言われるものです。

心を一つにして火の玉にして向かっていけるかどうか、その熱量を作れるかどうかがとても大切です。

僕は「勝利の方程式」という考えをチームには伝えています。

夢の達成=(S+F+T)H

というものです。

S=スキル、F=フィジカル、T=タクティクス(戦術・戦略)で、これは日々(合理的に)積み上げていくものです。

それは日々の練習が、理にかなったものであればあるほど、高まっていくものです。

その基礎実力点に、本番でのHが絡みます。

H=ハート、チームのファイティングスピリットです。

具体例で考えてみましょう。

S、F、Tは10点満点、Hは普段通りのメンタルで戦えた場合は「1」とします。

例えば、(S=8、F=7、T=7)で基礎点22のA校と、(S=4、F=5、T=3)で基礎点12のB校が対戦するとします。

練習試合で戦えば、10回やって10回すべてA校が勝つでしょう。

しかし、大会本番、A校は1番手で出たエースが本番で気持ちが受けてしまい、それを見た2,3番手も焦りが生まれ、ファイティングスピリットが半分しか発揮できなかったと仮定します。

そうすると、方程式の解は、22×0.5で「11」になります。

一方、B校は、キャプテン中心によくまとまり、とにかく敵に向かっていこうと意思統一できて、ファイティングスピリットが普段の2割増しで戦えたと仮定します。

すると、B校の方程式の解は、12×1.2で「14.4」となります。

僅差で、B校が勝ち上がる。

机上の論のように見えますが、これはとてもよくあることなのです。

この「ハート」を燃え上がらせ、チームの闘志に火をつけることは簡単ではありません。

でも、でも、山科君、諦めることはありません。

今の君の地道な努力を継続し、信頼関係を構築し、「絶対に県でベスト4つかもうな!」という強い思いをチームで共有できれば、大きな力が生まれます。

指導者がいないからこそ、君が中心となって、自分たちでやれるだけやってみようよ。

きっとなかなかうまくいかないと思います。

新たな困難が見えてくることでしょう。

でも、今の君なら、その意味をポジティブにとらえられるはずです。

そう、可能性がゼロじゃない限り、そこに向かって日々努力することこそがチャレンジであり、生きる価値そのものなのだと。

一つだけ、そのきっかけになるかもしれない提案をしますね。

1週間に1回でいいので、チーム全員で何か「追い込む」練習日をつくるのです。

北越でよくやるのは、

1.30分間走(コートの周りを自分のペース、ジョグより少し早いテンポ走)

2.200mダッシュ×7本

3.追い込みフィジカルトレーニング

必ず、やる前に円陣を組み、やり終えた後は、ハイタッチをします。

どんなことであれ、チーム全員で全力でやり切ることは、チームのハートを着実に育てていきますから、チャレンジしてみてください。

 

君の努力をいつも応援しています。

 ・

がんば!

 

北越高校

津野誠司

2022.3月

 

 ・

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津野先生、お久しぶりです。

返信が何ヶ月も遅れてしまったこと、お詫び申し上げます。すみませんでした。

なかなか自分の中で言葉がまとまりませんでした。

 

結論から申し上げると、僕達は、県総体団体ベスト16で敗退しました。

前回の返信を頂いた3月まで遡ってお話させて頂きます。

先生にもお話した通り、そのメールの後から僕は毎朝のランニングを開始しました。それに加えて、津野先生に教わったようにチームでの体力強化も始めました。しかし、数週間が経ったあと、足の膝に違和感を感じ始め、段々と痛みは強くなっていき、歩くのでさえも痛みを感じるようになってきてしまいました。そこで接骨院で診てもらったところ、冬の県予選前にした膝の怪我が再発したという事でした。幸い、捻挫や骨折ではありませんでしたが、4月の初めから2週間程度ほとんど練習ができませんでした。練習方法が悪かったのか、疲れが取れていなかったのかは分かりませんが、いずれにしろ自分の不注意でチームに迷惑をかけてしまったことに大きな罪悪感を感じていました。

しかし、立ち止まってはいられません。4月に入り、1年生が3名、入部してくれました。新体制でのスタートです。実はその少し前から、副部長と自分の2人で分担しながらメニューを作るという方法に変更して練習を進めていました。今まで自分一人でやり過ぎていたことをもっとチームメイトを信じて仕事を任せ始めていました。その成果もあって、自分が怪我で練習に参加できない期間も、副部長がチームを引っ張り、いつも通りの練習を続けることが出来ました。これは本当に大きな進歩でした。チームに足りないことを考え、メニューを作るうちに、次第に副部長からチームへの言葉も多くなっていきました。本音は分かりませんが、僕にはこのチームに何かを残そうとしているように感じました。

さらに、怪我をして練習に参加できなくなったことで、今までコート内からしか見ていなかったものをコート外から見えるようになり、新たな発見がありました。それに加えて、今までよりもより入念にアップ、ストレッチをするようになりました。

4月に訪れた変化はこれだけではありませんでした。冬(1月)から練習に参加していなかった、当時1年、新2年生の後衛、Mが練習に復帰しました。理由などに関しては先生との間でやり取りがあったようなので深くは聞きませんでしたが、なんにせよチームにとって大きなプラスとなりました。

ただそうは言っても約2ヶ月半のブランクがあります。正直、地区大会には間に合わない、県に間に合ったらいい方だろうと予想していました。しかし驚くべきことに、プレーの質が全く落ちていなかったのです。彼に聞くとその間はほとんどラケットを触っていなかったようです。本当にすごいセンスの持ち主だと思いました。ただ、もちろんその間にもチームの雰囲気はかなり変わった部分もあったので、そこに早く慣れてくれれば、これは本当に大きな戦力になると確信しました。

後にも書きますが、結果的に彼が僕たちのチームのキーパーソンとなりました。

(中略)

 

6月、県総体。

1年間思い描き続けた舞台です。何度もこの日の夢を見ました。地区大会前に試して上手くいった調整法に今回も取り組み、チームの状態は悪くありませんでした。

しかし1日目の個人戦、自分のペアは外シードのペアに何も出来ずに2回戦ストレートで敗退、副部長のペアも1回戦1ゲーム目の競ったゲームを取られるとそのまま流れを変えられずまさかの初戦敗退、第1シード対策をしてきたMとNもそこに当たる前に2回戦ファイナルで敗退しました。

その日の夜、全員を集めて明日の団体戦の対策を練りました。想定外の惨敗に気分が落ち込んでいるのだろうな、と想像していたのですが、メンバーは意外にもそんなことは無く、逆に「団体こそは」という切り替えができていました。

その表情を見て、今日の反省をするよりは明日何をするかのプランをシンプルに、明確に示すことの方が重要だと考え、各自の思うプランを話し合い、全体のプランを練りだしました。

 

運命を決める最終日、団体戦2日目。

相手はこの1年で急激に成績を伸ばしてきたZ高校。

今年の男子の実力は正直冬の時点では、上位8チームがほとんど並んでいたと思います。だからこそ、この冬と春でどれだけ勝負できたか、その差が勝敗を決めると思っていました。

自分たちは上位チームよりも少し下の実力だろうと思っていました。もしかしたら個人の技量では負けてしまうかもしれない、それでも何があるか分からないのが団体戦。

この冬と春にかけてきた気持ちも努力にも自信がありました。

チーム力で勝負する。そう決めて挑みました。

ここに勝てば外シードと当たります。

絶対にそこまで行くぞ、そう試合直前にみんなに呼びかけました。

1番の試合が入ります。

この試合、自分は決めていたことがありました。

もしこの試合で負け、チームも負けてしまったら自分は引退してしまいます。もちろんチームへのプレッシャーもあります。だからこそ今までの2年間の全てをぶつけたいという気持ちは強いかったです。けれど、勝ちたいと思えば思うほど、自分は体が固くなっていくことを知っていました。

だからこそ楽しんで、笑顔で。

逆マッチでもその状況を楽しんでやると決めて臨みました。

これは今までの大会一つ一つで色々なやり方、気持ちの作り方でトライし、得られた自己分析でした。今までの負けは何一つ無駄になっていない。それが自分に自信を与えてくれました。

相手はおそらく3番手、こちらと同じオーダーでした。ここで勝てないと、次のMとNが当たるのは相手の1番手となり、厳しい試合が予想されました。何としてでもここで勝ってリードしておく必要がありました。

プレイボール。

こちらのプランがばっちりとハマり、最高の形で1ゲーム目を取ります。2ゲーム目も相手のミスが増えゲームカウント2ー0。

しかしここでこちらの後衛が少し崩れ始めました。そのまま流れを変えられず、ゲームカウント2ー2、2ー3と逆転されてしまいます。

自分の中で「ここだぞ。」という声が聞こえました。迷わず後衛に駆け寄り声をかけます。

「相手も焦ってる。こっちも自分達のプレーが出来てる。よし、このゲーム楽しもう。」

ポイントは2ー2から2ー3、次は自分のレシーブです。ここを取ればデュース。

しかし最後はあっけなく相手のノータッチエースで終わりました。

不甲斐なさでいっぱいで涙がこぼれそうでした。

それでもまだ試合は終わってない、MとNに望みを託しました。ここからが今大会のハイライトです。

やはりさすがと言うべきか、相手は完成度の高い、ミスの少ないプレーで圧倒してきます。それでも逆境に強いMとNは必死で食らいつきます。2人とも力みはほとんど無く、とてもいい表情をしていました。ゲームカウントは2ー2から3ー2、エースペア相手に素晴らしい内容の試合をしていました。Mは焦らずに相手後衛と打ち合い続けます。Nも相手の得意のパッシングを何本も止めました。過去最高と言っていい程の好ゲームです。しかし相手もさすがに譲らず、追いつかれて3ー3。

しかし、チェンジサイズでベンチに戻ってきた2人の表情はまだ揺れ動いていませんでした。

お互い譲らないシーソーゲームでポイントは4ー4、しかしそこから2連続失点を許し4ー6。

後がありません。

セカンドレシーブを振り切りコーナーへ、そこから長いラリーになります。

最後は相手後衛のアタックを止められず、ゲームセット。

・・・僕たちはベスト16で敗退しました。

悔しかったです。本当に悔しかったです。自分達が勝てなかったこと。そして勝敗を2年生に託してしまう形になってしまったこと。

ベスト4には挑戦すらできませんでした。

けれど、後輩のMとNの試合を見て、自分は胸がいっぱいになりました。もちろん自分達が勝てなかった罪悪感もあったと思います。けれどそれよりもその2人の試合に、表情に、成長ぶりに、希望が見えたからです。この2人なら、この2人がいるチームなら、来年こそは自分達の思いをベスト4の舞台に連れて行ってくれるのではないかという希望が見えました。ここまで1年間やってきて良かったと、そこでようやく思えました。

ずっと来ないと思っていた彼らのターニングポイントはここだったのかと。

もちろん、2年間本気でやってきて、この成績しか残すことができなかったことは本当に悔しいけれど、それでも1日1日を全力で生きた自信が自分にはあったし、もう一度やりたいという気持ちはありませんでした。自分が勝てなかったことよりも、チームや後輩の成長が何よりも嬉しくて、このチームに、自分は少しかもしれないけれど何かを残すことが出来たのだと誇りに思いました。このチームでプレーをする事ができて、部長をさせてもらう事ができて、幸せでした。

最後になりますが、津野先生、昨年の冬から本当にお世話になりました。顔も知らない自分に本気で向き合って頂いて、多くの言葉を頂きました。この1年で、自分が本気になって取り組めば、誰かが声をかけてくれる、協力してくれるということを身に染みて感じることが出来ました。

辛かったあの日々で、勇気をだして先生にメールを送って本当に良かったです。

本当に、本当にありがとうございました。

北越高校の活躍を心からお祈りしています。

(本間選手、ハイジャパシングルス3位おめでとうございます!)

 2022.夏

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山科君

君たちのDream Factory 読ませてもらいました。

素晴らしいドラマを生き切ったのですね。

君が一番苦しかったあの冬の日、藁をもすがる思いで僕にメールをくれた日から半年のドラマでした。

「2年生のM君が戻ってきた。」

これは山科君が言う通り、ドラマの大きなターニングポイントでしたね。

ただ、僕は、4月のもう一つの変化、「副部長と二人で分担しながらメニューを作るという方法に変更して練習を進めていた」ということ。

しかもそれが「今まで自分一人でやり過ぎていたことをもっとチームメイトを信じて仕事を任せ」たいと思ってのことだということ。

そっちの変化の方に、強く心を揺さぶられました。

そこに君の成長とチームの成長を見るからです。

大切なことを人に任せられるというのは、その人を信頼していなければできないことです。

副部長さんも、君からの信頼を感じて、チームへの働きかけを積極的にするようになった。

信頼が信頼を生み、リーダーシップもチームとして発揮できるようになったのですね。

M君のペア、そして副部長さんのペア、いずれもその強さはペア間の「信頼」にある。

ミスが重なっても、辛い場面でも、二人で超えていく。

「チーム山科」の2022年のキーワードは、間違いなく「信頼」です。

その「信頼」は、君が成長する中で選んだ道であり、その結果チームに浸透した財産です。

そして、ついに迎えた県総体の団体戦。

部長の君が心に誓ったことは

「チーム力で勝負する」

さらに、己の弱さを知った君が自分に言い聞かせたのは

「2年間のすべてを笑顔で楽しんで表現する」

この「チーム山科」の最終試合は、一つひとつの場面が胸に迫ってきて、自然と涙が溢れていました。

半年前の君の勇気ある「第一歩」から、ここに至るまでの日々が深く重なって、本当に本当に心から感動しました。

最後の君の言葉は、読めば読むほど、人間の崇高さを感じずにはいられません。

「報われない努力もある」

この言葉は正しくはこう説明されるべきだということに、君も同意してくれることと思います。

「努力にはその努力が目指した成果としては直接報われないこともある。しかしその努力は、努力した本人、もしくはその努力の影響を受けた周囲の人間、または未来の世界に何らかの光を灯すものである。」

私も君の勇気と努力から希望をもらえた一人です。

君と出会えて幸せです。

ありがとう。

北越高校 津野誠司

2022.夏

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2022年10月30日 (日)

Dream Factory 2022 秋

「負け」から始まる 北越の秋

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秋季新潟地区大会

〇ダブルス

1位 高橋寧々・須貝若菜

2位 安藤愛莉・渡邉七瀬

〇シングルス

1位 高橋寧々

2位 須貝若菜

3位 安藤愛莉

県新人選抜大会

〇シングルス

2位 安藤愛莉

3位 高橋寧々、須貝若菜

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3年間チームを牽引してきた入澤・本間とチームを支えてきた佐藤・丸山が現役を退き、チーム北越も代替わりの秋を迎えました。

そして、「北越あるある」ですが、今年も秋は勝てないです。

ただ、県新人選抜のダブルスでベスト4に一つも入れなかったというのは、ちょっと記憶にないくらいです。

それもいいでしょう。

「伸びしろ」がたくさんあるチームです。

どんなチームカラーで、今年はどうやって全国エリート校に挑んでいきましょうか。

脚本はこれからです。

インターハイ後の夏はとにかく基本をやりました。

身体つくりの基本、技術的な基本、考え方の基本、人として信頼される行動の基本です。

2年生(新3年生)の3人にチームリーダーの自覚が根付き、1年生(新2年生)が育ってこないと選抜も来年の夏も戦えません。

成長の第一歩は自分と向き合うこと。

変わるべき自分に気づき(最初は気づかされ)、自己改革の意志を固め、自分と葛藤し、自分の弱さに涙し、それでも前へ進もうともがく中で、少しずつ人は成長していくものだと、今年も信じて、全力でその成長を促し、支え、認め合っていきたいです。

県新人選抜では、ほぼ全員が自分に負けての敗退だったと思います。

いいと思います。

自分の弱さに打ちのめされることは、向上のための良質の糧ですから。

挫折もあっていい。それが小さなものでも大きなものでも。

ただ、自分で「挫折」だと目を背けずに認めることです。

挫折したなら、また立ち上がるだけですから。

そこから逃げないこと。

人は弱いのです。

その弱さを認めて、だからこそ、仲間と連帯するんです。

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周囲を見ましょう。

必ず、同じように理想と現実のギャップに悩んでいる仲間がいます。

君だけじゃない。

だから、連帯して、励まし合って、前へ進んでいくんです。

その一つひとつの過程こそが、君たちのドラマであり、君の成長です。

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県の新人選抜で、弱さを思い切り表現することになってしまった二人の1年生のノートを載せます。

ここが向き合うことのスタートですね。

チーム北越、前へ!!

転んで立ち上がって、前へ!!

県新人戦のベスト8決め。中越戦のG3-3、P6-4。

安藤が攻めて、私の真上に上がってきたイージースマッシュ。

自信持って打ち切れず、半分コートに入れにいって、その結果OUT。

それから全てが崩れ、4ポイントを全部失ってゲームセット。

毎日練り上げて、一番苦手プレーだったスマッシュも少しずつ自信ついてきていた。

大会会場での朝の当日練習でも問題なかった。

それなのに、マッチポイントで高く上がったスマッシュボール。

どこに打っても決まったはず。

練習通り、ステップもタイミングも正しかったが、あの瞬間、私は自分を疑った。

今までの練習を信じて思い切ってラケットを振れなかった。

ミスをしたら…

思い切り振って大丈夫か…

慎重にいった方が…

私は日々の練習を裏切るような感情が生まれて、スマッシュボールを入れにいった。そしてアウト…

「弱い自分」

こんな形で現れるのか…

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信じて戦えない自分が情けなくて、悲しくて、みんなに申し訳なくて。

後悔ばっかり…。

私の弱さは、大事な場面で信じれる自分を練習からつくっていないことだ。

大事なところで臆病になるなんて、前衛としてありえないし、チーム北越の一員としても恥ずかしすぎる。

今日のことを絶対に忘れずに日々の練習では主体的に貪欲に「私が決める!」という強い思いを持ち続けること。

そして、自分と向き合うノートを作り、毎日の練習の中での感情や決めて取り組んだことの反省など、自分の心を強くしなくちゃならない。

ピンチの時、人に頼って安藤に頼って…、そんなことがないように自立して個の強さを身につけていく必要がある。

スマッシュを振り切れず勝ちを相手にあげてしまった今日の「あの瞬間」を忘れずに、自分の1球はチームの1球だということを強く思える人になるよう、強い意志をもって毎日を全力で正しく生きていきます。

(1年 渡邉七瀬)

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「戦っていない」

これがすべてだ。

ただ、土俵から降りただけ。結局何も変わっていない。

私の弱さがバンッ!と全面に現れたのは、ベスト4決め、中越戦の時だ。

最初からラケット振れなかったわけではない。

右ストレート、敵の前衛が視界に入った。

見てしまって、おびえてネット中段。

そのネットから、私はまた引きずった。

相手がどうだからってことじゃない。

ただ、単に自分に負けて、立て直そうともしなかった。

昨日ミーティングで誓ったこと、頭には浮かんだ。

でもただ浮かんだだけだった。その誓いが自分に力を与えてくれるわけでもなかった。

朝の会場練習では長いシュートボールでラリーできていたんだ。

これでもう判明した。

私の崩れは、スキルの崩れじゃない。

技術が身についていないからじゃない。

もう完璧にわかった。

私のモンスターは私の心の中にいて、試合で出る。

せっかく練習で積み上げても、試合で別人なら練習している意味がない。

北越に来た意味もない。

ここへ来て半年が経つ。

この半年間の行動、ネガティブな心、いつも引いて閉じこもってしまう性格。

このままなら、また同じ半年が経ったとしても全く成長はない。

本当に私は弱い。

私のデビュー戦はいつになるのか。

戦うアスリートになるためには、、、

まず、考え方を変えるところからだ!

(1年 下里鼓)

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Another Dream Factory(前半)

昨年、このブログで交流を呼びかけたところ、様々な方と心の交流がありました。

その中で、12月に、ある高校生から一通のメールが届きました。

リーダーとして理想を描きながらも現実は全くかけ離れていて、必死でなんとかしたいのだけれど、孤立無援。

顧問の先生も力になってくれず、仲間も去っていく中、いつも空回りして、自分自身の努力や存在さえ疑うようになってしまった孤独な魂からの便りでした。

藁をもつかもうとする喘ぎのようなメールから、翌年の県総体までの半年間、彼とやりとりした心の交流を、彼の許可をいただいて、これから2回に分けて掲載します。

きっと、全国の部活動で、理想と現実のはざまで悩み、苦しんでいる若い魂がたくさんあるはずです。

その魂たちへ、

現実に折れそうになっている君へ、

無力感に苛まれている君へ送ります、

Another Dream Factory!

初めまして。

X高校2年男子ソフトテニス部部長の山科信二(仮名)と申します。 

毎回DreamFactoryが投稿される度に拝読させて頂いています。 

自分達はこの新体制になってから、来年の県総体団体ベスト4以上を目標としています。

顧問の先生は全員未経験でメニューをはじめとしてほとんどの事を自分一人でやっています。 

自分たちのチームはとても弱いです。

自分が部長になってから「このチームを絶対に変えてやる。勝てるチームにする。インターハイに行くんだ。」と思ってそれをみんなにも話し、この半年程やってきました。

ですが、ほとんど何も変わりませんでした。 

まず初めに声出しを徹底させようと思いました。

さらに練習中の私語をなくし、1年生には毎日テニスノートを書いて提出し、自分がそれを見て書いて返す、という取り組みを始めました。

ですが、先生でない自分に強制力はなく、またチームの中でも自分は上手いわけではないので説得力もなく、声出しは今も徹底できずたった数人が出すようになっただけで、全く緊張感のある練習ではないです。

テニスノートも提出率が段々と悪くなり、内容も薄いものばかりになってしまったので、自分が必要だと思ったら出す、それまでは提出はなしにしました。 

なにが問題なのか、問題が多すぎてどこから手をつければ良いのか分かりません。

自分の実力不足はもちろん大問題なので、毎日必死に練習をして一般のクラブチームにも通っていますが、いつも頭の中にはチームの事ばかりで目の前の練習に思いっきり集中することが出来ていません。

自分なりに何百本もの動画を見たり、色々な選手のインタビューやアドバイスを見てテニスの勉強もしていますがまだまだ足りず、また、それを言語化して部員に伝えることも上手くできません。

ペアや団体のオーダーなども全て自分がしているのですが、相性や仲の悪さ、それに対する自分への非難など中々思うようにいきません。

大会や遠征の日などは自分が全員のスケジュールを管理して、何時に起床、朝ごはんはこれを食べて何時からアップなど決めていますが、試行錯誤の繰り返しで部員達からもよく「なんの意味があるの?」「別に良くね?」という言葉ばかりでまだまだ信用を獲得できていません。

信用を獲得できていないのも、まだこのチームになってから、全く結果が出せていないからだと思います。

秋の大会ではほとんどが1回戦負け。

全く後輩たちに背中を見せることができていません。2年の後半にもなって今だに結果が出せていない。

正直焦っています。

もう今自分が何をしているか、何が正しいのか分からなくなってしまいました。

どんな言葉をかければ部員の心が動かせるのか。

先生にどんなお願いの仕方をすれば練習試合や遠征を増やしてくれるのか。

今どんなメニューをやるべきなのか。

どのフォームが正しいのか。

自分はなんのためにソフトテニスをしているのか…。

 

まもなく県のインドア大会がありますが、きっと今の自分は迷いばかりで部員の支えになれていません。

DreamFactoryにもありましたが、ここまでチームが辛い時に支えて立ち上がらせる部長でいることができていません。

毎回、DreamFactoryを見る度に劣等感でいっぱいになります。

毎日、寝る前も通学中も授業中も来年の県総体のことを考えてしまいます。

今の自分には正直、負けて泣いている自分しか見えません。

 

自分は今、芸術系の大学を第1志望として、特に実技対策の学習を毎日帰ったあと夜遅くまでしています。その大学は非常に倍率が高いです。

最近は部活なんかをやっていて良いのか、不安で不安で苦しいです。

この半年間、どんな辛い時も「自分が折れたらチームが終わる。」そう思って取り組んできました。

けれど最近は、自分がいてもいなくてもきっとチームは変わらないのではないかと考えてしまいます。 

 

前置きが大変長くなってしまいすみません。

先生に質問があります。

①自分はこのチームに、後輩に、あと半年間で何を残せるでしょうか。残さなければならないのでしょうか。

②津野先生の考える、チームの変え方

を教えて頂きたいです。

 

お忙しいとは思いますが、お時間のある時にどうかお返事頂けると幸いです。

 

山科信二

2021.12月

 

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山科君、初めまして。

 

深く感動いたしました。

チームの先頭に立って目標を立て、真剣に理想を追いながらも毎日のように理想と現実のギャップに悩み、見えない未来に不安を抱えながらなんとか活路を見いだそうとしている君に大きな敬意を送りたいです。

本気だからこそ、こうして僕に真摯な思いを伝えてくれたのだと思います。

誠実に受け止めます。

 

結論から言うと、悩み続けること、もがき続けること、それしかないのです。

コツも魔法も特効薬もありません。

人生を幸せに生きるコツも魔法も特効薬もないのと同じです。(世の中にはコツや魔法や特効薬であるかのようなhow to本や情報が溢れていますが)

 

自分は今、芸術系の大学を第1志望として、特に実技対策の学習を毎日帰ったあと夜遅くまでしています。最近は部活なんかをやっていて良いのか不安で不安で苦しいです。この半年間、どんな辛い時も「自分が折れたらチームが終わる。」そう思って取り組んできました。けれど最近は、自分がいてもいなくてもきっとチームは変わらないのではないかと考えてしまいます。

 →ここだけが、とても気になるところです。

山科君は、今の自分が少なくとも好きではないのですか?

上手くいかないことだらけだし、結果も出ないけど、理想と使命感を持って難題に向かっていく自分が嫌いですか?

もし、そうなら、さっさとコートから去ればいいのです。

ただ、そうだとしたら、芸術なんて目指しちゃダメですよ。

 

自分がいてもいなくてもチームは変わらないかもしれない。

そうかもしれないし、そうでないかもしれない。

「結果承認」を求めているんですよ、山科君は。

生きることとは、結果じゃありません。

人生において、トライとはそういうことじゃないはずです。

上手くいかないかもしれない、何もかわらないかもしれない、でも自分が選んだ道ならば、あと半年、全力でトライする。今を全力で生きること。そこに命はあります。

それは、たとえばマッチポイントのポーチボレーだし、人生のトライだし、芸術そのものだと思います。

トライすること、挑戦すること、その意志と実行にしか価値はない。

古今東西、芸術家は自分の理想を持ち、理解してもらえなくとも、なかなか認められず賞をもらったりできなくとも、それでも芸術に情熱を傾け、少なくとも自分の芸術の理想を求めてもがき続けて、サラリーや地位やヒエラルキーや数値や偏差値や・・・そういうものの極北で生きる人だと思います。

若いうちから損得計算して生きる人に、誰の心を打つ作品がつくれると言うのです。

結果はどうあれ、自分の理想に向かってもがき(理想が遠いからこそ苦しみもがくのですよ)、苦しみ、なんとかして一筋の光明を見つけようとする日々こそが貴重で価値あるものだと思います。

若い時のその経験が、将来の言葉や作品に深みを与えるのは間違いないのです。

 

ただね、ここはちょっと弱音を吐いたんだよね。

それはわかるよ。

 弱音を吐くことも、悪いことじゃないんだ。

それは、なんとかしたいという思いから出た「ため息」だと理解します。

 ※  ※  ※

さて、今後だね。

まず、聞きたいのは、2年生が3人だということだけど、残りの2人とは意思疎通できないの?

思いを真剣にぶつけてみて、自分たちの代の県総体、ベスト4目指して一緒にチーム改革しよう、と訴えられないのかな?

この秋のDream Factoryの生徒のノートにもあったように、僕はどんなにひどい状況でも同士が3人いれば必ず打開できる、って伝えたんだけど、山科君の高校の2年生3人はどうですか? 

2年生3人(マネも含めてもいい)で、ペアやオーダー、1年生への指導、スケジュール管理等を係り分担した上で、チーム全体にはその担当が伝える。

そうやって、ブレーン制を敷いて問題解決にあたることは可能ですか?

まずは、そこから考えたいね。

 

また連絡してください。

遠慮することはありません。 

僕は、君のような真っ直ぐであるがゆえに疎外されていくような人間に大きな魅力を感じます。

力になれるかどうかわかりませんが、何らかの気づきがこれからきっとありますよ。

 

北越高校 津野誠司

2021.12月

 

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津野先生

お忙しい中、お返事ありがとうございます。

直接的な関わりが何も無いにもかかわらず、ここまで自分の思いに真剣にぶつかってくれる大人がいる事に驚き、深く感動しました。 

「結果承認を求めている」、考えてみれば確かにその通りであると思います。

トライし続けることこそが大事で、それはテニスも芸術も同じ。高校に入ってから何度も自分の中で思っていたはずなのに、いつの間にかそれを忘れてしまっていたことに気付かされました。

トライし続けます。ありがとうございます。

 

の2年生との対話、ですが自分以外の2年生は副部長のA、もう1人のB、マネージャーがいます。

何かこういう取り組みをしたい、と思ったときには特にAにはできるだけ1度相談し、その後で全体に連絡するようにしていました。

ですが、チームの事を3人で深く話し合ったことはほとんど無かったです。

というのも、実際やる気があるのか無いのか分からず、そこにぶつかっていくことで自分たちの関係が崩れていくのが怖かったのだと今思います。

けど、自分が本気でぶつかって心を開かなければ何も変わりませんよね。

もう一度、ブレーン制も含めて話し合いたいと思います。

ただ、Bは、インドア大会で勝ち進むことが出来なければ部活をやめると言っています。

理由は受験勉強に集中したい、テニスをやっていて楽しさなどのメリットを感じなくなってしまった、というものです。

B は前々からその事を自分達2人に言っていて、なんとか止めていたのですが、今回は本気で辞めようとしていると感じています。

B は1番手後衛で、多少やる気がなくとも練習中はしっかりと集中し、指導者がいないながらも高校に入ってから確実にレベルアップしてきています。

B がチームから抜けてしまうのは正直厳しいと言わざるを得ません。

けれど、もちろん決定権はB にあるし、B の将来に自分が責任を持つことなんて出来ません。

それでも説得するべきでしょうか、B の考えを受け入れ、気持ち良く送り出すべきなのでしょうか。

もう1つ悩んでいることがあります。

それは1年生の主体性が全くないことです。

誰かが動き出さなさければ動かない、なにかする時はいつも誰かと一緒、指示されなければいつまでも変わらず、変わってもすぐ元に戻ってしまう。

アドバイスをするのもほとんど2年生からで、なんというか、食らいついていくような必死さや全力さが足りないように感じています。

彼らを変えるには何が必要なのか毎日考えています。

根気強く言い続けることが必要なのか、1度自分が身を引いて気づかせることが必要なのか、はたまた何かもっと大きなターニングポイントやきっかけが必要なのか。これに対する先生の考えをお聞かせ願いたいです。

2021.12月

山科信二

 

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 ・

山科君、返信遅れてすみません。

 

戦いモードに入っていました。

いずれ、Dream Factoryに書きますが、今回、北越女子は県の選抜大会で決勝リーグを勝ち抜けませんでした。

今年の3年生が引退してからの大きな戦力ダウンをリカバーしきれませんでした。

こういう冬もあります。

そこからまた学んで、成長していく。

ソフトテニスという競技を通じての成長、そして自立、その過程でのいくつもの挫折と感動。

その一つひとつが大切なのですから。

 

さて、山科君の質問に応えていきますね。

1.B君のことについて

B君は3人しかいない仲間の最後の半年ですから、当然説得すべきです。

それは何よりもB君のためです。

理由は前回述べた通りです。

結果が出る出ないはわからない。

わからないけど、今選んだフィールドで全力を尽くす。

それが、部活でも大学でも人生でも同じ、ということ。

頑張ってきたことは、最後までやり続けることで、何かが生まれ、何か将来につながる種ができるのです。

ここでやめるのは、いろんな正当化を人間はしてしまいますが、人生全体から見れば「投げ出す」ことに他ならないからです。

それでも、「投げ出す」なら、それは仕方ないのです。

「投げ出した」過去を持って、その先の人生を歩む、それがその人の人生であり、それはそれで「アリ」なのです。

「アリ」というのは評価を伴わない「アリ」です。

その上で、山科君と他の二人(もしくはA君と二人)、そしてマネさんと今年のブレーンを組んで、役割分担をして、チームの遂行にあたるべきでしょう。

悩みも相談し、思いもオープンにしながら、1日1日を成長の現場にすることです。

マネージャーさんもはっきりとブレーンに組み込むといいと思います。

 

2.1年生のモチベーションアップについて

心の成長期である高校時代で、1年間の経験の差はとても大きなものです。

1年後になればはっきりわかることが、1年前には何も見えません。

1年生の心は、まだまだ高校時代が海のように広く長くどこまでも続いているように見えています。

切迫感など何もないでしょう。

山科君は違いますよね。

あと半年でゴールですから。

ゴールが見えていて、現在地を測れる山科君(それゆえに焦りも生まれる)と、現在地を全体の中から推し量れず、また推し量る意志もない1年生とは、意識の差は雲泥の差と言ってもいいくらいでしょう。

それは、我々北越高校とて同じことです。

大きく変わるターニングポイントは必要です。

それは冬の大会かもしれません。春の大会かもしれません。

ひょっとすると、来年の県総体の後かもしれません。

2年生は、まず自分たちの代の結束を高め、理想を話し合い、その上で、1年生を少しずつ巻き込んでいくのが自然だと思います。

立ち位置が全く違うので、1年生は日々変わらないように見えます。

でも少しずつ、変わろうとする者も現れてくるものです。

ここは、焦らず、でも必ず成長するものとして、共に生きることです。

 

 

今日は、北越高校は負けた次の日。

みんなドーンと落ちている朝でしょうが、そこでの「学び」もあるのです。

お互い、今日も何か「気づき」がありますように。

 

では、また。

津野誠司

2021.12月

 

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先生お久しぶりです。

あけましておめでとうございます。

返信が遅くなってしまったこと、申し訳ありません。

色々と行事などが重なってしまいました。

 

北越高校女子、負けてしまったのですね、、

結果を聞いたときとても驚きました。

ここから這い上がり、夏に勝利を収める北越を楽しみにしています。

 

ここから自分たちの話になりますが、まず退部しようとしていたBですが自分が止めようとした時にはもう既に顧問の先生に退部届を提出していて、先生との話が済んでいたようでした。

後から自分の気持ちは伝えましたが、それから部活には来ていません。

 

Bの退部を受け、ここでチームが落ち込んでしまってはいけないと先生に提案されたブレーン制を導入してみました。

しかし、何しろ前例のない初めての取り組みで、いくつか例は提案してみるものの皆やり方が分からず、結局今まで通り自分がやってしまうという、現在も試行錯誤の段階です。 

また、やはりこの大会の少ない時期、チームの士気も下がりがちなのか、体調不良者や無断欠席者も増え、メニューの取り組みもイマイチで中々練習の雰囲気も良くありません。

声出しや欠席について部員に注意するものの、自分が注意することに「慣れ」てしまっているのか、以前のような効力はありません。

伝え方ややり方を変えてみるものの、中々上手くいきません。

部長という立場でありながら、求められている実力が無いことは自分でも十分理解していて、それを克服するために練習しているつもりです。

それでもやはり、何かを部員に諭すとき説得力や力不足を感じてしまいます。

実際、少し苛立ちを覚えている部員もいると思います。

やはり実力の伴った人物に指示や指導をしてもらうのが最適なのでしょうか?

 

また、1年生の中に1人やる気の無い部員がいます。

最初、自分は彼がかなり強い意志を持って、高校からでも上手くなるんだという気持ちで部活に入ったのでは、と思っていました。

しかし練習の取り組みもあまり良くなく、言われたことはやるがそこまで、といった感じでまるでやらされているようでした。

秋になり少しずつ周りの1年生が変わっていく中、彼は中々変化が訪れず、自分もどのように促せば良いのか、悩んでいました。

今日の練習のことです。

前衛がボレーした目の前のボールを全く取る素振りも見せず見逃してしまいます。

そこで僕はつい感情的になってしまい、「やる気ないならやめていいよ」と言ってしまいました。

その後、何事もなく練習は終わりましたが、今とても後悔しています。

帰ってきてから彼のSNSできっと自分に対してであろう言葉が書かれていました。

強制では無い部活で自分で選んで入ったにも関わらず、なぜ練習を面倒くさがって本気にならず、チームに迷惑をかけてしまうのか、正直自分には理解ができません。

ただ、彼にも事情があるのかもしれません。

明日から新学期なのですが、明日の部活でしっかりと彼と一対一で話をしてみようと思います。

とても怖くて不安ですが、今まで自分が彼と向き合ってこなかった代償なのだと感じています。

これからもっとメンバー1人1人と向き合いたいと思います。

 

また、最近になり、自分が本当に勝ちたいと思っているのか、何か使命感のようなものに駆られて頑張っているだけなのではないかと思うようになりました。

目標を明確にイメージし続けるために必要なこととは何なのでしょうか?

 

最後になりますが、先生にアドバイスを頂いてからほんの少しですが、前に比べて未来に対する絶望感がなくなりました。

 

お忙しいとは思いますが返信お待ちしております。

2022.1月

山科信二

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山科君 

連絡ありがとう。

 

冬は厳しい季節です。

木々も葉を落とし、また来る春に向けて、寒さに耐えながら、命の内部に心を向けている季節です。

我々、人間も木々と同じ命。

いろいろ耐えながら、我々の本質へ目を向ける時だと思います。

 

さて、山科君のチームもいろいろ動きがあったのですね。

 

先生に提案されたブレーン制を導入してみました。しかし何しろ前例のない初めての取り組みで、いくつか例は提案してみるものの皆やり方が分からず、結局今まで通り自分がやってしまうという、現在も試行錯誤の段階です。

→いいですね!

そうなんです。試行錯誤こそが力の醸成です。すぐに結果が出ることの方が危ないです。

何度失敗しても、ブレーンに諮る、これを自分に戒めてください。

最終的に山科君の意見の通りに進むとしても、その過程で問題点をブレーンで共有するということが重要です。

繰り返すことで、試行錯誤の積み重ねがあり、必ずブレーンがチームとして力を育みます。

最初は上手くいかないのが普通です。

そこで、焦って独断専行に戻らないことです。

春は遠くないですが、そこまでの日々はまだたくさんあります。

 

部長という立場でありながら、部員に諭すとき説得力や力不足を感じてしまいます。やはり実力の伴った人物に指示や指導をしてもらうのが最適なのでしょうか?

→いやいや、それは民主主義が機能しないから独裁者を希求するのと同じです。

まずは、山科君の実感をブレーンにオープンにしましょう。

そして、作戦を立てましょう。

マネに初め伝えてもらって、副部長にも話をしてもらう。

最後に、山科君が補ったり、みんなで決め事をしたり、チームとして全体前へ進むようブレーンで話をしていくといいと思います。

誠実に話をすれば絶対に分かり合えるし、問題と捉えられたら改善を図るべきだという原則は共有できるはずです。

・ 

僕はつい感情的になってしまい、「やる気ないならやめていいよ」と言ってしまいました。その後、何事もなく練習は終わりましたが今とても後悔しています。

→そうだね。これは反省だね。明日謝るべきです。

僕もボールを追わない選手に「頑張る気がないなら帰れ」と言うことはあります。

でも、それは、「自分を克えて強くなれ!!」って思いが伝わると信じているからです。

SNSの言葉は気にしないことですね。SNS空間はこのようなネガティブな「ため息」が満ちあふれていますから。

失敗した時に、人にとって何よりも大切なのは、「誠実」であることです。

僕も失敗したときや、信頼が得られないような時に、自分に何度も言い聞かせるのは、「苦しい時ほど誠実に。」です。

必ず、信頼は返ってきますよ。

明日、話す時には、謝ると同時に、その1年生への希望も伝えること。

初心者として始めたからこそ、頑張ってほしいし、3年生になったら、今回結果を出した1年生ペアと一緒に団体メンバーになってほしい、とかね。

山科君の彼への希望、期待を伝えるんです。

どうして真面目に練習しないんだ、とかマイナス指摘は、明日は抱き合わせにしないことですよ。

 

また、最近になり、自分が本当に勝ちたいと思っているのか、何か使命感のようなものに駆られて頑張っているだけなのではないかと思うようになりました。目標を明確にイメージし続けるために必要なこととは何なのでしょうか?

→これは、君の弱さです。

そんなことはどちらでもいいのです。

本当に勝ちたいと思って頑張っているのもよし。使命感に駆られてチームをまとめようとしているのもよし。どっちもあるならもっとよし。

「そもそも論」に逃げるのは、弱者の常套手段です。現実逃避なのですよ。

目の前の大切な青春の1日を全力で生きる、それしかないです。

試行錯誤から逃げないことです。

試行錯誤、迷いの日々こそ尊いのです。 

 ・

2022.1月

 津野誠司 

(続く)

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2022年8月14日 (日)

DREAM FACTORY 2022 盛夏

入澤・本間 IH個人 3位!

新潟県として58年ぶりの快挙

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半世紀以上、固く閉ざされていたIHベスト4への扉を入澤・本間が開けました。

高校女子としてはWフォワードでの初のメダル獲得ではないでしょうか。

ご覧になっていた元全日本の監督さんから、「一番面白いテニスしていたよ。わくわくした。このまま優勝するって思った。」と言われました。

残念ながら、目指していた日本一には届きませんでしたが、前へ前へ、相手を崩してネットに詰める、超攻撃的Wフォワードを貫いての銅メダル。本当に素晴らしい戦いでした。

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「負けないファイナル」の神話は、IHでも健在でした。

2日目の初戦4回戦から3試合連続のファイナル勝負。

優勝候補も含まれる強豪を自分たちの磨いてきた超攻撃的テニスで差し切る強さは本物でした。

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2年前、コロナでIHが中止になった年に入学してきた世代です。

W後衛だった二人を「1」から鍛えて中間ポジションのネットプレーを一つ一つ身につけさせていった日々が懐かしいです。

2年生の後半からは、コミュニケーション能力が高かった(高くなった)二人と、戦略や戦術、そのために必要なスキルについて毎日のように話をしました。

二人からのフィードバックがあるので、こちらもコーチとしての気づきもたくさんあり、大会ごとにtry&errorを繰り返しながら、この愛媛IHに照準を合わせてきました。

昨年の石川IHでの5回戦敗退、3月の全国私学の敗退、6月の札幌ハイジャパでの敗退、全国大会での貴重な敗退経験をすべて生かして戦えたと思います。

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IHの準決勝、僕には特別の思い入れがありました。

遡ること23年前、僕を初めてIHに連れて行ってくれたのは、新潟東高校の子供たちでした。

平成11年 岩手県北上市のIHです。

出場した2ペア、ともにあっと言う間の初戦敗退。

30代でしたね。

ひたすら我武者羅に、本当に365日我武者羅に選手と目指したIH。

その夢舞台で全く戦えない。

その事実に呆然としたことを覚えています。(ああ懐かしい)

2日目は、準決勝から両脇のコートを開放して観覧させてくれます。

北上市のコートサイドで準決勝を観戦しながら、

いつか、遠くてもいい、いつか…

このロープの内側で選手と戦うことができるのだろうか…

そう思いました。

あれから23年が経っていました。

どれほど感動するんだろうと若い頃は思っていましたが、実際ロープの内側で戦う身としてはそんな感慨にふけっている暇は全くありません。

瞬間瞬間のこちら&あちらの情報収集と判断、刻々と変わる状況変化に応じての修正、次のベンチワークの指示の整理、こちらのマインドセットの確認。

30分間の「戦争」です。

二人は今回、本当にブレませんでした。

「攻めて前へ」

徹底しました。

ストローク戦になっても守らない。

常に攻め続けること。

この日のために、3年間のすべてが必要だったんだな、と思います。

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<キャプテン 入澤瑛麻のノートから>


「超えるべきは 今、この瞬間!  雑な自分と戦い、自分を超えろ!」

このタイトルをノートに書き続けて1年。

そして、今日このタイトルを書きながら実感した。

「私、引退しちゃうんだな」って。

愛媛 今治インターハイ。

私、やり切ったと思う。

悔いはない!!

津野先生、3年間、本当にありがとうございました。

1年生の頃は本当にガキで、自分で何もわからないレベルで、本当に子供だった。

でもそこから、日本一に向けて、高校女子の誰も本気で取り組んだことのない攻撃的Wフォワードで全国の頂点を目指そうって、友里那と先生と3人で創り上げてきた。

正直言うと、Wフォワードが全然うまくいかずに、W後衛に戻した方が勝てるし、Wフォワードは私には向いていないんじゃないか、と思ったことが何度もありました。

実際、うまくいかないとすぐに守備的になり、先生に何度も伝えられましたね。

「信じて、前へ行け!」

そして、今回のインターハイ、私たちはWフォワードで格上の選手に挑みつづけ、リードされてもファイナルのギリギリの場面でも、躊躇しないで、二人で前へ出続けた。

そしてつかんだ全国3位。

「Wフォワードでベスト4」、こう言えることが嬉しいです。

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インターハイを通して、ミスをしない方が勝つ、それは確かだ。

W後衛もたくさんいた。でも見ていて、何かつまらない。

日本一には届かなかったけど、私たちは日本一攻め続けられたと思う。

何より、私自身が、Wフォワードを最高に楽しめました。

そして、友里那。

直接口に出すことはないけど、感謝でいっぱいです。

小学生から一番一緒に過ごして来た。迷惑もいっぱいかけた。

でも、二人の最後のインターハイでベストを出せて本当によかった。

12年間やってきたソフトテニス、その集大成として最後に自分のベストを表現できた、私は幸せ者です。

ありがとう。

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団体戦は第1シード東北高校に負けて2回戦敗退。

これで愛媛IHを目指した1年は終了した。

これからは北海道IHに向けて、今度は私がこのチームを日本一のチームにします。

私がしてもらったこと、必ず後輩に送ります。

私が表現したことは、

どんなに格上であっても、日本一の実績者であっても、努力して勝てないことは絶対にない!

ということ。

後輩たち、これから365日。

北海道で、大きな花を咲かせてね!

(キャプテン 入澤瑛麻)

団体 東北戦

コートに響き渡った部長の檄(げき)

時を止めた 純粋な心の叫び

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団体2回戦 1コート

第1シード 東北高校との戦い

お互いのエースが勝って、3番勝負。

相手は昨年の優勝メンバーで、前日の個人戦3位のペア。

こちらは、県総体すら勝ち抜けず、全国経験のない1,2年生ペア。

特に後衛の冨樫は、直前に急遽出場することになった1年生です。

雰囲気に飲まれ、緊張に飲まれ、自分を見失っていきました。

ボールが相手コートに収まりません。

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ゲームカウント0-2のカウントは0-2か0-3だったでしょうか。

G0-3で戻ってくるのは明らかで、もう戦術レベルの問題ではありません、僕はベンチワークで少しでも励ますべきか、気持ちを奮い立たせるか、そんなことを思案していました。

その時、隣に座っていた本間友里那が反対側にいた冨樫・須貝に声を張り上げます。

「ねえ、二人とも、誰のために戦ってんの!」

北越の団体メンバーは、必ず「誰かのために」戦うことを誓ってコートに立ちます。

目の前の二人はその誓いなど遠くに吹き飛んでしまったかのように、自分の中で閉じてしまい、あたかも早くこの辛い現実から「敗退」という言い訳で逃れたいと思っているかのようでした。

この試合、コロナ感染拡大予防のため、声を出しての応援は禁止されていました。

もちろん、本間もわかっています。

わかっていますが、内なる叫びを制止できなかった。より正確には、まっしぐらに自分を見失って堕ちていく後輩を目の前にして、部長としておめおめと「見殺し」にできなかった。ルールを超えて、己の内なる誠実さに従ったのだと思います。

ルールに従う誠実。

ルールを超えて(破ってとはあえて言いません)後輩を救うべきだという誠実。

これは、マイケルサンデルの「正義」をめぐる議論を彷彿とさせるモデルだと思います。

本間友里那という人間は、こんな大胆なことをする子ではありませんでした。むしろ真逆。真面目できまりは墨守する。冒険はできない。何らかの保障もしくはお墨付きを得られるという条件下でしか前へ進めない。そんなひと昔前の学級委員タイプの子でした。

この「真面目さ」は大切なことですが、競技上ではマイナスに働くことが多いです。

選手のマインド傾向は「農耕系」と「狩猟系」に分けられますが、本間は「農耕系」の代表格です。

意味不明ですか? 

「農耕系」とは一所懸命に与えられた作業をひたすらミスなく来る日も来る日もやり続けるマインドセットのこと。「狩猟系」とは逆に、挑戦的に新しいものを開拓し、リスクを恐れず冒険するマインドセットのこと。基本的に「農耕系」は守備的であり、「狩猟系」は攻撃的であると言えます。

超攻撃的Wフォワードの完成を目指す僕らにとって、本間の「農耕系マインド」は変換されるべきだと思ったのです。実際、1,2年生の頃の本間は、苦しくなるとすぐにベースラインに下がる、無難なテニスに戻る。そこが彼女のマインドセットの故郷だからです。

本間もその点はよーくわかっていて、テニスノートにでかでかと目標として書いたりしていました。

ちなみに、ペアの入澤は典型的な「狩猟系」で、「え! そこからアタック行く?」みたいなプレーが大好きです。ただ、このタイプの弱点は、リスクを冒して攻めるべき場面と、我慢すべき場面の区別がつかないことです。ワンプレーでポイントをゲットできる武器があるから、苦しい場面でそれを使いたくなる。入澤とはそこを徹底的に話し合い、検証し合い、己を知らしめることで、「したいプレーより、するべきプレー」を考えさせてきました。

今回のインターハイで、二人のそれぞれの長所と短所はほぼ完璧に修正されバランスが保たれていたと思います。あえて言えば、準決勝でそのバランスが崩れた。崩れた結果、敗退した、そう捉えています。

本間の「農耕系マインド」に話を戻しますが、このマインドセットは、人を指導したり、何かのプロジェクトの核になるべき人間にとって、やはり「超えるべき課題」だと考えています。

日本という国自体が「農耕系マインド」の極北にありますから、同調圧力に弱く、他者からの視線を必要以上に気にし、承認欲求が強く、権力者に忖度しがちです。

僕は本間友里那という人間を、将来必ず何らかのリーダーになるべき人物だと評価しているので、この「農耕系マインド」を一度解体し、「狩猟系マインド」をブレンドさせて、バランスのとれたリーダーマインドを作ってあげたいと思っていました。

ですから、あの叫びは、本間が自分を「超えた」瞬間だったのかもしれません。

ルールに従うことを絶対視する「農耕系正義」と、ルールを超えて自分の意志でするべきことを実行する「狩猟系正義」。

僕は、本間の行動を支持します。

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あの日、大会役員のルール統制は厳しいものでした。

疑わしきはすべて警告、そんな打ち合わせがあったかのようでした。

しかし、あの瞬間、審判もコート主任も、沈黙しました。

真向いの方からは「イエローカード、イエローカード」という囁きも聞こえてきましたが、役員の皆さん全員が動きを止めた。

あまりにあからさまな「ルール破り」にどう行動すべきかとっさに判断できなかった(マニュアルにはないでしょうから)という解釈も成り立ちますが、僕はそうではないと信じたい。

役員の皆さんの多くは教員だと思います。

「取り締まり」に任務がありながら、本気で仲間を思い鼓舞する本間の叫びに、高校生本来の純粋で熱い青春のドラマを見たのではなかったか。

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インターハイとは、競技会の形ではあるけれど、それは青春のエネルギーがぶつかり合い、共鳴し合い、発光し合う、かけがえのない人生1回きりの至高の舞台ではなかったか。

それが言い過ぎだとしても、あのあまりにも真っ直ぐな心に出会って、「取り締まり」の任務を一瞬忘れてしまったと思いたい。

そして、一瞬任務を忘れてしまった皆さんを、心ある教員だと思い、感謝したい。

僕はそう思っています。

G0-3のベンチワークは本間に任せました。

部長として、悔いを残させたくない、その一点です。

本間の純粋で骨太の言葉は冨樫を変えました。

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県総体以来、力をつけてきたテンポあるストロークでラリーをするようになりました。

須貝も思い切った勝負が決まって、G1-3。

次のゲームも競り合ってデュース。相手のマッチポイントを何度も跳ね返してアゲインが続きます。

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実際、あのゲームを取ってG2-3になっていたら、勝機もありました。

しかし、連覇を狙う東北高校、そんな甘い期待を一蹴してくれました。

当たり前です。IHとは甘い期待が通用するところではありません。

負けました。

チーム本間、2回戦敗退。

今年も団体で全国エリート校の壁を破ることはできませんでした。

ただ、昨年のIHで和歌山信愛に負けた時「春からの本気じゃ間に合わない」ということを思い知った本間と入澤は、365日自分と闘い続け、自分と向き合い続けた結果、新潟県として半世紀ぶりのベスト4への扉を開いて、新たな光を新潟県の球史に注いでくれました。

その姿を見てきた1,2年生が、今後どんなドラマを築いていくのか。とても楽しみです。

今年の負けは、大いなるドラマを伴った希望の種です。

来年の北海道で咲かせます。

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<部長 本間友里那のノートから>

団体戦、東北にかなわなかった。

けど、来年につながる負けにはなったと思う。

特に、冨樫と須貝は「戦って」くれた。

警告覚悟の、私のあの言葉は、自然と私の中から出てきたものだ。

自分でもびっくりするくらい腹の底から声が出た。

隣のコートの選手までもプレーをやめて注目していた。

1,2年生の時の私じゃ考えられないことだ。

周りの目を気にして、人から見た「正しさ」を絶対視して、自分をさらけ出せなかった。

私は、ルールを破ったのかもしれないけど、このままミスの連発で負けてしまったら、冨樫にとって、このインターハイは悔いしか残らないと思った。

部長としてやれることがあったのに何もしないで、すべてが終わってから「あの時は・・・」なんて言う卑怯な人間でいたくなかった。

冨樫は「また着火されて」になっちゃったけど、あの後、精一杯戦ってくれた。

私は、「北越」というゼッケンで挑んだ最後のIH、個人戦でWフォワードとしても、そして団体戦でリーダーとしても、自分の小ささから逃げずに向かっていけたなって思う。

1年生から、Wフォワードにトライしつづけてこれたのも、私の「真面目な」小ささに向き合わせてくれたのも、津野先生のおかげです。

本当にありがとうございます。

そして、瑛麻にも感謝です。

小学校1年生から、ずーっと組んできて、全国では全然結果残せなかったけど、最後の最後でこうやって最高の結果を出せて良かった!

いつも、攻めのプレーで私をリードしてくれてありがとう!

1,2年生には、来年こそIHで東北を超えるために、365日を本当に本当に全力で生きてほしい。

誰もが弱さや「質」ってもっているけど、決して超えられないことはない。

ただ、「超える」には、

超えるべき瞬間を、自分で神様が与えてくれたチャンスなんだって思えるかどうか。

そして、そこに強い意志と勇気が必要なんだ。

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今までやってきた中で、みんなに「変われ!」って伝えられている瞬間は何度もあったはず。だけど、変われてないとしたら、それを見て見ぬふりをしてスルーしているか、強い「心」を持っていないか、のいずれかなんだよ。

8月からは、新チームがスタート。

たくさん失敗して強くなれ!

(部長 本間友里那)

最後に、1年生ペアとして出場し、1回戦、群馬代表の健大高崎戦でエースを倒した前衛 渡邉七瀬のノートを来年の北海道への誓いとして載せて、この1年を締めくくります。

今日の団体戦、私は昨日宣言した通りに戦えたと思います。

あの会場の雰囲気や初めての全国の舞台に緊張もあり不安もありましたが、今日のこの瞬間のためにやってきたことを力に換えて、「チームのために」って思い続けて戦いました。

ただ、私が圧倒されたのは、キャプテンの入澤さんと部長の本間さんの姿です。

春の入学以来、いつも言葉だけではなく、行動・姿で私たちの目指すべき場所を示してくれる二人は、私の誇りだし、心から尊敬する存在です。

自分たちの言ったことは必ずやり遂げる。

だから信頼できるし、この人についていきたいって思います。

圧巻だったのは、東北戦の第3対戦。

冨樫が、緊張からか、ラケットを振ってもネット・アウトの連発で、ボールが収まらない。

若菜先輩も全くからめず、どんな相手にでも向かっていく北越の姿からどんどん遠のいているのがわかりました。

その時です。

「二人とも、誰のために戦ってんの!」

友里那先輩が、ベンチから大声を張り上げました。

その瞬間、1コートの空気が変わりました。

チームリーダーがチームと心を一つにして一緒に戦うって、こういうことなんだなって実感した瞬間でした。

コートで自分たちが試合をしている時じゃない時も、部長として後輩と一緒に戦っている。どん底へ落ちかけている後輩をイエローカード覚悟で火をつけようとしている。

改めて、この人、本当にカッコいい。そしてすごい!

そんな単純な言葉しか出て来ないですが、あの瞬間にチーム北越のすべてが現れていたような気がします。

「東北にはかなわなかった」

それで終わりではなく、それが始まり。

「日々向上」

先生がよくノートに書いてくださるこの言葉。

この言葉通り、日々少しずつ、着実に成長していくチームでありたいです。

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・ 
3年生、ありがとうございました。

感情も考えも何もないままテニスをしてきた私が、北越に入って今まで見たこともない人たちに出会いました。

「日本一」っていう目標を掲げて、たくさんのことに挑戦し、苦戦し、失敗し、悩み、そして乗り超えていく先輩たちです。

そんな中でも、幼い私たちに声をかけてくださり、導いてくださる先輩ってすごいと心底思う時がたくさんありました。

それは、きっと多くの失敗や挫折を経験して、そこから学んで、仲間同士で伝え合って自分の弱さと戦い続けてきたからなんだと思います。

そんな自慢の3年生がこれで引退になり、一緒に戦うことはできなくなりますが、3年生の卒業までの間に、もっと多くのことを学んで盗んで、私は強くなって、「姿」で感謝の気持ちを伝えられるように頑張ります。

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・ 
北海道IHで、東北にリベンジ!

これから大きな壁にぶち当たっても、決してあきらめず、チームとして成長しつづけて、「私たちならできる!」という気持ちを一瞬たりとも忘れません。

私は誰かに頼る自分から卒業します。

私がチームを引っ張って、来年、絶対、日本一!

3年生、見ていてください。

(1年 渡邉七瀬)

2022年7月 5日 (火)

DREAM FACTORY 2022 梅雨明け

遅咲きのタンポポ 初めての団体戦

自己ベストで、北信越 銅メダルに貢献!

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タンポポの黄色い花は、春の訪れを感じさせるものですが、野原や道端で初夏に咲いているタンポポも珍しくありません。秋まで咲くそうです。

生命力が強く、アスファルトの裂け目から強靭に茎をのばし、花を広げているタンポポもあります。

佐藤麻央の3年の夏に咲いた花は、まさにこの「遅咲きのタンポポ」、アスファルトの割れ目に咲いた一輪の黄色い花のようでした。

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佐藤の長所はガッツ。二番目の長所もガッツ。三番目も四番目もガッツです。

一方で欠点もガッツ。上半身でガッツリとラケットを振り回します。

僕には「佐藤のラリアット打ち」と命名されていました。(ラリアットは佐藤が大好きなプロレスの技です。知らない人はググってみてください)

せっかく相手に短いボールを打たせて、高い打点でウイニングショットを決めようとすると、「ラリアット打ち」で、ネット下段。

ガッツリと身体に力が入っているのに手先だけ力を抜こうとするから面が薄くなって、これもネット下段。

佐藤の3年間は、ストロークの安定を求めて求めてさまよい続けた日々でした。

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ただ、2年後半になるとフィジカル力がついてきて、コートカバーリングが広くなりました。それから、バックストロークを身体で振り切れるようになり、振り回されることに心配がなくなりました。1stサービスは波がありましたが、日々の探究が確実に成果につながっていました。

冬のセンバツは、佐藤のガッツとチームへの貢献度から団体戦で使うことに決まっていたのですが、なんと試合前日の練習で靭帯損傷。チームは県予選で負けてしまいます。

さらに、佐藤には「人に流されやすい」というメンタル的な弱点があり、2年生まではコート外で何度も失敗しては反省、また懲りずに失敗して反省を繰り返していました。心は深いのです。感動する心も感謝する心もしっかり持っています。でも、人に流されてしまう。不等号の向きがどうしても変わりませんでした。

前回の丸山優芽のところでも書きましたが、佐藤が大きく成長したのは、2年生の終わりから3年生になってからです。

春休みの練習試合を通して、力任せの「ノータッチエースの麻薬」をコントロールできるようになったことがまず成長につながったと思います。ペアの丸山の成長もあり、初めて前衛を生かす配球に目覚めます。

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それから、何よりも自分の弱点やもろさに逃げずに(今度こそ)向き合いながら、チームマネージメントに積極的にかかわっていき、後輩の面倒を親身になってやっているうちに、自然と物事を多面的に感じ、考えられるようになっていったと思います。仲間からの助言もあって、日々の生活を自律することで自らを自立させていったように感じました。

他者との交わりの中で自分と向き合いながら得た成長は、試合のコート上で必ず表れます。

その成果は、人として、リーダーとして、そして生きていく上でのライフスキルとして、自分が関わっていくあらゆるフィールドで還元されるものです。

自分の関わるフィールドで感じる「貢献感」こそ、社会で生きる「幸福」の実態です。

その「幸福」を手にした人間こそが「自信」を得る。

「自信」とは「他者に信じられていると感じられる自分」であって、「自分こそが他者に優越しているという選良意識」とは根本的に違うもの、むしろ対極にあるものだと思います。

いつも生徒の大きな成長を目の当たりにして思うことは、子どもだった選手たちが、「学年を超えて」「一つの目標に全員で」向かっていくこと、なかなか結果の見えない成長を「数年にまたがって」「自分と向き合いながら」「他者とのかかわりによる自己相対化の力も使って」果たしていくこと、その「畑」を整え提供することこそが、学校部活動の最大の「教育的貢献」だと思っています。

勝利至上主義??? 何をおっしゃる・・・

いまや、行政もマスコミも部活動矮小化→消滅化(「社会体育移行」と看板には書いてあります)にベクトルを合わせてひた走り始めました。

部活動のネガティブな面ばかりが強調され(一部の大人による故意のプロパガンダなので仕方ないのですが)、人材育成(大げさに言えば国の基の育成)として学校部活動が果たしてきた大きな役割を、歴史的なシステム変換の中でどう引き継ぎ活かしていくべきかという議論が決定的に抜けていると思っています。

「資本主義的価値観」の教育現場への浸透、それに付随する「AI的効率そして数値化至上主義」の対人教育への侵攻は歯止めがかからない勢いで進んでいます。

「部活動改革(本当は消滅)」もその大きな波に飲み込まれる形で叫ばれている、というのが僕のマクロな捉え方です。

そんな大波に飲まれながらも、残り少ない教員人生、泥臭く人間臭く、数値化できない一人ひとりの成長にとことん付き合い、だからこそぶつかり合い、そして最後には喜びあっていきたいと思っています。

ごめんなさい。筆が走りました。

さて、佐藤麻央のストーリーです。

人間的に大きく成長したものの、春の大会ではシード選手と互角に戦いながら大切なところで弱さが出たり、佐藤が乗り越えて戦っているのにペアの丸山が酷かったりで、なかなか結果につながりませんでした。

それでも、佐藤の成長は「絶対値」としてはっきりあったので、県総体でインターハイの切符を手にした以上、成果発揮の舞台を北信越でつくってやりたいと切に思いました。

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失敗しても弱さに負けそうになっても、それでもまた立ち上がり続けた佐藤は、雪の下でもロゼッタを張って雪の重みに耐え、たとえアスファルトでふさがれても、そこから這い上がって花を咲かせる遅咲きのタンポポと重なります。

北信越総体 in 富山県高岡市 2022/06/19  最終日 団体戦

初戦は県総体団体と同じ布陣で戦い、③ー0勝利。

準々決勝は、富山県3位ながら福井県の準優勝校を初戦で破って勢いのある地元福岡高校が相手でした。

第1対戦にエース入澤・本間。第2対戦で佐藤・丸山で勝負します。

第3対戦には1年生ペアの安藤・渡辺を置きました。初戦で不甲斐ない試合をした2年生の高橋よりも、1年生の勢いを買ったのと、佐藤・丸山は負ければ勝負を1年生に任せなければならないという背水の陣をあえて取りました。

佐藤と丸山の責任感を強さに換える成長に期待しました。

第1対戦は④ー0で北越勝利。

さあ、佐藤、初めてのチーム北越、団体戦。

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しかも北信越大会、ベスト4入賞をかけての大事な準々決勝です。

序盤は固かったです。

当たり前です。

ですが、ついにこの試合、「ラリアットミス」はありませんでした。

1stサーブもほぼ100%。

後衛とのラリーを主体にしながらもロブで走らせての丸山を生かした配球、競り合った場面での自らの前衛アタック。

佐藤に器用さはありません。

大きなテニスと適切な配球、思いきりのいいアタック攻撃。

練習でやってきたことをすべて出しました。

圧巻だったのは、G3-2リードながら、相手の粘り強さにミスが重なり、P1-3と追い込まれた場面でした。

佐藤は間をとり、何事か自分に言い聞かせ、気魄を失うことなくもう一度強さを取り戻し、そこから5ポイント連続で勝利したのです。

一緒に青春を過ごしてきたBチームの仲間たちに何度もガッツポーズをして、魂を共にして戦っている姿が感動的でした。

ようやく入場制限が撤廃された応援席には保護者の皆さんもお揃いの「タンポポ色」のTシャツを着て陣取り、1球ごとに熱い拍手を送ってくださいました。

麻央の涙、ペアの涙、お母さんの涙、遅れて咲きそろった遅咲きのタンポポの周りに感動の渦が広がりました。

今日の準々決勝は、3年4人の力だけで勝利!

すごく嬉しかった。

今まで苦労してきた4人が他の学年の力を借りずに勝ち取ったベスト4。

私は、やっとチーム北越の3年生の自覚をコート上で表現できたんだと思えた。

団体戦は、個人戦とは比べものにならないくらい、とにかく楽しかった!

喜ぶところでは、全員でガッツポーズをして自分だけじゃなくチーム全員で喜んでくれる。

初めての心地だった。

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コートに実際に立ってみると、これほど応援してくれる人たちの姿が目に入るんだって驚きだった。

チームのみんな、黄色いTシャツ姿の保護者の人たち、本当に私はチーム北越の一員として「夢の舞台」に立っているんだって実感できた。

初の団体戦で感じたものとして、「楽しさ」と同時に「厳しさ」がある。

私の1本はチームの1本になる。

そういう責任を伴う場面で使う技術って、私自身が信じれるものになっていなければ、本番の大事な場面で自信もってラケット振れないんだってわかった。

それから、もう一つ。

チーム全員が私を勝たせてくれた、という感謝だ。

正直、前半はミスが多かった。

それでもチーム全員が私の1球1球に声をかけてくれて、たとえミスしたとしても落ちることなく明るく元気に戦えたと思う。

特にベンチの反対側で戦っていた時、そっちの後ろの応援席にいるBチームの仲間の声掛けが聞こえて、「このままじゃ駄目だ。やるしかない。」って強く思えた。

ガッツポーズも何度もBチームの方を向いてやった。

特に、2年間一緒だった宮川の顔を見て、宮川と心を一つにして戦った。

1本決める。

後ろを振り返ってガッツポーズをすると宮川も立ち上がってガッツポーズしてくれていた。

震えるほど感動した。

ただ、正直、試合の序盤は緊張していて、身体の震えが止まらなかった。

だけど、なぜかベンチに戻ると、迎えてくれる先生、そしてみんなの笑顔。

こんなに北越の団体のベンチって落ち着けるんだって不思議な感じがした。

G3-2リードだったけど、P1-3で相手のゲームポイントだった時には、「ここ、ここを超えていく!」って思ったら、梨果先輩(1年先輩の近藤梨果)の顔が浮かんできた。

「麻央ならできる」

そう梨香先輩が笑って言ってくれてるような気がして、大きなエネルギーになった。

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あれだけ親身になって私の面倒を見てくれた梨香先輩に恩返しもできず、成長した姿も見せられないまま終わってしまったから、最後は梨香先輩に私の成長を見せたいと思えた。

そして、そこから連続ポイントで勝ちきった。

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戦い終わっても、一緒にやってきたBチームの仲間、後輩たち、そして保護者の皆さんが祝福してくれて幸せだった。

カッコいい試合とは言えないけど、私らしく最後まで戦いきれたと思います。

振り返ってみると、ちょうど1年前の北信越の団体戦。

私と優芽(丸山)は、サポートとして働いていたけど、当日バタついてチームの足を引っ張ってしまった。

それから1年、同じ大会の同じ舞台で、その優芽と組んでベスト4入賞を決めるなんて1年前は想像すらできなかった。

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こんなに温かく厳しく、弱い私を見捨てずに受け入れてくれて、支えてくれてありがとうございました。

これほど全員でテニスに真っ直ぐ打ち込める部活で3年間を過ごせて、私は幸せです。

北越に入るって決めたことは大きな挑戦だった。

できないことだらけだったけど、津野先生、柳先生、朋恵コーチ、愛香先輩、たくさんの熱い情熱を持った方々に出会えて、ちっぽけだった私は変われました。

そして、中学時代は雲の上の存在だった本間・入澤と同じチームで過ごし、最後は仲間としてチームを作り支えていけたことは、私の誇りです。

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3年間、ご指導ありがとうございました。

今まで私を育ててくれたたくさんの人たちの情熱を、今度は後輩たちに「恩送り」として捧げます。

私のできる精一杯を後輩に注ぎます。

(3年 佐藤麻央)

チームはその後の準決勝、県総体のメンバーに戻して戦いましたが、県総体で奇跡的勝利を収めた中越高校にリベンジされました。まだまだ本当の実力があるわけではない、という事実を素直に受け入れようね。

インターハイに向けて、大きな宿題をいただきました。

「地力」をつけなければなりません。

佐藤のように、アスファルトを破って自分のベストを尽くせる地に根っこを張った「地力」をつけねばなりません。

今年はなんと、6月に梅雨明けです。

新潟も連日猛暑が続いています。

愛媛、今治で地に根を生やした大きな向日葵を咲かせたいと思います。

今日も、チーム北越、泥臭く人間臭く、頑張ります。

入澤・本間 北信越個人連覇!

身に着けた「崖っぷちで負けない強さ」

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準々決勝から、「チーム石川」に対して「殲滅(せんめつ)戦」(インカレの団体で採用されている戦いで、相手の3ペアを全部倒して初めて勝利となる。最初のシリーズで1勝2敗だったとしても負けにならず、その生き残った1ペアが相手の勝った2ペアをすべて倒せば「勝利」になる方式)を仕掛けられたような戦いでした。

すべてファイナル。

そして、すべてが相手マッチからの逆転勝利でした。

崖っぷちに立たされた数はまさに数えきれません。合わせて10回くらいあったのではないでしょうか。

数学的な確率論から考えると、10回の相手マッチを切り抜けて勝つ確率は

2の10乗ですから、1,024。 1/1024になります。

これは、日常ではありえないことです。

1,024回も連続して「ついてる~」なんてありえない。

敵マッチポイントで発揮される「崖っぷちの強さ」を身に着けている、ということです。

それは何か、と言われると答えに窮するのですが、少なくとも、敵マッチポイントの数の10倍、いやひょっとすると100倍くらい、自分と真剣に向き合い、責任感の中でその苦境を超えてきた、その経験が礎になっている、とは確実に言えると思います。

メンタルタフネス、状況判断、決断したことをやりきる実行力、危険な暑さの中でのファイナル3試合(合計で2時間くらい)をこなしても衰えないフィジカルの強さ、二人で部長とキャプテンを務めながら3年間で身に着けたあらゆる「強さ」が血肉になっているのだと思います。

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本間友里那が何度も言うのですが、入澤・本間は中学校最後の北信越大会(全中への切符をかけたブロック予選)で、自分を見失い初戦敗退します。だから、「北信越大会で中学校の時のような思いは絶対しない」これを心に誓ってブロック大会に臨んでいます。

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高校2年生の夏の初優勝から、冬のセンバツの個人優勝、そして最後の夏の優勝で、3連覇。

しかも、最後は10回に及ぶ敵マッチポイントをしのいでの優勝。

神に「誓い」を試され、挑まれ、それを凌駕しての3連覇。

心から尊敬します。

おめでとう。

ハイスクールジャパンカップ2022

シングルス 本間友里那 銅メダル!

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北信越大会の翌週、札幌でのハイジャパに3年ぶりに参加しました。

水澤のシングルス連覇以来の札幌です。

全くのダークホースだった本間でしたが、1戦1戦、自分にできることを無欲で精一杯やり続けて全国のメダルまで届きました。

ハイジャパ本戦では、各県のシングルスチャンピオンとの戦いが1戦1戦続くわけで、ここでも「崖っぷちの強さ」を求められる場面が数多くありました。

結果として、④ー2、④ー1だったとしても、すべてのゲームで競り合っていて、その中での勝負ポイントや崖っぷちポイントでの「一人の」強さを求められるのがシングルスです。「一人で」強くなることを誓い、自分を作り上げてきた本間ですから、そういう意味での強さは多くの選手以上にあったと思います。

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準決勝では、指宿商業の吉木選手に力負けです。

特に、アジリティとスピードの差が顕著で、そのアドバンテージによって本間は打球に余裕を持つ時間を奪われ、主導権を取らせてもらえませんでした。

決勝にはいけませんでしたが、自己ベストで全国銅メダル獲得!

新潟県で3人目のシングルスのメダリスト。

大きな誇りです!!

ダブルスは3回戦で敗退しました。

敗因は、1stサービスが二人とも全く入らず、サービスゲームは守勢に回ってしまったこと。

逆に相手のカットサービスへの対応が守備的で、これもまた守勢に回ってしまう場面が多かったこと。

それから、初日の天候不良により、シングルスの準決勝・決勝とダブルスの戦いが日曜日にダブルスと同時進行で行われることになり、不器用な本間は気持ちと戦術的な切り替えが難しかったという面も否定できないと思います。

シングルスとダブルスの切り替えは傍から見ているよりも、選手にとってはとても難しいものです。戦術も打法も、テンポも距離感も異なります。あれだけシングルスで確率高く入っていた本間の1stサービスがダブルスでは全く入らなくなったのも、切り替えがうまくいかなかった現れだと感じています。

負けた言い訳のようで、言いづらいのですが、今後こういうケースも当然あるでしょうから、あえて提案したいと思います。

今回のように3日間の試合日程を2日間に短縮する場合は、どちらも出場する選手も多いことから、初日をシングルス。2日目をダブルストーナメント。とした方がいいように思います。

シングルスが決勝まで戦って6試合。ダブルスが1回戦の小さな山からで7試合。ですから、僕の案だと、初日最大6試合で2日目が7試合です。

一方、今回実施された区分けですと、初日が4試合で終了。終了後、時間的な余裕はかなりありました。

2日目のシングルスで決勝まで戦ってダブルスも決勝まで戦う場合は、2試合+7試合で、9試合になります。

6:7と4:9。アンバランスは歴然と思われます。

様々な事情はあることと思いますが、どちらが選手ファーストか、大会主催者の方に議論いただきたいと思いました。

それから、議論いただきたいと感じたことがもう一つあります。

今回のシングルス初日は大雨と強風注意報が出ておりました。このように悪天候が強く予想される場合の対応、特に引率者への説明についてです。

シングルス初日24日(金)の朝、強風と雨が断続的に続く中で、試合前公式練習を20分遅らせてスタート。すべての練習をやり終えてから、しばらくの時間があり(大会関係者が協議していたと思われます)、その後放送でその日の大会中止、ダブルスのリーグ戦→トーナメント戦への変更が伝えられました。

正直、あの悪天候の中で、しかも予報は昼過ぎにかけてさらに悪化することを告げており、本当に強行するのか、と驚いていました。しかも、今年からコート脇の駐車場が利用禁止となり、退避する場所もほとんどありません。

結果として、中止の決定は正しかったと思いますが、僕が疑問なのは、大会主催者の見通しと予定について、何ら引率責任者に説明がないことです。

インターハイでも、台風に襲われることは今までも何回かあり、連絡会にて高体連の見通し(判断)と予定(判断に基づく工程、例えば2回戦まではたたくとか)が説明され、少なくとも質問したり意見を言う機会はあります。

生徒が公欠で参加している大会である以上、引率者には生徒の安全について責任があり、場合によっては天気予報を見て心配する保護者や管理職からの質問に答える義務もあります。そうなった時「大会本部からは何の説明もありません。何の見通しも示されず大会は進んでいます。」そんな回答は無責任でできないです。

このような場合は、主催者側が原案を作った上で、大会本部前のコートに引率責任者を集めて説明をし、必要に応じて質問にも答えるべきです。そして、たとえ全員の納得が得られなかったとしても、少なくとも説明責任は果たしたうえで、悪環境の中での大会は実行されるべきだと思います。

毎年、これだけの規模の大会をほぼ1年をかけて準備され運営されている道連の皆様や、いつも本部ハウスの中で忙しく対応され自分の選手の応援もままならない北海道高体連の先生方と補助に携わる生徒さんたちには、本当に頭の下がる思いです。そして大会が参加生徒に良き思い出となるよう様々な工夫や配慮もされていることについては、心からありがたく思っています。

だからこそ、より主催者と参加者が協力しあって、了解しあって、大会が成功裏に終わることを願っています。どうか、今後のためにも、このブログをご覧になった関係者のどなたか、問題提起していただければ幸いです。

2022年6月16日 (木)

Dream Factory 2022 初夏

長い冬を超えて咲いた北越の花

3つの学年が 心を交わしてつかんだ 11連覇

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長い冬でした。

梅が咲いても桜が舞っても「春が来た」という実感が湧いてこない春でした。

ようやく新入生も加えて新しいチームで出発しようと思ったら、またコロナ。

追いかける年なのに、コロナの波状攻撃で練習できない毎日が、重苦しくもどかしかったです。

4月から、制限された練習時間の中、毎日試行錯誤してました。

1年生は未知数。潜在能力は皆あるのですが、とても県総体に間に合うとは思えない。

エース以外の2、3年生も全くの未完成。

そしてエースの入澤・本間もまた、もがいていました。

ただ、エースのもがきは、本人たちには「停滞」「不調」「崩れ」と写って焦りもあったでしょうが、僕には「進化の過程」と見えていました。

「進化」には脱皮が必要で、脱皮には時間がかかります。

ジュニア育ちの子が様々な知見を身につけて感覚でやっていたことを明瞭知として言語化できるようになると、一旦技術が崩れます。「脱皮」というより「変態」に近い症状なんだと思います。

先に「変態」を終えていた本間と比べて、入澤は「サナギ」の真っ只中で春を迎えてしまいました。

4月のハイジャパ予選は何とか誤魔化しながら勝ち切りましたが、連休明けの地区大会では秋以降負けていなかった巻高校のエース石山さんと久保田さんのペアに敗れました。

この負けから学ぶものがとても大きかったと思います。

戦略的な弱点、戦術の不正確さ、技術の未成熟、そしてリーダーとしてのメンタルタフネス。たくさんの「ピース」がまだはまっていなかった、その一つひとつがクリアになりました。

本当に「負け」は大事です。

「負けから学ぶ力」は「失敗から得る飛躍の力」です。

令和4年度県総体、女子個人戦の決勝は僕が知る限りにおいて、過去20年間で最も高いレベルの決勝だったと思います。

お互いの3年間の切磋琢磨、挫折と克服が縦糸と横糸のように折り重なった努力の結晶。

それがネットをはさんで1球1球表現される。素晴らしい戦いでした。

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次の日に行われた団体戦。

第1シードの巻高校との対決。

そして再びエース対決。

この試合は、第1対戦で北越の1年生ペアが先勝。

エースとして勝って優勝を決めたい北越の入澤・本間。

エースとして負けられない巻高校の石山さん久保田さん。

戦術や技術よりも、お互いチームを率いてきた者同士の、意地とプライドをかけた戦いになりました。

序盤は巻高校の圧倒的な気魄に圧されます。0-④、1-④で、G0-2。

単純ミスを繰り返しているわけではありません。

石山さんのボールのキレ、テンポ、フラットボールの圧力。そして久保田さんの意地でも通さないと言わんばかりの鉄壁のディフェンス。

プライドをかけて前日の個人戦決勝のリベンジに燃える二人の気魄をひしひしと感じました。

今までの二人であったら、この勢いに飲まれていたかもしれません。

追いつき、突き放され、さらに追いつき、ファイナル4-4から差し切りました。

一番の勝因は、どんな状況にあっても焦らずに戦い抜くメンタルタフネスだったと思います。

本間は2年生の春に、入澤は1年遅れて3年生の春に、自分の「弱さ」に心底気づき、あえて「弱さ」と向き合い、乗り越えようとしてきました。

今年のチームスローガンは「超えるべきは、今、この瞬間!」というものです。

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二人が原案を考えました。特に、二人がこだわったのが、「今、この瞬間」ということでした。

誰もが弱さを抱え、それを乗り越えようと努力する。

スポーツの世界ではそんなの当たり前だと言われそうですが、多くの場合、人は困難な状況に置かれると、不安になって小さくなり、無難になったり、早くそこから逃れようとして無謀な選択をしたりします。

「今、この瞬間」こそが、自分が自分を超えていくべき時なのだ、となかなか思えない。

そして、状況を打開できずに困難に負けていきます。

自分自身、そして仲間や後輩たちのそういうシーンを繰り返し見てきた部長の本間がこだわったスローガンです。

そして迎えた3年最後の県総体、その最終戦としての団体決勝。

前日の勝利の翌日のエース対決再戦。

圧倒的な相手の気魄に圧されてのG0-2。

超えるべきは、今、この瞬間!

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G2ー3と追い込まれてからの第6ゲームの集中。

そしてファイナルの1本1本には魂を感じました。

マッチポイントは本間のアタックでゲームセット。

天高く突き上げられた手、その先の暮れかかる初夏の空。

ようやく長い「冬」が終わった瞬間でした。

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この二人がこうして成長できたのは、巻高校のライバルがいたからです。

県内にこんなに素晴らしいアスリートがいて、お互いが3年間あらゆる県内大会で決勝を戦い続け、お互いを磨き合える。

それはアスリートを目指す「みにくいアヒルの子」として理想的な関係だと思います。

あらためて、巻高校の選手たち、そして指導者の橋本さんに心から敬意と感謝を伝えさせてください。

ついに、やっと、県総体が終わった。

団体11連覇。

今までの重荷が背中で一気にほどけ落ちた感じ。

私がキャプテンを託されて、12月の五泉での選抜予選の敗退から今日までの道のり、正直とても苦しかった。

どうしても誰かと自分を比べてしまう毎日…。

何で私はチームを作れないのか。

何で私はチームの範となれないのか。

逃げたくなる自分もいて、それを感じる瞬間が本当に嫌で悔しかった。

でも、その逃げたくなる自分と戦って、春からは毎朝自分と向き合って走るようになって、一日一日をかみしめるように生きてきた。

その成果が出たんだと思うと嬉しい。

けど、一番嬉しいのは、団体戦で後輩たちや仲間たちが、こんな私みたいなキャプテンを最後まで信じて戦い抜いてくれたことだ。

勝負となる準決勝前、私はみんなに言った。

「絶対私がIH連れていくから、信じてついてきて!」

準決勝、決勝…

本当にみんなそれを実行してくれた。

本当にありがとう。

みんなの11連覇だよ。

(キャプテン 入澤瑛麻)

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まずは部長として、大きな仕事を果たせたと思います。

県11連覇。何とか成し遂げられました。

準決勝、中越戦。

冬のリベンジ戦だ。

相手が勝負をかけてきた。

私たちには3番手。④ー0で勝利して、後輩たちに託す。

2面展開で、私たちの隣で戦っていた1年生の安藤・七瀬(渡辺)は相手の2番手。前日の個人戦でIH出場を決めている格上のペアだ。

私たちの後に入ったのは2年生の寧々(高橋)と3年生の優芽(丸山)。相手は前日の個人戦3位の敵のエース。こちらも格上。

個人の力は格上でも、団体戦は違う。先輩たちもこういう場面で強さを発揮して夢を手にしてきた。

1年生、今まで見たこともない気魄の塊だった。特に、七瀬があれほどの声を出して戦うなんて思ってもみなかった。食らいついてG3-2リード。

寧々と優芽。

こっちも食らいついて走りぬいてお互いレシーブキープでG2-2。

こういうところから今まで寧々は自分ですぐにポイントを欲しがる欲望をコントロールできなかったけど、優芽を生かす配球を正確にやり続けてG3ー2リード。

その時、1年生は追いつかれてファイナルに入った。

両面とも熱い戦いだ。

「炎のように」前日のミーティングで先生が話した、その熱い舞台に私たちはいた。

そして両面同時のマッチポイント。

決まった!

と思って隣に目を移すと、隣でも1年生が跳びはねている。

苦しい場面はたくさんあったけど、4人ともそこから逃げずにチームのために超えていってくれた。

そして決勝の巻戦。これも冬のリベンジだ。

お互い3-1-2のオーダー。

第1対戦。

1年生ペア 安藤・渡辺。

この二人は本当にハートで戦えるんだね、って確信した。

ベンチ見てエネルギーもらって、腕を見て「ここ、ここ!」って自分に言い聞かせながら戦ってくれた。

この1年生二人の姿が私たちに勇気をくれた。

瑛麻も「うちらにかかってるね」って言った。

その声から、瑛麻の覚悟が伝わってきた。

私も、前日に個人戦で勝ちながら次の日の団体戦で負けるというのは、エースじゃない、それは北越じゃない、って自分にビシッと言い聞かせてコートに立った。

思っていたのは、「とにかく魂込めて1球1球戦おう」ということだ。

序盤G0ー2。

先にリードされたが、そこまで焦ってはいなかった。

冷静に、一つひとつ、魂を込めて。

3G目も相手リードから始まったが、中盤になって私が下がりながらスマッシュ、そのフォローを瑛麻が移動してヒッティングボレー。二人で「おら!」って声出して決め切った。

たった1本だけど、これで「行ける」と思った。

実際、少しずつ少しずつ、私たちに流れが来たと思う。

追いついてG2-2。

5G目は正直、とれたゲームだ。

追いついて私たちの「急ぎ」が目立った。落としてG2-3。

6ゲーム目。

ここは退いたら終わり。

向かっていってファイナル。

ファイナルは欲張らず、だけど強気で攻め切ってついにマッチポイント。

最後は気合で押し込んだ。

決まった!

大きなガッツポーズ!

同時に大きな歓声!

ベンチもその後ろの応援席もみんなが両手でガッツポーズしてた。

チームが一つになって戦っていたんだって実感した。

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冬から今まで、何度も今年はダメなんじゃないかって心が折れそうになった。

それでもそんなことはない、絶対大丈夫って自分に言い聞かせ、チームを信じてきてよかった。

最後の整列。正面に並んだ実来ちゃん(石山さん)が泣いていた。

1年生からずっとこうやって戦ってきたライバルだ。ここまで成長できたのは、二人のおかげです。本当にありがとう。

解散した後、巻の二人のところへ行った。

「(愛媛での団体戦)頑張ってね!」って言ってくれて嬉しかった。

北信越の決勝で、もう一度戦おうね!

次は愛媛インターハイ。

去年のように「戦えたけど勝ち切れなかった」というストーリーにするわけにはいかない。

今年こそ全国区のエリート集団にリベンジ!!

ここからが本当のスタート!

(部長 本間友里那)

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この大会のチームとしてのハイライトは、準決勝の中越戦だったでしょう。

冬のセンバツ予選で敗退。

前日までの個人戦では、北越が1位と6位。

対する中越はエースが3位。そしてベスト8に二つ(5位と8位)。

インターハイ決定戦での2番手対決では中越が勝利していました。

オーダーは北越が1-3-2。

中越は勝負をかけて3-2-1。

3ペア揃っている中越、しかもオーダーも中越バッチリ。

北越の2番手、2年生の高橋寧々と急遽ペアを組んだ3年生の丸山優芽。練習試合でも組んだことのない急造ペアです。

北越の3番手は、1年生の安藤愛莉と渡邉七瀬。どちらも個人戦はそれぞれ別の1年生と組んでベスト16にも入れない未熟者です。

さあ、チームとして

超えるべきは 今、この瞬間!

整列した時に、強くスローガンが湧き上がってきました。

いいですね、この瞬間。

昔から歌人たちが詠んできた「命なりけり」の刹那を感じます。

2面展開での戦いでしたが、第1対戦はエースが④ー0で北越先勝。

隣の第2対戦は、ひよっ子の1年生ペアがインターハイ選手に食い下がっています。

なんとG2ー1リード。その辺りで、第3対戦もスタートします。

この頃にはもう一つの準決勝は終わっていて、中越vs北越の2面のコートだけ熱い戦いが繰り広げられていました。初夏の西に傾いていく日差しに照らされながら、一進一退の攻防が続きます。

ずっとBチームだった安藤を起用したのは、前日までの個人戦での戦いぶりからでした。

地区大会でも勝っていない安藤は、初戦シード選手との対決。去年から実績のあるペアとの戦いでしたが、とにかく元気出して向かっていってファイナル勝利。

4回戦では3位となる村上高校のエースが相手でしたが、これもまたとにかく元気出して向かっていってG2ー2まで競り合いました。

元気出して向かっていく

極めて単純ですが、スポーツの原点だと思います。

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相手が3年生だろうと、エースだろうと、インターハイ選手だろうと、元気出して向かっていく!

ソフトテニスが好きで好きで、強い相手とやれるのが嬉しくて、どんな時でも自分のベストで、元気出して向かっていく!

安藤は(技術力+フィジカル力)では、うちのチームの後衛の中で5番目か6番目の選手です。

けれど、実際の戦いは、それだけでは決まらない。

それがスポーツの面白さであり、難しさでもありますよね。

その安藤の「元気出して向かっていく」強さにかけてみました。

一方、隣で敵のエースと戦っている2年生の高橋に急遽組ませた3年生の丸山優芽。

新潟市内の無名の選手です。ただ憧れだけで北越に来た子でしたが、自分の身体を上手く操ることができず、戦術の理解も深まらず、3年間ずっとBチーム(控え選手)でいた子です。

地区大会でも「最悪な(自称)」試合で敗退したことから、県大会の個人戦では早々に巻高校のエースとあたって瞬殺されていました。

ただ、3年生になってからの丸山、そしてペアを組んでいた佐藤麻央が、人間的に大きく成長してチーム全体を見れるようになったことが、4月から急ごしらえで1年生を育てチームの心を伝えなければならないチームの台所事情を救ったと言えます。

本間と入澤も佐藤・丸山を信頼してチームを任せられるようになり、真っ直ぐチーム強化にエネルギーを注げたことがチームの成長につながったと思います。

3年生になってからの佐藤と丸山は、自主練習になるとほとんど1年生指導に時間を費やします。

僕の指示ではないのです。僕は「自分の練習もしなさい!」と指導する有様です。

単にボール送りをするだけではない。1年生の「課題」の解決に向けて真剣になるから時間を忘れるのです。「自分の練習もしたいのに…」と焦ったりイラついたりする幼い精神レベルを凌駕しています。今まで、先輩たちに教えられ、育てられてきた感謝の気持ちが二人をそうさせるのでしょう。

毎年思うのですが、こういう境地に立てた時、若者は大きく成長します。

その力を信じてみました。

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実際の試合で、丸山にミスは出ます。ですが、そのマイナスを大きく上回る力を期待しました。

それは、後輩の高橋を励まし、メンタルを維持させ、苦境にあっても常に笑顔で明るく、ある意味、苦境を楽しみながら、それを超えていこうとする困難時の協働力です。

他者を励まし、他者のいい所を引き出しながら、自分が輝くモチベーションにする、丸山にもその力が育っていました。

僕は、前日の丸山のノートにこう書きました。

たのむぞ、太陽!

先生、コメントありがとうございました。

このコメント、準決勝でコートに立つ前にもう一度見ました。

気魄としても、自分が表現するプレーとしても、「太陽」になれたと思います。

私に「超える」チャンスをくださって、ありがとうございました。

中越戦。整列したらエースの小川・廣川とだった。

不思議と力が湧いてきた。

超えるべきは今、この瞬間!

そう素直に思えた。

でも、簡単には勝たせてくれない相手だった。

お互いのレシーブゲームを取り合って、G2ー2。

第5ゲームの競り合いを制して、G3ー2。

チェンジサイズのベンチ。

寧々は緊張で手が震えていた。

第6ゲーム。

相手がもってきたボールを練習通りバッチリ止めた。

そして次のポイント、思いきってポーチに行った。

決まった!!

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私は今日、1年生の安藤の姿に勇気づけられたんです。

団体の最初の戦いで、また弱いところを出してしまった私の腕に、安藤が

「私はやれる!! 笑顔!!」

って書いてくれました。

これを見ながら試合をしたし、これを声に出して戦った。

ポイントの合間合間に、隣で戦っている安藤の声が聞こえる。

1年生の安藤が全力で戦っている。

3年の私がやらなくてどうする!

もう一度、気合を入れなおせた。

そして迎えたマッチポイント。

震えていた寧々は、コートを走りまくり、ラケットを振り切って戦ってくれた。

勝った!

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ほぼ同時に安藤と七瀬も勝った。

この試合でつかんだものは大きい。

1年生から3年生まで、全員でつかみとった勝利だから。

次は北信越。

去年、梨果先輩に連れて行ってもらった北信越。

今年は、私がチームに貢献したい。

(3年 丸山優芽)

最後に、急造ペアながら、準決勝、決勝と勝ち切ってくれた1年生の安藤と渡邉のノートを載せます。

私につきっきりで指導してくれた愛香先輩、そして春からBチームで一緒にやってきて毎日のようにボール出しをしてくれた麻央先輩と優芽先輩のために、1年生だからってこんなところで負けてたまるか!って思いで、1試合1試合を戦いました。

北越の団体ってすごい!

初めて団体メンバーになって、しかもそれが11連覇をかけた県総体で…

本当に緊張しました。特に準決勝の中越戦、そして決勝の巻戦。

何度も苦しい場面はあったけど、みんなベンチで応援してくれてる、つらい時はベンチ見てって教えてもらっていて、何度もベンチからエネルギーをもらいました。

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地区大会ではベンチの後ろでの応援。コートで戦っている鼓や七瀬が羨ましかった。

そして巻のエースに立ち向かっていく二人は本当にカッコよかった。

個人戦でも私は敗退したけど、インターハイをかけたリーグ戦を土橋が戦っているのが羨ましかった。

その悔しさ、羨ましさ、そのすべてを団体のコートでぶつけた。

緊張したけど、私は楽しんでテニスできたと思う。いや絶対楽しんでやれた。

実際、あれほど、一つ一つの状況を考えて、前衛と駆け引きして、先生のアドバイスも生かして戦えたのは初めてだった。とってもとっても集中して、本気で戦いを楽しんでいたんだって思った。

愛香先輩に「やってきたことを信じろ」って右腕に書いてもらった。

そして、私は毎朝4歩ダッシュを繰り返しやりつづけたんだから、信じて戦うしかないんだって真っ直ぐに思えた。

ハイジャパ予選や地区大会では、1点欲しさにやるべきことを忘れてしまって敗退。

でも少なくとも、私はその幼い私を乗り越えたと思う。

やっぱり私は、インターハイの舞台で選手として戦いたい!

だから、また全力で頑張ります!!

(1年 安藤愛莉)

私は今日、「信じて戦う」そして「私ならできる!」、この二つを自分に言い聞かせながら試合をしました。

ですが、その「信じる気持ち」は安藤に教えてもらったような気がします。

どんな時でも私の目を真っ直ぐに見て、「大丈夫!」「自分を信じて」って何度も伝えてくれました。

安藤自身のミスが重なってゲームを取られる場面もあって、きっと焦りもあったはずなのに、安藤はそういう時、「麻央先輩のために」「信じる、信じる」って口にしながら、常に前を向いて戦う姿に私は自然と引っ張られていきました。

正直、私ってこんなに声出せるんだって自分でも驚いて、それは出さなきゃとか出そうと思うんじゃなくて、「本気で勝ちたい!」「このチームでIH行きたい!」っていう思いが声や表情に出ていたんだと思います。

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ずっと私は「やりたいこと」じゃなくて「やるべきこと」をやる、それが大きな課題でした。

燃える中でも、「状況判断」を一つひとつ怠らないで選択することができたのは、私にとって大きな成長になりました。

こんなに試合の組み立てを考えて試合したことなかったです。考えてするテニスってめっちゃ面白い!! そして楽しい!!!

そして、やっぱり「チーム北越」の先輩の偉大さを感じることができました。

経験の浅い私に、勝負所で「七瀬ならできるよ!」って瑛麻先輩。

厳しい場面では「七瀬、みんなの顔見て!」って友里那先輩。

「七瀬、大丈夫! 頑張れる!」って寧々先輩。

中越戦をみんなで勝ち切った後に、「安藤と七瀬の姿見て、私も頑張れたんだ」って優芽先輩。

そういう一言一言のすべてが私のパワーになり、勇気になり、このチームのために!って熱い思いになりました。

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今日の団体戦。

チーム北越の力強さを深く身に染みて感じる日になりました。

次は愛媛インターハイです。

私は、私を変えてくれたこのチームのために、IHで3年生と一緒に1試合でも長く戦い続けることが目標になりました。

(1年 渡邉七瀬)

2022年1月29日 (土)

Dream Factory 2022 厳冬

日々新面目あるべし

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コロナ第6波の感染拡大が止まりません。

皆さんの地域ではどうですか。

新潟県はまん延防止等特別措置が適用され、学校行事も中止や延期を余儀なくされています。部活動も2月13日まで平日の活動が90分程度に限定され、土日祝日の部活動は禁止となりました。

活動は制限されましたが、闇雲に教育活動をロックダウンした過去の愚を繰り返すことなく、90分とはいえ感染防止に留意しながら日々の活動を認めた県の英断を支持します。

約2週間の短縮活動を経験し、一昨年の教育ロックダウンの暗黒期と比べてみると、毎日の継続というものがいかに大切なのかがよくわかりました。

「競技力向上」だとか「勝負」だとか「夢」だとか、そういうカラー付け以前に、部活動は人間教育なのだと改めて気づかされます。技術であれ戦術であれ人間的な成熟であれ、成長期の子供たちは真剣になればなるほど、自分の未熟さに悔しがり、小さなゲインに喜び、仲間の変化に影響を受けて育っていくものです。SCHOOLという語の語源(集団、集まり)に遡るまでもなく、人は人との関係性の中でしか成長できないのですね。

考えてみれば、春先に蒔いた種が芽を出し、ぐんぐん成長する初夏に突然真っ黒な箱を被せられてしまえば、太陽光を浴びることができず大事な時期の成長が止まる。取り返しのつかない「失われた数か月」になってしまう。教育ロックダウンとはまさにそういうことなのだと思いました。大人のリモートワークとは話がまるで違います。

前回のDream Factory 2022冬でもお伝えした通り、チーム北越は県予選で敗退し、今ひたすら地中へ深く確かな根を張ろうとしています。

リーダーの本間と入澤が先頭に立ってチームをけん引する姿が日々力強くなってきました。

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3年生がコートに来てくださるのが最後の日となった。

まずは、本当にありがとうございました。

3年生が去年の3月、全国選抜で敗退してから、最後の夏に向けて見せて下さった本気と強い意志を鮮明に思い出します。

本気で外シードの和歌山信愛を倒しにいった石川の夏。でも、かなわなかった。そして引退してからは、「春からじゃ間に合わないよ」って何度も何度も伝えてくださった。

それなのに、幼く未熟な私たちはそれを本気で受け止めることができていない。

「負けた」という事実だけ悔しがってしまい、自分の何が足りないのかに本気で向き合おうとしない。もしくは分かったといいながら、本気で現実を変えようとしない。まだまだ暗中模索です。

けど、私は今日、やっと少しだけ、光が見えた気がします。

その光が何かって言われたら、言葉にはできないけれど…

「毎日、悔いを残すな。でも残ってしまう悔いとしっかり向き合え。」

私が訴えたこと、みんなわかってくれたように思う。

悔いを残さずやってほしいけど、結果的に毎日毎日、悔いは残る。

けど、その悔いを「悔しさ」としてとらえられなかった、もしくは、悔しさを感じてもその場だけで終わってしまう。そんなことばかりしていた。

だから、上手くなりたい、強くなりたい、と言っても結果が伴わない。

今日は、みんなミスした時に悔しそうな表情や、「またこれだ!」って自分から叫ぶ姿があった。そうやって、地道に自分という人間に向き合っていくしかないんだ。

県総体まで、約4ヶ月。

本当にあっという間に春を迎え夏になる。

この冬、私は、どれだけ私の弱さとチームに向き合ってきたかが試されている。

先日届いたマガジンに日本代表に選ばれた選手の名前が載っていた。

U-17女子を見ると、中学校の時も選ばれていたようなセンスのある子ばっかりだ。

羨ましいという感情よりも、私はむしろ、早くこういう相手と思い切り勝負したい。

ジュニア時代からのセンスと実績 vs ひたむきに努力してきた不器用者

この夏、思い切り戦いたい!

おばあちゃんが、会津八一の言葉を私に贈ってくれた。

「日々新面目あるべし」(常に新しい自分を求め続ける)

努力で培ってきた私をインターハイの舞台で必ず表現したい!

去年のような「勝てた試合だったね…」なんて言わないために…。

「悔いが残らないように(=強い悔いを残しながら)、日々を生きる!」

   (部長 本間友里那)

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友里那が提案してくれたことをみんなで取り組んだ初日。

いつも本気でやっているつもりだったけど、1本も悔いはないかと言われれば、そんなことは絶対になく、何本も悔いは残る。本気さってことでも、まだ残った状態で終わった気がする。つまり、私はいつも自分で自分に限界を作っていたんだなって感じた。

だから、いつもなら何気なくやり過ごす1本も、本気になれば新たな課題になる。そこに今日気づけたなって思う。

たとえば、ボレー&ボレー、私たちは上達していると思っていた。でも、今日久しぶりに外でやったら悲惨すぎた。高いレベルを求めれば、インドアと違って摩擦が使えないから、もっとフットワークを磨く必要がある。

そういう気づきをみんなはどれくらい持てただろうか。

もう一度、今日で最後になった3年生のメッセージを思い出して!

「春からじゃ間に合わない。」

久しぶりに外コートから部室の窓の県総体までのカウンターを見た。

3年生の引退から1年あると思っていたのが、もうこんなにカウントダウンが進んでいる。

もうすぐ2月だ。

チームリーダーとして、私自身も危機感を持ってやっていこう!

   (キャプテン 入澤瑛麻)

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本間のおばあさんが贈ってくれたという会津八一の言葉は知りませんでしたので、調べました。

新潟市出身の歌人・書家の会津八一が東京で旧制中学校の教員をやっていた折、新潟から上京してきた受験生数人を書生にして同居していたことがあったという。その書生のために八一は四か条の「学規」(学ぶ心得)を自筆で書いて壁に貼ったそうです。結局、受験勉強に夢中の書生たちは誰一人として目もくれず、八一は自分にのみ言い聞かせる処世訓になってしまったと後年記しています。

「日々新面目あるべし」は、その四か条の最後の文句で、その前の三つと合わせて噛みしめると、とても深い教えになっていることに気づきます。

こんな素敵な教えが壁に貼られていたのに、下ばかり見て受験勉強あけくれていた書生たち…

もったいないですね。

学ぶとは、学芸に励むことで己を知り、日々自分を新しくしていくこと。

友里那のおばあさん、そして友里那、こんな嬉しい出会いを橋渡ししてくれてありがとうございました。

秋艸堂學規

一 ふかくこの生を愛すべし
(自分に与えられたこの生のかけがえなさに深く気づき、一度しかない生を大切にして悔いなく生きなさい)
一 かへりみて己を知るべし
(自分というものについては自分自身が一番よくわかっていないものです。自分の弱みも強みも自分を日々省みて考え、自分自身をよく知ることです)
一 學藝を以て性を養ふべし
(自分がこの世に生まれ何をなすべきか、その特性は何かに一生懸命になってこそわかるものです。学問や武芸、自分が選んだ道に励み、自分が天から与えられた特性に気付いてそれを磨いていきなさい)
一 日々新面目あるべし
(そのようにして日々生きれば、毎日何かしら新しいことを発見できるはずです。今日のあなたは昨日のあなたと同じでいいはずはありません。どんなちっぽけなことでも、新たな気づきを得て日々成長しなさい)
 
※(  )内の現代語訳は筆者:津野がつけたものです。
 

北信越大会 個人戦

入澤瑛麻・本間友里那

ダブルス夏冬連覇

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※ 地域で地道に夢を目指している指導者や生徒のみなさん。前向きな興味がありましたら交流しましょう。私は時代遅れの人間です。ツイッターもフェイスブックもラインもやりません。そもそもスマホを持っていないです(docomo等が時代遅れの人間を完全に切り捨てるまでこのままです)。郵便かその電子バージョン(メール)で連絡ください。その場合は必ずお名前と所属をお知らせください

郵便→北越高校 津野宛で

メール→seiji.tsuno@gmail.com

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