2024年9月27日 (金)

DREAM FACTORY 2024 夏の終わり

記録よりも記憶

チーム北越(新潟)  佐賀国スポで 有終の「挑戦」

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長い長い2024の夏がようやく終わりました。

このブログの更新も4カ月ぶりになります。

サボっていた訳ではありません。

インターハイの記事を書けませんでした。

チーム北越は自分と向き合って強くなっていくチーム。

秋は県内大会で負けることも珍しくありません。

早春の全国選抜の時期はまだまだ固い蕾、北信越を抜けても全国ではとても勝ち切れません。

でも向き合ってきたエネルギーが爆発する夏。

真夏に咲くひまわりのように、県総体からインターハイで、このチームは毎年のようにたくさんのドラマを刻んできました。

前回の記事で紹介した安藤と冨樫は、その後行われた北信越総体でも力を発揮し、各県の第1シードを次々に破って準優勝。

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団体でもチームは決勝で優勝した能登高校に3番勝負のファイナルで競り合う充実した戦いを見せて準優勝。

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そして臨んだ長崎インターハイでしたが…

今までのチーム北越が強味にしていた勝負どころでのミス…

向かっていく強さを発揮する場面での逃げ、無難な選択…

いい流れで来ているのに試合前の指示と真逆の戦術変更…

それでもまだ立て直せるのに、勝負となる第6ゲームをことごとく落として、個人戦も団体戦も勝負から降りていきました。

戦わない…

戦わない…

国体でコーチをお願いすることになる長岡商業の高橋陽介先生は、

「どんな戦いを演じてくれるんだろうと楽しみに観ていたが、返ってきたのは『白紙の答案』だった」

と印象的な表現で総括してくれましたが、まさに言い得て妙。

選手たちもうなだれていましたが、僕もショックでした。

なぜ? という問いが振り払っても振り払っても纏わりついてきます。

負けるのはいいのです。ベストで戦い切れば。

負けても未来につながるドラマがあればいいのです。

しかし、何もありませんでした。

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チームの負けは監督の責。

どこで何を違えたのか、僕は何を失敗したのか。

大会直前の合宿の充実ぶりと選手たちの自信に満ちた目の輝き。

その姿がリアルでしたから、苦しい自問自答が続きました。

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何もないのですから、このブログも書くことができませんでした。

一晩寝付けない夜を過ごして、夜明け前の薄明かりの街を歩いて出した結論。

このチームが咲くためには、もうひと夏が要る、ということ。

最後の舞台を国体に変えて、3度目の夏をこの子たちと真剣に生ききってみよう、ということでした。

ウインターカップや春高があるバスケやバレーボール等と違って、この競技には夏が2回しかありません。

下から積み上げていくローカルレベルの選手たちの伸び期は「The夏」です。

でも今年のチームは2回の夏では熟さなかった。

「桃栗三年」じゃないですけど、核となる選手が不在の年は3度目の夏が必要だ、そう結論づけました。

正解かどうかはわかりません。

でも、こういう時は何らかの腹を括らないと扉は動かないものです。

幸い、今年の新潟県国体チーム(今年から名称は「国スポ」ですが、何だか締まりの悪いネーミングで、ここでは旧称の国体で統一します)は北越高校が主体で監督も僕が務めることになっていました。

実は去年からそうだったのですが、僕から見て去年の北越主体の国体チームは未熟。

とても他の人に託すことなど申し訳なくて、自分で責任を負いました。

2年がかりで引き受けて強化していく青写真を持ってのことです。

案の定、昨年のブロック国体は全敗の最下位。

長く国体に関わってきましたが記憶にない惨敗でした。

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インターハイから戻って、休養を挟んで国体強化合宿初日。

朝から電話・メールが次々と来て、体調不良、メンタル不良の続出。

来るには来たもののモチベーションが落ちていて、選手をやる自信がないのでサポートに回りたいという者も複数。

もうズタボロです。

帆は折れ、船底に穴が空き、漕ぎ手は不在…

これで再出航するんですか、という状況。

卒業後もテニスを続ける意志のない3年生が、全てをインターハイに賭けて虚しく敗退した後、進路の準備や手続きに追われながら、更に国体に臨むモチベーションを高めていくのはなかなか難しいです。

それはもちろん理解する。

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でも、でも、でも、です。

3年前の夏、中学3年生だったこのメンバーが揃って体験入部に来てくれました

県レベルのローカル選手たちでしたが、それぞれに光る物を感じて、皆を集めて話をしました。

「君たちは磨けば輝くものを持ってる。このメンバーが集まったら全国で戦えるよ!」

そして集まってくれたその子たちの最後の夏です。

こんなインターハイがこの子たちの最終章であっていいはずはない

それはあり得ない。

ここは誘ったこっちの踏ん張り所です。

ああ、いくつになっても試され続けるんだな、そう思いました。

この雰囲気を救ってくれたのは、長岡商業から国体候補選手に選ばれた伊藤春蘭です。

前回の記事で紹介ように、県総体団体決勝でエース対決を圧倒的な気迫と実行力で制した長岡商業の3年キャプテンです。

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身体的には不器用だけど、溢れて止まない気迫とどこまでも真っ直ぐな実行力。

正式な強化合宿前から北越高校の練習に自主参加してくれて、コートに響き渡る春蘭の「ガンバ〜〜!」という掛け声に何度もチームは勇気づけられました。

どんな時でも前を見ようとする安藤を国体キャプテンに指名し、春蘭の気迫がチームの「気」を湧き立て、チーム新潟はようやく船出しました。

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僕は毎年、夏にテーマを決めて本を読むことにしています。

今年のテーマは「時間」。真木悠介さんの『時間の比較社会学』をテキストに考えます。

この本は「死ぬとわかっているのに生きる意味あるの?」という問い、つまりニヒリズムからの脱却を目指して、古今東西の「時間」を社会学的に比較検討する、とてもスリリングでワクワクが止まらない考察が展開される本です

このニヒリズム的な問いはコンサマトリー(現実充足的)な生において満足が得られず、生きること=頑張ることに意味を見出せなくなることで発生します。

どうせ頑張ったって叶わないんだから頑張る意味なんてねーよ」というわけです。

これはもっと大きなスパンに置き換えると「どうせ死ぬんだから生きる意味なんてねーよ」という問いと全く同じですから、そうなると由々しき問題として立ち上がってきます。

そしてこのニヒリズムは、3年目のインターハイでも全くいい所無しで終わったチーム北越のメンタルそのものだと言っていい。

ですから「次こそやれるよ」的な安直な励ましは功を奏さないでしょう。

真木氏は人生に意味を見出せず苦しんでしまう理由を「時間は未来へと無限に続いている」という観念と「過ぎ去った時間は過去へと葬り去られて戻らない」という観念に我々が囚われているからだとして、そのような「時間」の観念は西洋文明の限定的な成り立ちから作られたもので、決して事実でもなければユニバーサルなものでもないことを明らかにしていきます。

読んでいた本の考察の目的と目の前の喫緊の課題がバッチリ合致して驚きました。

こういうこと結構あるんです。そこで、ニヒリズムに囚われている北越の子たちに向かって、僕は合宿でこんな話しをしました。

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おまえたちはきっと、目標とする大会が未来にある時、今度こそこうやって戦おう、自分の弱さを克服して戦おう、と思っているだろう。(みんな頷き)

で、その未来がやってきて、「今」になって、最初は意気込んでいても何かが思い通りにならないと、また不安になったり、さっきのプレーは違ったとか過去を振り返ったりして、今にフォーカスし切れない、そんなことがよくあるだろう。(みんな深い頷き)

そしてゲームセットが告げられ挨拶をした後、ずっと自分がやらかした過去を反省するだろう。今だってまだ引きずっている人もいるんじゃないか。(唇を噛み締める)

どうして人は「今」を精一杯生きようとしないで、このまま負けるかもとか、あのプレーこうしておけばとか、未来や過去にフォーカスしてしまうんだろう。

生きてるのは「今」なのに、どうして「今」を生きないのか。(眼差しが深まる)

「ある」のは「今」しかないんだよ。(ちょっと分かんないという顔)

日めくりってあるだろう。365日一枚一枚朝にめくっていくやつ。

いつだって「今」しか現れない。

次の日やその次の日、1カ月後2カ月後なんて「今」においては「ない」んだよ。

過去だって同じ。過去の出来事を建設的に「今」に生かすなら、つまり「今」と一緒に生きさせれば過去は「ある」って言えるけど、ネガティブな振り返りなんて「今」を殺すだけなんだから、「今」にとってその過去は「ない」んだよ。

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ほとんどの高校生、地区予選や県大会、インターハイでラストの試合を終えた99%の3年生高校ソフトテニスプレーヤーにはもう最後の夏なんてない

悔いが全く無しで最後の大会を終われる奴なんてほとんどいないよ。(春蘭から大粒の涙が流れ落ちる)

「もしも可能なら、もう一回、もうひと夏鍛えて再挑戦させてほしい」、そう思う奴なんてたくさんいるよ。(僕自身がそうだった)

でも、お前たちには、その「もうひと夏」があるんだよ。

「過去」を今に生きさせる「今」が目の前にあるじゃないか。

勝つかどうかなんて仮想の未来のことなんだから「ない」んだよ。「今」には関係ないんだよ。

なあ、みんな、授かった「もうひと夏」を精一杯生きようぜ。

そして、1回目で叶わなかった「あの舞台」へもう一回チャレンジしよう!

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そこから2カ月間のチームの成長には目を見張りました。

夏休みいっぱい、遠征と修正練習を交互に積み重ねていきました。

3回目の夏を生き切ることで、こんなにも逞しくなるのかと驚かされました。

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北信越ブロック国体では、勝負となる富山戦にエース吉澤・土橋ペアがまず勝利。

続くシングルスでは経験値の低い下里が接戦を制して本国体出場を決めました。

全勝対決となった石川戦は負けましたが、去年の全敗最下位からこの小粒チームで本国体に復帰しました。

吉澤・土橋ペアはエースとして柱になってくれましたし、下里が春蘭との絆を深めてメキメキと力をつけていきました。

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9月にはインターハイ団体優勝の東北高校に練習試合に行きました。

去年は「無謀にも来てしまってごめんなさい」というほどの惨敗でしたが、今年は競り合える試合が増え、勝つこともできて、選手たちは「ひと夏」の成果を実感したと思います。

日本一のシングラー天間さんとも何回もやらせていただき、下里は1試合だけですがG2-2のアドバンテージを戦えるまでになりました。

いざ、佐賀へ!!

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こうして臨んだ佐賀国体でしたが、初戦の神奈川戦、0-③で敗退し、チーム新潟は最後の挑戦を終えました。

心技体知、チームベストの力をつけることはできましたが、結果という「花」を咲かせることは叶いませんでした。

ですが、インターハイの負けとは全然違います。結果は同じ初戦敗退ですが、あの強風の中でも、3年生の選手たちは「ひと夏」鍛えてきたことをやろうとし続けました。

充実した攻めで追い詰めてくる神奈川に対して、未来や過去に振り回されることなく、「今」に集中して、戦い続けました。

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キャプテン安藤は慣れない強風に苦しみながらも誓い通りシュートボールを打ち合いました。

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ブロック国体後、選手に返り咲いた渡邉七瀬はこの夏から取り組んだサービスダッシュで挑み、あの風の中でも怯まずに前へ行き続けました。

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土橋は2年生ペアの吉澤にミスが続いても、約束通り真ん中に立ってポイントを狙い続けました。

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シングルスの下里は、相手のマッチポイント=チームの勝利ポイントを凌いでゲームを奪い返し、チームの希望をつなぎました。

冨樫もそしてチームを救った春蘭も声を限りに叫び続けました。

2年生の吉澤茉子は強い風にフットワークが雑になりミスで自滅でしたが、誓った通り自分のベストシュートを打ち続けようとしました。

今回の戦いは決して「白紙答案」ではありませんでした。

明確にそれぞれの長所をキャンバスの真ん中に置いて、戦いの「絵」のモチーフは良くわかりました。

それでも神奈川は強かった。

これでいいです。

清々しい「少年女子」の戦いだったと思います。

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最後のノートに伊藤春蘭は「記録よりも記憶」と書きました。

なんと的確な表現でしょうか。

彼女たちの「もうひと夏」は記録に残りませんが、それぞれが将来、この「ひと夏」を振り返った時、自己肯定の礎になる「記憶」として深く刻み込まれたはずです。

それは将来の「今」にこの「ひと夏」を蘇らせて、その「今」に勇気と充実を与えてくれる「生きた過去」になる「記憶」です。

新潟県の2024シングラー下里鼓のノートです。

3年目の夏、3年間の高校テニス人生が今日で終了した。

長いようで短く、内容のいっぱい詰まった充実した日々だった。
 
結果としては神奈川県に0-③負け。目指していた「あの舞台」には届かなかった。
私はシングルスで2-④負け。私の負けでチームの敗退が決まった。
悔しさは溢れてくるけど、でも、「私は戦い続けた」と胸を張って言えるのが救いだ。
長崎での、あの中途半端な戦いではなかった。
どんな場面でもどんな状況でも、私の心の真ん中には伊藤春蘭がいた。
特にG1-3での相手のマッチポイント。以前の自分だったら、ネガティブな感情に引き込まれてそのまま負けていた。
ファーストサーブを構えながら集中を高めていたら、自然と春蘭の姿が浮かんできた。こんなことは初めてだった。

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練習中のあの春蘭の声と姿がはっきり浮かんだ。
粘って粘ってこのゲーム奪って、G2-3。

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でも、平川のカッティングの技術は夏より上がっていた。
あの強風の中、あれだけ精度の高いカッティングを続けられて、私はなんとか返球するのがやっとの状態だった。
私にストーリーがあるように、あの子にだってストーリーがある。
夏の練習試合の後も試行錯誤しながら、自分のスタイルを磨き続けてきたんだと思った。
 
私がこうして新潟県チームのシングラーとしてここに立てたのは、全て春蘭と私につきっきりで指導してくださった陽介先生のお陰だ
春蘭には自分にないものをたくさん学ばせてもらった。
春蘭と二人で切磋琢磨し合ってお互いを高めてきた。

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シングルスは孤独だなぁと初めは思っていたが、春蘭から「私たちは二人でペアだ。下里・伊藤ペアだ」って言われて、自分の中で何かが変わった。今日も苦しい場面で何度も目を合わせて二人で戦った。
 
伊藤春蘭、こんな短い付き合いだけど、私にとって一番尊敬できる人だ。
人間が他者を尊敬するって、一緒に過ごす時間の長さは関係ないんだ。
春蘭はいつも全力投球だ。練習中も、私と試合する時も、チームに声を掛ける時も。
表裏がなく真っ直ぐだ。そして思いをなんとかして伝えようとしてくれる素晴らしい人。

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春蘭、本当にありがとう。
出会えて良かった。
 
津野先生
3年間ありがとうございました。
たくさん負けて、たくさん泣いて、少しは強くなったって思ったのにまたダメで、また泣いて…
そんな3年間だった。
それでも、私が今はっきりと言えること、それは「北越でやってきたことに嘘はない」ということ。
 
私の「質(たち)」は「ネガティブ・不安気質」だった。
その「質」に真っ直ぐに眼を向けさせてくれて、自分が闘うべきものを教えてくれた。チームも「私の闘い」を見届けてくれる。私は北越でそうやって成長してきた。
それなのに、長崎インターハイで情けない試合をして、国体強化に切り替わる時、自分は自信がないからサポートに回ろうとした。今では、そんなこともあったなって遠い昔のように思える。
あの日、先生は、
「本当にそれでいいのか⁉︎」
10年後20年後に今日を振り返った時、悔しい思いで『あの日に戻ってやり直したい』って思わないと言えるか⁉︎」
そう伝えてくださいましたね。
あの場面がなかったら、あのままネガティブな気持ちに流されていたら、春蘭との深い絆もなかったし、、陽介先生からの熱い指導も受けられていなかった。何よりこの2カ月間の人としての成長がなかった。
先生、あの日、私の人生を変えてくれてありがとうございました。
そして先生を信じてシングルスにチャレンジして本当に良かったです。
本国体への出場を決めた北信越国体の富山戦、その後、練習試合とは言え、天間選手に競り合えたこと、佐賀に来てからの直前の京都との練習試合でファイナル6-4のマッチポイントから4本連続ポイントされて負けた時、陽介先生から「あの4本にお前の回答はどこにあったんだ。何も自分で選択してないじゃないか。最後にそれをどうするかは、俺も春蘭もどうすることもできない。最後はお前自身なんだぞ!」って厳しく教えていただいたこと。
たった2カ月間だったけど、私は深いドラマの中で成長できたんだなって思います。私に関わってくれたたくさんの人に感謝します。

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この国体への2カ月を最終章として、私は北越での3年間で人間的に大きく成長できた。
どれだけメンタルがスポーツに影響を与えるのか、よくわかったし、その部分でかなり強くなれたと思う。私の「味噌屋」気質は常に私を苦しめ、私の厄介なクソメンタルは今日も顔を出し続けたけど、私はそれに負けることなく戦い切った。私が北越に行くって決めたのは、全国で戦えるスキルの向上と人としての成長のためだ。その両方を果たせたことに誇りを持ちたいと思います。
 
これで私の長い長いソフトテニス人生は終わりです。
長野から来て最後まで頑張れたのは、親の支えがあったからこそだ。
お母さん、一緒に新潟に来てくれてありがとう。
そして長野に残って私を支えてくれてありがとう、お父さん。
最後まで私を見届けてくれて、本当にありがとう。
 
この先、自分はどんなことがあってもそこから逃げずに挑戦し続ける。
北越の3年間でつけた力で私の将来を切り開いて行きます。
 
3年間、本当にありがとうございました。

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下里鼓
 ・
下里は1年目、自分のことだけに一杯一杯で、全く周囲や他者に気を配れず、僕から「自己中」と言われた子でした。技術的にも伸び悩んだ時期が多かったです。一つ言われるとそのことだけにすがりついて全体性に目がいかない。この壁には「味噌屋」とネーミングしました。「味噌作り百年続く伝統の技!」的なこだわりが彼女の可能性を狭めると思ったからです。
その下里が、春蘭と切磋琢磨しながら絆を深め、友情を育み、リスペクトし合うまでに成長したこと、負けた相手の成長を感じて言葉にできるほどになったこと、陽介先生の指導を短期間で消化し血肉にしていく柔軟性が育っていたこと、自分の「質」を認めコントロールするようになれたこと、すべて君の成長のたまものです。素直に嬉しく思います。
最後に土橋日加里のノートを載せます。
土橋は3年間、ほぼ毎回、脇役か「悪役」を演じてきました。
身体の固さ、考えの頑なさが悪い方向に現れることが多く、試合ではミスが出ると止まらなくなり、僕からは「土橋祭り」と揶揄される状態が頻発しました。
それでも土橋が最後に新潟県のエース前衛として国体を戦い抜くまでに成長できたのは、土橋の誠実さ、そして性格的な大らかさと素直さにあると断言します。土橋はよく仲間からイジられますが、大らかに笑って受け入れ自虐ネタに変えてしまいます。

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技術の習得が不器用でネガティブに陥ることもありますが、泣いて唇を噛み締めながら、また短期間で立ち上がってきます。そのレジリエンス力も長所です。2年生になって後輩の吉澤と組むようになってから、自分の弱点、自分の頑なさに目を向けていくようになりました。
インターハイでの大失敗でメンタルがガタガタに落ちかけましたが、また立ち上がって日々学びを深め、3年間の全てを賭けて佐賀国体に挑みました。
 
1回戦、神奈川に敗退。
悔しいけれど、先生と、最後まで向上しながら戦えたことが嬉しいです。
でも、やっぱり全国で結果を残したかったな、という思いが残ります。
 
私は1年生の時からずっと試合を放り出すような戦いをして、何度もチームやペアの夢を壊すようなことをしてきました。その埋め合わせをしたいと強く思って臨んだ佐賀国体でしたが、最後もチームを勝ちに導くことができずに終わってしまった。
私は中学から前衛になったけど、技術もないし動きもただサイドに(後衛と逆のスペース)しか行かないような、何もわかってない前衛だった。それが3年になってようやく相手後衛との駆け引きとポジションの取り方がわかって、試合でも駆け引きポイントが増えた。でも、この国体では、風が強く吉澤のミスが続いてしまい、身につけた力を発揮することはできなかった。それでも先生は最後のミーティングで、「結果としてできなかったけど何を目指して何をやろうとしているのかがしっかり伝わってきたよ」って言ってくれて嬉しかった。
 

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私は北越の3年間で、人としても物事の考え方にしても大きく変われた。
何より、自分の意志や考えを本当にはっきり持てるようになった。
先生が繰り返し伝え続けてくれたこと「自分と向き合う大事さ」は 、これからも大切にしていきたい。
1年生の頃は「向き合う」なんて何も分からず、2年生になってから少しずつ自覚できて、3年生になってから、更に責任と自覚を求められる中で自分と深く向き合うことの大切さを教わった。
 
私は試合を壊すようなことをし続けて、練習でも本当にうまくいかない日々が続いてキツかったけど、なぜか先生は絶対に見放さないって1年生の時に感じて、信じてやり続けることがどれだけ大事かわかった。

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先生は覚えていますか? 1年生の時でした。
先生に「お前さ、人をとことん信じたことってある?」って聞かれて、「私、人を信じてしまうのが怖い」って答えたこと。
あの時は人を信じることとテニスの向上に何の関係があるんだと思っていました。
でも先生自身が、どんなに私が悪くても見捨てずに、何度も何度も信じてくれたこと、そして夜遅くなっても私ができるまでボール出しをしてくれたこと、ずっと一緒に考えてくれたこと。そして先生やチームを信じて夢を叶えていった先輩たちの話を聞くうちに、私は人を信じて行動する勇気を持って生きれるようになりました。
 

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どんなにうまくいかなくても、投げ出してしまいたくなるような時でも、信じて努力をし続けたら何かが少しずつ変わり出す。そしてそれがいつか大きなものになること。
これからの私の人生の真ん中に置いておきたいことだし、後輩にも継ぎたいもの。
 
3年間、このチーム北越で自分と向き合ってきたこと、今日「花」に換えることが出来なくて悔しいですが、でも私はこの3年間を誇りに思いたいです。
 
本当にありがとうございました。

 

土橋日加里

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さて、長らく綴ってきたこのブログも、今回で僕の執筆は最後になります。
お読みくださっていた皆様、ご愛読ありがとうございました。
僕は本年度で、15年間お世話になった北越高校を退職します。
これからは柳直子先生が主顧問となり、チーム北越を率います。
きっと、このブログも柳先生の筆で書き継がれることと思います。(注:未了解事項)
僕は外部指導者(これも嫌なネーミングですね。決して「外部」じゃないのに。)としてチーム北越をサポートしていきます。
これからも、チーム北越をよろしくお願いします。
 北越高等学校 女子ソフトテニス部 
        監督 津野 誠司
 

2024年6月 8日 (土)

DREAM FACTORY 2024 初夏

県総体団体 

固い3年生の絆で13連覇達成!

 どん底から真の強さを手にしたキャプテン

  日々の向き合いから強さを手にした仲間たち

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全国への挑戦権、今年も手にすることができました。

今年の県総体は完全に追われる立場。

冬の北信越選抜優勝、春のハイジャパ予選はダブルス、シングルスともに優勝。

こういう年は逆に難しいです。

どうしても子どもたちは気持ち的に受けてしまう。それを跳ね返せる強さを個人としてもチームとしてもどう作るか、春からそのことが頭を離れたことはありませんでした。

全国レベルの選手がいるわけではない。1,2年生からインターハイに出ていると言っても参加賞レベルです。精神的にも未熟、大会前に突如崩れるもろさ、不安材料はたくさんありました。

ただ、やはり北越畑で成長してきた子たちです。

自分の弱さと向き合いながら、人間として成長してきた、それを何よりのプライドとして戦ってほしい、そう願いました。

初日の個人戦、新潟県はベスト4=インターハイ確定まで出します。

安藤・冨樫、吉澤・土橋が順当に勝ち上がりましたが、外シードでキャプテンペアの下里・渡辺(昨年3位)がベスト8決めの試合で、長岡商業の森山さん佐藤さんペアに敗退するドラマがありました。

波乱とは言いません。ドラマです。

長岡商業のペアはとにかく向かってきました。

当たり前です。監督とともに3年間この日のために生きてきたのですから。

シード選手は、いつだって不安にさらされる状況で戦います。

敵の気迫、自分のスキルの調子、自分の心の質、体調、天候等の環境、背負う責任・・・

あらゆることが闘志を減じていく要素になりえます。

シードが上である中で、シード順が下の選手に向かってこられ、序盤が思い通りにならなかった時、あらゆる不安要素が膨張します。

ここですね。

この瞬間をどう生きるか。

闘志を燃やして、自分のベストを発揮して、反転攻勢できるか。

実際に押し返せそうな状況になりかけていたのですが、G2-3の第6ゲーム、デュースアゲインが続く中、ファイナルに追いつけるいくつものチャンスで、二人は自分たちを覆っている小さな焦りを振り払えなかったように見えました。

2-④敗退。

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ベンチに座ったまま、瞳は宙をさまよっていました。

残念ですが、相手にも3年間のドラマがある。

負けたのなら、そこから次の芽を出していくしかありません。

過去は変えられないのですから。

大きくとらえれば、新たな基点です。

この負けを2日後の団体戦にどう生かすか。

こういう時の監督の仕事は、呆然自失する選手の心をどう復活させ、自責の念に押しつぶされそうになっている内向きの思考をいかにプラスに、外向きに転じさせるかです。

北越高校には部旗があり、そこには僕の願いが大きく光る文字で書かれています。

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(キャプテン 渡邉七瀬のノートより)

無事13連覇を果たすことができて、今はとてもホッとしています。

3年になってから私らしいテニスが全く表現できずにいて、自分のプレースタイルすら忘れかけていた。何をやっても上手くいかず、私、去年の方が上手かったなって、何度思ったか…

4月のハイジャパ予選、5月の地区大会、去年だったら負けるはずのない所で、自己ベストも出せず、勝利を自ら手放した。

そしてキャプテンとしてもなかなか成長できず、何度も何度も先生からリーダーシップについて、キャプテンシーについて指導された。

それでも、自分を信じて前を向いて進んできたけど…

初日の個人戦、ベスト8決めで負けた。

長岡商業の森山・佐藤は全力で向かってきた。

私たちに小さな混乱が起こった。気持ち的にも少し受けてしまったんだと思う。

ペアのコミュニケーションもうまくいかなかった。

向こうはただ向かってきた。私たちは何とかしようとした。

勝負はすでに決まっていた。

試合後、事実を受け止められなかった。

去年、同じペアで県3位でインターハイ。それから1年後、優勝目指して臨んだのにベスト16で、インターハイに行けない。

ボーっとして、どん底をさまよっていた。

その夜、先生と話した。

先生は言った。

まだドラマは終わってない。

今日はどん底で、すべてが終わりだと思ってしまうだろう。

でも、これもおまえのドラマの一部なんだ。

次回へと続くドラマの途中だ。

個人戦で負けたから、団体戦で力強く戦えた。

そしてあの「どん底」があったから、長崎で自分は最高の花を咲かせた。

そういう連続ドラマのまだまだ中頃だ。

どんな小説でもどんなドラマでも、大きな試練のない作品なんてクソだ。

主人公は必ずそれを超えていく。

どんな時でも一緒に戦う。

団体戦、厳しい場面で一人になるな。

ベンチを見て、そこから自分が輝くパワーをもらえ。

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そうだ。

私は団体の優勝旗を獲って「あの舞台」で戦うために今までやってきたんだ。

勝負は団体戦で、私が勝利をチームにもたらすんだ。

次の日、会場を離れて、たくさんの人に手伝ってもらって練習した。

朋恵先生、愛コーチ、そして初めての県総体できっと個人戦の決勝を応援したかっただろうに、前衛としてお願いしたら快く引き受けてくれた1年生の須貝、丸1日、本気で私と下里のために協力してくださった。本当にありがたかった。

私はこの日、不思議に伸び伸びとした自分のプレーを取り戻せた気がした。

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団体戦。

私はどんな時でも先生、そして仲間たちと戦った。

常に心の真ん中に北越のベンチがあった。

チームと一体になって戦う。それを3年として表現し続けた。

下里も個人戦と違って力強く戦ってくれた。

そして決勝戦。

先生の予想通り、長岡商業が上がってきた。

試合直前、急遽ペアが変わった。

安藤・渡辺。3番手を任された。

整列したら、目の前に個人戦で負けた森山・佐藤がいた。

「試されてる」

そうはっきり思えた。

②ー0で勝つことが一番いいだろうが、でもなんか私に回ってくる気がした。

絶対、私は試される。

私の3年間を試される。

1番手、長岡商業の杉山・伊藤は凄まじい気迫で向かってきた。

うちらはハイジャパ予選で優勝した吉澤・土橋。

そのチャンピオンペアに対して、相手はとにかくラケットを振ってきた。

そして前衛はほぼすべてポーチボレーに来た。

吉澤・土橋は、最初から最後まで圧倒されていた。

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「あとにうちらが待ってるから、勝たなきゃとか思わないで思いきり戦って!」

そう伝えたけど、相手の勢いは止められなかった。

隣のコートでは2番手の下里・冨樫が、北越の3年生らしく、敵の攻めに一歩も引かず戦っていた。下里は一昨日と別人だった。

下里の力強いストローク、冨樫のウイニングショット、ぐんぐん勝利へ向かっていく感じだった。

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吉澤・土橋が負けるのとほぼ同時に、下里・冨樫が勝利。

1-1。

やっぱり、試されてるんだ。

人生って面白い、って思った。

コートに立つと、なぜかわからないけど、涙が流れてきた。

でも、全く不安や弱気はなかった。

そしてプレーボール。

安藤の思いのこもった重くつきささるボールに、相手の後衛は押されていた。

私は上がってきたボールを次々に相手コートに叩き込んだ。

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G2-0。

3ゲーム目は安藤のダブルフォルトから入って、なんだか変な感じの展開に。

P1-2の4ポイント目。

相手のレシーブがコーナーに深く来た。いつもならロブを上げて叩かれることが多いケース。

昨日の練習通り、顔を残してラケット振った。

案の定、前衛はセンターの中間にポジションをとっていて足元のボールに対応できなかった。

守らずに振ってよかった。

愛コーチ、ありがとう。

もう、そこからは1本1本がめっちゃ楽しかった。

絶えず声を出し続けた。

安藤と二人で攻め続けた。

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ベンチが鮮明に見える。

この県大会最後のコートに立って、北越のユニフォーム着てプレーすることが気持ちよかった。

あの試合、私はノーミス。

心も負けなかった。

全て、私ではなくみんなのおかげだ。

どん底の夜、これも希望の一部だと言ってくれた先生、あんな試合をしてもキャプテンとして認め続けてくれたチーム、どんな状況だろうと私たちのために協力してくれたコーチ。

私たち、愛されてるんだな、支えられてるんだな、って心から思います。

感謝しています。

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さあ、長崎!

「あの舞台」を目指して、私たちのドラマはまだまだ続くんだ。

この未熟な私、日々自分と向き合い続けて、ラスト2か月、最後の進化を成し遂げたい、選手としても、人としても。

キャプテン 渡邉七瀬

渡辺と下里の蘇生はドラマチックですが、僕は今回の優勝に欠かせない要因として、安藤愛莉と冨樫凛の人間的な成長をあげたいと思います。

安藤の成長のきっかけは、前回のドリームファクトリー(2024 啓蟄)で紹介した通りです。

「矢印」を自分に向けるようになってから、安藤は着実に強くなっていきました。

心が育ち技術が確かなものになる。成長した心に裏打ちされた技術と言えばいいでしょうか、2年間かかってようやくアスリートの心に目覚めた感じがします。

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あの時「県でベスト8を超えられない」と言っていた安藤でしたが、全国選抜での不甲斐ない敗退の後、さらに自分と向き合い、春から冨樫とペアを組んで4月のハイジャパ予選で3位。シングルスは優勝。この最後の県総体では個人戦2位、団体戦は自己ベストで全勝、チームのエースとして活躍してくれました。

もう一人、冨樫凛。

今回の13連覇に欠かせない人物です。

決勝は下里と組んで何度スマッシュを叩きこんだでしょうか。

隣でハイジャパ優勝の吉澤・土橋が追い詰められる中、全く動ぜずに勝ちきってキャプテンペアにつなぎました。

約3カ月前の北信越選抜で一人勝利の輪の外にいた冨樫とは別人でした。

冨樫の3年間は、自分の「質(たち)」との戦いだと言っていいでしょう。

その「質」とは一言で言えば「ビビリ」です。

ビビリにもいろいろありますが、冨樫のビビリはイップスに近いものでした。

(イップス=外部や自分の中から生じるプレッシャーによって普段できることが硬直してできなくなるスポーツ選手に起こる症状)

冨樫の2年にわたる長いドラマのスタートは、1年の夏。

今治インターハイの団体2回戦、東北戦で起こった「事件」でした。

興味のある方は、是非この記事の一番下にあるアーカイブから「2022年8月」の記事をクリックして、個人戦の記事の後にある団体戦のドラマをお読みになってください。

2年前のあの夏、入澤・本間がIHベスト4の快挙を成し遂げた、その後の団体戦、2回戦で第1シード東北高校と戦いました。

1-1の3番勝負で、1年生の冨樫は後衛として出場しました。

しかし、初めてのインターハイ、相手は前年度優勝で第1シードの東北高校、3番勝負を任された重責、あらゆるプレッシャーが冨樫のもともと弱い心を小さくしていきました。

固くなって、攻められるボールもガッツリ落として縦面でつないでいます。

そして短くなったボールを東北の後衛にアタックされる、前衛に叩かれる・・・

為す術がありません。

その時、3年生の本間友里那が反対側の冨樫に向かってベンチから立ち上がって叫んだのです。

「ねえ、誰のために戦ってんの!!」

ベンチの真ん中に座っているのが1年生の冨樫です。

G0-3のチェンジサイズ、本間は冨樫の前に立って、まっすぐに戦う心を伝えます。

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勝ち負けじゃないんだ。

自分のすべてをかけて相手に向かっていくんだ。

北越は自分のためじゃない、必ず誰かのためを思って戦うんだよ。

冨樫はつきものが落ちたように覚醒し、1ゲームを奪取。

次のゲームもデュースアゲインを繰り返して競り合います。

もちろん叶いませんでしたが、冨樫を使ったのは2年後のためでした。

技術的にとても良いものを持ちながら、ハートの弱さでそれを表現できない冨樫。

中学校の時もそうだったと言います。北越に入学してすぐにそのことはわかりました。

長所を前面に出して堂々と勝負できない。

逃げて、かわして、うまく立ち回ろうとする、だけど、自分がそうやって正面からぶつかり合うことを避けていることに気づかない、もしくは薄々気づいていてもそれを認めたくない、それが1年生の冨樫凛でした。

2年をかけてそのハートを強くしてやるのが、この子との短いけれど濃い月日になると思っていました。

冨樫の「質」の厄介だったところは、頭の回転が早くて、本当は「やらない」だけ、逃げているだけなのに、「やれない」と合理化してしまうことでした。

自分自身で自分を逃がしてしまい、しかも自分は逃げているとは思えない、「やろうとしているのにできないのだ」と自分に言い聞かせてしまうことです。

この子との格闘は長くなるなと覚悟はしていました。

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県内はごまかしながらなんとか勝っていくものの、県外との厳しい戦いになるとボロが出ます。

超えていないものは相変わらずそこにあり、超えるべき場面で必ず立ち現れます。

ファイナルのせめぎ合いで弱さは必ず顔を出し、敵に負けるのではなく、自分に負けて戦いの場から降りていくことが続きました。

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大事な場面でラケットを振れなくなるので、2年の夏は安藤とペアを組ませて雁行陣の前衛に、秋からは1年の吉澤と組ませてダブル前衛にして戦わせました。

ただ、これは根本的な「克己」にはなりません。ストロークで厚くフラットに戦うべき場面で自信を持ってボールをフラットで打てない。組んだペアのために消極的選択として前衛をしていただけです。

自分に厳しくない人間は人にも厳しくなれません。自分に厳しく生きた人間はその厳しさがわかるゆえに、土台に「愛」があって他者に優しく厳しくなれるものです。

本間から今治で受けた「愛」をいつまで経っても進化の契機にできませんでした。

2年の秋からは、あえて部長を任せました。責任と自覚の中で自分を磨いてほしいと願ったからです。

それでも、冨樫は自分と向き合えませんでした。

冨樫の弱さを一番よく理解していたのは、「恩送り」として後輩を指導していた3年生です。その頃の冨樫はアーカイブ「2023 秋」の記事に3年生の言葉として残っています。本当によく言い当てている。本人には見えないが「超えてきた」人間には丸見えです。

あの頃、冨樫は全く自分の問題を直視できませんでした。

そして、部長として仲間の信頼を裏切る行動をして、部長を続けられなくなりました。

2年の冬、ここが冨樫の「どん底」だったでしょう。

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ただ、僕はむしろ、この「どん底」を待っていたかもしれないです。

うまく立ち回って合理化してしまい、単なる反省にすり替えてしまう「賢さ」が冨樫の向き合うチャンスをスポイルしてしまうからです。

「どん底」はチャンスなのです。

だから、「どん底」を誠実に生きさせねばなりません。

長い人生、思春期に経験する「どん底」=挫折=試練は貴重です。

これまで何度も言ってきましたが、自分の弱さと向き合うことは「自分を知る」ことです。そして成長の契機です。つらい作業ですが、その過程を経て、人は真に強く優しくなれると信じます。

冨樫はこの後、テニスノートと別に「向き合いノート」を作って、ようやく自分の「質」と向き合う覚悟を決めます。

タイトルは自分でつけました。「3年目を生きるための向き合いノート」

やっとスタートです。

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年が明けて、最後の1年が始まります。

元日の地震で2月に延期になった北信越選抜大会。

チームは4年ぶりに優勝しますが、一人歓喜の外だったのが冨樫でした。

今日は北信越選抜、全国選抜の切符をかけて1日戦った。

結果は優勝! 全国への切符を手にした。

だが、私はそのドラマの中にいない。

私は何もできていない。

他の2ペアが大切な能登戦に勝利してくれて優勝した。

みんなは私たちもG0-3から2ゲーム獲ったことが大きいと言ってくれたけど、あれは吉澤にボールが集まって、吉澤がキーワード言いながら必死にラリーしてもぎ取った2ゲームだ。私は何もしていない。

長野戦、G3-0から追いつかれて、ファイナルジュースの末に逆転負けをした…

あれは、相手のマッチポイントだった。

相手の前衛がサイドに寄ったと判断してツイストを選択してしまった。

それをポーチされてゲームセット。

あり得ない・・・

気が抜けているとしか言いようがない。

何本も何本も、私を試すごとくボールが私に集まる。

早くその苦しさから楽になりたかったのか・・

全く誠実じゃなかった。

あれは、お互い苦しいせめぎ合いの中、勝負の土俵から降りたプレーだった。

私はなんて小さすぎる人間なんだろう。

弱い者となら戦える。ラケットも触れる。

だが、同格や格上の相手を目の前にすると身体が固くなる。

いろんな思いをエネルギーに換えられない。

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北信越選抜、この大会にかけてきた日々、何百球いや何千球とボール出しをしてくれた3年生にも恩を返すことなく、弱い自分に打ち克つこともなく終わった。

私の高校テニス人生、これでいいん?

この大会、これで最後だったよね、これでいいん?

このまま終わっていいん?

(2月12日)

最悪な試合を表現してしまった冨樫でしたが、今までの「向き合い」は反省であって向き合いではなかったことに気づきます。そして、冨樫は徐々に、このノートやテニスノートに自らの弱さや「質」について、隠さず書いていくようになります。

今日は1日勉強の日。そんな中で自分と向き合うことが嫌に思った。

今のクソな自分を忘れてしまえば明日できるようになってないかな、とかいろいろ楽になることを考えた。

こんな自分から逃げたいって思った。

最後1年もないのに何で前衛なんてやってんだ、って思った。

ここまで来ても、私は試合とか練習中でさえ自分の「質」に負け続ける。

向き合ってないのか。

超えたいって心の底から思ってないのか。

努力が足りないのか。

今日は向き合うのが嫌だった。

こうやって楽な方を考えてしまうってことは、何に対しても努力が足りないんだって言われてるように感じた。

今日は、ネガティブなことばかり考えた。

正直、心の中を書いているつもりだけど、弱音を吐いているようで、このノートに甘えてしまいそうになるから、今日はここで一旦やめる。

(2月15日)

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きれい事ばかり記していた冨樫が、初めて取り繕わない、自分の心を記した日でした。

本人にとっては「ネガティブ」100%の心でしょうが、僕はここに克己の萌芽を見ました。

その返事にこう書いて戻しました。

いらっしゃい!

ようやく、ここへ辿り着きましたね。

この闇の世界こそ、本物の光を放つために必要な場所です。

キレイごとではない、もがいてもがいて弱音も吐いて、ネガティブにもなって、それでも前へ行こうとする時に何かが誕生します。

君は蛹(さなぎ)に進化しましたよ。

(冨樫のその次の日のノート)

コメントありがとうございます。

この「向き合いノート」も2冊目になりましたが、ずっと吐いてこなかった言葉を書いた気がします。

きれいに取り繕ってきた今までの自分とはもう離れて、正直になっていかないとなって感じました。

「苦しみながら掴んでけ!」

苦しいのは当たり前、きれいに処理することなんてこれっぽっちもない。きれいにできちゃうことってそれは表面的なものだけだって学んできた。

それは自分の心も自分のスキルもだ。

北信越選抜でも変われなかった自分。

私もここまで自分の「質」を「飼い太らせ」ていたなんて思ってもいなかった。

そんくらい自分の「質」って面倒なやつなんだな。

ただ、思いきりテニスやればいいのに…

いや、私だって思い切って打ちたいよ!

でも、できないんだよ!

勝負のテニスやりたいよ!!

(2月16日)

冨樫の「向き合い」は次の段階に入ったと思いました。

今年の3月、新潟県高体連に依頼されて「チーム北越」の競技力向上の取組についてレポートをまとめました。

掲げたテーマは「自己の弱さと向き合い、己を知ることで克己心を養い、競り合いの勝負に強い精神力を育む」というチャレンジングな強化策です。そこに載せた克己心養成のイメージ図を転載します。

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冨樫はこの取組のケーススタディとして「うってつけ」でしょう。

第1段階の「弱みの自覚」までかなり時間がかかりました。

2年の冬から第2段階の「弱みとの向き合い」が始まります。

そして、今こうして苦しみながらもがきながら、イメージ図の第3段階で自分と格闘しています。

見守りながら、厳しい向き合いを励まし続けました。

まだまだ自分の「質」にガッツリとらわれる自分がいる。

基本練習なら何の問題もないのに、校内の試合形式ってだけでも固くなる。

全国センバツまで2週間を切りました。

毎日のように、私はみんなの役に立てるだろうか、と考える。

3年になって、私はチームの思いを背負って戦えるだろうか。

貢献してドラマの中に入れるだろうか。

1日1日が一瞬で過ぎていく。

私は全く変われていない。

先生は言う。

「質」はなくならないし変えられない。

でもコントロールする力は育てられるんだ。

本番でみんなの前で堂々と戦えるよう、ドラマの一員となれるよう、この手ごわい「質」と一緒に戦う自分を作りたい。

「質」にコントロールされる自分ではなく、「質」をコントロールできる自分を。

1年の夏、今治インターハイの団体戦で、友里那先輩に伝えられたことが、今になってようやく胸に響く。

「誰かのために戦えよ!」

私には今までいろんな人がくれた贈り物がある。

誰よりもあると思う。

先生だって、たくさん私に寄り添ってくれた。

私はもらいっぱなしだ。

もう3年の春が近づいている。

あと数か月で私のドラマも終わる。

私は北越がこういうチームだからこそ、北越を選んだ。

どの高校よりも絶対に人として成長できるって思ったから。

それを求めてきたから。

(3月12日)

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かなり自分を対象化できるようになってきました。

本間のこともノートに自ら書くようになりました。

そして、いつの頃からだったでしょうか。

冨樫は始発電車で誰よりも早く登校して、コート整備をし、ボールの空気調整をして、朝練習に参加する部員を待つ、ということを自らに課していました。

「これだけはやり遂げた」ってことが最後に自信になるから、自分で何か見つけてみなよ、と前に言ったことがありましたが、特に誰に宣言したわけでもなく始めていました。

冨樫は胎内市出身です。通学に1時間以上かかる県北の町から通っています。学校に近い仲間より、後輩より、誰よりも早くコートに来て、寒い日も小雨の日も、一人でネットを巻き上げ、しばらくしてやってくる仲間たち一人ひとりに「おはよ!」と明るく挨拶をして1日をスタートさせていました。

今日、みんなが私の「質」と向き合ってくれて、私自身が改めて自分の弱さと向き合う機会を作ってくれた。

私は自分が戦うべきものを理解していなかった。分かっていなかった。

全部「ビビリ」でくくってしまって、そのビビリがどういうものなのかを明確にしてこなかったんだ。蓋を開けるのが怖かったのかもしれない。

みんながそれを話し合ってくれて、最終的に先生が言語化してくれた。

1本のミスで不安になっていく女々しさ

大事なポイントってところでチームの思いを背負えない心の腰砕け

本当にその通りだ。

明知化できたからこそ、どの場面で私は「超えて」いかねばならないかがはっきりする。

こうしてネーミングされた私の「弱さ」、やっとスタートラインに立てたような気がする。

向き合ってきたつもりだったけど、吉澤に伝えてもらったように、本気さがないから変わらないんだってこと、認めます。

私は自分の壁と格闘していた気になっていたが、それがどんな壁かわからないまま当たって砕け、当たって砕け、その繰り返しが「向き合い」だと勘違いしていた。

先生から伝えられて、テニスコート以外の私とも向き合ってみた。

特にクラスの中の自分。

中学の時は、自分でもリーダー気質があるなって自覚していて、いろんな行事とかクラスでの話し合いとか、自分から意見を出して行動してまとめたくなる派だった。

話し合いがスムーズに進行できたり、詰まった時に良い案を出したり、そういうことが好きだった。

でも北越では全く行動しなくなっていた。

委員会も応援団も行事の実行委員も、全部部活を言い訳にして立候補なんてしたことない。

実際は、北越に来て初めて会う人ばかりで、周りの目を気にしてチキったってのが事実だ。

でしゃばりって思われるのが嫌だった。

そして、どんどん今まで自分から進んでやっていたことを人任せにするようになった。

私はそういう立場じゃないからって、行動しなくなった。

意見を出すことさえやらなくなった。

周りの友だちに合わせているってこともある。

周りに同調して、「いいんじゃね」「なんでもいいよ」そう言ったり思ったりすることが増えた。反対の意見を言うことにビビッているし、そもそも私があえて言わなくてもって思うようになっていた。

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先生は言う。

すべてがコート上の自分とつながっている。

テニスコートの上だけでは自分は変われない。

大事な場面でのインパクト面の薄さは、人間の薄さだ。

つながっていた。

今ならはっきりわかる。

私は教科の先生によって、態度や授業に取り組む姿勢を変えていたこと、ここに正直に書こうと思う。

話の聞き方だったり、授業の真剣さだったり、人によって自分を変えていた。

それが、試合に出る。

格下だと思う相手にはイケイケで試合ができる。だけど同格や格上だとビビる。

それって、同じじゃないか。

私は日常的に表裏を使い分けていた。

私は本気で変わりたい。

周りを気にして自分を抑えて、責任は負わず、安易な方に流されていく…

そうじゃない。

3年になって私がするべき姿、それはもう見えている。

今までの2年間の私を、私は潔く捨て去らなければならない。

(3月18日)

3月末の全国私学大会と選抜大会、冨樫はかなり自分の「質」をコントロールして戦えました。

でも、ペアの1年生の吉澤が崩れると、それを勇気づけ立て直すことができなかった。

まだまだ「超えた」わけではありません。

ただ、4月になり、冨樫のクラスに授業に行くと、掲示してあったクラス役員一覧の一番上に冨樫凛の名前がありました。

3年8組 ホームルーム委員(学級委員長) 冨樫 凛

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3年になってからの冨樫の試合はこれまでと全く違っていました。

4月のハイジャパ予選では県で3位(ペア安藤)。

同大会のシングルスでは、ほぼノーシードから難敵を次々と破り、決勝に勝ち上がりました。

誰がストロークで苦しんでいたんだ!?、という変身ぶりで、驚きながら見ていました。

長い間芋虫から抜けられなかった命がさなぎを経て蝶として羽化する様を目の前で見ているような感動を覚えました。

そして、最後の県総体。

個人戦では決勝で負けるまで、戦いきって全勝。

団体でも頼れる存在として13連覇の柱になってくれました。

3日間の大会を通して、ストロークはリターンも含めてほぼノーミスでした。

(冨樫の最終日のノートから)

自分の「質」に苦しみぬいた冨樫、団体優勝の柱になったにもかかわらず、何より仲間の成長を喜び祝福する人になっていました。

「負けから大きな力を得る」

まさに今日の七瀬と下里だと思う。

人が違った。

思いきりが全く違った。

決勝戦。

その二つ前の準々決勝で、私は自分の判断がはっきりせず、しっかり戦えなかった。

このままじゃいられないって強く思って臨んだ。

ペアは急遽、下里になった。

2月の北信越選抜、私はビビッてラケットが振れなくなった。

チームに迷惑をかけた。下里を絶望の底に落としてしまった。

それでもチームは優勝した。

私は全国に「連れていってもらった」。

今回も「連れていってもらう」???

そんなわけにはいかねぇ!!って強く思った。

下里はナイスボールを相手のコートに突き刺し続けた。

私は何回もスマッシュを叩いた。

戦うのが楽しかった。

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下里と私、メンタルにネガティブなものを抱えている似た者同士のペア。

でも、心の視界に全く雲はなかった。

「二人で1本」を表現し続けた。

思いきり戦うことがこんなに楽しいのかって思えた。

思い切ってスマッシュを叩いて、

「よっしゃー!」

「よっしゃー!」

何本もベンチを振りむいてガッツポーズした。

自分の弱さと戦い続けた日々、苦しかったけど、

でも、だからこその、あの団体決勝。

私は一生忘れない。

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隣のコートでは長商のエースが意地を見せて向かってきていた。

長商のエースも個人戦では夢が叶わなかった。

だからこそ、気持ちを入れ替えてプライドをかけて向かってきたんだろう。

吉澤と土橋はそれを跳ね返せなかった。

相手にもドラマがある。

1勝1敗。

13連覇はキャプテンペアに託した。

個人戦の1日目の夜、ミーティングで七瀬が泣いた。

決してメソメソじゃない。

どういう涙かは言葉にできないが、でも、七瀬があれほど感情を素直に表に出しながら、私たちにメッセージした姿を私は初めて見た。

団体メンバーで自分たちペアだけがインターハイ逃して、悔しいし苦しいだろうに、「団体戦でチームを優勝に導くから」って、涙流しながら、でも下を向かずチームのみんなを見て、真っ直ぐに、はっきり伝えた七瀬。

私は絶対に、七瀬と長崎で一緒に戦いたいって思った。

このチーム、このままじゃ終われんぞ!って。

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決勝、3番勝負。

個人戦で負けた同じ相手に、七瀬は見違えるように戦った。

チームを優勝に向かって、一歩一歩、力強く導いていく七瀬はカッコよかった。

やっぱり、このチームのリーダーは七瀬だよ!

長崎で、「あの舞台」で戦おうね!!

3年 冨樫凛

冨樫たちが3年になってから、僕は選手たちに聞いたことがありました。

「俺がこれまでかけた言葉の中で、どんな言葉を言われると一番勇気が出る?」

冨樫はこう答えました。

「コントロール!!」

「おまえの人生だろ!!」

冨樫凛の「向きあい」は最終段階に入りました。

これから、県外勢との戦いです。

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そうだよ、凛。

超えてけよ!

それを超えてけ、凛!

おまえの人生だろ!

一度しかない

おまえの人生だろ!

2024年3月12日 (火)

DREAM FACTORY 2024 啓蟄

4年ぶり 北信越選抜優勝

 苦境を切り拓いた心の成長

 それを受け止めた心の成長

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更新が大変遅くなってすみません。

先日、3年生の卒業祝賀会を開きました。毎年そこで3年間のドラマを1時間のフォトムービーにして卒業生に贈るとともに、現役や保護者と一緒にそのドラマを鑑賞するのですが、1月半ば~2月一杯、その制作に没頭していました。

さて、全国のブロック予選で最後になった北信越選抜大会。

4年前、コロナ禍で全国センバツが中止になった年。あの時以来の優勝です。

元日に北陸を襲った能登地震。

大会は1カ月延期され、会場も松本市の「やまびこドーム」に変更になりました。

優勝候補は石川県代表の能登高校。

去年まで3連覇中でしたが、地震で寮は使えなくなり、学校再開の目途も立たないそうです。

いたたまれない思いですが、北越の生徒たちには「だからこそ、全力で最高の試合をしよう」と伝えました。

「能登高校はいろんな人の思いを胸に闘志を燃やして戦ってくる。

どっちが勝っても負けても、ソフトテニスに本気で青春をかけて生きているチーム同士、いままででベストの戦いをしよう。それがおまえたちができる最大のリスペクトだ。」

前日の組み合わせで、能登高とは3対戦目となりました。

全勝対決でぶつかりたい。

生徒も僕も同じ思いでした。

ですが、、

2対戦目の長野代表 都市大塩尻高校に、同時展開の2面ともファイナルを落とし負けてしまいます。

エースペアを期待した安藤・渡辺は、序盤のミスをなんとか挽回してファイナルへ持ち込みましたが、ファイナルでもあえなく崩れて自滅敗退。

冨樫・吉澤ペアは、G3-0の圧倒的リードから、追いつかれて逆転敗退。

3番手として、仲間の冨樫の勝利を信じて隣で戦いをスタートさせていた下里は「魂が抜けたような気持ち」になったそうです。

下里は長野県出身の選手です。

全国で戦いたくて北越に来た生徒です。

それなのに長野県の学校に負けるということは、己の青春をかけて新潟に来た、その運命ともいうべき決心を根底から揺るがす「悲劇」だったのでしょう。

ショックなんて言葉を超越して、足元からガラガラと世界が崩れていくような感覚になったのだと思います。

下里鼓。このDream Factoryにも何度か「出演」していますが、これまでの下里はメンタル的な弱さを露呈してしまって結果を出せませんでした。

練習では問題なくても、試合になると、ちょっとした不具合が「不安」に発展して、自分が飲み込まれていく、相手に負ける前に自分に負けていくことの繰り返しでした。

2年目の夏を超えて、精神的に強くなりました。

大きな転機があったわけではありません。

挫折を繰り返し、北越畑でたくましくなっていきました。

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自分の弱さを対象化して向き合えるようになったことがすべてです。

1年生の頃は視野が狭く自分のことしか見えない子でしたが、何度も挫折し、自己嫌悪に陥りながらも、徐々に自分と向き合えるようになっていきました。

負けが確定した長野戦、下里のモチベーションが極端に下がっています。

G0-2。

気迫を失い、何でもないミスを連発しつづける状況。

以前の下里なら、このネガティブなムードに飲み込まれて、真っ逆さまに敗北へ落ちていったと思います。

このマイナスの嵐の真っ只中で、彼女は踏ん張りました。

「まだまだわからないから。」

「1-②だったら、全国のチャンスあるから。」

「きついのは分かるけど、ガンバ!」

僕の言葉に小さくうなずきながら、心を奮い立たせ、可能性を信じて挽回していく彼女に感動しました。

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最後はファイナルで勝利。

1-②で可能性をつないだものの、チームの士気は大きく下がっていました。

次は全勝の能登高校との決戦です。

ドームを出て、冬枯れの林の一角にチームを集めました。

キャプテン渡辺と新部長の土橋がありきたりな話をして、「先生お願いします」と僕に振ろうとしたその時、下里がそれを止めました。

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「ちょっと、いい・・」

溢れくる思いと涙にむせびながら、言葉を絞り出します。

「ねえ、みんなは悔しくないの?」

下里は、こういう場面で、ネガティブな状況を自らの手で切り拓くようなことは決してしなかった子です。

驚きながら、見守っていました。

「私は悔しい・・」

思いがあふれて、胸がつまって、トントンとこぶしで胸をたたきながら、なんとか言葉を紡いでいます。

「ファイナルに強い北越は、、どこに行ったの?」

この下里の熱い魂を一番深く受け止めたのは安藤だったと思います。

全勝対決をしようと誓ったのに、福井戦も長野戦も競り合いながら自滅敗退していた安藤。

目に涙を一杯にためて、真っ直ぐに、どこまでも真っ直ぐに下里を見つめていました。

見つめる、というより、心の中に深く吸い込んだ、という感じがしました。

心の底に炎が宿る、その瞬間を目の前で見ました。

これでチームは目を覚ましました。

令和5年度北信越選抜大会 能登高校VS北越高校の試合は、お互いがベストを尽くして戦う素晴らしい試合となりました。

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安藤・渡辺ペアは、リードされながらもファイナルに追いついて、今度は力強いファイナルを戦いました。

1-1で、3番勝負。

さあ、下里・土橋。

土橋もまた、ペアとして部長として、下里の思いを深く受け止めていました。

土橋も自己ベストの戦いで下里の思いに応えます。

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ファイナルの競り合いを制し、最後まで強気を貫いての勝利。

ファイナルに強い北越の復活。

戦いに魂がこもっていました。

見事な戦いだったと思います。

(下里のノートから)

北信越選抜大会 優勝。

去年のリベンジができた。この1年、この日に向けてやってきたことを表現できてよかった。

今日1日、たった1日だったけど、いろんなドラマがあり、いろんな感情の嵐に巻き込まれたけど、勝負となる3番勝負にしっかり勝ち切れたことが、全国につながったんだと思う。

勝負の能登戦の前、長野の都市大塩尻との対戦。

1番、2番がどちらもファイナルまでもつれた。キャプテンペアはファイナルに入ってもミスが続きあっけなく敗れた。私はG3-0でリードしていた凛たち(冨樫・吉澤)の勝利を信じて戦っていたけど、どんどん挽回されてきた。

そして逆転負け。

私は、あの負け方にショックを受けた。

戦いを自ら降りているような負け方にショックを受けた。

悔しくないのか・・

.

私はこの大会が長野に変更になって、長野の人たちに強くなった私を見てもらいたいと思って大会に臨んだ。

全国で戦いたい。もっと強くなりたい。そう思って北越に来た。

凛たちが力尽きて、長野戦の負けが決まり、なんか魂が抜けたような気持になった。悲しさがあふれて、戦う気力が失われてしまった。

G 0-2。

ベンチで先生が「リーグ戦だから! まだわかんないから、頑張れ!」と励ましてくれている。

初めてハッと正気付いた。

ファイナルまで挽回して勝てたのは、土俵際で自分を信じ切れたからだと思う。

「自分の弱さや質(たち)と向き合うことは必ず強さにつながる」

先生の言葉を信じてやってきた。それを証明できてうれしい。

能登戦の前に、外へ出てミーティングをした。

あの時、思い切って言ってよかった。

もしあのまま何も言ってなかったとしたら、どうだったのだろうか。

落ちているチームのギアを上げて、能登戦を戦うために何とかしなきゃと思った。

私は勇気をもってチームに伝えた。

そして、キャプテンペアは私の勇気を受け取ってくれて、信じてファイナルを勝ち切ってくれた。

私は試された。

勝負の能登戦、1-1の3番ファイナル勝負。

私は仲間に伝えたからには負けるわけにはいかない。

土橋と力をあわせて勝ち切った。

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いつもは先輩たちのDream Factoryを観て感動するばかりだったけど、私たちにも自分たちのストーリーを自分たちで作っていけたんだ。

いつも思うが、Dream Factoryの北越の先輩たちはかっこいい!

でも、強いんじゃなくて強くなっていった。

ここで、自分の弱さと向き合って、ギリギリの場面で強いアスリートになっていったんだ。

私たちのストーリーもこれで全国へ行けて終わり、じゃない。

課題なんて山ほどある。

夏の前に全国へチャレンジするために、もっともっと「強くなる!!」

(2年 下里鼓)

(下里の勇気を心で受け止めた安藤のノートから)

念願の北信越団体優勝を果たせて、本当に嬉しく思います。

昨日の夜、4年前、莉穏先輩のチームが最終戦で逆転優勝をしたDream Factory(ムービー)を観て、あの感動のドラマと本当にそっくりの展開で自分があのDream Factoryの中に立っているようにさえ感じた。でも違う。今日のドラマは、このチームで先生方と一緒に作り上げたドラマで、その中の一瞬一瞬を全力で生きたんだなあって、今実感しています。

今日のドラマのキーは、長野代表に負けた後、下里が涙をこぼしながら私たちに思いを伝えてくれた、あのシーンだ。

   みんな、悔しくないの・・・?

   ファイナルに強い北越はどこに行ったの・・・

すごい深く考えさせられた。

大事な勝負、特にファイナルで負けない北越。

それは、みんな自分の弱さと向き合い続けてきたからだ。

自分に負けない。

自分の弱さに負けない。

だから、ギリギリの場面で負けない。

それなのに、私は初戦の福井商業戦もあっさり負けた。

負けられない思いで臨んだ次の長野戦もファイナル負け。

本当にこれが北越なの?ってくらいの、ファイナルは相手の流れにはまってしまって、情けなさすぎる試合だった。

その直後の能登戦。

あれだけ強い思いがこもった言葉を伝えられて、私は絶対に3番の下里につなぐんだって誓った。

もう下里を泣かせたくない。

新潟に来ても無駄だったなんて、絶対に言わせるもんか!

だから絶対に回したい。いや回す。

厳しい場面は何度もあった。

そのたびにベンチの下里を見た。

G2-3。

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ここでこのチームの命、私が終わらせるわけにはいかないって強く思った。

そして逆転勝利!

能登戦にファイナル勝ち、そして優勝できたのは、間違いなく下里のあの言葉だ。

このチーム、本当に最高だって思う。

だからこそ、去年みたいに全国センバツの切符取っただけで終わりたくない。

全国の舞台で、何度も何度も戦い続けたい。

そのためには、本当にまだまだです。

実感しました。

私、頑張ります!

(2年 安藤愛莉)

この二人のドラマに、実は大きな伏線がありました。

約1カ月前のことです。

僕が不在だった部活でのこと。

思い通りにいかなくてミスを連発し、投げやりな態度になった安藤を下里が指摘したそうです。

それなのに、安藤は反抗的なつぶやきを下里に返した。

チームは翌日にミーティングを持ちました。

仲間の問題はチームの問題。

仲間の問題は、問題というより、チームが乗り超えるべき課題。

だから、それを乗り越えることがチームの成長。

「目の前の勝利より、人としての成長が大事」

チーム北越の原則です。

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テーマは「弱さと向き合う」

僕が読んで感動したラグビー日本代表 姫野さんの本をテキストにしました。

(第3章 本当の自分と「向き合う」より)

 ノートを書いて自分の弱さと向き合うことには、「“矢印“を自分に向ける」という意味もある。

 矢印とは、説明するのが少し難しいが「物事を考えたり、振り返る時の意識の方向」というようなものだろうか。例えば、上手くいかない理由を他人のせいにしたりして、自分自身の振り返りをしないのは「矢印が外に向いている」状態だ。学校や会社でもそういう人の顔がすぐに思い浮かぶかもしれない。ラグビーの世界でも、プロになるような有力選手の中にも「矢印が外に向いている」選手は少なからずいる。

 だが、そういう選手は伸びない。

 トップのトップ・・・一流にはたどり着けない。

 そういう選手は能力があってもケガもしてないのに、あるレベルにまで来ると伸び悩んだり、入った時は凄く期待されていたのに成長がピタッと止まってしまう。

 そして、いつの間にか表舞台からいなくなってしまう。僕はそういう選手を、大学でも社会人でもたくさん見てきた。

 彼らはほとんど例外なく、矢印を自分に向けていない。

 他人や周りの環境のほうにばかり向けていた。

 つまり自分や自分の弱さと、向き合えていない。

 自分という人間を知らない。

 わからないまま、知らないままに年齢を重ねてきたことで、自分がどこまでやれて、どこからやれないのかが自分でもわからない。自分の武器もわからないし、当然、弱さを受け入れる力も育っていない。

 だから、例えば試合に使ってもらえない状況になると、不貞腐れる。拗ねる。

 「なんで使ってくれないんだ」

 「あのコーチは全然見ていない」

 「アイツなんかより、オレのほうが絶対に力があるのに」

 そうやって矢印をチームを率いる上司やスタッフ、ライバルに向けてしまって、使われない理由を自分の中に探そうとしない。思い通りにいかないことは、全部他人のせいにしてしまう。

 他人から厳しいことを言われるのが嫌いな選手も伸びない。やはり弱さを受け入れられる柔軟性を持っていないから、順応できないまま行き止まりになってしまう。

『姫野ノート』 姫野和樹 著 飛鳥新社

安藤が「矢印」を外に向けるタイプだということはわかっていました。

あらゆる機会をとらえて、少しずつ自分を対象化させようとしてきました。

自分を対象化できれば、必ず人の心はステージUPします。

けれども、人間の「質」は自分自身と一体化しているので、それを自分から引き離して対象化するのはなかなか難しいです。

北越畑ではそれを「向き合う」という言葉に概念化して、大切にしています。

今回、姫野さんの力も借りて、チームとしてもう一度「向き合う」ことの意味と意義、そして自分の超えるべき「質」や「弱さ」について考えを深めてもらおうと思いました。

少なくとも今の安藤ならそれに堪えうるくらい心が育っていると判断したからです。

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(安藤のその日のノートより)

今日は私の「質(たち)」についてチームで話した。

私が思ってることとチームのみんなが感じてることって、大きなズレがあって、こんなにも私、周りが見えないんだなって気づかせてもらった。

私の質は、うまくいかなくなるとイライラする、ということ。

だから、昨日、自分で気づかずに態度が投げやりになっていたことを下里に伝えてもらった時、反抗的に「考えてるだけだし  (-"-)」って言ったこと、私自身が覚えていない。

私はまず、うまくいかなくなるとイライラするタイプだということをしっかり認めることからスタートだ。わかっているけど「認めていない」。

考えて見れば、私は小さい頃からうまくいかないことがあると、「もういい!」って逆ギレしたり、泣きわめいている子だった。成長した気でいたけど、私が思っているより心の成長が追いついていないんだ。

私は私の「質」を認めない限り、私の向き合いは始まらないんだ。

今日、みんなで読んだ姫野さんの本にも書いてあった。

自分は弱い人間だって認める。そこからスタートだって。

自分を知るところから。知るから、それを変えていける。

私は人に自分の感情を話すことで気持ちが少し楽になるのを知っている。

親に話す時も、自分視点で話してて、客観的なことを言わずに、自分を守るかのように話をしてる。自分の意志でそうしているわけじゃないんだけど、勝手にそういう立場で話してる。それって「逃げ」なんだって、今日はっきり思い知らされた。

うまくいかなくてイライラが募り、家で先生や仲間のことを悪いように言ってしまう。

「矢印」を人に向けて、自分が軽くなっているんだってわかった。

そんな自覚全くゼロだった。

だから「質」って怖い。

みんな本当にゴメン。

姫野さんが本で言ってる。

「矢印が外に向いている人は、それ以上伸びない。」

ビシッと書いてあった。

ある地点で止まって、それ以上は伸びないって。

それ、私だ。

自分と向き合う、つまり「矢印」を自分に向けるべきところで、それを人に向ける。

うまくいかないことを外のせいにする。

だから、いつまでたっても自分と向き合うことができない。

姫野さんは、先生がいつも言っていることと同じことを言っていた。

こんなにも同じなんだって驚いた。

ラグビーの日本代表として世界と戦っている一流アスリートも、私たちも同じなんだ。

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私は秋から勝てなくなった。

ペアが変わってもいつも県でベスト8。

先生が「技術がベスト8なんじゃない。人としてベスト8どまりなんだ。」って言ってくれた意味がようやくわかりました。

1年生~2年生の夏まで、私は元気出して思いきりラケット振って、そうやって向かっていって実力以上の結果を出してきた。

けど、最高学年になった秋から勝てない。

それは先生の言う「責任と自覚」を力にできないからだ。

言葉では「責任」「自覚」って言ってるけど、チームを背負うギリギリの場面で心がもたない。

自分と向き合うことから逃げてきたんだから、当たり前だ。

私はまだまだ未熟すぎる子どもです。クソガキです。

でも、夏のIHでは北越のエースとして戦いたいです。

全国の舞台でエース対決をして勝ち切れる選手になりたい。

人としてもプレーヤーとしても、エースと呼ばれるにふさわしい選手として戦いたい。

今まで向き合ってこなかった分、これからちゃんと自分の弱さを認めて、向き合い続けます。

誰よりも努力します。

みんな、本当にごめん。

そして、ありがとう。

(1月19日 安藤愛莉)

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改めて、この時期の若い心が成長していく様に深い感動を覚えます。

いつも思いますが、思春期の成長には仲間の関わりが大きく影響します。

でも、そういうチームの「文化」をつくり、それを促すのは、やはり指導者の姿勢だと考えています。

人間は「自分が傷つきたくないから」、仲間であっても「それ違うでしょ」とは直接言わない。逆ギレも怖い。ネット社会ですから、裏でどこで何を言われるかわからない。だから無難に、何事もなかったかのように振る舞う。

でも、本当はそうじゃないって誰もがわかっている。思春期という心の根っこをつくりあげる時期に、むしろそれは伝えるべきだし、伝えてあげることがお互いの幸せなんだという「社会」を経験させることは、大きな価値を経験することだと思うのです。

ただ、「向き合わせる」ことは途方もないエネルギーと根気強さが要ります。お互い消耗もします。ストレスもたまります。

こちらも眠れない夜を過ごします。

そんな時、心に期するのは「この子の成長、この子の人生」です。

諦めないでメッセージしながら、最後まで「この子の成長、この子の人生」と言い聞かせて畑を耕していると、必ず若い魂は何らかのドラマを得て、自分を超えていきます。

しかし、このような指導はこれから難しくなっていくでしょう。

先日送られてきた、日本スポーツ協会からの雑誌にこんなことが書いてありました。

「まだ追い込むような指導が行われている」

この文言の「追い込む」を「向き合わせる」と言い換えれば、僕の指導は世間の流れ的には間違った指導だということになります。甘い自分を対象化させるには、それと一体になって疑わない自分を追い込む必要もあります。それが「悪い指導」だとすれば、僕は退くしかありません。

でも本当にそうでしょうか。

古代ギリシャのソクラテスは問答法により、徹底的な対話で若者たちのドクサ(思い込み)を露わにさせ、「無知の知」(自分はわかっていると思い込んでいたけど、実はなにもわかっていなかったのだと悟ること)を自覚させ、自分と向き合わせることで精神の成長を促しました。

時代は変わっても人間の精神は変わらないはずです。思春期の発達課題も変わらないはずです。

精神の自立のためには、自分と向き合うことが不可欠ではないでしょうか。

部活動はその最適のフィールドだと思います。

けれども、時代はその部活動を「消滅」させる方向に進んでいます。

借りた体育館の隣で、別の競技が月謝を払った少年たちにスポーツを教えています。

「いいねえ」

「ナイス」

「どんまい、どんまい」

今後、外部化によって社会が求める青少年へのスポーツ活動や指導がこれだとしたら、もはや心の成長は指導において促すものではなく、精神的な向上を目指す者は自分自身で自分と向き合うしかなくなります。生まれつきそういう強さをもった子もいますが、多くはそうではない。だとすれば、もう中高生のスポーツの世界も克己心の養成に関しては「自己責任」であり、その結果、生まれつき「矢印」を自分に向けられる精神力の強い子とそうでない子たちの格差社会になっていくでしょう。

この点に関して、全国の高校野球の指導を始めたイチローさんが去年の暮れに興味深いことを述べています。

「高校生で自分を導くのは難しい。でも、結局自分しかいなくなっちゃう。だってそういう存在(厳しい指導者)いないでしょ。ということは自分に厳しくせざるをえない。自分を高めていこうと思ったら。自分に厳しくできる人間、中にはいますよ。そうするとどんどん自分を厳しい方に持っていく、厳しい道を選ぶ、それは若いうちにしかできないこと。でもそれを重ねていったら、大変で挫折することもあると思うけど、そうなれたらめっちゃ強くなる。でも、導いてくれる人がいないと楽な方に行くでしょ。自分に甘えが出て、結局苦労するのは自分。厳しくできる人間と自分に甘い人間、どんどん差が出てくる。厳しくできる人間はどんどん求めていくわけだから。うまくなったり強くなったりできる。求めてくる人に対しては求められる側もそれはできる。でも求めてくれなかったらできないから。でも自分を甘やかすことはいくらでも今できちゃう。そうなってほしくない。いずれ苦しむ日が来るから。大人になって、社会に出てからも必ず来る。できるだけ自分を律して厳しくする」。高校生とはいえ、自らを追い込み挫折も味わって強くなると説いた。

 チームについても「本当はこれ言いたいけどやめとこうかなってあるでしょ。でも、信頼関係が築けていたらできる。おまえそれ違うだろって。いいことはもちろん褒める。でも、そうじゃない。言わなきゃいけないことは同級生・先輩・後輩あるけど…1年から2年に言ったっていいよ今は、大丈夫。そういう関係が築けたらチームや組織は絶対強くなりますよ。でもそれを遠慮して、みんなとうまく仲良くやる、ではいずれ壁が来ると思う」と述べた。

(2023年11月6日、スポニチアネックスより)

チーム北越は、イチローさんの言う「そういう関係」が築けています。

だから、毎年「壁」を超えていく=ドラマが生まれるのだと思います。

ただ、うちのようなチームはもうレアになっていくのかもしれません。

「こんなチームもかつてはあった」というようにアーカイブ入りしてしまうのも、そう遠くない話でしょう。

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二十四節気の中で「啓蟄(けいちつ)」という言葉とそれがもたらすイメージが一番好きです。

「啓」は開く。

「蟄」は虫(ここではカエルなども含む)。

春が近づいて、雪解けした田畑の土の中で、冬眠していた虫たちが動き出す季節(3月5日~19日頃)、という意味です。

チーム北越の畑は、今「啓蟄」です。

冬の間、自分の弱さと向き合い続けた若い命たちが、動き出しています。

下里と安藤がもたらしてくれた向上を欲するエネルギーが畑に広がっています。

同時に、暖かくなってきた太陽と春風が「芽を出せ、芽を出せ」とささやいています。

「この子たちの成長、この子たちの人生」

今日もまた、「畑」に向かいます。

2023年11月 8日 (水)

DREAM FACTORY 2023 秋

2023秋

チーム北越の秋 紅葉見頃!!

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越後の山も色づいてきました。

人の立場から見れば紅葉ですが、木の立場からすれば、冬を前にして自分をそぎ落とす作業です。

夏に光合成で蓄えた力は幹の中で貯蔵されているだけなのでしょうか。そうではなく、一冬かけて春や夏に美しく花を咲かせ、新たな命を育む力として変換されているのではないでしょうか。

チーム北越も、紅葉が真っ盛りです。

北越の秋は、今年も「もがきの秋」。

自分と向き合い、自分をそぎ落とす「落葉」の時期です。

毎年、秋に自分の弱さが露わになるのはうちだけですか?

不思議です。偶然とは思えないです。

そこにある必然とは何でしょう。

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やっぱり、成長期の命たちにも、高みを目指せば目指すほど、「秋」が必要なのだと思います。

幼い自分と向き合い、弱さと向き合い、半端な自分をそぎ落とし、心は成長していくのでしょう。

それを見守り、前を向かせていくのは、今年も3年生です。

1年前、2年前、2度の秋を過ごした3年生にはこの時期の大切さが痛いほどわかります。そして、自分と向き合うことの難しさとその価値も身をもって理解しています。

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凛は、まだバック側の動きが硬くなっていました。

「2日間よかったから」って、それ自分が努力しなくていいっていう「言い訳」だよ。

まだ自動化なんてしていない。

凛は私と似た思考があって、多分、少しできると「できた」って油断する。

そのスキル練習をやっている時には油断なんてしていない。

そのことって、最近、私が気づいたことなんだ。

私も現役の時、よく「油断」って言われてて、「油断なんてしてないし、むしろ意識してるのに、それでもスキルが不安定になるんだ」って心の中で反論してた。

でも、これを別な場面に置き換えると

授業で教わった時には集中して聞いていてわかった。けどそのあと復習をいい加減にしかしてなくて、テスト当日「授業でわかったはずなのに、いま精一杯頑張ってるけど解けなくて困ってる」って言ってるのに等しい。

私の反論は反論じゃない。日頃の努力がないか、努力の的が外れているか、そこに目を向けないで、当日うまくいかないことに対して「言い訳」しているにすぎない。

身につくまでの努力が大切、それはわかってると思うけど、自分が思っているよりも「新たなスキルができた」→「自分に身についた」までの継続は難しいってこと。

毎日って、実は面倒くさいし、疲れて眠くてやりたくないなぁと思うこともある。うまくいかなくてモチベーションが下がってるときもある。

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でも、そこなんだよ。そういう時に「継続」できるかが「身につく」かどうかの分かれ道なんだよ。努力ってモチベーションが上がってる時とかうまくいってるときに必要なものじゃない。逆にしんどいなぁって時に必要なものなんだよ。

凛は努力できる子だ。

でもそういう時に「継続」できているだろうか。

できていたら言い訳なんてしない。自分が未熟なこと知ってるから。

その力をつけてほしい。

最後のインターハイ、やっぱり、私たちみたいに終わってほしくないんだ。

(3年 須貝若菜)

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後輩たちが「自分では自分の質(たち=自然と現れてしまう弱さ)と向き合ってるつもりだけど…」という気持ちはわからないわけじゃない。

北越の畑では自分の質を直視することが成長へのスタート。そこから長い「戦い」が始まる。たくさん失敗して、学んで、でもまた失敗して、また学んで、の繰り返しだ。

かつて、自分も何度も失敗した。

私の質=「お嬢様」を脱却できたのは間違いなく菜月先輩(斎藤菜月)のおかげだ。

菜月先輩は厳しかった。そして優しかった。どこまでも私の質につきあってくれて、向き合うことの難しさと大切さを根気強く教えてくれた。

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昔のノートを見返してみた。

いつも受け身で、自分で気づけず、先輩や同輩が先に動いてやってくれる。

自分ではやっているつもりだけど、基本的にその「つもり」が自己満足。

自分に問題意識を持つことがないから、何かを変えていこうと思えない。

これを先生は「お嬢様体質」と名付けてくれた。

自分の超えるべき壁に名前をもらってから、自分で「これか!こういうことか!」って自覚するまで約3ヶ月もかかった。

そこから「お嬢様」を抱えながら2年生になって、秋から新チームの部長も任せられながら、最終的に後輩を指導するようになって完全脱却した。

最近、ずっと田口に言っていること。それは、かつて自分がそうだったことだ。

ノートを振り返ってみればよくわかる。私だって…

 相手の気持ちを考える→×

 周りを見て判断、行動する→×

 コミュニケーションをとって自分に気づかないところを学ぶ→×

 すぐ動画に頼ってわかった気になる→×

 お嬢様行動を振り返る→×

ひどかった。何にもわかっていなかった。

コート上での自分、家での自分、帰り道 毎日のように振り返った。

先輩から伝えてもらったことをテニスノートに書かなかったり、私の場合は持久力が「赤点」だったから自主練したり、無責任さと戦って自分の日々を振り返ったり…

たくさんたくさん私も失敗して、それでも先輩たちは見捨てないで本気でつきあってくれた。

だから、私も最後までつきあっていく。根気強く。粘り強く。

(3年 宮川葵)

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夏に県外からいくつかのチームが合同合宿に来てくれます。若い指導者の方が一様に驚くのが北越の3年生の姿です。

宮川葵は中学からテニスを始めて、中学時代の実績ゼロで北越に入ってきた子です。懐かしいですね「お嬢様」。

「超えていくべき壁が自分の中にある」、頭じゃわからなくはないけど、実際にそれを自覚して超えて行こうとする意志を固めるのが至難の業です。

心理学で有名なアドラーは「変わることの第一歩は知ることにある」と言っています。

超えて行くべきものが何なのかわからなければ、人は超えて行きません。ラクな方が楽ちんですから。でも、それでは心の成長はありません。

最近は、自分で「超えていくべきもの」に気づける子は稀ですね。示してあげるしかありません。

宮川の辿った道は、まさにアドラー心理学の王道です。

アドラー心理学では人の性格や気質のことを「ライフスタイル」と呼んでいます。

この捉え方は自分の気質や弱さを考える上で革命的な転換をもたらしてくれます。

自分の弱さや悩みは「スタイル」として自分で選び続けているがゆえに、あなたのライフスタイルとして定着しているだけで、あなたが自分を「勇気づけ」て別の考え方や見方に基づいてこれまでのスタイルと違うスタイルを選択し続ければ、新しいライフスタイルが徐々に自分のスタイルになっていく。

つまり、人は生まれつきの性格やトラウマなどによって心の在り方を決定づけられているわけではなく、「人は変われる!」のだ、という希望の心理学なのです。

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宮川が「お嬢様」を超えていった過程は、まさに新しい「ライフスタイル」を手に入れたということです。

前々回「2023初夏」で載せた話、「極度のビビリー」と自覚していた須貝が3年になって「私はビビリーを克服した。ビビリーにならない方法を知ったから」と力強く言えるようになったのも同じことです。

僕は高校3年生が最後の大会で部活を完全引退するのは、とてももったいないと思っています。人は人を育てて自分も成長する生き物です。これは毎年見ていて強く確信します。受験で一時期離れたとしても、週に1回は後輩の指導をする、それだけでも大きな精神的成長が得られると思います。

北越の「恩送り」は先輩からもらった「恩」を後輩に送るだけではありません。先輩がどんな心で自分に愛情を注いでくれたのか、愛情に裏打ちされた厳しさに思い至る時間でもあります。

今、3年生が一番気にかけているのが、部長の冨樫凛です。

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凛はこのチームの部長。

部長が自分に甘くてどうするの。

やっぱ北越の部長として、誰よりも誠実に誰よりも自分に厳しく生きてほしい。

このチームのリーダーなんだから、その責任の中で強くなってほしい。

自分と向き合うのはきつい。

私もわからなかった。

何かうまくいかなくなったり、壁にぶつかったりするとすぐ体調を崩していた。

体調の問題にして、自分と向き合うことを避けていた。

3年になって、エースとしての自覚が芽生え、少々体調が悪くたってコートに立つ責任を自覚できたら、体調に負けなくなった。すべて自分の心の弱さから来ていたんだ、だから厳しい場面で逃げていたんだってわかったのが3年になってから。

幼かった…私も。

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帰りのバスの中で凛とちゃんと話した。

中心選手としての自立。

部長という存在の自覚と責任。

頑張れ、凛。

私みたいに「3年になってから…」って言わせたくない。

卒業まで私たちも全力でサポートするよ!

超えていけ、超えていけ、凛!

(3年 高橋寧々)

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寧々と二人で凛と話していて驚いたのは、簡単に妥協案を口にする姿だ。

私には「甘え」だとしか思えなかった。

今日の朝と同じだと思う。

「私はそれが精一杯でやれませんでした。」

いやいや、でも、みんなやってるじゃん! 1年生もやってるじゃん!

部長がそれ言う?

凛はまだ自分中心で世界を回してる。

それから、今日、私が見つけたこと、それは凛はヨッシーに甘えているんじゃないか、ということ。

後輩と組んでいる以上、自分の弱さをダダ漏れで後輩にさらしていいわけじゃない。

それを「ペア力」だとか、コミュニケーションだとか言ってるように見える。

そうじゃないよ。

弱さはいい。人は誰もが弱い。

ただ、自分で乗り越えろ!

「ヨッシーごめん!」ってキリッと言って、ダッシュするでも、開き直って声だしするでも、一人で苦しんで帰って来い!

強くなる近道はない。

コツもない。

孤独から逃げずに、一人で戦って強くなれ!

私たちはただ、信じて見守っている。

(3年 須貝若菜)

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県新人戦 R05.10.22 in柏崎市

 1位 下里鼓・渡邉七瀬

 2位 冨樫凛・吉澤茉子

  ※シングルスは荒天により今年は中止になりました。

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チーム北越、今年も自分と向き合い、自分を超えて成長していきます!

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2023年8月11日 (金)

Dream Factory 2023 盛夏

北海道IH 団体初戦敗退

来年へつながる1,2年生の経験と成長

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個人戦4ペアとも2日目に残れず、団体初戦敗退。

今回のIHは、苦い結果となりました。

毎年のように全国で活躍してきた先輩たちのようなドラマは生まれませんでしたが、今年のチームは団体でインターハイを戦えたこと、そして去年の入澤・本間の置き土産(個人戦8枠)を生かして4ペアが個人戦に出場し、そこで戦って悔しい思いを残せたこと、それ自体が大きなドラマだったと思います。

2年生の安藤・渡邉が去年のIHに続き今年も団体で勝利できたこと、同じく2年生の冨樫が県総体後に前衛へ転向しファイナルまで競り合えたこと、去年お話にならなかった土橋が1年生の吉澤と組んで個人戦、団体戦を戦えたこと、たくさんの経験ができて、来年へのドラマにつなげられたことは本当に良かったと思います。

出発直前まで指導・応援してくれたOGの皆さん、激励してくれた方々、心から御礼申し上げます。ありがとうございました。

インターハイの舞台に小さな成果と大きな課題を残してきた2年生と1年生のノートを載せます。

今日、団体戦で初戦敗退し、1年間の戦いが終わった。

私は、3番手に3年生エースを置くというオーダーを聞いて、1,2年生で集まり、絶対に3年生に回そうね、って誓いあって、それをやりきれたことは良かったと思う。

気持ちは作って入ったが、ゲームの入り、手が震えて思うようにコントロールできなかった。

その後ようやく立て直してG2-1。でもしっかり戦って取ったゲームじゃない。

ベンチで、先生が私の目を見てこう伝えてくれた。

「安藤、相手の後衛は確かに深いボールを打ってくるけど、お前なら下半身しっかり使ってカウンターで打ち返せる。信じて打ち切ってみろ。」

そう伝えてもらって、確かに少し気持ち的に受け身なところがあったことに気づけて、それからは先生信じて、しっかりコーナーに私のベストボールを打ち続けられた。そして七瀬(渡邉)がきっちり決めてくれた。

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私は、2年目のインターハイ、先生やペア、ベンチを信じて戦いきることができて、練習でやったことを信じてやりきれて、少し自信になりました。

振り返れば、私は北信越の団体で葵先輩(3年宮川葵)と組ませてもらったのに、大事な場面でミスをして勝利に導けなかった。それが悔しすぎて、インターハイの団体でその自分にリベンジしたかったです。

ベンチみて、葵先輩のガッツポーズ見て、一緒に戦えました。

団体、1回戦で負けたのは悔しかったけど、今日の準々決勝、準決勝を見て、私、来年こそ本気であの舞台で戦いたいって思いました。

1年の時に見ていたインターハイの準決勝は、遥か上の世界に感じられたけど、2年目のインターハイで見た準決勝、去年と違って、本当にあの舞台に立ちたいって思うことができました。

(2年 安藤愛莉)

今日は、絶対に3番の3年生につないでみせる!って気持ちを前面に出して戦った。

相手のゲームポイントの私のレシーブ、「私はできる!」ってペアに言ってから入った。

キャプテンとして責任がかかるポイントで心からチームの心を思って、自分信じて戦い切った。

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結果として初戦負けだったけど、良い意味でめっちゃ悔しいし、来年が楽しみになった。

残り1年、このメンバーで本気で毎日を生きていきたい。

来年の長崎IHで、必ず大きな花を咲かす!

そのために、日々を妥協せず、自分の限界を突破して、自分のBESTを日々更新していきたい。

私は強くなる。

あの舞台で戦いきって、日本一!

(2年 キャプテン 渡邉七瀬)

私は負けてしまった。

全力で向かって闘ってく気持ちはできていた。

でも、試合開始直前、私の手は震えが収まらなかった。こんなことは生まれて初めてだった。そしてミス連発。あっという間に1Gを落とした。

2ゲーム目。何とかラケットを振り切り、土橋先輩が決めてくれてG1-1。

チェンジサービス時に、ようやくベンチを見る余裕ができた。「チームで戦っているんだった」「私が、じゃない。チームのために」そう思えた。

すべてレシーブゲームを取り合って、G2-3。

チェンジサイズ、先生から、チームから気合を入れてもらって、私がまずラリーをしなければ戦いにならない。入れにいくようなハンパなボールはダメ!

6ゲーム目を絶対とって、ファイナル勝負! その思いしかなかった。

ベンチでみんなが「絶対勝てる!」と本気で伝えてくれた。

ベンチを離れる時、寧々(高橋)先輩と若菜(須貝)先輩と目を合わせた。二人の熱い思いが身体に伝わった。

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でも、思いとは逆にボールがコートに収まらない。ミスが続いてラケットを振り切るのが怖くなった。こんなことを試合中に思ったのも初めてだった。

ボールをコートに収めようとすればするほど、無意味なアウトが続いた。

とにかく焦りすぎていた。私はプレッシャーに弱い子供だった。

ただ、一つだけ、私、成長したなと思うのは、チームを想いながら戦えたこと。これは言い意味での初めての経験だった。何度もベンチ見た。応援席もはっきり見えた。たくさんの人が私を全力で応援してくれていた。

私は、その応援を力に換えられるハートが必要なんだ。泣き虫な弱い自分がいる限り、私はこのプレッシャーに打ち克つことはない。スキルやタクティクスも大切だけど、私はまず、この弱いハート、ここと戦います。

私が勝っていたら、団体1回戦負け、なんてことにならなかった。3番手の3年生に重たいプレッシャーをかけてしまった。

もう、このチームで団体を戦うことはできないけれど、私はハートを強くして、新チームでは勝利に貢献できる強い選手になります。自分を戒めて、これからの生活を送っていきます。

(1年 吉澤茉子)

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さて、今回の北海道苫小牧インターハイ、チーム北越はアイヌ民族について深く学び共に考えてきました。チーム北越のIHミニ研修旅行について紹介したいと思います。

監督である僕自身が若いころから旅好きで、バックパック一つでいろんな地方の街や世界各国を一人で旅してきました。その土地の文化に触れ、その土地の人の話を聞くのがとても楽しかった。

今、日本の風景はどんどん画一化してきています。特に幹線道路沿いはひどいもので、全国隈なく存在するコンビニストア、大手家電屋の巨大な店舗、仰ぎ見るほどのショッピングモール、紳士服の〇〇、全国チェーンファーストフードの派手な看板、駅前には全国チェーンのホテルと全国チェーンの居酒屋の看板、ネオン、、、同じ風景、同じ商品、同じ匂い、、、

そんな画一化していく風景や価値観の中で、新潟の高校生も「うちの町にはイオンがある」とか「うちの町にはスタバがある」とか、そういう単一の価値基準に取り込まれていきます。要は資本主義的情報消費社会に組み込まれていく。

せっかくインターハイで日本各地に行くことができるのですから、僕はその地方の誇るべき文化や自然を見せてやりたいといつも考えます。(というより、自分が見たい知りたい、だから子供たちにも見せてやりたい、というべきですね)そして、県総体でIH出場を決めた翌日から、ミニ研修旅行のプラン作成に取り掛かります。

ちなみに最近のインターハイでのミニ研修はこんな感じです。

R01 宮崎IH  屋久島の自然と文化(ネイチャーツアーガイドさんに詳しく実地説明していただきながら屋久島の自然に浸ってきました)

R03 石川IH  能登半島の農家民宿に泊まって、宿の方から里山文化や人として生きる意味について(ガンの宣告を受けてその後の治療で寛解に至ってから、残された生の使命として農家民宿を始められた方でした)お話をいただきました。

R04  愛媛IH  帰路に徳島県脇町のゲストハウスに泊まって、行政に頼らない地域文化再生そして世界との連携についてお話をいただき、高齢化による地域文化衰退と再生の問題について考えました。

さて、今回の北海道苫小牧インターハイです。

実は、今までのハイスクールジャパンカップで雨天により時間ができた時、生徒たちと北海道博物館や昨年はウポポイ(国立アイヌ民族博物館)に行きました。そこで、僕自身がアイヌについて何も知らなかったのだなということに衝撃をうけたのです。学生時代あれほど憧れて何度訪れたかもわからないほど旅して回った北海道でしたが、北海道を「開拓地」としてしか考えたことがなかった。アイヌ民族が住んでいたことはわかっていましたが、「滅びゆく民族」が木彫り等の文化を細々と伝えているに過ぎない、そんな漠然とした恥じ入るしかない思い込みで、アイヌ民族の人たちの歴史に思いを馳せることもなかった。何にも知らずにクラーク博士に憧れ、フロンティアスピリットに心震え、アイヌモシリを蹂躙したヤマト民族の無知な末裔として北海道を歩きまわっていたのです。

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IH出場が決まった後から、時間を作り出してはアイヌの勉強を集中してやりました。古本屋や書店から次々とアイヌ関係の本を買い、片っ端から読んでいきました。

そして、再び衝撃を受けました。

ヤマト民族は北海道を開拓したのではなく、先住民としてのアイヌと何の交渉もせず、何の許可も得ず、国益のためと称して一方的に土地をヤマト民族のものとし、アイヌの文化を根底から否定し、法律でアイヌの文化継続を禁止し、アイヌの人々を強制的にやせ細った土地に移住させ、アイヌを差別し、迫害してきたのです。

本当に何も知らなかった。知らされないのです。学んだのはヤマト民族の学校ですから。知らされないことは自分で学びとるしかない、そして今を生きるアイヌや少数派の人たちに心を配り、共生の道を探るしかない。

チーム北越の生徒たちには、僕の講義を4時間、ただ苦難の歴史を伝えるよりも、何も知らないまっさらな子どもたちですから、アイヌが口承文化として代々伝え続けてきたユカラ(物語)やウェペケレ(民族の昔話)を中心にして話をしました。ヤマト民族とは価値観も考え方もまるで違いますので、たくさんわからないところや不思議なところを質問させる中で、アイヌの世界への扉を開いていきました。生徒たちはまさに囲炉裏端でおじいちゃんの昔話を聞く子供のように興味を持って聞いてくれました。

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そして、IHの戦いの後、現在でもアイヌ民族が住民の7割以上を占めるという平取町二風谷のゲストハウスに泊まって、アイヌの方々からいろいろなお話をしていただきました。

二風谷アイヌ文化博物館でお話くださった貝澤耕一様、ゲストハウス二風谷ヤントの萱野公裕様、決して表面的なものではなく、現在のアイヌ民族のこと、個人的な思い等、誠実にお話くださって感動いたしました。ありがとうございました。

生徒のこの日のノートです。

今回アイヌについて、先生からたくさん話を聞いたり、アイヌに伝わる昔話を聞かせてもらったり、実際に博物館に行って学んだり、アイヌの人から直接話を聞けて、「人権」ということにすごい興味を持った。

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貝澤さんのお話

「今の国立アイヌ民族博物館(ウポポイ)は、観光施設的で、アイヌの文化や歴史をしっかりと伝えていない。国立とは日本=ヤマト民族が立てた施設であり、日本政府に都合の悪いことは見せないようになっている。ここに疑問を持ってほしい。」

実際、行ってみると、踊りや復元家屋など、初めて接するアイヌ文化に感動したけど、先生が教えてくれたヤマト民族による差別や強制土地収用、アイヌ文化の否定などはオープンにされていなかった。

差別と闘ってきた貝澤さんのようなアイヌから見れば、怒りを覚えるのも当然なんだろうなと思えた。けど、夜に聞いた萱野さんのお話からは、現代に生きるアイヌからの違う考え方も感じられて、この問題の複雑さも感じた。

今までアイヌが受けてきた差別や迫害を日本が積極的にオープンにしないことについて、どう感じているかと私たちが聞いたところ、萱野さんはこうおっしゃった。

「子どものころからいじめられてきたことに深い傷を負っている人に、いじめられてきた経緯をもう一度細かく話してくれと言うのと同じで、思いはあってもそれを言葉にするのは辛いと思う人もいる。」

すべての差別経験を吸い出すようなことは、かなり難しい問題なんだと思った。

「差別は今も存在するし、アイヌであることを隠して生きている人もいる。今を生きるアイヌの人たちには日々の生活があり、今の良好な関係を壊してまで、アイヌが受けてきた迫害をオープンにすべきだというのは、理屈的にはそうかもしれないが、実際には簡単に片づけられる問題ではない。」

こういう微妙な話を聞いて、私は大和民族がアイヌにどれだけヒドイことをしてきたのかが感覚的に分かった気がした。

(2年 冨樫凛)

今日は1日「アイヌDAY」

朝の散歩の時からワクワクしていました。

チセ(アイヌの家)がどうなっているのか、中に入ってみて、「あ、ここが神窓か!」とか、これは何だ・・「あ、イヨマンテ(熊の魂送り)の子熊を入れておく檻か!」とか、今まで先生が話してくれたウェペケレ(アイヌが口承で伝えてきた民族の昔話)と重なるところがいくつもあっておもしろかったです。

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夜の萱野さんのお話。

「アイヌが受けてきた辛い歴史をどうやって伝え広めていきたいか」という私たちの質問に対して、私は当然「もっと広めたい、もっと日本政府として歴史を正確に伝えてほしい」という言葉が返ってくるんだと思っていた。

でも、もっともっとデリケートな問題だった。

差別の歴史、祖母や祖父が受けてきた迫害、家族が被ってきた偏見等について、それを思い出したくないと思うアイヌもたくさんいる。

萱野さんが最後におっしゃた言葉は胸に刺さった。

「差別されたアイヌが差別の歴史を広めるのではなく、これは圧倒的マジョリティである大和民族の側の問題ではないか。日本は少数派を差別し偏見の目で見る傾向が強いでしょう。今問題になっているLGBTだって同じことだと思う。LGBTの人たちが安心して認められる社会、日本にいる少数民族(アイヌや朝鮮人、外国人労働者等)が差別されない社会、それはこの社会を作っている日本(ヤマト民族)がどういう社会を作りたいか、そこにかかっているのではないですか。」

(3年 須貝若菜)

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最後に、ゲストハウスでお話いただいた萱野公裕さんの御祖父にあたる萱野茂さんが、アイヌ民族初の国会議員への立候補を多くの人からの推薦もあり受諾した時の記者会見スピーチの一部を少々長いですが、引用させてください。

アイヌの心が、そして共生すべきヤマト民族への願いが切々と伝わってきます。

1.その昔、いま、わたくしたちが住んでいる北海道という『でっかい島』には、わたしたちの祖先であるアイヌ民族が、その島を自分たちの祖国として豊かに暮らしていました。その時代、この北海道を『和人』は『エミシ(アイヌ)』(引用者注:エミシはヤマト民族側からの蔑称)の住む島として『エゾヶ島』と呼び、わたしたちアイヌは『アイヌモシリ」と呼んでいました。

アイヌとは人の意であり、『モ」は静か、『シリ』とは大地の意味です。アイヌは、自分たちが住むこの島を『人の住む静かなる大地』として、暮らしていたのです。

2.やがて、(十五~十六世紀)和人社会が統一国家の道を歩みはじめ、また、社会が生産社会を歩みはじめるにつれ、多くの和人がなだれのように、エゾ地に侵入してきました。

わたくしたちの生活の場であるコタンも、わたくしたちの生命を育んでくれる大地も自然も和人の活動の場所となりました。

和人によるアイヌ民族への侵略、迫害、搾取は、世界の多数民族が少数民族・先住民族を侵してきた歴史と同様、横暴を極め、わたくしたちの先祖の抵抗にもかかわらず、アイヌ民族は滅亡の道を辿ることを余儀なくされてきました。

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3.日本が近代社会をむかえる明治に至って、アイヌモシリはアイヌから奪われ、和人社会への『同化』がすすめられ、『旧土人』としての蔑みと差別の中で、民族が誇りとする生活、文化を失ってきました。しかし、わたくしたちの祖先はもちろん、わたくしたち今いるアイヌも『一度として、このアイヌモシリを和人に売ったことも、貸したこともありません』。

4.不幸にして、世界の至るところで多数民族が少数民族を支配し、先進国といわれる国家がその領土的野望のために先住民族の生活、文化を滅亡させ、土地を奪いつくしてきたのです。

その歴史はいまもつづいています。

わたくしたちが住む日本においても、アイヌ民族への永い迫害の歴史はもとより、日本を祖国としない人々への差別と蔑視があります。

日本を代表とする識者にも、自分たちの文化のみをすすんだ文化とみなし、他の国や他の民族を蔑む風潮があります。

わたくしはこのような異民族への蔑視の思想は、表れ方はちがっても性差別や障害者などへの差別と病根を同じくするものと思っています。

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5.わたくしの住む日高は、『エゾ地』では、早くから和人が居住した土地であります。また、北海道で、もっともアイヌが多く住む地域でもあります。産業の中心は、農業、軽種馬生産農業、林業、漁業の一次産業であり、多くは、谷間の山間地であります。

ここでも、環境変化がすすんでいます。

森は伐られ、川は流れを止められ、魚は住むことを阻まれ、土地もまた、やせおとろえ、農業による汚染がすすんでいます。

地球の環境破壊や環境汚染はここでも十分見ることができます。

かつてのわたくしたちの祖先は、生態系などの学問的知識がなくても、自然の摂理に従い、資源が枯渇しないようにつとめていました。アイヌの生き方は自然を神として生き、自然を大切にする生活を営んできたのです。

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6.1993年は、国連による『世界の先住民のための国際年(国際先住民年)』であります。

この国際先住民年は、わたくしたちの住むこの地域から、民族的な差別観をとりのぞくとともに、侵されてきた先住民族、少数民族の権利の回復はもちろん、先住民族や少数民族の生活や文化を共に保障する社会を目指して行くものであります。

わたくしは、世界のすう勢である先住民族の権利保障が日本にあっても普遍的な価値として受け入れられる社会を創るため皆さんに訴えたいと思います。

かつて、わたくしたちアイヌ民族の祖国であるアイヌモシリを侵したのはあなた方ではありません。しかし、あなた方の祖先が犯した過ちを正せるのは『今生きているあなたです』。

あなた方の祖先が犯した過ちを正す行為は、決して恥ずべき行為ではないばかりか、差別の無い共生と平等な社会にむけての出発点であり、日本が国際社会で生きていくための基本であると考えます。

また、1992年は『地球サミット』の年でもあります。

すべての生物の生存を可能とする地球環境の保護こそ、人類が生きていく条件であることはすでに人びとが知っていることと思います。

社会は、限りなく求め続けられている『人間の欲望』をどう抑制するかの時代にあります。

わたくしは、わたくしたちの祖先が生きてきた生活や文化に学びながら、カラス、キツネ、フクロウ、熊などもろもろの生きものと一緒に生きられる地球環境を守るために全力をつくしていきたいと考えています。

(後略)

『完本 アイヌの碑』 萱野茂著 朝日文庫より

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最後まで読んでくださって、ありがとうございました。

末尾に僕が感動したYou tubeの動画のURLを下に貼っておきます。

是非、視聴されて、今を生きるアイヌの複雑な心を感じ、そして翻って、今を生きるご自身のアイデンティティについて、今の社会の在り方について、日本の在り方について、良い意味で自明性が揺らぎ、新たな指向性を探るきっかけになりますように。

https://youtu.be/QQPqHGG5NGc

2023年6月19日 (月)

Dream Factory 2023 初夏

成長を積み上げての12連覇

北越畑で成長したヒマワリたち

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令和5年県総体

🔶団体戦  優勝(県12連覇)

 決勝 ②ー0 中越高校

🔶個人戦

 2位 高橋寧々・須貝若菜

 3位 下里鼓・渡邉七瀬

 5位 安藤愛莉・冨樫凛、  吉澤茉子・土橋日加里

 以上4ペア、北海道インターハイ出場

秋の惨敗から半年、冬の間に張ってきた根を土台に花を開かせる初夏となりました。

県総体、ヒマワリ満開!

この半年の成長を花に変えました。

12連覇達成。

そして、これまで最高の4ペアIH出場です。

遡ること春まだ浅き3月、何とか策を講じて全国センバツには出場できましたが、やはり地力のないチーム、初戦で何もできず敗退しました。

ただ、すべては成長の大切な一場面ですから、己を知る、という意味でとてもいい経験だったと思います。

それから2カ月。

北越畑は向き合い畑。

一人ひとりが自分と向き合いながら、地道に己を成長させていったと思います。

秋からのDream Factoryに名前の挙がっているすべての選手たちが、自分の弱さと格闘しながら成長してきました。

特に、前回の最後にあえて期待を込めて書いた新3年生の須貝若菜が明確にリーダーの自覚を持ったこと、それがこのチームの成長の核になったと思います。

その須貝の選抜直後のノートから。

全国センバツ、初戦敗退。

最後のミーティングを終えて。

私のチームが団体で勝つために必要なことは、このチームで誰かが突出しなければならない。特に新3年生の誰かが突出してリードしなければならない、先生はそうおっしゃった。

突出するって、何をすればいい。

少なくとも、今の自分では突出できない。

いつもこういうミーティングの後には、「何をプラスすればいいか」と考える。

でも、うまくいったこともなければ、結果として現れたこともない。

今回は「何かを加えよう」ではなくて、「何かを変えよう」という風にしてみたい。

何でもいい。

私はリーダーとして話す時、「〇〇だったよね」とか「〇〇だったのね」とか、そういう言葉を使っている。それを「〇〇だった」「〇〇しよう」とか、言い切りの形にしてみる。

愛香先輩が今日でコーチを降りる。(1年間、コーチをしてもらった鈴木愛香。春から新しく生まれる「新潟ヨネックス」のメンバーとして新たに旅立つことになった)

最後に私たちにくれた言葉は心に刺さった。

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誰よりも誠実に生きること。日々の練習、自主練の時間(やってもやらなくてもいい時間)、家に帰ってから、どんな時でも自分はテニスで夢を叶えたいのだから、誰よりも誠実に自分を向上させようと生きること。愛香先輩は日体大でそうやって日々を送った。自分より上手い選手、高校時代実績のある選手はたくさんいたけど、1年生からレギュラーを任された。必ず見てくれている人はいるし、何より自信を持って戦える。

今の私たちに、こうやって胸を張って言える選手はいるのか。

そう考えたら、先生が「突出」って言ったことと重なった。

「今日で解散する旧チームは、頑張るチームだけど、誰よりも誠実に自分と向き合っているわけではない。「突出」して誠実に日々を生きていて、その選手がチームの中心になる、という者がいない。だから、負ける時には、ズルズルと0-③で負ける。誰かが踏ん張って1-1の3番勝負に持ち込めない。競っている試合に勝ち切れない。」

ならば、私がこのチームの「誠実」を創っていくしかないんだ。

日々の努力を努力のままにしないで、「誠実」に変える。

明日から新チームスタート。

(3月29日)

それから約1カ月。新チームになって初めて迎える県レベルの大会=ハイスクールジャパンカップ県予選を迎えます。この大会は県総体のシードポイントがかかる大切な大会でもあります。

しかし、チーム須貝は準決勝2ペアとも敗退。

県内高校のエースに勝ち切れないもどかしさが募りました。

今日のハイジャパ予選、準決勝で北越が2ペアとも負けて、決勝は巻vs中越。他の団体メンバーもベスト8に入れない。

総合的に言えば、新チーム初の県大会は北越の負けだ。

決勝を見ていて、こんなに悔しい思いをしたのは初めてだ。

相変わらずエース対決に勝てない、競り合いに勝てない。

先生が12連覇は危ないと警告してくれた現実が目の前にあった。

今日、みんながどれくらい危機感を感じてくれたかはわからない。でも一つはっきり言えることは、私ははっきりわかったということ。

本当に勝ちたい。このチームで、私のチームで勝ちたい。

この思いがあふれるくらい、こみあげてきた。

団体の3番に出て私が勝てないのは、期待されている場面で力を発揮できないこと。

実際、私は今まで一度も団体で期待に応えたことがない。

一度もない。

それをスキルだったり戦術だったりで反省していたけど、私に足りないのは「団体マインド」なんだと思う。

3番勝負。

「さあ、つないだぞ」

「あとは任せた」

「私たちの分、勝ってください」

色々な思いや声がある中で、私は弱い。

試合後のミーティングは自分たちだけでやった。

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チーム一人ひとり、1カ月後の県総体に向けて、自分が思うこと本音でぶつけて、と言った。

みんな本音で話をしてくれた。2年生も思いをぶつけてくれた。前みたいな発表会にならず、みんなで隠さずストレートに言い合えたと思う。

同じ3年の宮川には強く伝えた。

もう3年で、残りの月日があと1カ月かもしれないのに、まだ「連続ミスが…」とか「ペア力がなくて…」とか言ってるけど、それ去年と同じじゃないか。

「本気で考える」って言ったけど、そうじゃない。

「本気で何か取り組んでみろよ!」

考えたって、本気でやんなかったら何も変わらないし、今までそう言って変われてないのに、まだそんなことを言うのか。

私も変わる。

宮川も本気で変わろうよ。

私のお母さんは「私は毎日仏壇を拝んで、感謝を伝えてるよ」って言ってた。

そうすると、謙虚な気持ちで一日をスタートできるって。

私もやってみようと思う。

みんなの声を背負って戦える人になりたい。

(4月23日)

その1カ月後が県総体です。

須貝は明るく元気のいい子で、前向きなムードをつくることができる人です。

いつも健全な方向を向いて、一緒にいると前向きになれる、そういう素敵な資質を持っています。

2年前の1年生の時から団体メンバーに入れていました。

とっても良い子なのですが、テニスコートに立つと崩れます。

期待されると逆に小さくなってしまう。

周囲も見えなくなり、持ち前の責任感がさらに自分をネガティブな暗闇に落としていきます。

須貝の1年時の県総体後のノートです。

今日の団体戦で、私のメンタルがどれだけ弱いのか、先生もわかったと思います。私もここまで弱いとは思っていませんでした。

せっかく使ってもらった団体戦。

2試合目で、最初からメンタルがつぶれていたことが、自分自身の元気のなさでわかりました。終盤にかけて応援の声につられて、声だけは出せるようになりましたが、それは本当にただ声を張り上げているだけでした。

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先生に「戦おうとしていない」と伝えてもらいましたが、その時は「そんなことはない。戦おうとしているんだけどうまくいかない。どうしたらいいかわからない。」と思っていました。

「戦おうとしている」=「まだ戦っていない」、そう気づいたのは落ち着いて先輩たちの試合を見ている時でした。

3年生の試合をずっと見ていました。

もちろんミスもあります。ミスが続いて雰囲気が下がりそうな時もあります。でも先輩たちはそういう時こそ、心の底から気魄を出してラケットを振っていた。ミスは修正力で修正してまた戦える。そしてチームの方を見て「よしっ」ってなる。

先輩たちはチームと一緒に戦っていた。だから、応援する方も全エネルギーを送って乗り越えた姿に大きくガッツポーズをとる。

私が目指したいのはこの姿だ。

3年生の一体感がすごかった。

1点1点、チームの10連覇に向けて、3年生全員が力を合わせて進んでいくようだった。

すごい絆と信頼。

私も3年生になった時、今の1年生と一体になって全員で団体優勝を勝ち取りたい。

2年後、私はこの場にこんな風に立てるのだろうか。

(2021年6月6日)

1年後、2年生の県総体では北信越ブロック大会出場が決まる試合(個人戦2日目)で、またしてもビビリーが出ます。ペアの後輩は何とか持ち直したけれど、須貝は終盤になるにつれてラケットが振れなくなっていきました。

その日の2年時のノートです。

私はずっと長く何かを続けていれば変われるって思っていました。やっていることはまだちょっとかもしれないけど、去年よりは変わっている自分がいるはずだと期待していた自分がありました。

でも何も変わってなかった。

1年の時のビビって戦えなかった弱い自分のまんまで、もう情けなくて…

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本当は逃げ出したいです。

もちろん実際に逃げ出すなんてできません。でも苦しいです。

こんなこと言っても無駄だってわかっています。

弱音吐いて、それで変われるくらいなら皆が日本一です。

寧々は後輩と組んで個人でもインターハイ。

寧々、小学校から一緒にやってきたけど、ここまで差が開くなんて思ってもいなかったよ。

寧々がチームの鍵になってる。

入澤・本間で1勝。

もう一つ、それは寧々なんだ。

冬、負けた時、私たち二人が変わらないと11連覇はないって誓い合ったことを思い出した。二人で変われる、二人で変わろう、そう思ってた。

でも違った。寧々は一人で変わった。

私は何をしているんだろう…

明日、団体戦。

みんなでドリームファクトリー(ムービー)を見た。

ずっと前の星先輩の代のものだった。

星先輩は中学時代無名の後衛で、北越に来てから前衛になったという。

それが2年の冬から3年の夏まで半月板の手術で試合に出られなかったという。何という悲劇だろう。

7月にようやくドクターから許可が下りてコートに立って、インターハイ団体で優勝した文大杉並に勝つ。

信じられないことだが、北越では実際に起こる。

そう、北越って変われる場所なんだよ。

なんで私は変われないのかな。

変わるって、どうしたらいいんだろう。

明日の団体戦、私がコートに立つことはない。

今年もチームの力になれない…

県総体終わったら、もう一回前衛やってみないか、先生はそう言ってくれた。

それを聞いて、実は少しネガティブになったけど、私が生まれ変わるきっかけとなる1歩を用意してくださったんだと思います。

真剣に考えようと思います。

(2022年5月28日)

こういう歴史があっての最後の県総体です。

前日の3年生須貝のノートから。

私は、今まで県総体で良い思い出が一つもありません。

1年生の時は、同じ1年生の三条高校の相手に負け、団体戦ではラケットを振ることが怖くなりビビッて負け。

2年生の時は、またしても三条高校の1年生相手に競り負けました。競り負けたと言っても、終盤になりファイナルを戦う中で、やっぱり私はプレッシャーに怯え、ビビッて負けたのでした。今、こうして書きながら、あの時の自分の小ささをはっきり思い出しました。

私は、極度のビビリーだった。

でも、私は ビビリーを克服した。ビビリーにならない方法を知ったから。

ビビリーって、もともとあるものじゃなくて、ビビリーの道へ自分が進んでいくからビビるんです。私はやっとわかりました。そして、ようやくそっちの道でなく、別な道へ自分を導くことができるようになりました。

今まで、県総体で1度も良い思い出はないけれど、そのことがあって今の自分がいる。

2度の失敗を3度目に成功に変えてみせます!

先生がおっしゃっていた「神様からの試練」

絶対に私にも来る。

今まで調子がいい時に、調子がいいままで終わったことなどないから、いつも一番大事な試合でやらかす。私に与えられた試練だと思えないで負けていく。だから超えられた試しがない。

「3度目の正直」ってよく言うけど、それなんだと思う。

今日の初戦、2年目の下里がビビリーですごく苦しんでる。去年の私のようだ。

それ、試練なんだよ、下里。

でも、さっきのミーティングで下里の決意を聞いたら、自分の弱さを逃げずに認めてるって感じた。認めて前へ進もうとしている意志を感じた。

そんな仲間たちと一緒に戦うんだ。

私だけが試練に向き合うんじゃない。

北越は「向き合うことから逃げないチーム」なんだ。

全員が向き合いながら戦っていることを忘れずに、明日は全力で闘います。

おやすみなさい。

(6月2日)

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すごい成長だと思います。

行間からあふれ出る自分への自信とプライド。それがあるからこその、弱さと向き合う後輩への強く温かい思いやり…。

超えてきた、とはまさにこのこと。

これだけで、須貝の北越での2年間は一生を照らす価値があるものだと思います。

迷える思春期に、こうして悩みもがき、悔しさに何度も涙しながら、自分と向き合い、自分を超えていく。もう翌日の勝ち負けなど取るに足りません。

こういう子供たちの挫折と成長と共に生きていけること、そして感動させてもらえること。そこに少しでもかかわれること、感謝しかありません。

次の日、個人戦2日目。

第1シードだった須貝と高橋寧々、向かってくる相手に受けてしまった場面もありましたが、振り払うようにして決勝進出。

さらに、北越畑で2年目を迎えた苗たちが成長の証を見せてくれました。

特に、須貝がノートで呼びかけていた2年生の下里も、前日とは別人のように強気でラケットを振り切り、3位入賞。

インターハイのかかったベスト8決めは、昨年の県総体で自滅して敗れた中越高校の選手が相手でした。秋の県新人戦でもおびえてラケットが振れなくなった相手です。

3度目の正直!

圧倒しました。④ー0勝利。

2年生の下里・渡邉ペア、素晴らしいチャレンジと1年越しのリベンジを見せてくれました。

それから同じ2年生の安藤・冨樫、1、2年生ペアの吉澤・土橋も、インターハイ決定戦で上位シードをうち破ってのインターハイ出場!

2年生は「おまえたちが鍵になるんだ」という僕の言葉を心で受け取って、毎日2年生ミーティングを開いていました。そして去年の本間・入澤が掲げた「超えるべきは今、この瞬間」という横断幕を張って、その前で「3年生と一緒にインターハイ!」と誓い合って練習に入っていました。その日々が、一番大切な試合で花に結晶したように思います。

さて、一方、決勝に進出した高橋・須貝でしたが、決勝では抜群のセンスを持つ中越高校のエースに全く立ち向かえずに0-④で敗退します。何もできずに終わってしまいました。

中越のエースは優勝まで失ゲームがたったの「1」。絶好調です。

3年生主体のライバル校は全力で団体優勝を狙って向かってくることが予想されました。厳しい戦いを覚悟しました。

その夜のミーティング。

リーダーの提案で、それぞれの選手が誓いを紙に書いてみんなの前で発表しあいました。

須貝は「1試合1試合、やるべきことを全力でやりきって、勝利へ導く。」

高橋は「北越らしく、泥臭く、全力の気魄で戦う。絶対12連覇!」

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ここ1週間は特に苦しかった。

日に日に県総体が近づいてくるのに、はがれおちるように毎日何かがぶっ壊れる。

悩んでる2年生のサポートもしてあげられなかった。

「今年の県総体は赤信号」

今までの県総体を思い出し、また私で負けるのかと不安があった。

けど、絶対に最後の県総体はやりきりたい。

私が磨いてきた武器を全部使って挑もう。

そう誓って臨んだ昨日の個人戦。

1週間前の練習試合で絶好調だった寧々(高橋)の調子が悪い。

私は寧々をサポートするためにできることをすべてやった。

向かってこられて厳しい試合もあったが、何とか決勝進出。

中越のエースとの戦いだ。

今度こそ。

だけど、先生が伝えてくれた戦略を実行せずに、0-④で何もできず敗れた。

やれることをやらずに負けてきた自分に腹が立って腹が立って仕方なかった。

夜、「このままじゃ、私のチームがこの県総体で終了してしまう」

私の青春がこんなんで終わり。

絶対ありえない。

もう、シンプルに雑念を全て捨てて、向かっていこう、そう誓った。

団体戦当日。

キャプテン七瀬が決めたチームスローガン。

「ベストで向かって来い! それをベストで跳ね返す!」

その気持ちで臨んだ。

3回戦、前日の個人戦でIH出場を2ペア決めた三条高校。

厳しい戦いになる、そういう予感がした。

2面同時展開。

風が強い中、相手はラケットを振って向かってきた。

少し私たちは受けてしまって、ゲームカウント1-2。

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競り合っている最中、隣のコートで、安藤・冨樫が敵のエースに敗退した。

後がない。

正直、怖かった。

先生が落ち着かせてくれた。

「リードされたと言っても、すべて風が強い中で風下のゲームを取り合っている状況。

落ち着いて、これからの風下の2ゲームをしっかり攻めて取っておいで。」

これで落ち着けた。

寧々と目を見合わせながら、1本1本。

丁寧にしっかり攻め続けた。

敵のミスが増えてきた。

そのまま④ー2で勝利。

キャプテンペアに3番勝負を託した。

もう夢中だった。

あんなに声を出して、心のすべてのエネルギーを捧げて、一つになって応援したことが今までにあっただろうか。

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全員、気持ちは一つだった。

ベストで来い! それをベストで跳ね返す!

向かってきた三条高校を、チームで跳ね返した。

決勝戦。

予想通り、中越高校。

オーダーは第2対戦で、昨日1ゲームも取れずに負けた中越のエース。

絶対にこうなると思っていた。

二度と昨日のような思いはするもんか。

やるべきことをやってチームを優勝させるんだ。

まっすぐに、それだけ。

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今日は先生からアドバイスされた戦略を最初からやりつづけた。

ミスもあったが、ポイントした方が圧倒的に多かった。

G2-0リード。

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私たちは試された。

リードしてチャラいことをする。

リードして安心する。

それが今までの私たち。

絶対、そっちの方へ行くもんか!

デュースアゲインが繰り返される。

どちらにもゲームポイントがあった。

向こうも必死だ。

私達は何回アドバンテージを逃したんだろう。

それでも前へ出続けた。気持ちが退くことはなかった。

そして、前へ出た私の後ろに中ロブが上がった。

苦しい体勢だったが、後ろに大きくジャンプしながらラケットを振った。

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アウトかと思ったが、線審は真っ直ぐに右手を伸ばした。

⑩ー8で第3ゲームゲット!!

G3-0。

私たちは試練を超えた。

昨日の個人戦決勝で0-④で負けた敵のエースに、団体の決勝で④ー0のリベンジ。

隣では、ここまで勝ってなかった安藤・冨樫(2年生ペア)が必死で戦っていた。

G2-2のP0-3の劣勢から、1本1本追いついてデュース。

今までの安藤・冨樫には絶対なかった姿だ。

そのままゲームを取ってG3-2。

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さあ、第6ゲーム。

ずっと、この二人が課題にしてきた第6ゲーム。

強かった。

練習通りやりきった!

最後は嬉しすぎて、必死すぎて、よくわからない。

私たちは涙の中、12連覇を果たした。

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先生、ありがとうございました。

先生方の支えがあって、12連覇を果たすことができました。

本当にギリギリまで、色々ぶっ壊れがあり、ペア間の意思疎通とか、いろいろあったけど、一つひとつ乗り越えていったのは、諦めないで励まし続けてくれた先生方のおかげです。

そして、みんな、本当にありがとう。

選手だけじゃなく、ベンチの全力応援。

たくさん応援に来てくれた先輩たち、コーチ、そして親たち。

みんなみんな黄色いTシャツを着て、一緒に戦ってくれた。

私たちは青春のど真ん中にいた。

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そして、この青春は夏の北海道に続く。

1日1日、貴重な日々を精一杯生き続けます。

(6月4日)

2023 県総体のドラマ

最後にペアの高橋寧々のノートと、僕の返事で終えます。

最後の県総体。

最後の最後でベストを出せた。

今日1日、本当に苦しかった。

昨日の決勝戦の不甲斐ない試合から立ち直れず、朝の会場練習でも全くダメだった。

昨日の夕方、わざわざコート借りて調整してもらったのに、得意なはずのストロークが不安定すぎた。でも落ち込んでいても何も始まらない。とにかくいいイメージを取り戻したかった。一人でノート見てイメージトレーニングを繰り返して試合に臨んだ。

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一番苦しかったのはベスト4決めの三条高校戦。

向かってきた相手にG1-2でリードされた場面。

でも昨日と違って、今日は須貝の目をしっかり見て須貝の言葉を心で受け止めながら戦えた。須貝の目はまっすぐで、私に勇気をくれた。何度も何度も助けてもらいました。

準決勝の村上戦からやっと自分の身体が戻ってきた感じで、狙ったコースに打ち切ることができてきた。

決勝戦は、ほぼ思い描いた通りの戦いで昨日のリベンジを果たせた。

私に力を与えてくれたのは北越の団体戦。

苦しい中で私が復活できたのは、絶対にチームのおかげだ。

チームとして、どんなに相手が向かってこようとも、それをもっと超えて跳ね返すエネルギーがあった。

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私は今まで、苦しくなると人の目を見れなくなって、ひとりで閉じこもってすべてが崩れて負けていった。でも、今日はその自分と戦いつづけて打ち克った気がする。

先生、私が苦しすぎた時、駐車場で声をかけてくれてありがとうございました。

イメトレを修正してくれて、勇気をもらって、戦いつづけられました。

今まで私が厳しいことを伝えてきた2年生が大事な場面で勝利をもたらしてくれた。

チームの応援、先生方のアドバイス、私は団体戦で復活できました。

本当にありがとうございました。

私、もっと強くなります。

絶対に去年みたいなIHにしたくない。

自分を超えて、自己ベストで戦えるよう頑張ります!

(高橋寧々 6月4日)

寧々、おめでとう。

僕が強く感じたのは、本当にダメダメな状態でも、自分を投げ出さない、自分を諦めない寧々の姿です。

1年生の時から、君は苦しい場面ではすぐに逃げた。

強引に点をほしがったり、無意味に前に出て失点したり、カッティングに逃げたり…

日常生活でもそうだったね。超えるべき時なのに、甘い方向に自分を逃がす。

でも、今日は違ったね。

成長したな、寧々。

おまえとしても、チームとしても一番苦しかった三条戦。

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おまえはあのベンチワークの1分間、決して下をむかず目が泳ぐこともなく、まっすぐにこっちを見て、俺のアドバイスを受け止めた。

そして、自分でではなく、ペアでチームの願いを力にして、苦境を超えていったね。

だから、決勝戦の圧勝につながったんだと思うよ。

君を誇りに思います。

全勝したからではありません。

苦境から逃げなかった君にです。

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2023年1月24日 (火)

Dream Factory 2023 冬

何とか間に合った全国切符

秋の負けから成長した精神力

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🔶北信越選抜大会 R05.1.14  in石川県小松市

◎県1位校リーグ

 北越 1-② 高岡商業(富山)

 北越 ②-1 敦賀(福井)

 北越 ②-1 松商学園(長野)

 北越 0-③ 能登(石川)

 2勝2敗で3位。

◎第3代表決定戦

 北越 ②-1 福井商業(福井)

秋の県新人戦でベスト4に一つも残れずに敗退してから、3カ月。何とか全国選抜への道をこじ開けました。

夏は誘われた研修大会も断って、ひたすら基本をやりました。

力があるチームではないので、下地を作ってこの大会に臨みたかったです。

チームとしての土台作りに日々精進した夏。惨敗の秋。

落ち葉の下に夏に咲く花の根を地道に作ってきましたが、真冬の小松ドームで、ようやくその芽が出てきた感じです。

今年のチームスローガンは「日々向上」です。

とてもシンプルですが、今の幼いチームにぴったりだと思います。

2面展開で夜18時過ぎにスタートした第3代表決定戦。

高橋寧々・渡辺七瀬ペアの試合は長いラリーが続き、隣のコートで第1対戦と第3対戦、2試合が終了(1勝1敗)してもまだG3-2で続いていました。

消耗戦です。

相手の福井商業はダブル後衛。とにかく粘ってきます。

高橋が最後までよく打ち切りました。

ガマンだったと思います。

ガマンしながら攻める。ガマンしながら走り切る。

1時間を超える熱戦でした。

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秋の高橋では勝ち切れていなかったでしょう。

あの頃はまだガマンすることの大切さをわかっていませんでしたから。

きっと1点を安易に取りたくなって、不要なところでドロップショットを使ったり強引に攻めてミスをしたりしていたと思います。

G3-2でマッチポイントを握りましたが、ダブルフォルトで逃し(まだまだ幼いのです)、ファイナルへ。

ファイナルも一進一退。手に汗握る展開です。

「ガマンするって『超強気』なんだよ」

どこかでそう言ったことがあります。

あの緊張とあのプレッシャーの中、辛抱強く正確に闘い続ける精神力が試されました。

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高橋が自分の幼さと本気で向き合う意志を固めたのは、秋以降です。

まだコントロールしきれるところまでは成熟していませんが、ようやく自分の弱さと向き合うアスリート魂が芽生えてきました。

「弱さと向き合う」とは「甘さへの逃げ」と向き合うことですから、幼い心では耐えられません。精神的に幼いとあらゆる方便を使って向き合うことから逃れようとします。本人は自分が逃げていることに気づきませんが、こちらはわかります。

全国切符をつかんだ次の日、祝福を伝えに来てくれたある監督さんから「先生は、こういうギリギリの勝負に強いですよね。何故ですか。」と聞かれました。

あまりの直球にたじろぎ、適当なことを言ったと思います。申し訳ない…

その先生の勇気ある直球に応えられなかったことが心にひっかかっていましたので、答えになるかどうかわかりませんが、ここで自分なりの考えを述べてみます。

まず監督さんが最後はギリギリの精神力勝負になるのだと肝に銘じているか否か。

肝に銘じているとすれば、日々の練習がたとえば200日あったとして、200本の糸がその勝負になるギリギリの場面に集まっていくイメージ。200日間、その日を目指していなければなりません。子供たちにそんなこと無理です。こっちが日々そのXdayに導いていくのです。高校世代の育成監督の、ここが最も大切で最も難しいところだと思います。

さらに事を難しくさせるのは、若い魂は成長に一人ひとり差があること、しかもそれぞれの魂は発展途上にあるということ。200日あったとして、170日目あたりでようやく言えることを30日目あたりでは言っても効果はありません。でも、30日目で言った方がいい子もいます。押したり引いたり、試行錯誤。右往左往。問題で山積の部隊を連れて、でこぼこ道に行く手を阻まれながら、予期せぬ場所での地雷爆発に慌てつつ、でも着実に目標地点へ全員を進めていくのです。

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それからわかっておくべきなのは、生徒が真に成長するためには監督の指導よりも、仲間からの刺激がとても重要だということ。だからチームの土壌を「成長畑」「進化畑」にしておく必要があります。ネガティブな空気はできるだけまん延させないように。

北風も重要です。春風お日様ばかりでは、ギリギリの勝負になんて耐えられません。

生徒の挫折こそチャンスです。挫折のない成功ドラマなんてありますか? 挫折や停滞はむしろステップアップへのターニングポイントです。監督は(そして親も)そうとらえる度量が必要です。

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こうして、生徒それぞれが自分の弱さを隠さず認めて、たとえ行ったり来たりしながらでも、自分と向き合う勇気を失わず、転んでも立ち上がって前に進むよう全力で促していく。

とどのつまり、監督が最後はこの子たちとギリギリの勝負を戦うのだと覚悟していること。そして、その先の感動を強く思い描き、徐々に生徒にもイメージさせて同じ思いを共有すること。

いかがでしょう。

僕はこうして1日1日を北越の子供たちと生きています。

高橋は秋以降、自分の弱さにようやく真っ直ぐ目を向けることができるようになりました。以前とまるで違います。ただ、まだまだ。大将戦に勝ち切る強さはありません。

やっとこれからですね。でもスタートは切りました。ガンバだ、寧々!

ペアの渡辺七瀬は、秋の新人戦、高く上がったマッチポイントのスマッシュを叩けませんでした(Dream Factory 2022秋 参照)。あれがこの子のトリガー(引き金)でした。日々、自分の弱さと向き合ってきました。今回の試合は大事な場面で何本もスマッシュを打ち切りました。

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もう1ペア、全国選抜へ扉を開いた立役者は、安藤・土橋ペアです。

特に土橋はそれまで全敗。しかも、「ミス祭り」=ミスの連発で試合を壊してきたこれまでの土橋と同じでした。

ただ、秋からの土橋の「姿勢」は以前と変わりました。

幼いながらも必死で自分の弱さを引き受けようとしてきた。実際には心と実態が嚙み合わないことも多いのですが、意志だけははっきりあった。

最終戦は、土橋の「向き合い続ける強さ」にかけてみました。

すると信じられないことが起こりました。

土橋はこの試合に限って、ほぼノーミス。

安藤も自己ベストで戦い、一番大切な試合を④-0で勝利したのです。

「どんなマジックを使ったのか」と翌日に問われましたが、何もないです。

ただ、土橋が「向き合い続けていたこと」を知っていた。

家に帰ってからも、倉庫の中で自主練していたことを知っていた。

だから、一カ所だけ調整して、ガンバ! と言って送り出した。

それだけです。

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スタートの高岡商業戦、結局何一つ積み上げてきたことができなくて、もうこれ以上ないってくらい、もう誰も手に負えないくらいミスの連発祭りだった。

その後も立て直すことができず、リーグ戦全敗…。

また私は自分を見失った。

それでもチームは2勝2敗でリーグ3位。

2位校リーグから上がってきた福井商業と最後の出場枠をかけた第3代表決定戦を戦うことになった。

先生はこんな私にチャンスをくれた。

先生、最後まで私にチャンスをくださり、ありがとうございました。

おかげで、自分の学びに何が足りないのか、最悪な状況だとしても、何を整理し、何を明確にすれば戦えるようになるのか、ようやくわかった気がします。

あれだけ努力してきたのに、今までと変わらない自分。でも、最後の決定戦ではほとんどノーミスでポイントし続けられた。やっぱり、私は自分のことをまだ知らない。今日1日で経験できたもの(地獄と天国)は大きいです。これを言語化して、3月の全国選抜で最初からベストを出せるように、チームを信じて、先生を信じて、積み上げていきます。

  1月14日 土橋日加里

まだ、「力」ではありません。

リーグ戦全敗ですから。わかった気になったとしたらむしろ怖い。

でも、自分と向き合うことに目覚めた。

「芽生え」ですね。

花を咲かすには、まだまだ、たくさんの超えるべき壁が、超えるべき自分があります。

土橋もガンバだ!

秋の県新人戦の時、相手の前衛に疑心暗鬼になって怯え、戦えなかった下里が(Dream Factory 2022秋)、この大会で2試合出場したことは最後に付け加えておくべきでしょう。

「自分に閉じていくものは、自分に負ける」この法則を地で行く下里でしたが、秋の負け以降、自分の殻に入ってしまう自分の「質」と必死で向き合おうとしてきました。

「他者と協働することに自分を進化させるキーがある」、という僕のアドバイスを受け入れて、自分地獄から抜け出してきました。決して得意でも好きでもないですが、自らを鼓舞するように他者の中へ交わっていきました。

そうして、いろんなところに協働することで、向上の扉が開いていくことにようやく気付いていったように思います。県選抜で一度も出さなかった下里をトライさせたのは、彼女の冬休みの取り組みと成長を認めたからです。

実際、練習では自分を超えた強さを表現できるようになってきたので、チャレンジさせました。

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結果は2戦2敗ですが、価値ある出場、価値ある負けだと思います。

将来の劇的なドラマにつながるきっかけにしてほしいです。

春の全国選抜に向けて奮起してほしいのは、勝負どころで全敗した須貝・冨樫ペアですね。

県の選抜大会では成長を表現できた二人ですが、他の仲間が次々と自分と向き合い始めたのに、なかなか覚悟ができず(アスリートとしての覚悟というものがわからず、と言った方がいいかな)、自分の甘さに妥協してきた日々がこの上位大会で露わになりました。

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この大会、石川県の能登高校は完勝です。

昨年のインターハイで団体ベスト8。今年はその上を狙っているはずです。

同じブロックに、このような真っ直ぐなチームがあることはありがたい限りです。

5カ月後、夏の北信越でどこまで迫れるか。

須貝と冨樫の脱皮が大きな鍵になるでしょう。

ガンバだ!!

それから、もう一つ。

冒頭の写真に、一人だけ謎の青トレーナーを着て真ん中に写っている田口未晄(みこ)という1年生がいます。まるでバレーボールのリベロみたいですが、まさにチームのリベロのように頑張ってくれています。

フィジカル、スキル、タクティクス、どれをとってもチームについてくることができず、秋くらいまではネガティブな思い込みにとらわれていましたが、精神的に1歩成長しました。

できないことを他者と比較してマイナスにとらえるのではなく、できないからこそできるように努力することが必要だということ、その日々を自分の成長過程としてポジティブにとらえること、その当たり前すぎることを受け入れたように思います。

何より素直になりました。


Japanの元監督さんが、成長していく選手の条件の一つとして「素直さ」をあげていましたが、強く共感します。まだまだ幼く、あらゆる面で大失敗を繰り返していますが、その一つひとつを経験値として成長していくはずです。田口のこのような「素直さ」はチームの土壌をポジティブにしてくれます。今回の全国切符獲得に確実に貢献してくれました。

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大晦日に田口から1年の総括と新年の決意を伝えるメールが届きました。そのメールと僕からの返事を載せます。田口のメールのキーワードは「人間性」と「周りみて」です。さりげなく書いていますが、自分の弱さと課題をちゃんとつかんでいるんだなと嬉しくなりました。

こんばんは。
今年1年色々失敗もあったけどスキル面だけじゃなく人間性の部分でも沢山学ぶ事が出来た1年だったなって思います。
来年もチームで日本一を目指して日々向上できるように周りみて動いていきたいし、自分もIHの切符を掴めるように、時にはきついこともあるけど乗り越えて恩返しできるように頑張っていきます。

たよろしくお願いします。      

 未晄



田口、あけましておめでとう。

大晦日の決意、確かに受け取りましたよ。

君は9ヶ月で本当に大きく成長したと思います。

幼い君には厳しい場面もたくさんあったと思いますが、このチームでの成長に許された時間はたった2年間しかないのです。

スキル的にもフィジカル的にも戦術的にも精神的にもスタート地点が低い分、君だけ急な坂を登らされているような気にもなったでしょう。

でも、君は逃げずに受け入れて、つまずく度に前を向いて進んできましたね。

チームはそんな田口が大好きなんですよ!

失敗を繰り返しながらも、自分の幼さと向き合いながら、今年も進み続けなさい。

厳しい道だけど、価値ある道ですよ。

ガンバ!

現役から恩送りの3年生へ 感謝を込めて

県選抜 2年ぶりの優勝カップ奪還!

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県インドア個人戦

1位 渡邉七瀬・高橋寧々

2位 冨樫凛・須貝若菜

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Another Dream Factory(後半)

一昨年の12月に届いた、ある高校生からのメール。

リーダーとして理想を描きながらも現実は全くかけ離れていて、必死でなんとかしたいのだけれど、孤立無援。

顧問の先生も力になってくれず、仲間も去っていく中、いつも空回りして、自分自身の努力や存在さえ疑うようになってしまった孤独な魂からの便りでした。

藁をもつかもうとする喘ぎのようなメールから、翌年の県総体までの半年間、彼とやりとりした心の交流を、彼の許可をいただいて、前回に引き続き掲載します。

きっと、全国の部活動で、理想と現実のはざまで悩み、苦しんでいる若い魂がたくさんあるはずです。

その魂たちへ、

現実に折れそうになっている君へ、

無力感に苛まれている君へ送ります、

Another Dream Factory!

(前回の前半部を読んでいない方は下へどんどんスクロールして、Dream Factory 2022秋の記事を先にお読みになってから、今回の後半をご覧になってください)

津野先生、お久しぶりです。

夜遅くにすみません。

返信に2ヶ月もかかってしまったこと、お詫びします。自分の中でも、部活の中でも様々な出来事があり、自分の中で気持ちを整理して書き出すのにとても時間がかかってしまいました。すみません。

 

まず、前回お話した自分が練習中にひどい言葉をかけてしまった部員についてですが、翌日謝罪をし、自分がその部員に対して期待していること、最後まで一緒にプレーしたいことなどを伝え、それ以降、以前よりも部活動に意欲的に取り組んでくれているように感じます。

次にブレーン制についてです。

自分達の部では、テストで欠点を取ってしまったりしてその補習で練習に来れなくなってしまう部員が数人ですがいます。テスト明けに大会が入っていることが多く、大きな問題だと感じたため、学習について呼びかけを行ったり取り組みをする係を追加で決めました。2月上旬にテストがあったため、それに向けてその係の生徒と話し合い、その生徒のやりたいことを尊重しながら、アドバイスをすることを続けました。その係について責任を持ち、意欲的に取り組んでくれて、中々上手くいかなったもののいくつかの取り組みも行いました。

ただ、不運なことに高校で新型コロナウィルスの感染者が出てしまい、自分も濃厚接触者となり、感染こそ無かったものの1週間近くトレーニングすら出来ない状態でした。ただ、その期間中もトレーニングに関する仕事を行う係の生徒と話し合い毎日のトレーニングメニューを作ったりなどして、なんとか1日1日を無駄にしないように、取り組みを途切れさせないように努めました。2年生の中での話し合いの機会も増えてきて、まだまだ上手くいかないことの方が多く少しずつですがブレーン制が機能してきたように感じます。

自分自身も自粛期間終了後は走り込みや体幹、インターバルなど春夏の大会を戦い抜けるように体力作りを重点的に行いました。(ここで宣言させて欲しいです。休校で落ちた体力を戻すためにも明日から毎日5時に起きてランニングをします!)

ただ、1月末あたりから副部長徒が体調不良などを理由に練習を欠席することが何回かあり、先生にも退部したい、という旨の話をしに行ったそうです。本人は、モチベーションが本当になくなってしまった、それが理由なんだと言っているのですが、おそらく仲の良かった同級生のBが抜けたことが彼にとってかなりダメージだったのだろうと容易に想像できます。けれども、練習に参加している時は私語もなく非常に真面目に取り組んでいて、尚更不思議に感じます。

そこで気付いたのですが、自分は初めて関わった1年生と向き合うことばかりに気を取られて、1番身近でプレーしてきた副部長と全く向き合おうとせずに避けてきていました。今、まん延防止も解除され、やっと待ちに待った通常通りの部活動を行うことができます。その部活で副部長としっかりと向き合って、どうして辞めたいのか、どうしたらモチベーションが上がるか、自分は一緒に最後までテニスしたいこと、副部長を最後まで続けられるかを話したいと思います。また他の部員一人一人とも、自分が日頃感じていること、1年前と比べて変わったこと・変われていないこと、部長の自分に対して抱いていることなどを改めて話し合いたいと思っています。

先生から受け取った、「一日一日を成長の現場にすること」この言葉を毎日思い出します。今日自分は、チームは成長できたか、出来てないのなら何が悪かったのか。

もう3月です。地区大会まであと2ヶ月程度しかありません。自分が部長になったとき、正直この時期には県の上位で戦えるレベルになると考えていました。けど、そんなに甘くなかった。それなのに、休校、部活動の時間短縮、声出しも禁止、接触も禁止。自然とネガティブな思考になってしまう時間も増え、差を縮めるどころか他のチームがどんどんと先に行ってしまうような感覚に陥っていました。

そんな時テレビで、4回転アクセルに挑戦し、惜しくも転倒してしまった羽生選手のインタビューを見ました。その中でも衝撃を受けた言葉がありました。それは、

「報われない努力ってあるなって思った。命がけで練習してきたけど、それを達成できなかった。それに関しては正直無駄だったなと思う。」

という言葉です。金メダルを2度も取り、それでも挑戦をし続けて努力を続けた人ですら、報われないことがあって、無駄だった、と言ってしまう。

高校に入ってからの2年間、特に部長になってからの1年間、ほとんどの事を長く続けられない自分がこの部活だけは、全力で続けてこられた。毎日に悔いがないかと言われたらそうじゃない日もたくさんあるけど、それでもそれを最大限無くす努力はしてきた。なのに、まだまだ思い描いてた自分じゃないし思い描いてたチームじゃない。このまま目標を達成できずに終わって、 全部無駄だったと思ってしまうのだろうか。

休校期間やまん延防止が発令されている期間、ずっとこんな事を考えてしまっていました。本当に自分は弱いです。絶対に希望を捨ててはいけないはずの部長が勝つビジョンを持ち続けられない。もちろん練習も締まりません。

でもそうやって考えていくうちに何通か前に先生から頂いた言葉を思い出しました。「結果承認が欲しいだけだ」という言葉です。

自分は失敗がとても怖くて嫌いです。ポーチボレーもスマッシュを追うのも苦手です。だからこれまでの人生、挑戦することが怖くて無難な道、成功する確率が高くて失敗しない道を選んできました。失敗してもなんとか自分を正当化して、合理化して自分を保ってきました。そんな誰よりも弱い自分に今ある使命は「チームで県ベスト4に入ること、そして個人で北信越、IHに進むこと」。これが達成できなければ失敗だし、しかもその失敗は今までとは違ってチームみんなに迷惑をかけて失望させてしまう。

けど、そうじゃないと気付きました。もちろんそれらが達成できなかったら失敗になってしまうことに変わりはないけど、今まで挑戦という事を恐れていた自分が、「成功確率のとても低い目標」に対して「報われるかどうか分からない努力」を約1年間にも渡って続けてこれている。こんなチャレンジができているんだと気付きました。中3でコロナで本当に悔しい思いをして、それでもまた、その辛い経験をしてしまうかもしれないリスクを背負いながらここまで続けてきた自分を誇りに思うし、今自分は今までで1番輝けてるんじゃないか、と思うことができるようになりました。気付きをくれてありがとうございます。

地区大会まであと約2ヶ月、もっと輝けるように、もがき続けます。

最後に質問があるのですが、今まで自分は、技術も実績も他校に劣る自分達がベスト4以上に入るために、必要なことだけを無駄をなるべく無くして要点を絞って練習してきました。ただ、最近友達と練習方法について話す中で、合理的に進めることだけが果たして正解なのか、という疑問が浮かびました。

こういう時こそ遠回りするべきなのでしょうか?

先生の意見を聞かせて欲しいです。

長文失礼いたしました。

2022.3月

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山科君

お便りありがとう。

2か月の間、いろいろあったね。

そして、いろいろ考えたんだね。

僕が一番印象深く感じたのは、山科君の心の成長です。

理想と現実のギャップに苦しみ、思い通りにならなくて悩む日々。

仲間の離反の動き。そこへ追い打ちをかけるように襲ってきたコロナ禍。

これほどのネガティブな状況下で、君はそれでも前を向いて進もうとしている。

僕の言葉もエネルギーとして燃やしながら、次から次へと訪れる試練から逃げることなく、粘り強く困難を打開しようとしている。

強くなったな、山科君。

 

そうだよ。

君は今、とても輝いているんだよ。

一生の宝物になるような貴重な経験の真っ只中にいるのだよ。

 

羽生結弦選手のあの言葉は、僕も聞きました。

そしてショックを受けました。

あの言葉は超人的な努力と挑戦をし続けてきた彼にとって、感情的にそのままなのかもしれないけど、僕はその感情は言葉にすべきではなかったと思っています。

報われない努力はどこにでも数えきれないほどあるし、金メダル獲得者以外のすべての結果はある意味「報われない」ものかもしれません。

だけど、目標を達成できなかったから、その努力は無駄だった、というのは間違っています。

人にとって、「無駄」な努力など一つもありません。

結果につながらない努力も、報われない努力も星の数ほどあるけれど、すべての努力はその努力自体に星のエネルギーにも匹敵するほどの価値があります。

努力は、必ず何かにつながります。一見関係ないと思われることに影響を与えたり、自分自身の見方考え方を広くしたり深めたり、直接の結果にはつながらなくても全く別のフィールドに種が蒔かれたりします。

羽生選手は偉大なチャレンジャーですから、自分のこの「公にすべきではなかった言葉」の重さも自分への負荷にして、さらなる飛躍につなげてほしいと思います。

結果はわからない。

わからないからこそ、そこへ向けて努力するんです。

結果がわかっていたら純粋な努力って成立するでしょうか。

未来の君が現在の君の元へやってきて(ドラえもんの18番)、君は目標を達成すると告げられたら、嬉しいでしょうが、その後の「努力」は別のものであるはずです。

そして、それに価値はあるでしょうか。

努力とはそういうものです。

 

地区大会まであと2か月。

朝のランニングの誓い、シカと受け止めましたよ。

5時はまだ暗いね。

でも、春分点が過ぎるあたり、走り始めるころに東の空が白み始め、走り終わるころに全天の朝焼けが君を祝福するようになるよ。

努力し続ける自分とそれを包んでくれている世界との一体感を感じて、これ以上ないほどの充実感を覚える時が必ず来るから。

頑張りなさい。

最後の質問に答えますね。

いい質問です。

君たちが懐疑的になっている「合理的に練習を積み上げていくことが目標達成(勝利)のための必要十分条件なのか」という疑問は、全くその通りです。

必要なことですが、十分ではないです。

我々、北越女子も現在、県で10連覇中ですが、第1シードで臨んだのは約半分くらいです。

勝負事は基本的に同じだと思いますが、(合理的に)積み上げてきた実力を本番で発揮できるかどうかは、別の因子が絡んできます。

メンタルとか、闘志とか、チームスピリットとか言われるものです。

心を一つにして火の玉にして向かっていけるかどうか、その熱量を作れるかどうかがとても大切です。

僕は「勝利の方程式」という考えをチームには伝えています。

夢の達成=(S+F+T)H

というものです。

S=スキル、F=フィジカル、T=タクティクス(戦術・戦略)で、これは日々(合理的に)積み上げていくものです。

それは日々の練習が、理にかなったものであればあるほど、高まっていくものです。

その基礎実力点に、本番でのHが絡みます。

H=ハート、チームのファイティングスピリットです。

具体例で考えてみましょう。

S、F、Tは10点満点、Hは普段通りのメンタルで戦えた場合は「1」とします。

例えば、(S=8、F=7、T=7)で基礎点22のA校と、(S=4、F=5、T=3)で基礎点12のB校が対戦するとします。

練習試合で戦えば、10回やって10回すべてA校が勝つでしょう。

しかし、大会本番、A校は1番手で出たエースが本番で気持ちが受けてしまい、それを見た2,3番手も焦りが生まれ、ファイティングスピリットが半分しか発揮できなかったと仮定します。

そうすると、方程式の解は、22×0.5で「11」になります。

一方、B校は、キャプテン中心によくまとまり、とにかく敵に向かっていこうと意思統一できて、ファイティングスピリットが普段の2割増しで戦えたと仮定します。

すると、B校の方程式の解は、12×1.2で「14.4」となります。

僅差で、B校が勝ち上がる。

机上の論のように見えますが、これはとてもよくあることなのです。

この「ハート」を燃え上がらせ、チームの闘志に火をつけることは簡単ではありません。

でも、でも、山科君、諦めることはありません。

今の君の地道な努力を継続し、信頼関係を構築し、「絶対に県でベスト4つかもうな!」という強い思いをチームで共有できれば、大きな力が生まれます。

指導者がいないからこそ、君が中心となって、自分たちでやれるだけやってみようよ。

きっとなかなかうまくいかないと思います。

新たな困難が見えてくることでしょう。

でも、今の君なら、その意味をポジティブにとらえられるはずです。

そう、可能性がゼロじゃない限り、そこに向かって日々努力することこそがチャレンジであり、生きる価値そのものなのだと。

一つだけ、そのきっかけになるかもしれない提案をしますね。

1週間に1回でいいので、チーム全員で何か「追い込む」練習日をつくるのです。

北越でよくやるのは、

1.30分間走(コートの周りを自分のペース、ジョグより少し早いテンポ走)

2.200mダッシュ×7本

3.追い込みフィジカルトレーニング

必ず、やる前に円陣を組み、やり終えた後は、ハイタッチをします。

どんなことであれ、チーム全員で全力でやり切ることは、チームのハートを着実に育てていきますから、チャレンジしてみてください。

 

君の努力をいつも応援しています。

 ・

がんば!

 

北越高校

津野誠司

2022.3月

 

 ・

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津野先生、お久しぶりです。

返信が何ヶ月も遅れてしまったこと、お詫び申し上げます。すみませんでした。

なかなか自分の中で言葉がまとまりませんでした。

 

結論から申し上げると、僕達は、県総体団体ベスト16で敗退しました。

前回の返信を頂いた3月まで遡ってお話させて頂きます。

先生にもお話した通り、そのメールの後から僕は毎朝のランニングを開始しました。それに加えて、津野先生に教わったようにチームでの体力強化も始めました。しかし、数週間が経ったあと、足の膝に違和感を感じ始め、段々と痛みは強くなっていき、歩くのでさえも痛みを感じるようになってきてしまいました。そこで接骨院で診てもらったところ、冬の県予選前にした膝の怪我が再発したという事でした。幸い、捻挫や骨折ではありませんでしたが、4月の初めから2週間程度ほとんど練習ができませんでした。練習方法が悪かったのか、疲れが取れていなかったのかは分かりませんが、いずれにしろ自分の不注意でチームに迷惑をかけてしまったことに大きな罪悪感を感じていました。

しかし、立ち止まってはいられません。4月に入り、1年生が3名、入部してくれました。新体制でのスタートです。実はその少し前から、副部長と自分の2人で分担しながらメニューを作るという方法に変更して練習を進めていました。今まで自分一人でやり過ぎていたことをもっとチームメイトを信じて仕事を任せ始めていました。その成果もあって、自分が怪我で練習に参加できない期間も、副部長がチームを引っ張り、いつも通りの練習を続けることが出来ました。これは本当に大きな進歩でした。チームに足りないことを考え、メニューを作るうちに、次第に副部長からチームへの言葉も多くなっていきました。本音は分かりませんが、僕にはこのチームに何かを残そうとしているように感じました。

さらに、怪我をして練習に参加できなくなったことで、今までコート内からしか見ていなかったものをコート外から見えるようになり、新たな発見がありました。それに加えて、今までよりもより入念にアップ、ストレッチをするようになりました。

4月に訪れた変化はこれだけではありませんでした。冬(1月)から練習に参加していなかった、当時1年、新2年生の後衛、Mが練習に復帰しました。理由などに関しては先生との間でやり取りがあったようなので深くは聞きませんでしたが、なんにせよチームにとって大きなプラスとなりました。

ただそうは言っても約2ヶ月半のブランクがあります。正直、地区大会には間に合わない、県に間に合ったらいい方だろうと予想していました。しかし驚くべきことに、プレーの質が全く落ちていなかったのです。彼に聞くとその間はほとんどラケットを触っていなかったようです。本当にすごいセンスの持ち主だと思いました。ただ、もちろんその間にもチームの雰囲気はかなり変わった部分もあったので、そこに早く慣れてくれれば、これは本当に大きな戦力になると確信しました。

後にも書きますが、結果的に彼が僕たちのチームのキーパーソンとなりました。

(中略)

 

6月、県総体。

1年間思い描き続けた舞台です。何度もこの日の夢を見ました。地区大会前に試して上手くいった調整法に今回も取り組み、チームの状態は悪くありませんでした。

しかし1日目の個人戦、自分のペアは外シードのペアに何も出来ずに2回戦ストレートで敗退、副部長のペアも1回戦1ゲーム目の競ったゲームを取られるとそのまま流れを変えられずまさかの初戦敗退、第1シード対策をしてきたMとNもそこに当たる前に2回戦ファイナルで敗退しました。

その日の夜、全員を集めて明日の団体戦の対策を練りました。想定外の惨敗に気分が落ち込んでいるのだろうな、と想像していたのですが、メンバーは意外にもそんなことは無く、逆に「団体こそは」という切り替えができていました。

その表情を見て、今日の反省をするよりは明日何をするかのプランをシンプルに、明確に示すことの方が重要だと考え、各自の思うプランを話し合い、全体のプランを練りだしました。

 

運命を決める最終日、団体戦2日目。

相手はこの1年で急激に成績を伸ばしてきたZ高校。

今年の男子の実力は正直冬の時点では、上位8チームがほとんど並んでいたと思います。だからこそ、この冬と春でどれだけ勝負できたか、その差が勝敗を決めると思っていました。

自分たちは上位チームよりも少し下の実力だろうと思っていました。もしかしたら個人の技量では負けてしまうかもしれない、それでも何があるか分からないのが団体戦。

この冬と春にかけてきた気持ちも努力にも自信がありました。

チーム力で勝負する。そう決めて挑みました。

ここに勝てば外シードと当たります。

絶対にそこまで行くぞ、そう試合直前にみんなに呼びかけました。

1番の試合が入ります。

この試合、自分は決めていたことがありました。

もしこの試合で負け、チームも負けてしまったら自分は引退してしまいます。もちろんチームへのプレッシャーもあります。だからこそ今までの2年間の全てをぶつけたいという気持ちは強いかったです。けれど、勝ちたいと思えば思うほど、自分は体が固くなっていくことを知っていました。

だからこそ楽しんで、笑顔で。

逆マッチでもその状況を楽しんでやると決めて臨みました。

これは今までの大会一つ一つで色々なやり方、気持ちの作り方でトライし、得られた自己分析でした。今までの負けは何一つ無駄になっていない。それが自分に自信を与えてくれました。

相手はおそらく3番手、こちらと同じオーダーでした。ここで勝てないと、次のMとNが当たるのは相手の1番手となり、厳しい試合が予想されました。何としてでもここで勝ってリードしておく必要がありました。

プレイボール。

こちらのプランがばっちりとハマり、最高の形で1ゲーム目を取ります。2ゲーム目も相手のミスが増えゲームカウント2ー0。

しかしここでこちらの後衛が少し崩れ始めました。そのまま流れを変えられず、ゲームカウント2ー2、2ー3と逆転されてしまいます。

自分の中で「ここだぞ。」という声が聞こえました。迷わず後衛に駆け寄り声をかけます。

「相手も焦ってる。こっちも自分達のプレーが出来てる。よし、このゲーム楽しもう。」

ポイントは2ー2から2ー3、次は自分のレシーブです。ここを取ればデュース。

しかし最後はあっけなく相手のノータッチエースで終わりました。

不甲斐なさでいっぱいで涙がこぼれそうでした。

それでもまだ試合は終わってない、MとNに望みを託しました。ここからが今大会のハイライトです。

やはりさすがと言うべきか、相手は完成度の高い、ミスの少ないプレーで圧倒してきます。それでも逆境に強いMとNは必死で食らいつきます。2人とも力みはほとんど無く、とてもいい表情をしていました。ゲームカウントは2ー2から3ー2、エースペア相手に素晴らしい内容の試合をしていました。Mは焦らずに相手後衛と打ち合い続けます。Nも相手の得意のパッシングを何本も止めました。過去最高と言っていい程の好ゲームです。しかし相手もさすがに譲らず、追いつかれて3ー3。

しかし、チェンジサイズでベンチに戻ってきた2人の表情はまだ揺れ動いていませんでした。

お互い譲らないシーソーゲームでポイントは4ー4、しかしそこから2連続失点を許し4ー6。

後がありません。

セカンドレシーブを振り切りコーナーへ、そこから長いラリーになります。

最後は相手後衛のアタックを止められず、ゲームセット。

・・・僕たちはベスト16で敗退しました。

悔しかったです。本当に悔しかったです。自分達が勝てなかったこと。そして勝敗を2年生に託してしまう形になってしまったこと。

ベスト4には挑戦すらできませんでした。

けれど、後輩のMとNの試合を見て、自分は胸がいっぱいになりました。もちろん自分達が勝てなかった罪悪感もあったと思います。けれどそれよりもその2人の試合に、表情に、成長ぶりに、希望が見えたからです。この2人なら、この2人がいるチームなら、来年こそは自分達の思いをベスト4の舞台に連れて行ってくれるのではないかという希望が見えました。ここまで1年間やってきて良かったと、そこでようやく思えました。

ずっと来ないと思っていた彼らのターニングポイントはここだったのかと。

もちろん、2年間本気でやってきて、この成績しか残すことができなかったことは本当に悔しいけれど、それでも1日1日を全力で生きた自信が自分にはあったし、もう一度やりたいという気持ちはありませんでした。自分が勝てなかったことよりも、チームや後輩の成長が何よりも嬉しくて、このチームに、自分は少しかもしれないけれど何かを残すことが出来たのだと誇りに思いました。このチームでプレーをする事ができて、部長をさせてもらう事ができて、幸せでした。

最後になりますが、津野先生、昨年の冬から本当にお世話になりました。顔も知らない自分に本気で向き合って頂いて、多くの言葉を頂きました。この1年で、自分が本気になって取り組めば、誰かが声をかけてくれる、協力してくれるということを身に染みて感じることが出来ました。

辛かったあの日々で、勇気をだして先生にメールを送って本当に良かったです。

本当に、本当にありがとうございました。

北越高校の活躍を心からお祈りしています。

(本間選手、ハイジャパシングルス3位おめでとうございます!)

 2022.夏

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山科君

君たちのDream Factory 読ませてもらいました。

素晴らしいドラマを生き切ったのですね。

君が一番苦しかったあの冬の日、藁をもすがる思いで僕にメールをくれた日から半年のドラマでした。

「2年生のM君が戻ってきた。」

これは山科君が言う通り、ドラマの大きなターニングポイントでしたね。

ただ、僕は、4月のもう一つの変化、「副部長と二人で分担しながらメニューを作るという方法に変更して練習を進めていた」ということ。

しかもそれが「今まで自分一人でやり過ぎていたことをもっとチームメイトを信じて仕事を任せ」たいと思ってのことだということ。

そっちの変化の方に、強く心を揺さぶられました。

そこに君の成長とチームの成長を見るからです。

大切なことを人に任せられるというのは、その人を信頼していなければできないことです。

副部長さんも、君からの信頼を感じて、チームへの働きかけを積極的にするようになった。

信頼が信頼を生み、リーダーシップもチームとして発揮できるようになったのですね。

M君のペア、そして副部長さんのペア、いずれもその強さはペア間の「信頼」にある。

ミスが重なっても、辛い場面でも、二人で超えていく。

「チーム山科」の2022年のキーワードは、間違いなく「信頼」です。

その「信頼」は、君が成長する中で選んだ道であり、その結果チームに浸透した財産です。

そして、ついに迎えた県総体の団体戦。

部長の君が心に誓ったことは

「チーム力で勝負する」

さらに、己の弱さを知った君が自分に言い聞かせたのは

「2年間のすべてを笑顔で楽しんで表現する」

この「チーム山科」の最終試合は、一つひとつの場面が胸に迫ってきて、自然と涙が溢れていました。

半年前の君の勇気ある「第一歩」から、ここに至るまでの日々が深く重なって、本当に本当に心から感動しました。

最後の君の言葉は、読めば読むほど、人間の崇高さを感じずにはいられません。

「報われない努力もある」

この言葉は正しくはこう説明されるべきだということに、君も同意してくれることと思います。

「努力にはその努力が目指した成果としては直接報われないこともある。しかしその努力は、努力した本人、もしくはその努力の影響を受けた周囲の人間、または未来の世界に何らかの光を灯すものである。」

私も君の勇気と努力から希望をもらえた一人です。

君と出会えて幸せです。

ありがとう。

北越高校 津野誠司

2022.夏

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2022年10月30日 (日)

Dream Factory 2022 秋

「負け」から始まる 北越の秋

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秋季新潟地区大会

〇ダブルス

1位 高橋寧々・須貝若菜

2位 安藤愛莉・渡邉七瀬

〇シングルス

1位 高橋寧々

2位 須貝若菜

3位 安藤愛莉

県新人選抜大会

〇シングルス

2位 安藤愛莉

3位 高橋寧々、須貝若菜

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3年間チームを牽引してきた入澤・本間とチームを支えてきた佐藤・丸山が現役を退き、チーム北越も代替わりの秋を迎えました。

そして、「北越あるある」ですが、今年も秋は勝てないです。

ただ、県新人選抜のダブルスでベスト4に一つも入れなかったというのは、ちょっと記憶にないくらいです。

それもいいでしょう。

「伸びしろ」がたくさんあるチームです。

どんなチームカラーで、今年はどうやって全国エリート校に挑んでいきましょうか。

脚本はこれからです。

インターハイ後の夏はとにかく基本をやりました。

身体つくりの基本、技術的な基本、考え方の基本、人として信頼される行動の基本です。

2年生(新3年生)の3人にチームリーダーの自覚が根付き、1年生(新2年生)が育ってこないと選抜も来年の夏も戦えません。

成長の第一歩は自分と向き合うこと。

変わるべき自分に気づき(最初は気づかされ)、自己改革の意志を固め、自分と葛藤し、自分の弱さに涙し、それでも前へ進もうともがく中で、少しずつ人は成長していくものだと、今年も信じて、全力でその成長を促し、支え、認め合っていきたいです。

県新人選抜では、ほぼ全員が自分に負けての敗退だったと思います。

いいと思います。

自分の弱さに打ちのめされることは、向上のための良質の糧ですから。

挫折もあっていい。それが小さなものでも大きなものでも。

ただ、自分で「挫折」だと目を背けずに認めることです。

挫折したなら、また立ち上がるだけですから。

そこから逃げないこと。

人は弱いのです。

その弱さを認めて、だからこそ、仲間と連帯するんです。

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周囲を見ましょう。

必ず、同じように理想と現実のギャップに悩んでいる仲間がいます。

君だけじゃない。

だから、連帯して、励まし合って、前へ進んでいくんです。

その一つひとつの過程こそが、君たちのドラマであり、君の成長です。

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県の新人選抜で、弱さを思い切り表現することになってしまった二人の1年生のノートを載せます。

ここが向き合うことのスタートですね。

チーム北越、前へ!!

転んで立ち上がって、前へ!!

県新人戦のベスト8決め。中越戦のG3-3、P6-4。

安藤が攻めて、私の真上に上がってきたイージースマッシュ。

自信持って打ち切れず、半分コートに入れにいって、その結果OUT。

それから全てが崩れ、4ポイントを全部失ってゲームセット。

毎日練り上げて、一番苦手プレーだったスマッシュも少しずつ自信ついてきていた。

大会会場での朝の当日練習でも問題なかった。

それなのに、マッチポイントで高く上がったスマッシュボール。

どこに打っても決まったはず。

練習通り、ステップもタイミングも正しかったが、あの瞬間、私は自分を疑った。

今までの練習を信じて思い切ってラケットを振れなかった。

ミスをしたら…

思い切り振って大丈夫か…

慎重にいった方が…

私は日々の練習を裏切るような感情が生まれて、スマッシュボールを入れにいった。そしてアウト…

「弱い自分」

こんな形で現れるのか…

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信じて戦えない自分が情けなくて、悲しくて、みんなに申し訳なくて。

後悔ばっかり…。

私の弱さは、大事な場面で信じれる自分を練習からつくっていないことだ。

大事なところで臆病になるなんて、前衛としてありえないし、チーム北越の一員としても恥ずかしすぎる。

今日のことを絶対に忘れずに日々の練習では主体的に貪欲に「私が決める!」という強い思いを持ち続けること。

そして、自分と向き合うノートを作り、毎日の練習の中での感情や決めて取り組んだことの反省など、自分の心を強くしなくちゃならない。

ピンチの時、人に頼って安藤に頼って…、そんなことがないように自立して個の強さを身につけていく必要がある。

スマッシュを振り切れず勝ちを相手にあげてしまった今日の「あの瞬間」を忘れずに、自分の1球はチームの1球だということを強く思える人になるよう、強い意志をもって毎日を全力で正しく生きていきます。

(1年 渡邉七瀬)

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「戦っていない」

これがすべてだ。

ただ、土俵から降りただけ。結局何も変わっていない。

私の弱さがバンッ!と全面に現れたのは、ベスト4決め、中越戦の時だ。

最初からラケット振れなかったわけではない。

右ストレート、敵の前衛が視界に入った。

見てしまって、おびえてネット中段。

そのネットから、私はまた引きずった。

相手がどうだからってことじゃない。

ただ、単に自分に負けて、立て直そうともしなかった。

昨日ミーティングで誓ったこと、頭には浮かんだ。

でもただ浮かんだだけだった。その誓いが自分に力を与えてくれるわけでもなかった。

朝の会場練習では長いシュートボールでラリーできていたんだ。

これでもう判明した。

私の崩れは、スキルの崩れじゃない。

技術が身についていないからじゃない。

もう完璧にわかった。

私のモンスターは私の心の中にいて、試合で出る。

せっかく練習で積み上げても、試合で別人なら練習している意味がない。

北越に来た意味もない。

ここへ来て半年が経つ。

この半年間の行動、ネガティブな心、いつも引いて閉じこもってしまう性格。

このままなら、また同じ半年が経ったとしても全く成長はない。

本当に私は弱い。

私のデビュー戦はいつになるのか。

戦うアスリートになるためには、、、

まず、考え方を変えるところからだ!

(1年 下里鼓)

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Another Dream Factory(前半)

昨年、このブログで交流を呼びかけたところ、様々な方と心の交流がありました。

その中で、12月に、ある高校生から一通のメールが届きました。

リーダーとして理想を描きながらも現実は全くかけ離れていて、必死でなんとかしたいのだけれど、孤立無援。

顧問の先生も力になってくれず、仲間も去っていく中、いつも空回りして、自分自身の努力や存在さえ疑うようになってしまった孤独な魂からの便りでした。

藁をもつかもうとする喘ぎのようなメールから、翌年の県総体までの半年間、彼とやりとりした心の交流を、彼の許可をいただいて、これから2回に分けて掲載します。

きっと、全国の部活動で、理想と現実のはざまで悩み、苦しんでいる若い魂がたくさんあるはずです。

その魂たちへ、

現実に折れそうになっている君へ、

無力感に苛まれている君へ送ります、

Another Dream Factory!

初めまして。

X高校2年男子ソフトテニス部部長の山科信二(仮名)と申します。 

毎回DreamFactoryが投稿される度に拝読させて頂いています。 

自分達はこの新体制になってから、来年の県総体団体ベスト4以上を目標としています。

顧問の先生は全員未経験でメニューをはじめとしてほとんどの事を自分一人でやっています。 

自分たちのチームはとても弱いです。

自分が部長になってから「このチームを絶対に変えてやる。勝てるチームにする。インターハイに行くんだ。」と思ってそれをみんなにも話し、この半年程やってきました。

ですが、ほとんど何も変わりませんでした。 

まず初めに声出しを徹底させようと思いました。

さらに練習中の私語をなくし、1年生には毎日テニスノートを書いて提出し、自分がそれを見て書いて返す、という取り組みを始めました。

ですが、先生でない自分に強制力はなく、またチームの中でも自分は上手いわけではないので説得力もなく、声出しは今も徹底できずたった数人が出すようになっただけで、全く緊張感のある練習ではないです。

テニスノートも提出率が段々と悪くなり、内容も薄いものばかりになってしまったので、自分が必要だと思ったら出す、それまでは提出はなしにしました。 

なにが問題なのか、問題が多すぎてどこから手をつければ良いのか分かりません。

自分の実力不足はもちろん大問題なので、毎日必死に練習をして一般のクラブチームにも通っていますが、いつも頭の中にはチームの事ばかりで目の前の練習に思いっきり集中することが出来ていません。

自分なりに何百本もの動画を見たり、色々な選手のインタビューやアドバイスを見てテニスの勉強もしていますがまだまだ足りず、また、それを言語化して部員に伝えることも上手くできません。

ペアや団体のオーダーなども全て自分がしているのですが、相性や仲の悪さ、それに対する自分への非難など中々思うようにいきません。

大会や遠征の日などは自分が全員のスケジュールを管理して、何時に起床、朝ごはんはこれを食べて何時からアップなど決めていますが、試行錯誤の繰り返しで部員達からもよく「なんの意味があるの?」「別に良くね?」という言葉ばかりでまだまだ信用を獲得できていません。

信用を獲得できていないのも、まだこのチームになってから、全く結果が出せていないからだと思います。

秋の大会ではほとんどが1回戦負け。

全く後輩たちに背中を見せることができていません。2年の後半にもなって今だに結果が出せていない。

正直焦っています。

もう今自分が何をしているか、何が正しいのか分からなくなってしまいました。

どんな言葉をかければ部員の心が動かせるのか。

先生にどんなお願いの仕方をすれば練習試合や遠征を増やしてくれるのか。

今どんなメニューをやるべきなのか。

どのフォームが正しいのか。

自分はなんのためにソフトテニスをしているのか…。

 

まもなく県のインドア大会がありますが、きっと今の自分は迷いばかりで部員の支えになれていません。

DreamFactoryにもありましたが、ここまでチームが辛い時に支えて立ち上がらせる部長でいることができていません。

毎回、DreamFactoryを見る度に劣等感でいっぱいになります。

毎日、寝る前も通学中も授業中も来年の県総体のことを考えてしまいます。

今の自分には正直、負けて泣いている自分しか見えません。

 

自分は今、芸術系の大学を第1志望として、特に実技対策の学習を毎日帰ったあと夜遅くまでしています。その大学は非常に倍率が高いです。

最近は部活なんかをやっていて良いのか、不安で不安で苦しいです。

この半年間、どんな辛い時も「自分が折れたらチームが終わる。」そう思って取り組んできました。

けれど最近は、自分がいてもいなくてもきっとチームは変わらないのではないかと考えてしまいます。 

 

前置きが大変長くなってしまいすみません。

先生に質問があります。

①自分はこのチームに、後輩に、あと半年間で何を残せるでしょうか。残さなければならないのでしょうか。

②津野先生の考える、チームの変え方

を教えて頂きたいです。

 

お忙しいとは思いますが、お時間のある時にどうかお返事頂けると幸いです。

 

山科信二

2021.12月

 

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山科君、初めまして。

 

深く感動いたしました。

チームの先頭に立って目標を立て、真剣に理想を追いながらも毎日のように理想と現実のギャップに悩み、見えない未来に不安を抱えながらなんとか活路を見いだそうとしている君に大きな敬意を送りたいです。

本気だからこそ、こうして僕に真摯な思いを伝えてくれたのだと思います。

誠実に受け止めます。

 

結論から言うと、悩み続けること、もがき続けること、それしかないのです。

コツも魔法も特効薬もありません。

人生を幸せに生きるコツも魔法も特効薬もないのと同じです。(世の中にはコツや魔法や特効薬であるかのようなhow to本や情報が溢れていますが)

 

自分は今、芸術系の大学を第1志望として、特に実技対策の学習を毎日帰ったあと夜遅くまでしています。最近は部活なんかをやっていて良いのか不安で不安で苦しいです。この半年間、どんな辛い時も「自分が折れたらチームが終わる。」そう思って取り組んできました。けれど最近は、自分がいてもいなくてもきっとチームは変わらないのではないかと考えてしまいます。

 →ここだけが、とても気になるところです。

山科君は、今の自分が少なくとも好きではないのですか?

上手くいかないことだらけだし、結果も出ないけど、理想と使命感を持って難題に向かっていく自分が嫌いですか?

もし、そうなら、さっさとコートから去ればいいのです。

ただ、そうだとしたら、芸術なんて目指しちゃダメですよ。

 

自分がいてもいなくてもチームは変わらないかもしれない。

そうかもしれないし、そうでないかもしれない。

「結果承認」を求めているんですよ、山科君は。

生きることとは、結果じゃありません。

人生において、トライとはそういうことじゃないはずです。

上手くいかないかもしれない、何もかわらないかもしれない、でも自分が選んだ道ならば、あと半年、全力でトライする。今を全力で生きること。そこに命はあります。

それは、たとえばマッチポイントのポーチボレーだし、人生のトライだし、芸術そのものだと思います。

トライすること、挑戦すること、その意志と実行にしか価値はない。

古今東西、芸術家は自分の理想を持ち、理解してもらえなくとも、なかなか認められず賞をもらったりできなくとも、それでも芸術に情熱を傾け、少なくとも自分の芸術の理想を求めてもがき続けて、サラリーや地位やヒエラルキーや数値や偏差値や・・・そういうものの極北で生きる人だと思います。

若いうちから損得計算して生きる人に、誰の心を打つ作品がつくれると言うのです。

結果はどうあれ、自分の理想に向かってもがき(理想が遠いからこそ苦しみもがくのですよ)、苦しみ、なんとかして一筋の光明を見つけようとする日々こそが貴重で価値あるものだと思います。

若い時のその経験が、将来の言葉や作品に深みを与えるのは間違いないのです。

 

ただね、ここはちょっと弱音を吐いたんだよね。

それはわかるよ。

 弱音を吐くことも、悪いことじゃないんだ。

それは、なんとかしたいという思いから出た「ため息」だと理解します。

 ※  ※  ※

さて、今後だね。

まず、聞きたいのは、2年生が3人だということだけど、残りの2人とは意思疎通できないの?

思いを真剣にぶつけてみて、自分たちの代の県総体、ベスト4目指して一緒にチーム改革しよう、と訴えられないのかな?

この秋のDream Factoryの生徒のノートにもあったように、僕はどんなにひどい状況でも同士が3人いれば必ず打開できる、って伝えたんだけど、山科君の高校の2年生3人はどうですか? 

2年生3人(マネも含めてもいい)で、ペアやオーダー、1年生への指導、スケジュール管理等を係り分担した上で、チーム全体にはその担当が伝える。

そうやって、ブレーン制を敷いて問題解決にあたることは可能ですか?

まずは、そこから考えたいね。

 

また連絡してください。

遠慮することはありません。 

僕は、君のような真っ直ぐであるがゆえに疎外されていくような人間に大きな魅力を感じます。

力になれるかどうかわかりませんが、何らかの気づきがこれからきっとありますよ。

 

北越高校 津野誠司

2021.12月

 

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津野先生

お忙しい中、お返事ありがとうございます。

直接的な関わりが何も無いにもかかわらず、ここまで自分の思いに真剣にぶつかってくれる大人がいる事に驚き、深く感動しました。 

「結果承認を求めている」、考えてみれば確かにその通りであると思います。

トライし続けることこそが大事で、それはテニスも芸術も同じ。高校に入ってから何度も自分の中で思っていたはずなのに、いつの間にかそれを忘れてしまっていたことに気付かされました。

トライし続けます。ありがとうございます。

 

の2年生との対話、ですが自分以外の2年生は副部長のA、もう1人のB、マネージャーがいます。

何かこういう取り組みをしたい、と思ったときには特にAにはできるだけ1度相談し、その後で全体に連絡するようにしていました。

ですが、チームの事を3人で深く話し合ったことはほとんど無かったです。

というのも、実際やる気があるのか無いのか分からず、そこにぶつかっていくことで自分たちの関係が崩れていくのが怖かったのだと今思います。

けど、自分が本気でぶつかって心を開かなければ何も変わりませんよね。

もう一度、ブレーン制も含めて話し合いたいと思います。

ただ、Bは、インドア大会で勝ち進むことが出来なければ部活をやめると言っています。

理由は受験勉強に集中したい、テニスをやっていて楽しさなどのメリットを感じなくなってしまった、というものです。

B は前々からその事を自分達2人に言っていて、なんとか止めていたのですが、今回は本気で辞めようとしていると感じています。

B は1番手後衛で、多少やる気がなくとも練習中はしっかりと集中し、指導者がいないながらも高校に入ってから確実にレベルアップしてきています。

B がチームから抜けてしまうのは正直厳しいと言わざるを得ません。

けれど、もちろん決定権はB にあるし、B の将来に自分が責任を持つことなんて出来ません。

それでも説得するべきでしょうか、B の考えを受け入れ、気持ち良く送り出すべきなのでしょうか。

もう1つ悩んでいることがあります。

それは1年生の主体性が全くないことです。

誰かが動き出さなさければ動かない、なにかする時はいつも誰かと一緒、指示されなければいつまでも変わらず、変わってもすぐ元に戻ってしまう。

アドバイスをするのもほとんど2年生からで、なんというか、食らいついていくような必死さや全力さが足りないように感じています。

彼らを変えるには何が必要なのか毎日考えています。

根気強く言い続けることが必要なのか、1度自分が身を引いて気づかせることが必要なのか、はたまた何かもっと大きなターニングポイントやきっかけが必要なのか。これに対する先生の考えをお聞かせ願いたいです。

2021.12月

山科信二

 

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 ・

山科君、返信遅れてすみません。

 

戦いモードに入っていました。

いずれ、Dream Factoryに書きますが、今回、北越女子は県の選抜大会で決勝リーグを勝ち抜けませんでした。

今年の3年生が引退してからの大きな戦力ダウンをリカバーしきれませんでした。

こういう冬もあります。

そこからまた学んで、成長していく。

ソフトテニスという競技を通じての成長、そして自立、その過程でのいくつもの挫折と感動。

その一つひとつが大切なのですから。

 

さて、山科君の質問に応えていきますね。

1.B君のことについて

B君は3人しかいない仲間の最後の半年ですから、当然説得すべきです。

それは何よりもB君のためです。

理由は前回述べた通りです。

結果が出る出ないはわからない。

わからないけど、今選んだフィールドで全力を尽くす。

それが、部活でも大学でも人生でも同じ、ということ。

頑張ってきたことは、最後までやり続けることで、何かが生まれ、何か将来につながる種ができるのです。

ここでやめるのは、いろんな正当化を人間はしてしまいますが、人生全体から見れば「投げ出す」ことに他ならないからです。

それでも、「投げ出す」なら、それは仕方ないのです。

「投げ出した」過去を持って、その先の人生を歩む、それがその人の人生であり、それはそれで「アリ」なのです。

「アリ」というのは評価を伴わない「アリ」です。

その上で、山科君と他の二人(もしくはA君と二人)、そしてマネさんと今年のブレーンを組んで、役割分担をして、チームの遂行にあたるべきでしょう。

悩みも相談し、思いもオープンにしながら、1日1日を成長の現場にすることです。

マネージャーさんもはっきりとブレーンに組み込むといいと思います。

 

2.1年生のモチベーションアップについて

心の成長期である高校時代で、1年間の経験の差はとても大きなものです。

1年後になればはっきりわかることが、1年前には何も見えません。

1年生の心は、まだまだ高校時代が海のように広く長くどこまでも続いているように見えています。

切迫感など何もないでしょう。

山科君は違いますよね。

あと半年でゴールですから。

ゴールが見えていて、現在地を測れる山科君(それゆえに焦りも生まれる)と、現在地を全体の中から推し量れず、また推し量る意志もない1年生とは、意識の差は雲泥の差と言ってもいいくらいでしょう。

それは、我々北越高校とて同じことです。

大きく変わるターニングポイントは必要です。

それは冬の大会かもしれません。春の大会かもしれません。

ひょっとすると、来年の県総体の後かもしれません。

2年生は、まず自分たちの代の結束を高め、理想を話し合い、その上で、1年生を少しずつ巻き込んでいくのが自然だと思います。

立ち位置が全く違うので、1年生は日々変わらないように見えます。

でも少しずつ、変わろうとする者も現れてくるものです。

ここは、焦らず、でも必ず成長するものとして、共に生きることです。

 

 

今日は、北越高校は負けた次の日。

みんなドーンと落ちている朝でしょうが、そこでの「学び」もあるのです。

お互い、今日も何か「気づき」がありますように。

 

では、また。

津野誠司

2021.12月

 

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先生お久しぶりです。

あけましておめでとうございます。

返信が遅くなってしまったこと、申し訳ありません。

色々と行事などが重なってしまいました。

 

北越高校女子、負けてしまったのですね、、

結果を聞いたときとても驚きました。

ここから這い上がり、夏に勝利を収める北越を楽しみにしています。

 

ここから自分たちの話になりますが、まず退部しようとしていたBですが自分が止めようとした時にはもう既に顧問の先生に退部届を提出していて、先生との話が済んでいたようでした。

後から自分の気持ちは伝えましたが、それから部活には来ていません。

 

Bの退部を受け、ここでチームが落ち込んでしまってはいけないと先生に提案されたブレーン制を導入してみました。

しかし、何しろ前例のない初めての取り組みで、いくつか例は提案してみるものの皆やり方が分からず、結局今まで通り自分がやってしまうという、現在も試行錯誤の段階です。 

また、やはりこの大会の少ない時期、チームの士気も下がりがちなのか、体調不良者や無断欠席者も増え、メニューの取り組みもイマイチで中々練習の雰囲気も良くありません。

声出しや欠席について部員に注意するものの、自分が注意することに「慣れ」てしまっているのか、以前のような効力はありません。

伝え方ややり方を変えてみるものの、中々上手くいきません。

部長という立場でありながら、求められている実力が無いことは自分でも十分理解していて、それを克服するために練習しているつもりです。

それでもやはり、何かを部員に諭すとき説得力や力不足を感じてしまいます。

実際、少し苛立ちを覚えている部員もいると思います。

やはり実力の伴った人物に指示や指導をしてもらうのが最適なのでしょうか?

 

また、1年生の中に1人やる気の無い部員がいます。

最初、自分は彼がかなり強い意志を持って、高校からでも上手くなるんだという気持ちで部活に入ったのでは、と思っていました。

しかし練習の取り組みもあまり良くなく、言われたことはやるがそこまで、といった感じでまるでやらされているようでした。

秋になり少しずつ周りの1年生が変わっていく中、彼は中々変化が訪れず、自分もどのように促せば良いのか、悩んでいました。

今日の練習のことです。

前衛がボレーした目の前のボールを全く取る素振りも見せず見逃してしまいます。

そこで僕はつい感情的になってしまい、「やる気ないならやめていいよ」と言ってしまいました。

その後、何事もなく練習は終わりましたが、今とても後悔しています。

帰ってきてから彼のSNSできっと自分に対してであろう言葉が書かれていました。

強制では無い部活で自分で選んで入ったにも関わらず、なぜ練習を面倒くさがって本気にならず、チームに迷惑をかけてしまうのか、正直自分には理解ができません。

ただ、彼にも事情があるのかもしれません。

明日から新学期なのですが、明日の部活でしっかりと彼と一対一で話をしてみようと思います。

とても怖くて不安ですが、今まで自分が彼と向き合ってこなかった代償なのだと感じています。

これからもっとメンバー1人1人と向き合いたいと思います。

 

また、最近になり、自分が本当に勝ちたいと思っているのか、何か使命感のようなものに駆られて頑張っているだけなのではないかと思うようになりました。

目標を明確にイメージし続けるために必要なこととは何なのでしょうか?

 

最後になりますが、先生にアドバイスを頂いてからほんの少しですが、前に比べて未来に対する絶望感がなくなりました。

 

お忙しいとは思いますが返信お待ちしております。

2022.1月

山科信二

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山科君 

連絡ありがとう。

 

冬は厳しい季節です。

木々も葉を落とし、また来る春に向けて、寒さに耐えながら、命の内部に心を向けている季節です。

我々、人間も木々と同じ命。

いろいろ耐えながら、我々の本質へ目を向ける時だと思います。

 

さて、山科君のチームもいろいろ動きがあったのですね。

 

先生に提案されたブレーン制を導入してみました。しかし何しろ前例のない初めての取り組みで、いくつか例は提案してみるものの皆やり方が分からず、結局今まで通り自分がやってしまうという、現在も試行錯誤の段階です。

→いいですね!

そうなんです。試行錯誤こそが力の醸成です。すぐに結果が出ることの方が危ないです。

何度失敗しても、ブレーンに諮る、これを自分に戒めてください。

最終的に山科君の意見の通りに進むとしても、その過程で問題点をブレーンで共有するということが重要です。

繰り返すことで、試行錯誤の積み重ねがあり、必ずブレーンがチームとして力を育みます。

最初は上手くいかないのが普通です。

そこで、焦って独断専行に戻らないことです。

春は遠くないですが、そこまでの日々はまだたくさんあります。

 

部長という立場でありながら、部員に諭すとき説得力や力不足を感じてしまいます。やはり実力の伴った人物に指示や指導をしてもらうのが最適なのでしょうか?

→いやいや、それは民主主義が機能しないから独裁者を希求するのと同じです。

まずは、山科君の実感をブレーンにオープンにしましょう。

そして、作戦を立てましょう。

マネに初め伝えてもらって、副部長にも話をしてもらう。

最後に、山科君が補ったり、みんなで決め事をしたり、チームとして全体前へ進むようブレーンで話をしていくといいと思います。

誠実に話をすれば絶対に分かり合えるし、問題と捉えられたら改善を図るべきだという原則は共有できるはずです。

・ 

僕はつい感情的になってしまい、「やる気ないならやめていいよ」と言ってしまいました。その後、何事もなく練習は終わりましたが今とても後悔しています。

→そうだね。これは反省だね。明日謝るべきです。

僕もボールを追わない選手に「頑張る気がないなら帰れ」と言うことはあります。

でも、それは、「自分を克えて強くなれ!!」って思いが伝わると信じているからです。

SNSの言葉は気にしないことですね。SNS空間はこのようなネガティブな「ため息」が満ちあふれていますから。

失敗した時に、人にとって何よりも大切なのは、「誠実」であることです。

僕も失敗したときや、信頼が得られないような時に、自分に何度も言い聞かせるのは、「苦しい時ほど誠実に。」です。

必ず、信頼は返ってきますよ。

明日、話す時には、謝ると同時に、その1年生への希望も伝えること。

初心者として始めたからこそ、頑張ってほしいし、3年生になったら、今回結果を出した1年生ペアと一緒に団体メンバーになってほしい、とかね。

山科君の彼への希望、期待を伝えるんです。

どうして真面目に練習しないんだ、とかマイナス指摘は、明日は抱き合わせにしないことですよ。

 

また、最近になり、自分が本当に勝ちたいと思っているのか、何か使命感のようなものに駆られて頑張っているだけなのではないかと思うようになりました。目標を明確にイメージし続けるために必要なこととは何なのでしょうか?

→これは、君の弱さです。

そんなことはどちらでもいいのです。

本当に勝ちたいと思って頑張っているのもよし。使命感に駆られてチームをまとめようとしているのもよし。どっちもあるならもっとよし。

「そもそも論」に逃げるのは、弱者の常套手段です。現実逃避なのですよ。

目の前の大切な青春の1日を全力で生きる、それしかないです。

試行錯誤から逃げないことです。

試行錯誤、迷いの日々こそ尊いのです。 

 ・

2022.1月

 津野誠司 

(続く)

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2022年8月14日 (日)

DREAM FACTORY 2022 盛夏

入澤・本間 IH個人 3位!

新潟県として58年ぶりの快挙

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半世紀以上、固く閉ざされていたIHベスト4への扉を入澤・本間が開けました。

高校女子としてはWフォワードでの初のメダル獲得ではないでしょうか。

ご覧になっていた元全日本の監督さんから、「一番面白いテニスしていたよ。わくわくした。このまま優勝するって思った。」と言われました。

残念ながら、目指していた日本一には届きませんでしたが、前へ前へ、相手を崩してネットに詰める、超攻撃的Wフォワードを貫いての銅メダル。本当に素晴らしい戦いでした。

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「負けないファイナル」の神話は、IHでも健在でした。

2日目の初戦4回戦から3試合連続のファイナル勝負。

優勝候補も含まれる強豪を自分たちの磨いてきた超攻撃的テニスで差し切る強さは本物でした。

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2年前、コロナでIHが中止になった年に入学してきた世代です。

W後衛だった二人を「1」から鍛えて中間ポジションのネットプレーを一つ一つ身につけさせていった日々が懐かしいです。

2年生の後半からは、コミュニケーション能力が高かった(高くなった)二人と、戦略や戦術、そのために必要なスキルについて毎日のように話をしました。

二人からのフィードバックがあるので、こちらもコーチとしての気づきもたくさんあり、大会ごとにtry&errorを繰り返しながら、この愛媛IHに照準を合わせてきました。

昨年の石川IHでの5回戦敗退、3月の全国私学の敗退、6月の札幌ハイジャパでの敗退、全国大会での貴重な敗退経験をすべて生かして戦えたと思います。

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IHの準決勝、僕には特別の思い入れがありました。

遡ること23年前、僕を初めてIHに連れて行ってくれたのは、新潟東高校の子供たちでした。

平成11年 岩手県北上市のIHです。

出場した2ペア、ともにあっと言う間の初戦敗退。

30代でしたね。

ひたすら我武者羅に、本当に365日我武者羅に選手と目指したIH。

その夢舞台で全く戦えない。

その事実に呆然としたことを覚えています。(ああ懐かしい)

2日目は、準決勝から両脇のコートを開放して観覧させてくれます。

北上市のコートサイドで準決勝を観戦しながら、

いつか、遠くてもいい、いつか…

このロープの内側で選手と戦うことができるのだろうか…

そう思いました。

あれから23年が経っていました。

どれほど感動するんだろうと若い頃は思っていましたが、実際ロープの内側で戦う身としてはそんな感慨にふけっている暇は全くありません。

瞬間瞬間のこちら&あちらの情報収集と判断、刻々と変わる状況変化に応じての修正、次のベンチワークの指示の整理、こちらのマインドセットの確認。

30分間の「戦争」です。

二人は今回、本当にブレませんでした。

「攻めて前へ」

徹底しました。

ストローク戦になっても守らない。

常に攻め続けること。

この日のために、3年間のすべてが必要だったんだな、と思います。

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<キャプテン 入澤瑛麻のノートから>


「超えるべきは 今、この瞬間!  雑な自分と戦い、自分を超えろ!」

このタイトルをノートに書き続けて1年。

そして、今日このタイトルを書きながら実感した。

「私、引退しちゃうんだな」って。

愛媛 今治インターハイ。

私、やり切ったと思う。

悔いはない!!

津野先生、3年間、本当にありがとうございました。

1年生の頃は本当にガキで、自分で何もわからないレベルで、本当に子供だった。

でもそこから、日本一に向けて、高校女子の誰も本気で取り組んだことのない攻撃的Wフォワードで全国の頂点を目指そうって、友里那と先生と3人で創り上げてきた。

正直言うと、Wフォワードが全然うまくいかずに、W後衛に戻した方が勝てるし、Wフォワードは私には向いていないんじゃないか、と思ったことが何度もありました。

実際、うまくいかないとすぐに守備的になり、先生に何度も伝えられましたね。

「信じて、前へ行け!」

そして、今回のインターハイ、私たちはWフォワードで格上の選手に挑みつづけ、リードされてもファイナルのギリギリの場面でも、躊躇しないで、二人で前へ出続けた。

そしてつかんだ全国3位。

「Wフォワードでベスト4」、こう言えることが嬉しいです。

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インターハイを通して、ミスをしない方が勝つ、それは確かだ。

W後衛もたくさんいた。でも見ていて、何かつまらない。

日本一には届かなかったけど、私たちは日本一攻め続けられたと思う。

何より、私自身が、Wフォワードを最高に楽しめました。

そして、友里那。

直接口に出すことはないけど、感謝でいっぱいです。

小学生から一番一緒に過ごして来た。迷惑もいっぱいかけた。

でも、二人の最後のインターハイでベストを出せて本当によかった。

12年間やってきたソフトテニス、その集大成として最後に自分のベストを表現できた、私は幸せ者です。

ありがとう。

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団体戦は第1シード東北高校に負けて2回戦敗退。

これで愛媛IHを目指した1年は終了した。

これからは北海道IHに向けて、今度は私がこのチームを日本一のチームにします。

私がしてもらったこと、必ず後輩に送ります。

私が表現したことは、

どんなに格上であっても、日本一の実績者であっても、努力して勝てないことは絶対にない!

ということ。

後輩たち、これから365日。

北海道で、大きな花を咲かせてね!

(キャプテン 入澤瑛麻)

団体 東北戦

コートに響き渡った部長の檄(げき)

時を止めた 純粋な心の叫び

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団体2回戦 1コート

第1シード 東北高校との戦い

お互いのエースが勝って、3番勝負。

相手は昨年の優勝メンバーで、前日の個人戦3位のペア。

こちらは、県総体すら勝ち抜けず、全国経験のない1,2年生ペア。

特に後衛の冨樫は、直前に急遽出場することになった1年生です。

雰囲気に飲まれ、緊張に飲まれ、自分を見失っていきました。

ボールが相手コートに収まりません。

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ゲームカウント0-2のカウントは0-2か0-3だったでしょうか。

G0-3で戻ってくるのは明らかで、もう戦術レベルの問題ではありません、僕はベンチワークで少しでも励ますべきか、気持ちを奮い立たせるか、そんなことを思案していました。

その時、隣に座っていた本間友里那が反対側にいた冨樫・須貝に声を張り上げます。

「ねえ、二人とも、誰のために戦ってんの!」

北越の団体メンバーは、必ず「誰かのために」戦うことを誓ってコートに立ちます。

目の前の二人はその誓いなど遠くに吹き飛んでしまったかのように、自分の中で閉じてしまい、あたかも早くこの辛い現実から「敗退」という言い訳で逃れたいと思っているかのようでした。

この試合、コロナ感染拡大予防のため、声を出しての応援は禁止されていました。

もちろん、本間もわかっています。

わかっていますが、内なる叫びを制止できなかった。より正確には、まっしぐらに自分を見失って堕ちていく後輩を目の前にして、部長としておめおめと「見殺し」にできなかった。ルールを超えて、己の内なる誠実さに従ったのだと思います。

ルールに従う誠実。

ルールを超えて(破ってとはあえて言いません)後輩を救うべきだという誠実。

これは、マイケルサンデルの「正義」をめぐる議論を彷彿とさせるモデルだと思います。

本間友里那という人間は、こんな大胆なことをする子ではありませんでした。むしろ真逆。真面目できまりは墨守する。冒険はできない。何らかの保障もしくはお墨付きを得られるという条件下でしか前へ進めない。そんなひと昔前の学級委員タイプの子でした。

この「真面目さ」は大切なことですが、競技上ではマイナスに働くことが多いです。

選手のマインド傾向は「農耕系」と「狩猟系」に分けられますが、本間は「農耕系」の代表格です。

意味不明ですか? 

「農耕系」とは一所懸命に与えられた作業をひたすらミスなく来る日も来る日もやり続けるマインドセットのこと。「狩猟系」とは逆に、挑戦的に新しいものを開拓し、リスクを恐れず冒険するマインドセットのこと。基本的に「農耕系」は守備的であり、「狩猟系」は攻撃的であると言えます。

超攻撃的Wフォワードの完成を目指す僕らにとって、本間の「農耕系マインド」は変換されるべきだと思ったのです。実際、1,2年生の頃の本間は、苦しくなるとすぐにベースラインに下がる、無難なテニスに戻る。そこが彼女のマインドセットの故郷だからです。

本間もその点はよーくわかっていて、テニスノートにでかでかと目標として書いたりしていました。

ちなみに、ペアの入澤は典型的な「狩猟系」で、「え! そこからアタック行く?」みたいなプレーが大好きです。ただ、このタイプの弱点は、リスクを冒して攻めるべき場面と、我慢すべき場面の区別がつかないことです。ワンプレーでポイントをゲットできる武器があるから、苦しい場面でそれを使いたくなる。入澤とはそこを徹底的に話し合い、検証し合い、己を知らしめることで、「したいプレーより、するべきプレー」を考えさせてきました。

今回のインターハイで、二人のそれぞれの長所と短所はほぼ完璧に修正されバランスが保たれていたと思います。あえて言えば、準決勝でそのバランスが崩れた。崩れた結果、敗退した、そう捉えています。

本間の「農耕系マインド」に話を戻しますが、このマインドセットは、人を指導したり、何かのプロジェクトの核になるべき人間にとって、やはり「超えるべき課題」だと考えています。

日本という国自体が「農耕系マインド」の極北にありますから、同調圧力に弱く、他者からの視線を必要以上に気にし、承認欲求が強く、権力者に忖度しがちです。

僕は本間友里那という人間を、将来必ず何らかのリーダーになるべき人物だと評価しているので、この「農耕系マインド」を一度解体し、「狩猟系マインド」をブレンドさせて、バランスのとれたリーダーマインドを作ってあげたいと思っていました。

ですから、あの叫びは、本間が自分を「超えた」瞬間だったのかもしれません。

ルールに従うことを絶対視する「農耕系正義」と、ルールを超えて自分の意志でするべきことを実行する「狩猟系正義」。

僕は、本間の行動を支持します。

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あの日、大会役員のルール統制は厳しいものでした。

疑わしきはすべて警告、そんな打ち合わせがあったかのようでした。

しかし、あの瞬間、審判もコート主任も、沈黙しました。

真向いの方からは「イエローカード、イエローカード」という囁きも聞こえてきましたが、役員の皆さん全員が動きを止めた。

あまりにあからさまな「ルール破り」にどう行動すべきかとっさに判断できなかった(マニュアルにはないでしょうから)という解釈も成り立ちますが、僕はそうではないと信じたい。

役員の皆さんの多くは教員だと思います。

「取り締まり」に任務がありながら、本気で仲間を思い鼓舞する本間の叫びに、高校生本来の純粋で熱い青春のドラマを見たのではなかったか。

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インターハイとは、競技会の形ではあるけれど、それは青春のエネルギーがぶつかり合い、共鳴し合い、発光し合う、かけがえのない人生1回きりの至高の舞台ではなかったか。

それが言い過ぎだとしても、あのあまりにも真っ直ぐな心に出会って、「取り締まり」の任務を一瞬忘れてしまったと思いたい。

そして、一瞬任務を忘れてしまった皆さんを、心ある教員だと思い、感謝したい。

僕はそう思っています。

G0-3のベンチワークは本間に任せました。

部長として、悔いを残させたくない、その一点です。

本間の純粋で骨太の言葉は冨樫を変えました。

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県総体以来、力をつけてきたテンポあるストロークでラリーをするようになりました。

須貝も思い切った勝負が決まって、G1-3。

次のゲームも競り合ってデュース。相手のマッチポイントを何度も跳ね返してアゲインが続きます。

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実際、あのゲームを取ってG2-3になっていたら、勝機もありました。

しかし、連覇を狙う東北高校、そんな甘い期待を一蹴してくれました。

当たり前です。IHとは甘い期待が通用するところではありません。

負けました。

チーム本間、2回戦敗退。

今年も団体で全国エリート校の壁を破ることはできませんでした。

ただ、昨年のIHで和歌山信愛に負けた時「春からの本気じゃ間に合わない」ということを思い知った本間と入澤は、365日自分と闘い続け、自分と向き合い続けた結果、新潟県として半世紀ぶりのベスト4への扉を開いて、新たな光を新潟県の球史に注いでくれました。

その姿を見てきた1,2年生が、今後どんなドラマを築いていくのか。とても楽しみです。

今年の負けは、大いなるドラマを伴った希望の種です。

来年の北海道で咲かせます。

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<部長 本間友里那のノートから>

団体戦、東北にかなわなかった。

けど、来年につながる負けにはなったと思う。

特に、冨樫と須貝は「戦って」くれた。

警告覚悟の、私のあの言葉は、自然と私の中から出てきたものだ。

自分でもびっくりするくらい腹の底から声が出た。

隣のコートの選手までもプレーをやめて注目していた。

1,2年生の時の私じゃ考えられないことだ。

周りの目を気にして、人から見た「正しさ」を絶対視して、自分をさらけ出せなかった。

私は、ルールを破ったのかもしれないけど、このままミスの連発で負けてしまったら、冨樫にとって、このインターハイは悔いしか残らないと思った。

部長としてやれることがあったのに何もしないで、すべてが終わってから「あの時は・・・」なんて言う卑怯な人間でいたくなかった。

冨樫は「また着火されて」になっちゃったけど、あの後、精一杯戦ってくれた。

私は、「北越」というゼッケンで挑んだ最後のIH、個人戦でWフォワードとしても、そして団体戦でリーダーとしても、自分の小ささから逃げずに向かっていけたなって思う。

1年生から、Wフォワードにトライしつづけてこれたのも、私の「真面目な」小ささに向き合わせてくれたのも、津野先生のおかげです。

本当にありがとうございます。

そして、瑛麻にも感謝です。

小学校1年生から、ずーっと組んできて、全国では全然結果残せなかったけど、最後の最後でこうやって最高の結果を出せて良かった!

いつも、攻めのプレーで私をリードしてくれてありがとう!

1,2年生には、来年こそIHで東北を超えるために、365日を本当に本当に全力で生きてほしい。

誰もが弱さや「質」ってもっているけど、決して超えられないことはない。

ただ、「超える」には、

超えるべき瞬間を、自分で神様が与えてくれたチャンスなんだって思えるかどうか。

そして、そこに強い意志と勇気が必要なんだ。

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今までやってきた中で、みんなに「変われ!」って伝えられている瞬間は何度もあったはず。だけど、変われてないとしたら、それを見て見ぬふりをしてスルーしているか、強い「心」を持っていないか、のいずれかなんだよ。

8月からは、新チームがスタート。

たくさん失敗して強くなれ!

(部長 本間友里那)

最後に、1年生ペアとして出場し、1回戦、群馬代表の健大高崎戦でエースを倒した前衛 渡邉七瀬のノートを来年の北海道への誓いとして載せて、この1年を締めくくります。

今日の団体戦、私は昨日宣言した通りに戦えたと思います。

あの会場の雰囲気や初めての全国の舞台に緊張もあり不安もありましたが、今日のこの瞬間のためにやってきたことを力に換えて、「チームのために」って思い続けて戦いました。

ただ、私が圧倒されたのは、キャプテンの入澤さんと部長の本間さんの姿です。

春の入学以来、いつも言葉だけではなく、行動・姿で私たちの目指すべき場所を示してくれる二人は、私の誇りだし、心から尊敬する存在です。

自分たちの言ったことは必ずやり遂げる。

だから信頼できるし、この人についていきたいって思います。

圧巻だったのは、東北戦の第3対戦。

冨樫が、緊張からか、ラケットを振ってもネット・アウトの連発で、ボールが収まらない。

若菜先輩も全くからめず、どんな相手にでも向かっていく北越の姿からどんどん遠のいているのがわかりました。

その時です。

「二人とも、誰のために戦ってんの!」

友里那先輩が、ベンチから大声を張り上げました。

その瞬間、1コートの空気が変わりました。

チームリーダーがチームと心を一つにして一緒に戦うって、こういうことなんだなって実感した瞬間でした。

コートで自分たちが試合をしている時じゃない時も、部長として後輩と一緒に戦っている。どん底へ落ちかけている後輩をイエローカード覚悟で火をつけようとしている。

改めて、この人、本当にカッコいい。そしてすごい!

そんな単純な言葉しか出て来ないですが、あの瞬間にチーム北越のすべてが現れていたような気がします。

「東北にはかなわなかった」

それで終わりではなく、それが始まり。

「日々向上」

先生がよくノートに書いてくださるこの言葉。

この言葉通り、日々少しずつ、着実に成長していくチームでありたいです。

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・ 
3年生、ありがとうございました。

感情も考えも何もないままテニスをしてきた私が、北越に入って今まで見たこともない人たちに出会いました。

「日本一」っていう目標を掲げて、たくさんのことに挑戦し、苦戦し、失敗し、悩み、そして乗り超えていく先輩たちです。

そんな中でも、幼い私たちに声をかけてくださり、導いてくださる先輩ってすごいと心底思う時がたくさんありました。

それは、きっと多くの失敗や挫折を経験して、そこから学んで、仲間同士で伝え合って自分の弱さと戦い続けてきたからなんだと思います。

そんな自慢の3年生がこれで引退になり、一緒に戦うことはできなくなりますが、3年生の卒業までの間に、もっと多くのことを学んで盗んで、私は強くなって、「姿」で感謝の気持ちを伝えられるように頑張ります。

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・ 
北海道IHで、東北にリベンジ!

これから大きな壁にぶち当たっても、決してあきらめず、チームとして成長しつづけて、「私たちならできる!」という気持ちを一瞬たりとも忘れません。

私は誰かに頼る自分から卒業します。

私がチームを引っ張って、来年、絶対、日本一!

3年生、見ていてください。

(1年 渡邉七瀬)

2022年7月 5日 (火)

DREAM FACTORY 2022 梅雨明け

遅咲きのタンポポ 初めての団体戦

自己ベストで、北信越 銅メダルに貢献!

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タンポポの黄色い花は、春の訪れを感じさせるものですが、野原や道端で初夏に咲いているタンポポも珍しくありません。秋まで咲くそうです。

生命力が強く、アスファルトの裂け目から強靭に茎をのばし、花を広げているタンポポもあります。

佐藤麻央の3年の夏に咲いた花は、まさにこの「遅咲きのタンポポ」、アスファルトの割れ目に咲いた一輪の黄色い花のようでした。

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佐藤の長所はガッツ。二番目の長所もガッツ。三番目も四番目もガッツです。

一方で欠点もガッツ。上半身でガッツリとラケットを振り回します。

僕には「佐藤のラリアット打ち」と命名されていました。(ラリアットは佐藤が大好きなプロレスの技です。知らない人はググってみてください)

せっかく相手に短いボールを打たせて、高い打点でウイニングショットを決めようとすると、「ラリアット打ち」で、ネット下段。

ガッツリと身体に力が入っているのに手先だけ力を抜こうとするから面が薄くなって、これもネット下段。

佐藤の3年間は、ストロークの安定を求めて求めてさまよい続けた日々でした。

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ただ、2年後半になるとフィジカル力がついてきて、コートカバーリングが広くなりました。それから、バックストロークを身体で振り切れるようになり、振り回されることに心配がなくなりました。1stサービスは波がありましたが、日々の探究が確実に成果につながっていました。

冬のセンバツは、佐藤のガッツとチームへの貢献度から団体戦で使うことに決まっていたのですが、なんと試合前日の練習で靭帯損傷。チームは県予選で負けてしまいます。

さらに、佐藤には「人に流されやすい」というメンタル的な弱点があり、2年生まではコート外で何度も失敗しては反省、また懲りずに失敗して反省を繰り返していました。心は深いのです。感動する心も感謝する心もしっかり持っています。でも、人に流されてしまう。不等号の向きがどうしても変わりませんでした。

前回の丸山優芽のところでも書きましたが、佐藤が大きく成長したのは、2年生の終わりから3年生になってからです。

春休みの練習試合を通して、力任せの「ノータッチエースの麻薬」をコントロールできるようになったことがまず成長につながったと思います。ペアの丸山の成長もあり、初めて前衛を生かす配球に目覚めます。

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それから、何よりも自分の弱点やもろさに逃げずに(今度こそ)向き合いながら、チームマネージメントに積極的にかかわっていき、後輩の面倒を親身になってやっているうちに、自然と物事を多面的に感じ、考えられるようになっていったと思います。仲間からの助言もあって、日々の生活を自律することで自らを自立させていったように感じました。

他者との交わりの中で自分と向き合いながら得た成長は、試合のコート上で必ず表れます。

その成果は、人として、リーダーとして、そして生きていく上でのライフスキルとして、自分が関わっていくあらゆるフィールドで還元されるものです。

自分の関わるフィールドで感じる「貢献感」こそ、社会で生きる「幸福」の実態です。

その「幸福」を手にした人間こそが「自信」を得る。

「自信」とは「他者に信じられていると感じられる自分」であって、「自分こそが他者に優越しているという選良意識」とは根本的に違うもの、むしろ対極にあるものだと思います。

いつも生徒の大きな成長を目の当たりにして思うことは、子どもだった選手たちが、「学年を超えて」「一つの目標に全員で」向かっていくこと、なかなか結果の見えない成長を「数年にまたがって」「自分と向き合いながら」「他者とのかかわりによる自己相対化の力も使って」果たしていくこと、その「畑」を整え提供することこそが、学校部活動の最大の「教育的貢献」だと思っています。

勝利至上主義??? 何をおっしゃる・・・

いまや、行政もマスコミも部活動矮小化→消滅化(「社会体育移行」と看板には書いてあります)にベクトルを合わせてひた走り始めました。

部活動のネガティブな面ばかりが強調され(一部の大人による故意のプロパガンダなので仕方ないのですが)、人材育成(大げさに言えば国の基の育成)として学校部活動が果たしてきた大きな役割を、歴史的なシステム変換の中でどう引き継ぎ活かしていくべきかという議論が決定的に抜けていると思っています。

「資本主義的価値観」の教育現場への浸透、それに付随する「AI的効率そして数値化至上主義」の対人教育への侵攻は歯止めがかからない勢いで進んでいます。

「部活動改革(本当は消滅)」もその大きな波に飲み込まれる形で叫ばれている、というのが僕のマクロな捉え方です。

そんな大波に飲まれながらも、残り少ない教員人生、泥臭く人間臭く、数値化できない一人ひとりの成長にとことん付き合い、だからこそぶつかり合い、そして最後には喜びあっていきたいと思っています。

ごめんなさい。筆が走りました。

さて、佐藤麻央のストーリーです。

人間的に大きく成長したものの、春の大会ではシード選手と互角に戦いながら大切なところで弱さが出たり、佐藤が乗り越えて戦っているのにペアの丸山が酷かったりで、なかなか結果につながりませんでした。

それでも、佐藤の成長は「絶対値」としてはっきりあったので、県総体でインターハイの切符を手にした以上、成果発揮の舞台を北信越でつくってやりたいと切に思いました。

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失敗しても弱さに負けそうになっても、それでもまた立ち上がり続けた佐藤は、雪の下でもロゼッタを張って雪の重みに耐え、たとえアスファルトでふさがれても、そこから這い上がって花を咲かせる遅咲きのタンポポと重なります。

北信越総体 in 富山県高岡市 2022/06/19  最終日 団体戦

初戦は県総体団体と同じ布陣で戦い、③ー0勝利。

準々決勝は、富山県3位ながら福井県の準優勝校を初戦で破って勢いのある地元福岡高校が相手でした。

第1対戦にエース入澤・本間。第2対戦で佐藤・丸山で勝負します。

第3対戦には1年生ペアの安藤・渡辺を置きました。初戦で不甲斐ない試合をした2年生の高橋よりも、1年生の勢いを買ったのと、佐藤・丸山は負ければ勝負を1年生に任せなければならないという背水の陣をあえて取りました。

佐藤と丸山の責任感を強さに換える成長に期待しました。

第1対戦は④ー0で北越勝利。

さあ、佐藤、初めてのチーム北越、団体戦。

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しかも北信越大会、ベスト4入賞をかけての大事な準々決勝です。

序盤は固かったです。

当たり前です。

ですが、ついにこの試合、「ラリアットミス」はありませんでした。

1stサーブもほぼ100%。

後衛とのラリーを主体にしながらもロブで走らせての丸山を生かした配球、競り合った場面での自らの前衛アタック。

佐藤に器用さはありません。

大きなテニスと適切な配球、思いきりのいいアタック攻撃。

練習でやってきたことをすべて出しました。

圧巻だったのは、G3-2リードながら、相手の粘り強さにミスが重なり、P1-3と追い込まれた場面でした。

佐藤は間をとり、何事か自分に言い聞かせ、気魄を失うことなくもう一度強さを取り戻し、そこから5ポイント連続で勝利したのです。

一緒に青春を過ごしてきたBチームの仲間たちに何度もガッツポーズをして、魂を共にして戦っている姿が感動的でした。

ようやく入場制限が撤廃された応援席には保護者の皆さんもお揃いの「タンポポ色」のTシャツを着て陣取り、1球ごとに熱い拍手を送ってくださいました。

麻央の涙、ペアの涙、お母さんの涙、遅れて咲きそろった遅咲きのタンポポの周りに感動の渦が広がりました。

今日の準々決勝は、3年4人の力だけで勝利!

すごく嬉しかった。

今まで苦労してきた4人が他の学年の力を借りずに勝ち取ったベスト4。

私は、やっとチーム北越の3年生の自覚をコート上で表現できたんだと思えた。

団体戦は、個人戦とは比べものにならないくらい、とにかく楽しかった!

喜ぶところでは、全員でガッツポーズをして自分だけじゃなくチーム全員で喜んでくれる。

初めての心地だった。

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コートに実際に立ってみると、これほど応援してくれる人たちの姿が目に入るんだって驚きだった。

チームのみんな、黄色いTシャツ姿の保護者の人たち、本当に私はチーム北越の一員として「夢の舞台」に立っているんだって実感できた。

初の団体戦で感じたものとして、「楽しさ」と同時に「厳しさ」がある。

私の1本はチームの1本になる。

そういう責任を伴う場面で使う技術って、私自身が信じれるものになっていなければ、本番の大事な場面で自信もってラケット振れないんだってわかった。

それから、もう一つ。

チーム全員が私を勝たせてくれた、という感謝だ。

正直、前半はミスが多かった。

それでもチーム全員が私の1球1球に声をかけてくれて、たとえミスしたとしても落ちることなく明るく元気に戦えたと思う。

特にベンチの反対側で戦っていた時、そっちの後ろの応援席にいるBチームの仲間の声掛けが聞こえて、「このままじゃ駄目だ。やるしかない。」って強く思えた。

ガッツポーズも何度もBチームの方を向いてやった。

特に、2年間一緒だった宮川の顔を見て、宮川と心を一つにして戦った。

1本決める。

後ろを振り返ってガッツポーズをすると宮川も立ち上がってガッツポーズしてくれていた。

震えるほど感動した。

ただ、正直、試合の序盤は緊張していて、身体の震えが止まらなかった。

だけど、なぜかベンチに戻ると、迎えてくれる先生、そしてみんなの笑顔。

こんなに北越の団体のベンチって落ち着けるんだって不思議な感じがした。

G3-2リードだったけど、P1-3で相手のゲームポイントだった時には、「ここ、ここを超えていく!」って思ったら、梨果先輩(1年先輩の近藤梨果)の顔が浮かんできた。

「麻央ならできる」

そう梨香先輩が笑って言ってくれてるような気がして、大きなエネルギーになった。

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あれだけ親身になって私の面倒を見てくれた梨香先輩に恩返しもできず、成長した姿も見せられないまま終わってしまったから、最後は梨香先輩に私の成長を見せたいと思えた。

そして、そこから連続ポイントで勝ちきった。

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戦い終わっても、一緒にやってきたBチームの仲間、後輩たち、そして保護者の皆さんが祝福してくれて幸せだった。

カッコいい試合とは言えないけど、私らしく最後まで戦いきれたと思います。

振り返ってみると、ちょうど1年前の北信越の団体戦。

私と優芽(丸山)は、サポートとして働いていたけど、当日バタついてチームの足を引っ張ってしまった。

それから1年、同じ大会の同じ舞台で、その優芽と組んでベスト4入賞を決めるなんて1年前は想像すらできなかった。

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こんなに温かく厳しく、弱い私を見捨てずに受け入れてくれて、支えてくれてありがとうございました。

これほど全員でテニスに真っ直ぐ打ち込める部活で3年間を過ごせて、私は幸せです。

北越に入るって決めたことは大きな挑戦だった。

できないことだらけだったけど、津野先生、柳先生、朋恵コーチ、愛香先輩、たくさんの熱い情熱を持った方々に出会えて、ちっぽけだった私は変われました。

そして、中学時代は雲の上の存在だった本間・入澤と同じチームで過ごし、最後は仲間としてチームを作り支えていけたことは、私の誇りです。

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3年間、ご指導ありがとうございました。

今まで私を育ててくれたたくさんの人たちの情熱を、今度は後輩たちに「恩送り」として捧げます。

私のできる精一杯を後輩に注ぎます。

(3年 佐藤麻央)

チームはその後の準決勝、県総体のメンバーに戻して戦いましたが、県総体で奇跡的勝利を収めた中越高校にリベンジされました。まだまだ本当の実力があるわけではない、という事実を素直に受け入れようね。

インターハイに向けて、大きな宿題をいただきました。

「地力」をつけなければなりません。

佐藤のように、アスファルトを破って自分のベストを尽くせる地に根っこを張った「地力」をつけねばなりません。

今年はなんと、6月に梅雨明けです。

新潟も連日猛暑が続いています。

愛媛、今治で地に根を生やした大きな向日葵を咲かせたいと思います。

今日も、チーム北越、泥臭く人間臭く、頑張ります。

入澤・本間 北信越個人連覇!

身に着けた「崖っぷちで負けない強さ」

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準々決勝から、「チーム石川」に対して「殲滅(せんめつ)戦」(インカレの団体で採用されている戦いで、相手の3ペアを全部倒して初めて勝利となる。最初のシリーズで1勝2敗だったとしても負けにならず、その生き残った1ペアが相手の勝った2ペアをすべて倒せば「勝利」になる方式)を仕掛けられたような戦いでした。

すべてファイナル。

そして、すべてが相手マッチからの逆転勝利でした。

崖っぷちに立たされた数はまさに数えきれません。合わせて10回くらいあったのではないでしょうか。

数学的な確率論から考えると、10回の相手マッチを切り抜けて勝つ確率は

2の10乗ですから、1,024。 1/1024になります。

これは、日常ではありえないことです。

1,024回も連続して「ついてる~」なんてありえない。

敵マッチポイントで発揮される「崖っぷちの強さ」を身に着けている、ということです。

それは何か、と言われると答えに窮するのですが、少なくとも、敵マッチポイントの数の10倍、いやひょっとすると100倍くらい、自分と真剣に向き合い、責任感の中でその苦境を超えてきた、その経験が礎になっている、とは確実に言えると思います。

メンタルタフネス、状況判断、決断したことをやりきる実行力、危険な暑さの中でのファイナル3試合(合計で2時間くらい)をこなしても衰えないフィジカルの強さ、二人で部長とキャプテンを務めながら3年間で身に着けたあらゆる「強さ」が血肉になっているのだと思います。

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本間友里那が何度も言うのですが、入澤・本間は中学校最後の北信越大会(全中への切符をかけたブロック予選)で、自分を見失い初戦敗退します。だから、「北信越大会で中学校の時のような思いは絶対しない」これを心に誓ってブロック大会に臨んでいます。

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高校2年生の夏の初優勝から、冬のセンバツの個人優勝、そして最後の夏の優勝で、3連覇。

しかも、最後は10回に及ぶ敵マッチポイントをしのいでの優勝。

神に「誓い」を試され、挑まれ、それを凌駕しての3連覇。

心から尊敬します。

おめでとう。

ハイスクールジャパンカップ2022

シングルス 本間友里那 銅メダル!

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北信越大会の翌週、札幌でのハイジャパに3年ぶりに参加しました。

水澤のシングルス連覇以来の札幌です。

全くのダークホースだった本間でしたが、1戦1戦、自分にできることを無欲で精一杯やり続けて全国のメダルまで届きました。

ハイジャパ本戦では、各県のシングルスチャンピオンとの戦いが1戦1戦続くわけで、ここでも「崖っぷちの強さ」を求められる場面が数多くありました。

結果として、④ー2、④ー1だったとしても、すべてのゲームで競り合っていて、その中での勝負ポイントや崖っぷちポイントでの「一人の」強さを求められるのがシングルスです。「一人で」強くなることを誓い、自分を作り上げてきた本間ですから、そういう意味での強さは多くの選手以上にあったと思います。

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準決勝では、指宿商業の吉木選手に力負けです。

特に、アジリティとスピードの差が顕著で、そのアドバンテージによって本間は打球に余裕を持つ時間を奪われ、主導権を取らせてもらえませんでした。

決勝にはいけませんでしたが、自己ベストで全国銅メダル獲得!

新潟県で3人目のシングルスのメダリスト。

大きな誇りです!!

ダブルスは3回戦で敗退しました。

敗因は、1stサービスが二人とも全く入らず、サービスゲームは守勢に回ってしまったこと。

逆に相手のカットサービスへの対応が守備的で、これもまた守勢に回ってしまう場面が多かったこと。

それから、初日の天候不良により、シングルスの準決勝・決勝とダブルスの戦いが日曜日にダブルスと同時進行で行われることになり、不器用な本間は気持ちと戦術的な切り替えが難しかったという面も否定できないと思います。

シングルスとダブルスの切り替えは傍から見ているよりも、選手にとってはとても難しいものです。戦術も打法も、テンポも距離感も異なります。あれだけシングルスで確率高く入っていた本間の1stサービスがダブルスでは全く入らなくなったのも、切り替えがうまくいかなかった現れだと感じています。

負けた言い訳のようで、言いづらいのですが、今後こういうケースも当然あるでしょうから、あえて提案したいと思います。

今回のように3日間の試合日程を2日間に短縮する場合は、どちらも出場する選手も多いことから、初日をシングルス。2日目をダブルストーナメント。とした方がいいように思います。

シングルスが決勝まで戦って6試合。ダブルスが1回戦の小さな山からで7試合。ですから、僕の案だと、初日最大6試合で2日目が7試合です。

一方、今回実施された区分けですと、初日が4試合で終了。終了後、時間的な余裕はかなりありました。

2日目のシングルスで決勝まで戦ってダブルスも決勝まで戦う場合は、2試合+7試合で、9試合になります。

6:7と4:9。アンバランスは歴然と思われます。

様々な事情はあることと思いますが、どちらが選手ファーストか、大会主催者の方に議論いただきたいと思いました。

それから、議論いただきたいと感じたことがもう一つあります。

今回のシングルス初日は大雨と強風注意報が出ておりました。このように悪天候が強く予想される場合の対応、特に引率者への説明についてです。

シングルス初日24日(金)の朝、強風と雨が断続的に続く中で、試合前公式練習を20分遅らせてスタート。すべての練習をやり終えてから、しばらくの時間があり(大会関係者が協議していたと思われます)、その後放送でその日の大会中止、ダブルスのリーグ戦→トーナメント戦への変更が伝えられました。

正直、あの悪天候の中で、しかも予報は昼過ぎにかけてさらに悪化することを告げており、本当に強行するのか、と驚いていました。しかも、今年からコート脇の駐車場が利用禁止となり、退避する場所もほとんどありません。

結果として、中止の決定は正しかったと思いますが、僕が疑問なのは、大会主催者の見通しと予定について、何ら引率責任者に説明がないことです。

インターハイでも、台風に襲われることは今までも何回かあり、連絡会にて高体連の見通し(判断)と予定(判断に基づく工程、例えば2回戦まではたたくとか)が説明され、少なくとも質問したり意見を言う機会はあります。

生徒が公欠で参加している大会である以上、引率者には生徒の安全について責任があり、場合によっては天気予報を見て心配する保護者や管理職からの質問に答える義務もあります。そうなった時「大会本部からは何の説明もありません。何の見通しも示されず大会は進んでいます。」そんな回答は無責任でできないです。

このような場合は、主催者側が原案を作った上で、大会本部前のコートに引率責任者を集めて説明をし、必要に応じて質問にも答えるべきです。そして、たとえ全員の納得が得られなかったとしても、少なくとも説明責任は果たしたうえで、悪環境の中での大会は実行されるべきだと思います。

毎年、これだけの規模の大会をほぼ1年をかけて準備され運営されている道連の皆様や、いつも本部ハウスの中で忙しく対応され自分の選手の応援もままならない北海道高体連の先生方と補助に携わる生徒さんたちには、本当に頭の下がる思いです。そして大会が参加生徒に良き思い出となるよう様々な工夫や配慮もされていることについては、心からありがたく思っています。

だからこそ、より主催者と参加者が協力しあって、了解しあって、大会が成功裏に終わることを願っています。どうか、今後のためにも、このブログをご覧になった関係者のどなたか、問題提起していただければ幸いです。

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