Dream Factory 2019 初夏
2019 ハイジャパ シングルス
水澤奈央 女子で史上初の連覇!
無欲で戦って届いた去年の日本一。狙って果たした今年の日本一。
水澤奈央が、札幌で行われたハイスクールジャパンカップ2019 シングルスで、高校女子史上初の連覇を達成しました。
※結果は北海道ソフトテニス連盟のハイスクールジャパンカップのサイトに載っています。
スコア上では競った試合は一つもないのですが、初戦から厳しい試合が続きました。本人曰く「全てファイナルを戦った感じ」の試合。ベスト4に残った1日目、脚部疲労を聞いたら「脚は大丈夫ですけど頭が疲労です。」と言うのです。それほどの神経戦。敵の良さを理解した上でそれを封じ込め、多彩なショットで相手を追い込んでいく。最後は相手に試合をさせないでゲームを支配していきました。
ストロークのボールのスピードだけなら、水澤より速いボールを打つ選手はたくさんいます。脚の速い選手もたくさんいる。しかしシングルスの強さは総合力だと、彼女の試合を見ているとよくわかります。フォアハンド・バックハンドストロークの正確性、フットワークの使い方、テンポコントロール力、身体の敏捷性とバランス感覚、ショットのバリエーションとその構成力、さらに予測能力、最後にメンタルタフネス。その全てを彼女は昨年の「予想外の」優勝から、1年かけて磨いてきました。昨年度優勝はしましたが、明らかな課題としてクローズアップさせられたバックハンドストローク、柔らかいタッチのドロップショット、スライス、そのすべてを向上させて、同じ日本一でも進化した日本一だったと思います。
うちのチーム内に水澤と互角に打ち合える選手はいません。この時期、シングルスの練習に多くの時間は割けません。それでも正しい理解と問題解決型の練習の積み重ね、そして何よりもチームや後輩の様々な欠点や不足をキャプテンとして真剣に考え、適切なアドバイスをしながら、その過程をも自身の成長に組み込んでいく。そのような日々の充実こそが水澤の強さの源泉です。
今回の決勝の相手、岩国商業の山田さんも地元で頑張っている選手だと聞いています。素晴らしいファイターで決勝に来るまでの間に何度も窮地があり、その厳しさを高いコートカバーリング能力と精神力で乗り越えてきたように感じました。全国区の学校ではないチームの選手同士で決勝を戦えたことを嬉しく思います。水澤は以前から山田さんを知っていて、ひたむきで誠実な練習態度に共感して「決勝で会おうね」とお互い言い合っていたそうです。
水澤のテニスノートから
連覇って自分に言い聞かせてきたけど、苦しい時期もあった。不安な時期もあったし、自信を失いかけた時もあった。だけど、そうやって苦しみながらもチームのことを第一に考える中で自分の時間を見つけてシングルスの技術を磨いてきた時間は、今振り返ってみて、やっぱり幸せな日々だったと思う。こうやって連覇できたこと、それは本当に本当にいろんな人の支えがあったからこそ。先生、朋恵先生、チームのみんな、家族、友達、いつも応援してくれるすべての人たちから、いつもエネルギーをもらって頑張れた。本当にありがとうございました。でもダブルスの優勝は叶わなかった。この夢は必ずインターハイで実現してみせる。まだまだ、お前は弱い! もっと本物になってみんなを日本一に導いて、ダブルスでも冨樫と日本一になる。今のままじゃまだまだ。もっともっと上へ。
今年のハイジャパは天候不順で、土曜日の日程がすべて中止→延期になりました。せっかくなので、北海道博物館と隣接する北海道開拓村へ行ってきました。
北海道開拓の歴史は本当に奥が深かった。先住民のアイヌの人たちの大地を和人たちが侵略し、貴重なアイヌの文化が失われたというイメージをずっと持っていた。博物館でもその思いは強くなって人間の文明の広がりの裏にある負の面を思い知らされたけれど、その後連れて行ってもらった北海道開拓村では開拓していく人間のエネルギーと活力を感じることができた。
伝統と進化。どちらも大切なんだと思う。北越に来るまでは新しいもの大好きで、古いものにはあまり興味ない人間だったけど、先生の好みの「古き良きもの」に触れていく中で、伝統の継承と新しいものの追究がどちらも大切なんだと思うようになった。革新ばかりにも保守ばかりにもとらわれることなく、どちらも大切にしていく人間になりたい。
ダブルスは、水澤奈央・冨樫春菜がベスト8。まだまだ課題山積みです。夏の宮崎に向けてまた宿題をたくさんいただいてきました。あと1カ月、日々精進、日々ベスト、一歩ずつトップのチームに追いついていきます。
北越は夏のヒマワリ。冬~春にかけてチームみんなで耕した極上の畑で、これからぐんぐん伸びていきます!
遅ればせながら…
県総体 8連覇!
3年生6人で引き継いだ「向き合う強さ」
県総体 団体決勝
北越 ②-1 長岡商業
戦いが終わった夜、北越の関係者ではない方から、メールをいただきました。
夜分すみません。おめでとうございます^_^お疲れ様でした!
今年の試合は、多分私が初めて見る北越でした。津野先生でした。
今年はシード大会の結果から、第2シードとなり、第1シードの長岡商業に挑戦する形の県総体になりました。厳しい状況でしたが、県総体で見せた3年生の姿はやはり、この北越Dream Factoryの魂をしっかりと受け継いだものでした。
団体戦、特に決勝の長岡商業との試合の主役は、前日の個人戦優勝:水澤、冨樫ではなく、3年生の今井風花、そして田中遥奈です。
別な方からいただいたメールにはこうあります。
特に今井のプレーに感激しました。というより、驚きました。あそこまで力を出せる選手だとは思っていなかったです。インターハイでも是非熱戦を繰り広げてください。応援しています!
第1対戦で、1年生の星野・高橋が善戦及ばず長岡商業のエースに負けて、0-1の崖っぷち。そこで見せた第2対戦、今井の一つひとつのプレーは気魄あふれるものでした。ベンチにいても、鳥肌が立ちました。気弱で逃避体質だった今井が大舞台で見せた闘志あふれる堂々とした戦いぶり。向き合い続けた2年間を経て、彼女も北越魂をしっかり身に着けていました。一番大事な場面で自分の一番を出せる、そのために彼女が弱い自分と向き合ってきた日々の一端を紹介します。
北越は新入生が入部してくると、バディとして担当の上級生をつけます。バディの下級生の指導を上級生が責任を持って行う。その中で新入生もそして何より上級生の自覚と責任感が育っていきます。今井も例外ではありませんでした。バディの1年生は多くの問題を抱えていて、今井は悩みます。でも、その悩みの中で自分に眠っていた責任感と自尊心が芽生えていきました。
今井風花のノートから
今日は1年生が入学して初めて全学年が揃って練習した。改めて、もう3年か…と思った。北越に来てもう2年が経つ。3年としての自己改革に取り組んで1週間。2年の時は、教室とテニスコートとの違いをなくそうと努力したけど、今はそれほど差はない。体育祭の係を決める時、今回は真っ直ぐ手を挙げて「はい!」と言った。私はどうしても周りの空気が気になる。でも、1年生の鶴巻とバディになって鶴巻に課題を出しているんだから、私が自分の課題から逃げるわけにはいかない。まずは自分がいうべきだと思ったことは、たとえ空気が固まってしまうとしても言うこと。(4月8日)
信じて戦う選手に! 3年としての思いを姿で見せる! コソコソ人間脱却!
私は団体戦で戦いたい。でもこの願望だけでは3年にのしかかる重さに勝てない。それが高校のスポーツなんだと、今はよくわかる。思いがいくらあっても、口でいくら強い言葉を言っても、不誠実なことを見逃していたら、一瞬で夢は後悔に変わる。
全国選抜の後、田中は先生と話して覚悟を決めた。そして「信じて打ってみろ」と言われて、そこから信じて打ち切れるようになったと言っていた。たった一言だけだけど、心がこもった言葉を心で感じれるようになった。私は悔しいけど、まだそこにはいない。
でも私はそこに行きたい。
最後の団体戦決勝で、北越の3年として、ただ勝つだけじゃなく、北越らしい桁違いの気迫。たとえミスがあったとしても、私はここにボールを突き刺す!という意志を持ってプレーし続ける。チームも巻き込み、周りの人たちも一緒に巻き込む試合。
私は今まで周りの人をガッカリさせる試合ばかりしてきた。これを変えたいんだ。みんなが両手を突き上げて「ウォー‼︎」と喜びを爆発させる試合。その日に向けて、全力で頑張りたい。バディの鶴巻も私が出した課題をやっているんだって思えば、毎日決めたことはやりきらなきゃ!
このノートを記したのが4月の中旬です。その50日後、ここに書いてある通りの試合を彼女は現実にしたのです。あまりのイメージの一致にこちらが驚きます。Dreamがまず強くあり、そこに向けて日々を力強く誠実に生き抜く。それが北越の強さだと思っています。
(キャプテン水澤とマネージャー2年の岩田のノートをコピーして全員に配った翌日、今井はそれを自分のノートに貼り付けてこう書きます)
風花は最近、少々身体が調子悪くても「○○が痛い…」って弱音を吐かなくなった。今年が最後の全国チャレンジ、絶対一緒にIH行こうね! でも今のままじゃ無理だよ。小さな小さな自分から抜け出さないと! 鶴巻に風花が言っても伝わらないのに、栞(岩田)が言うと伝わる。何でかわかる? 風花が甘いからだよ。もう人からどう思われるかなんて気にしなくていいから、風花が正しいと思ったこと、伝わるべきだと思ったこと、その人のために、チームのために、なにより風花のために、熱く伝えるんだよ。(by 水澤)
これを読んだだけで、私=今井風花という人間がどういう人間かがわかる。
2年から団体戦では奈央と組ませてもらっている。その最後の戦い、同じ瞬間を同じコートで喜びあいたい!
栞も熱く熱く伝えてくれた。
風花先輩、もうラストですよ。先生が来てくださって、その挨拶の時に、1年生に向けて風花先輩の例を出されて話をしてくださいました。それは先輩へのメッセージも含まれていたと思います。そう強く感じました。風花先輩、今年の日本一へのキーは先輩が握っていると思います。去年の悔しさと感動を思い出してください。このままでいいわけはない。言ってやりましょう、やってやりましょう! 今年、あの舞台で最高の笑顔でガッツポーズをしているのは私だ! と。(by 岩田)
先生、今のこの状態では信用してもらえないかもしれません。でも、私は去年の木村先輩のように、先生を信じて戦い抜きたい! チームのために、私自身のために、何度失敗しても見捨てないでチャンスを与え続けてくれた先生を信じて、今井風花を表現したい! (4月15日)
こんなにストレートに自分の熱い心を表現できるようになっただけでもすごい進化なのですが、それでも、今井の臆病は形を変え品を変えて現れ、彼女やチームを失望させます。ただ、今井の真っ直ぐな心は3年生になってからは一度もブレたことがありません。七転び八起き、決して苦境にへこたれない北越魂が今井の心に宿り、育っていた証拠です。
県総体の個人戦、田中と組んでIH行きを決定した後でも、まだ自分と闘っていました。そして迎えた崖っぷちでの団体戦。
戦いの最中に何度もペアの水澤が口にしました。「ホントありがとう。マジ助かった!」 今でもアリアリと思い浮かびます。プレーボール1本目の気魄あふれるアタック止め! 誘いこんでのはじき出しボレー。ローボレーはノーミス。最後はスマッシュフォローでゲームセット。
見ていた人を感動させた彼女の県総体前日の思いです。
今日は県総体前日。
今日1日、ずっと緊張していた。3年の県総体って、こんな気持ちになるんだ。胸が高鳴って、落ち着きがないのを自分でも感じる。
でも、楽しみだとも思う。
チャンスをつかめなかった1,2年の頃、私は北越の良さに気づけなかった。今ならよくわかる北越の厳しさと優しさ、幼稚だった自分にはそれが苦しかった。
でも今の私は違う。
私自身の技術はまだまだだけど、信じて戦い抜くってことが少しずつわかってきた。向き合い続けてきた強さってのもわかる。一人の問題をチームで向き合う。だから一人の成長はチームの成長だ。
木村先輩からもメッセージをもらった。
「風花はたくさん乗り越えてきた」
北越の強さと誇り、私が長岡のコートで表現する‼︎ 北越に来て良かった。それをコートで表現して見せる。
県総体で元ペア(中学時代のペア)と当たるのは運命だ。
お母さん! いつもいつも期待を裏切ってごめんね。でも今度こそ、この一番大事な舞台で今井風花をコートの外で応援してくれるお母さんに見せるから。大きくガッツポーズして「ありがとう!」って心で叫ぶからね!
私は誓います。
今井風花は、どんな状況でも、北越の誇りを胸に戦いきります! (5月30日)
もう一人の主役、田中遥奈。
田中の最初の覚醒が2年の夏だったとすれば、2度目の覚醒は春の全国選抜の後だと思います。
初戦で優勝した就実高校に0-③で敗退した夜、田中を部屋に呼んで、じっくり話をしました。叱るとか説教するとか、そういうことではなく、才能ある選手がその才能を磨ききることなく最後の戦いを迎えるのはどうしても納得いかない。就実と一番戦えたのは田中・冨樫ペアでした。しかし、さあ、ここからだ、というギアを入れるところで、いつも田中は思いが逆回転するのか、イージーミスが入って崩れていきます。第6ゲーム(G3-2かG2-3)の奪取率が極めて低い。それはテニスコートの練習だけではどうにもならない、一人の人間と一人の人間が丸ごとのぶつかり合う、そのせめぎ合いが一番顕著に現れる場面での弱さ=我慢弱さ、要はメンタルタフネスが弱い。そこをしっかりと伝え、日々の自分、テニスコート上での自分の技術練習以外での責任について話しました。
田中遥奈のノートから
ようやくわかった。今度こそわかった。「私には我慢がない。それは技術の問題じゃない。」
今日の全国選抜での就実との試合、攻めの姿勢を貫いて戦った。だけど、どんなに良いプレーがあっても、最後は我慢できなくて、みずから試合を降りる。敵にかなわないのではない。自分から敗退の道を降りていく。6ゲーム目の弱さこそが私の弱さ。先生が去年の夏からずっと伝えてくれたことがようやくわかった。
私は伝えてくれていることを信じ切らずに中途半端で生きてきた。だから、こうやって誰もが「ここ頑張れ! ここ我慢だ!」って思っている時に踏ん張れずに自滅…
あと4ヶ月、私が変わらない限り、日本一なんてありえない。
私には「我慢が必要!」
普段の生活からもう一度見直しだ。そして時間を有効に使うこと。私には日本一の夢に関係ない意味のない時間が多すぎる。まずはここからスタートして、大事な場面で頼れる選手になるから。今度こそ、奈央と2枚エースになる!
この日、選抜までのチームの解散式で、田中は自分について皆の前で語ります。その目、その声、その表情は、今まで見たこともない田中の姿でした。この世界(スポーツを通じての自己向上を果たす世界)にいさせてもらって、一番感動を覚える場面です。一人の人間の精神的脱皮の瞬間、本当に人間にも「変態(幼虫→成虫)」はある。そう確信します。ヤゴの殻を破って瑞々しい羽根を広げる、あの蝶の誕生の瞬間と同じドラマが人間にもある。しかし、青春期に「変態」を果たさないで大人になっていく若者たちの何と多いことか…。
僕は、その日のノートにこうコメントしました。
遥奈、君のミーティングの言葉にとても感動しました。君の声がどれほど澄み切って真っ直ぐに響いていたか。2枚エース、本当にやりきろうな。
その後、田中はノートに毎日色ペンでこう書くようになりました。
宮崎IHまであと○○日 決めたことをやりきる!
攻めてるのに負けた選抜 相手マッチに弱い私を超える!
「甘く、女々しい田中脱却!」
センバツの後のYONEX杯で、田中はこんな風に記しています。自分のことなのに自分のことだけに焦点を絞って書かない。自分を客観視し、自分はチームによって自分たりえていることに気付いていきます。
冨樫はミスをしたりして、気持ちが落ちやすいところで決してへこたれない。私は調子良ければ安定しているが、上手くいかないと「負けじ魂」が小さくなる。今日、埼玉平成と試合していて思ったことがある。上手くいかなくて、いつもだったら精神的に落ちているところ。もし、またこれまで通り戦いから降りたら、1年生に合わせる顔がない。バディの1年生だって見ている。そんな姿見せられない!って強い気持ちが湧き上がってきた。こんな風に感じたことなかった。なぜか考えてみた。たどり着いた答えは「チームと一つになった強い意思」があったからだ。逆に言うと、私は今まで団体戦のレギュラーとしての考え方が大きくズレていたってことに気づかなかったんだ。
そして、4月7日のノートに記念すべき「脱皮の証明」が書かれます。
今日、家に帰って家族と話していたら、話し方が変わった、とお父さんに言われた。正直驚いた。少し前に先生にもバスの中の声が変わって響くようになったって言われていた。全てが繋がっているんだ。振り返ってみると、やっぱり私は自分に自信がなかったんだと思う。それが交替でキャプテンを務めるようになって、チームのことを第一に考えるようになって、皆に言ったからには自分がやらなきゃ信頼なんて絶対されない。そういう毎日から自信がついてきたんじゃないかって思う。
そうなのです。「変態」は全人間的に起こるので、テニスと離れたところでも変化が現れます。それはクラス内でも同じです。
今日は体育祭の係決めがあった。ほとんどが男子で決まっていった。これじゃバランス悪いから女子もリーダーに入ってほしいと言われたが、誰も動く気配がない。ならば私がやろうと思った。自分でも不思議なことだった。今までの私なら絶対に手をあげていない。放課後には保健委員会の集まりがあり、そこでも副委員長に立候補した。こういう面でも、私変わったなって思う。でもこれで満足しないで、責任を果たすってこと、強い意志でやり抜きたい。
次の日のノート。
今日の手帳(担任と生徒が交換しているスケジュール管理手帳)に担任の後藤先生が「いろいろなことを引き受けてくれてありがとう」とコメントしてくださった。今までこういう責任の伴う仕事なんていつもスルーしてきたから、こんなことを言われたことがなかった。奈央は前に「責任を背負って戦うのは厳しいけど楽しい」って言ってた。少しわかった気がした。楽しいってわけじゃないけど、こうやって生きていくのも嫌じゃないなって思えた。こういう生き方を奈央や冨樫はずっと前からやっていたんだね。私も遅れて参加だけど、こっから人生変えていきたい。
こうして日々、自分と向き合って迎えたハイジャパ予選。
田中は1年生の鷲尾と組んでダブルスに出場、経験のほぼない鷲尾をリードしてベスト4に駒を進めて長岡商業のエースと対決します。G3-1から勝ち切れず、ファイナル5-⑦で惜敗します。シングルスも長岡商業の選手にベスト8で敗退しました。どちらも勝ち切れなかったのですが、僕も本人も手ごたえを感じていました。ダブルスではファイナルは相手に流れが行き1-5まで離されますがそこから5-5に追いついた末に敗れました。シングルスではG2-3で相手マッチをしのいでファイナルへ。「ここ頑張る!」という場面で踏ん張りが利くようになりました。次の課題はファイナルのしぶとさ、そして最後には勝ち切るたくましさです。
そして、いよいよ、令和元年 新潟県総体です。
個人戦で今井と組んで初日ベスト8に入り、IH決定。2日目は準々決勝で長岡商業の金箱・池田ペアと当たります。ここでは今井が固くなってミスが続き、G1-3まで追い込まれます。脱皮前
の田中ならそのままズルズルと負けていく場面。ペアも小さくなり、孤軍奮闘の状況です。そこから強くなりました。本当に強かったです。ペアを励まし、自分を鼓舞し、敵のナイスボールにもひるむことなく反撃しつづけて、ファイナル突入!
課題だったファイナルです。進化していました。組み立てられていました。最後はテンポの上がった鋭いパッシングショットでゲームセット。すばらしい戦いでした。右の写真はそのショットの瞬間です。体重が乗り切って、迷いがない。試されていたんだと思います。その試練を苦しんで我慢して投げ出さずに泥臭く粘り抜いて、初めてつかんだマッチポイントファイナル6-5からの魂のショットです。
最終日の団体戦。決勝は、水澤・今井の気魄あふれる試合で1-1の3番勝負。
さあ、8連覇のかかった運命の試合。
最初に紹介したメールの中にもある通り、田中は「ほぼノーミス」でした。G3-0になる決定的なスマッシュを冨樫がミスしてG2-1。4ゲーム目も流れが相手に行きかけている中、風上から相手が動けないほどのトップストロークをミドルに決めて、流れを引き戻したのも田中です。
生まれ変わって、頼もしくたくましいアスリートがそこにいました。
前人未到の県8連覇。
今年もその栄光には、3年生の力強い成長ドラマがありました。