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2022年7月

2022年7月 5日 (火)

DREAM FACTORY 2022 梅雨明け

遅咲きのタンポポ 初めての団体戦

自己ベストで、北信越 銅メダルに貢献!

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タンポポの黄色い花は、春の訪れを感じさせるものですが、野原や道端で初夏に咲いているタンポポも珍しくありません。秋まで咲くそうです。

生命力が強く、アスファルトの裂け目から強靭に茎をのばし、花を広げているタンポポもあります。

佐藤麻央の3年の夏に咲いた花は、まさにこの「遅咲きのタンポポ」、アスファルトの割れ目に咲いた一輪の黄色い花のようでした。

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佐藤の長所はガッツ。二番目の長所もガッツ。三番目も四番目もガッツです。

一方で欠点もガッツ。上半身でガッツリとラケットを振り回します。

僕には「佐藤のラリアット打ち」と命名されていました。(ラリアットは佐藤が大好きなプロレスの技です。知らない人はググってみてください)

せっかく相手に短いボールを打たせて、高い打点でウイニングショットを決めようとすると、「ラリアット打ち」で、ネット下段。

ガッツリと身体に力が入っているのに手先だけ力を抜こうとするから面が薄くなって、これもネット下段。

佐藤の3年間は、ストロークの安定を求めて求めてさまよい続けた日々でした。

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ただ、2年後半になるとフィジカル力がついてきて、コートカバーリングが広くなりました。それから、バックストロークを身体で振り切れるようになり、振り回されることに心配がなくなりました。1stサービスは波がありましたが、日々の探究が確実に成果につながっていました。

冬のセンバツは、佐藤のガッツとチームへの貢献度から団体戦で使うことに決まっていたのですが、なんと試合前日の練習で靭帯損傷。チームは県予選で負けてしまいます。

さらに、佐藤には「人に流されやすい」というメンタル的な弱点があり、2年生まではコート外で何度も失敗しては反省、また懲りずに失敗して反省を繰り返していました。心は深いのです。感動する心も感謝する心もしっかり持っています。でも、人に流されてしまう。不等号の向きがどうしても変わりませんでした。

前回の丸山優芽のところでも書きましたが、佐藤が大きく成長したのは、2年生の終わりから3年生になってからです。

春休みの練習試合を通して、力任せの「ノータッチエースの麻薬」をコントロールできるようになったことがまず成長につながったと思います。ペアの丸山の成長もあり、初めて前衛を生かす配球に目覚めます。

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それから、何よりも自分の弱点やもろさに逃げずに(今度こそ)向き合いながら、チームマネージメントに積極的にかかわっていき、後輩の面倒を親身になってやっているうちに、自然と物事を多面的に感じ、考えられるようになっていったと思います。仲間からの助言もあって、日々の生活を自律することで自らを自立させていったように感じました。

他者との交わりの中で自分と向き合いながら得た成長は、試合のコート上で必ず表れます。

その成果は、人として、リーダーとして、そして生きていく上でのライフスキルとして、自分が関わっていくあらゆるフィールドで還元されるものです。

自分の関わるフィールドで感じる「貢献感」こそ、社会で生きる「幸福」の実態です。

その「幸福」を手にした人間こそが「自信」を得る。

「自信」とは「他者に信じられていると感じられる自分」であって、「自分こそが他者に優越しているという選良意識」とは根本的に違うもの、むしろ対極にあるものだと思います。

いつも生徒の大きな成長を目の当たりにして思うことは、子どもだった選手たちが、「学年を超えて」「一つの目標に全員で」向かっていくこと、なかなか結果の見えない成長を「数年にまたがって」「自分と向き合いながら」「他者とのかかわりによる自己相対化の力も使って」果たしていくこと、その「畑」を整え提供することこそが、学校部活動の最大の「教育的貢献」だと思っています。

勝利至上主義??? 何をおっしゃる・・・

いまや、行政もマスコミも部活動矮小化→消滅化(「社会体育移行」と看板には書いてあります)にベクトルを合わせてひた走り始めました。

部活動のネガティブな面ばかりが強調され(一部の大人による故意のプロパガンダなので仕方ないのですが)、人材育成(大げさに言えば国の基の育成)として学校部活動が果たしてきた大きな役割を、歴史的なシステム変換の中でどう引き継ぎ活かしていくべきかという議論が決定的に抜けていると思っています。

「資本主義的価値観」の教育現場への浸透、それに付随する「AI的効率そして数値化至上主義」の対人教育への侵攻は歯止めがかからない勢いで進んでいます。

「部活動改革(本当は消滅)」もその大きな波に飲み込まれる形で叫ばれている、というのが僕のマクロな捉え方です。

そんな大波に飲まれながらも、残り少ない教員人生、泥臭く人間臭く、数値化できない一人ひとりの成長にとことん付き合い、だからこそぶつかり合い、そして最後には喜びあっていきたいと思っています。

ごめんなさい。筆が走りました。

さて、佐藤麻央のストーリーです。

人間的に大きく成長したものの、春の大会ではシード選手と互角に戦いながら大切なところで弱さが出たり、佐藤が乗り越えて戦っているのにペアの丸山が酷かったりで、なかなか結果につながりませんでした。

それでも、佐藤の成長は「絶対値」としてはっきりあったので、県総体でインターハイの切符を手にした以上、成果発揮の舞台を北信越でつくってやりたいと切に思いました。

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失敗しても弱さに負けそうになっても、それでもまた立ち上がり続けた佐藤は、雪の下でもロゼッタを張って雪の重みに耐え、たとえアスファルトでふさがれても、そこから這い上がって花を咲かせる遅咲きのタンポポと重なります。

北信越総体 in 富山県高岡市 2022/06/19  最終日 団体戦

初戦は県総体団体と同じ布陣で戦い、③ー0勝利。

準々決勝は、富山県3位ながら福井県の準優勝校を初戦で破って勢いのある地元福岡高校が相手でした。

第1対戦にエース入澤・本間。第2対戦で佐藤・丸山で勝負します。

第3対戦には1年生ペアの安藤・渡辺を置きました。初戦で不甲斐ない試合をした2年生の高橋よりも、1年生の勢いを買ったのと、佐藤・丸山は負ければ勝負を1年生に任せなければならないという背水の陣をあえて取りました。

佐藤と丸山の責任感を強さに換える成長に期待しました。

第1対戦は④ー0で北越勝利。

さあ、佐藤、初めてのチーム北越、団体戦。

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しかも北信越大会、ベスト4入賞をかけての大事な準々決勝です。

序盤は固かったです。

当たり前です。

ですが、ついにこの試合、「ラリアットミス」はありませんでした。

1stサーブもほぼ100%。

後衛とのラリーを主体にしながらもロブで走らせての丸山を生かした配球、競り合った場面での自らの前衛アタック。

佐藤に器用さはありません。

大きなテニスと適切な配球、思いきりのいいアタック攻撃。

練習でやってきたことをすべて出しました。

圧巻だったのは、G3-2リードながら、相手の粘り強さにミスが重なり、P1-3と追い込まれた場面でした。

佐藤は間をとり、何事か自分に言い聞かせ、気魄を失うことなくもう一度強さを取り戻し、そこから5ポイント連続で勝利したのです。

一緒に青春を過ごしてきたBチームの仲間たちに何度もガッツポーズをして、魂を共にして戦っている姿が感動的でした。

ようやく入場制限が撤廃された応援席には保護者の皆さんもお揃いの「タンポポ色」のTシャツを着て陣取り、1球ごとに熱い拍手を送ってくださいました。

麻央の涙、ペアの涙、お母さんの涙、遅れて咲きそろった遅咲きのタンポポの周りに感動の渦が広がりました。

今日の準々決勝は、3年4人の力だけで勝利!

すごく嬉しかった。

今まで苦労してきた4人が他の学年の力を借りずに勝ち取ったベスト4。

私は、やっとチーム北越の3年生の自覚をコート上で表現できたんだと思えた。

団体戦は、個人戦とは比べものにならないくらい、とにかく楽しかった!

喜ぶところでは、全員でガッツポーズをして自分だけじゃなくチーム全員で喜んでくれる。

初めての心地だった。

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コートに実際に立ってみると、これほど応援してくれる人たちの姿が目に入るんだって驚きだった。

チームのみんな、黄色いTシャツ姿の保護者の人たち、本当に私はチーム北越の一員として「夢の舞台」に立っているんだって実感できた。

初の団体戦で感じたものとして、「楽しさ」と同時に「厳しさ」がある。

私の1本はチームの1本になる。

そういう責任を伴う場面で使う技術って、私自身が信じれるものになっていなければ、本番の大事な場面で自信もってラケット振れないんだってわかった。

それから、もう一つ。

チーム全員が私を勝たせてくれた、という感謝だ。

正直、前半はミスが多かった。

それでもチーム全員が私の1球1球に声をかけてくれて、たとえミスしたとしても落ちることなく明るく元気に戦えたと思う。

特にベンチの反対側で戦っていた時、そっちの後ろの応援席にいるBチームの仲間の声掛けが聞こえて、「このままじゃ駄目だ。やるしかない。」って強く思えた。

ガッツポーズも何度もBチームの方を向いてやった。

特に、2年間一緒だった宮川の顔を見て、宮川と心を一つにして戦った。

1本決める。

後ろを振り返ってガッツポーズをすると宮川も立ち上がってガッツポーズしてくれていた。

震えるほど感動した。

ただ、正直、試合の序盤は緊張していて、身体の震えが止まらなかった。

だけど、なぜかベンチに戻ると、迎えてくれる先生、そしてみんなの笑顔。

こんなに北越の団体のベンチって落ち着けるんだって不思議な感じがした。

G3-2リードだったけど、P1-3で相手のゲームポイントだった時には、「ここ、ここを超えていく!」って思ったら、梨果先輩(1年先輩の近藤梨果)の顔が浮かんできた。

「麻央ならできる」

そう梨香先輩が笑って言ってくれてるような気がして、大きなエネルギーになった。

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あれだけ親身になって私の面倒を見てくれた梨香先輩に恩返しもできず、成長した姿も見せられないまま終わってしまったから、最後は梨香先輩に私の成長を見せたいと思えた。

そして、そこから連続ポイントで勝ちきった。

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戦い終わっても、一緒にやってきたBチームの仲間、後輩たち、そして保護者の皆さんが祝福してくれて幸せだった。

カッコいい試合とは言えないけど、私らしく最後まで戦いきれたと思います。

振り返ってみると、ちょうど1年前の北信越の団体戦。

私と優芽(丸山)は、サポートとして働いていたけど、当日バタついてチームの足を引っ張ってしまった。

それから1年、同じ大会の同じ舞台で、その優芽と組んでベスト4入賞を決めるなんて1年前は想像すらできなかった。

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こんなに温かく厳しく、弱い私を見捨てずに受け入れてくれて、支えてくれてありがとうございました。

これほど全員でテニスに真っ直ぐ打ち込める部活で3年間を過ごせて、私は幸せです。

北越に入るって決めたことは大きな挑戦だった。

できないことだらけだったけど、津野先生、柳先生、朋恵コーチ、愛香先輩、たくさんの熱い情熱を持った方々に出会えて、ちっぽけだった私は変われました。

そして、中学時代は雲の上の存在だった本間・入澤と同じチームで過ごし、最後は仲間としてチームを作り支えていけたことは、私の誇りです。

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3年間、ご指導ありがとうございました。

今まで私を育ててくれたたくさんの人たちの情熱を、今度は後輩たちに「恩送り」として捧げます。

私のできる精一杯を後輩に注ぎます。

(3年 佐藤麻央)

チームはその後の準決勝、県総体のメンバーに戻して戦いましたが、県総体で奇跡的勝利を収めた中越高校にリベンジされました。まだまだ本当の実力があるわけではない、という事実を素直に受け入れようね。

インターハイに向けて、大きな宿題をいただきました。

「地力」をつけなければなりません。

佐藤のように、アスファルトを破って自分のベストを尽くせる地に根っこを張った「地力」をつけねばなりません。

今年はなんと、6月に梅雨明けです。

新潟も連日猛暑が続いています。

愛媛、今治で地に根を生やした大きな向日葵を咲かせたいと思います。

今日も、チーム北越、泥臭く人間臭く、頑張ります。

入澤・本間 北信越個人連覇!

身に着けた「崖っぷちで負けない強さ」

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準々決勝から、「チーム石川」に対して「殲滅(せんめつ)戦」(インカレの団体で採用されている戦いで、相手の3ペアを全部倒して初めて勝利となる。最初のシリーズで1勝2敗だったとしても負けにならず、その生き残った1ペアが相手の勝った2ペアをすべて倒せば「勝利」になる方式)を仕掛けられたような戦いでした。

すべてファイナル。

そして、すべてが相手マッチからの逆転勝利でした。

崖っぷちに立たされた数はまさに数えきれません。合わせて10回くらいあったのではないでしょうか。

数学的な確率論から考えると、10回の相手マッチを切り抜けて勝つ確率は

2の10乗ですから、1,024。 1/1024になります。

これは、日常ではありえないことです。

1,024回も連続して「ついてる~」なんてありえない。

敵マッチポイントで発揮される「崖っぷちの強さ」を身に着けている、ということです。

それは何か、と言われると答えに窮するのですが、少なくとも、敵マッチポイントの数の10倍、いやひょっとすると100倍くらい、自分と真剣に向き合い、責任感の中でその苦境を超えてきた、その経験が礎になっている、とは確実に言えると思います。

メンタルタフネス、状況判断、決断したことをやりきる実行力、危険な暑さの中でのファイナル3試合(合計で2時間くらい)をこなしても衰えないフィジカルの強さ、二人で部長とキャプテンを務めながら3年間で身に着けたあらゆる「強さ」が血肉になっているのだと思います。

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本間友里那が何度も言うのですが、入澤・本間は中学校最後の北信越大会(全中への切符をかけたブロック予選)で、自分を見失い初戦敗退します。だから、「北信越大会で中学校の時のような思いは絶対しない」これを心に誓ってブロック大会に臨んでいます。

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高校2年生の夏の初優勝から、冬のセンバツの個人優勝、そして最後の夏の優勝で、3連覇。

しかも、最後は10回に及ぶ敵マッチポイントをしのいでの優勝。

神に「誓い」を試され、挑まれ、それを凌駕しての3連覇。

心から尊敬します。

おめでとう。

ハイスクールジャパンカップ2022

シングルス 本間友里那 銅メダル!

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北信越大会の翌週、札幌でのハイジャパに3年ぶりに参加しました。

水澤のシングルス連覇以来の札幌です。

全くのダークホースだった本間でしたが、1戦1戦、自分にできることを無欲で精一杯やり続けて全国のメダルまで届きました。

ハイジャパ本戦では、各県のシングルスチャンピオンとの戦いが1戦1戦続くわけで、ここでも「崖っぷちの強さ」を求められる場面が数多くありました。

結果として、④ー2、④ー1だったとしても、すべてのゲームで競り合っていて、その中での勝負ポイントや崖っぷちポイントでの「一人の」強さを求められるのがシングルスです。「一人で」強くなることを誓い、自分を作り上げてきた本間ですから、そういう意味での強さは多くの選手以上にあったと思います。

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準決勝では、指宿商業の吉木選手に力負けです。

特に、アジリティとスピードの差が顕著で、そのアドバンテージによって本間は打球に余裕を持つ時間を奪われ、主導権を取らせてもらえませんでした。

決勝にはいけませんでしたが、自己ベストで全国銅メダル獲得!

新潟県で3人目のシングルスのメダリスト。

大きな誇りです!!

ダブルスは3回戦で敗退しました。

敗因は、1stサービスが二人とも全く入らず、サービスゲームは守勢に回ってしまったこと。

逆に相手のカットサービスへの対応が守備的で、これもまた守勢に回ってしまう場面が多かったこと。

それから、初日の天候不良により、シングルスの準決勝・決勝とダブルスの戦いが日曜日にダブルスと同時進行で行われることになり、不器用な本間は気持ちと戦術的な切り替えが難しかったという面も否定できないと思います。

シングルスとダブルスの切り替えは傍から見ているよりも、選手にとってはとても難しいものです。戦術も打法も、テンポも距離感も異なります。あれだけシングルスで確率高く入っていた本間の1stサービスがダブルスでは全く入らなくなったのも、切り替えがうまくいかなかった現れだと感じています。

負けた言い訳のようで、言いづらいのですが、今後こういうケースも当然あるでしょうから、あえて提案したいと思います。

今回のように3日間の試合日程を2日間に短縮する場合は、どちらも出場する選手も多いことから、初日をシングルス。2日目をダブルストーナメント。とした方がいいように思います。

シングルスが決勝まで戦って6試合。ダブルスが1回戦の小さな山からで7試合。ですから、僕の案だと、初日最大6試合で2日目が7試合です。

一方、今回実施された区分けですと、初日が4試合で終了。終了後、時間的な余裕はかなりありました。

2日目のシングルスで決勝まで戦ってダブルスも決勝まで戦う場合は、2試合+7試合で、9試合になります。

6:7と4:9。アンバランスは歴然と思われます。

様々な事情はあることと思いますが、どちらが選手ファーストか、大会主催者の方に議論いただきたいと思いました。

それから、議論いただきたいと感じたことがもう一つあります。

今回のシングルス初日は大雨と強風注意報が出ておりました。このように悪天候が強く予想される場合の対応、特に引率者への説明についてです。

シングルス初日24日(金)の朝、強風と雨が断続的に続く中で、試合前公式練習を20分遅らせてスタート。すべての練習をやり終えてから、しばらくの時間があり(大会関係者が協議していたと思われます)、その後放送でその日の大会中止、ダブルスのリーグ戦→トーナメント戦への変更が伝えられました。

正直、あの悪天候の中で、しかも予報は昼過ぎにかけてさらに悪化することを告げており、本当に強行するのか、と驚いていました。しかも、今年からコート脇の駐車場が利用禁止となり、退避する場所もほとんどありません。

結果として、中止の決定は正しかったと思いますが、僕が疑問なのは、大会主催者の見通しと予定について、何ら引率責任者に説明がないことです。

インターハイでも、台風に襲われることは今までも何回かあり、連絡会にて高体連の見通し(判断)と予定(判断に基づく工程、例えば2回戦まではたたくとか)が説明され、少なくとも質問したり意見を言う機会はあります。

生徒が公欠で参加している大会である以上、引率者には生徒の安全について責任があり、場合によっては天気予報を見て心配する保護者や管理職からの質問に答える義務もあります。そうなった時「大会本部からは何の説明もありません。何の見通しも示されず大会は進んでいます。」そんな回答は無責任でできないです。

このような場合は、主催者側が原案を作った上で、大会本部前のコートに引率責任者を集めて説明をし、必要に応じて質問にも答えるべきです。そして、たとえ全員の納得が得られなかったとしても、少なくとも説明責任は果たしたうえで、悪環境の中での大会は実行されるべきだと思います。

毎年、これだけの規模の大会をほぼ1年をかけて準備され運営されている道連の皆様や、いつも本部ハウスの中で忙しく対応され自分の選手の応援もままならない北海道高体連の先生方と補助に携わる生徒さんたちには、本当に頭の下がる思いです。そして大会が参加生徒に良き思い出となるよう様々な工夫や配慮もされていることについては、心からありがたく思っています。

だからこそ、より主催者と参加者が協力しあって、了解しあって、大会が成功裏に終わることを願っています。どうか、今後のためにも、このブログをご覧になった関係者のどなたか、問題提起していただければ幸いです。

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