DREAM FACTORY 2018 盛夏(鈴鹿インターハイ)
鈴鹿IH 団体準優勝!
第1シードを倒し、
夢の頂点まであと一歩!
平成30年度 鈴鹿インターハイ
(7月30日~8月2日 三重交通G スポーツの杜 鈴鹿 庭球場)
団体戦
1回戦 シード
2回戦 ②-1 羽黒(山形)
水澤・木村 ④-1 三浦・福島
前山・冨樫 ④-2 石井・池添
阿部・田中 1-④ 白幡・川又
3回戦 ②-0 高田商業(奈良)・・・(皇太子様 御覧試合)
阿部・田中 ④-2 籠谷・石井
水澤・木村 ④-1 山田・木原(恵)
準々決勝 ②-0 三重(三重)
水澤・木村 ④-0 竹田(真)・藤城
阿部・田中(打切り)高場・花尻
前山・冨樫 ④-3 田川・浪岡
準決勝 ②-1 須磨学園(兵庫)
阿部・田中 0-④ 木瀬・平岡
水澤・木村 ④-1 牛留・安保
前山・冨樫 ④-3 江藤・掃部
決勝 1-② 昇陽(大阪)
阿部・田中 3-④ 蓮岡・吉田(澪)
水澤・木村 ④-2 上野・岡田(麻)
前山・冨樫 2-④ 吉田(さ)・吉岡
「私は超える!」
これが、今年1年、鈴鹿IHまでのチームスローガンでした。
昨年、会津IHでベスト4まであと一歩のところで負けてしまった。2年連続で阻まれたベスト4への壁。そして、チームの主力であった3年生が抜けた後の新チームは精神的に幼い選手が多かった。その幼い自分と向き合い、超えていかなければ全国で戦うことができない、そのような思いから作った年間スローガンでした。
今回の鈴鹿IHで見せたこのチームのドラマは、僕の想定をはるかに超えていました。
記者さんに、表彰式の後インタビューされました。
「失礼ですが、春の選抜では初戦敗退ですよね。しかも同じ6人(スーパー1年生等の加入なし)ですよね。そのチームがたった4カ月でどうしてこれほど強くなったのですか?」
簡潔に語れることと、簡潔に語ってしまっては真実を損なうことと、物事には二つあります。この記者さんの疑問は全くごもっともなのですが、それは簡単には語れないことです。
あえて、言ってしまえば、同じ6人のメンバーが、当時抱えていた自分の弱さと真剣に向き合い、それを超えていったからだ、とは言えると思います。
「私は超える!」
本当に彼女たちは超えていきました。その結果としての全国準優勝。ここに至るまでの彼女たちのひたむきな日々に心から敬意を贈りたい。
決勝戦の後、本当に多くの方々から祝福のメッセージをいただきました。
彼女たちの戦いは、多くの人に勇気と希望を与えたようです。
メッセージの一部を紹介させていただきます。
「準優勝、おめでとうございます。選手たちの闘う心に感激しました。惜しかったですが、素晴らしい試合でした!」
「すごいです。感動しました。先生が書かれている北越のブログの内容とリンクして、先生と生徒の気持ちに震えました。おめでとうございました。」
「チーム北越、準優勝おめでとうございます。優勝まであと1ゲーム、惜しかったです。でも、津野先生がずっと取り組んできたことの成果が次々と出てすごいです。お疲れさまでした。」
「団体2位、おめでとうございます。本当にみんなよく頑張っていて勇気と感動をもらいました。前山、木村、阿部、3年生が本当に成長していて驚きました。特に阿部が田中を引っ張って戦う姿、最後まで力強い声をコートに響かせて攻め続ける姿も中継からよく伝わってきました。庭野も全力でサポートしていたと思います。とにかく本当に感動しました。日本一まであと一歩でしたが、多くの人にエネルギーを与える戦いだったと思います。私も悔しさと感動で涙が溢れました。」
「準決勝からインハイTVで見てました。水澤のハイジャパ優勝も感動しましたが、今日の戦いも感動させてもらいました。鈴木保科田辺が抜けて大変だよ、と言っていたチームが堂々の準優勝、すごいと思います。団体決勝の舞台、全国のファイナリスト! 本当に1歩ずつてっぺんに近づいてますね。いい試合を見させていただきました! 先生、選手のみなさんありがとうございました。」
「素晴らしい戦いを観させて頂きました。日本一まではあと一歩…でしたが、日本一魅了する戦いをしてくれたと思います。感動をもらいました! 俺も、もっと頑張っていこうと思いました。」
「準優勝おめでとうございます。ライブ配信で見ていました。うまく言葉で表せませんが、本当に力をもらえました。気づいたら見ていた母と二人で泣いていました。日本一が目の前にあったからこその悔しさもあると思います。私も悔しかったです。でも準優勝という結果はみんなの頑張った最高の結果だと思うので、胸を張って新潟に帰ってきてください!」
「団体準優勝おめでとうございます。インハイTVに釘付けでした。あと一歩のところで、本当に悔しいです。来年こそは優勝しましょう。北越を目標に頑張ります。本当に勇気をもらいました。」
「先生! インハイ団体準優勝おめでとうございます。動画でリアルタイムで応援していました。本当にインハイ優勝がもうすぐ近くにあるんだなと感じました。団体に強い北越、やっぱり最高ですね。チーム力にただただ感動です。みんなの闘う姿を見て、勇気と元気をもらいました。自分もあんな風に引かずに迷わず攻め続けるプレーをしたいと思います。今後も津野先生らしく、北越らしく、頑張ってください。選手にも『おめでとう!』と伝えてください!」
「激戦、お疲れ様でした。新潟で応援している私でも疲れ果ててしまったのですから、現地で応援している保護者のみなさん、サポーターの子供たち、選手、先生の疲労感は半端ないですね。正直、春の地区大会を見た時、今年はインハイに行けないのではないかと心配していました。今年のチームは間に合わない、と思いました。それなのに、この試合。強くなったんですね、驚きました。三重戦から涙腺崩壊してました。少しずつ日本一に近づいている! 先生、来年ですね! 絶対日本一! 応援しています。」
「みなさん本当におめでとうございます。頂点まであと少しというところで、悔しさもあると思いますが、みんなの頑張りと優勝候補の壁を破っての準優勝という快挙はいろんな人にすごいパワーを与えています! 母校の北越女子ソフトテニス部が決勝! という文字を見て驚きと感動で心がいっぱいになりました。卒業してからもいろんなパワーと勇気を伝えてくれる津野先生に高校時代に出会えたことに感謝します。平成最後の夏、すごい感動をありがとうございます!」
「インターハイ団体2位、おめでとうございます。インハイTVを見ていて、私の現役の時のことも思い出しました。そして今の私にとってもすごい勇気をもらいました。実は今、仕事でつらいことが多いのです。ですが、みんなの試合を見たら、私も頑張らなきゃ!と思いました。これからもずっと応援しています。」
「準優勝、おめでとうございます。北越らしいいいチームになりましたね。見てて感動したし、パワーをたくさんもらいました。3年生と水澤が本気でチームを作ったのだなと感じました。木村、成長しましたね。たくさんの壁を乗り越えてきた証拠ですね。前山も阿部も去年の二人とは別人でした。最高学年として責任を持ちながら戦っている姿が見ていてわかりました。前山、去年と違って全然チャラくなかったです。北越の立派なエースになりましたね。」
「インターハイ準優勝おめでとう! 家族で乾杯したよ! 友達として本当に誇らしいよ! 私たちももう一花咲かせたい、まだ諦めたくないって思いました。元気もらいました。どうもありがとう。本当におめでとう。」
「インターハイ団体準優勝おめでとうございます。未だに信じられない思いです。みんな本当に頑張りましたね。三重戦と決勝戦はライブ配信で見てました。一人ひとりの成長が感じられ、涙が止まりませんでした。チーム力って本当に大事なんだなって、改めてみんなが示してくれました。日本一まであと一歩、素晴らしい戦いをありがとうございました。北越のみんなとまたテニスをしたいなと心の底から思いました。私もみんなに負けないよう頑張ります。」
「インハイ準優勝、おめでとうございます。日本一まであと一歩でしたね、惜しかったです。私もハラハラドキドキしていましたが、すごく嬉しい気持ちで一杯です。『あらゆることから力を集めて光を放て!』という北越の部訓って、改めて凄い言葉だなとしみじみ思うんです。私もうまくいかないことが多かったりチーム内の嫌なところが見えたりしていたのですが、この言葉を思い出して、自分に集中できるようになったんです。うまくいかない状況や他人の嫌なところからでも人は力を集めることができるんですよね。そして光に換えていくことができる。様々なことからプラスのエネルギーを集められるんですよね。これから私もインカレが始まります。4年目にしてやっと自力でインカレの切符を手にすることができました。やっとです…。いろいろ苦しいことも多かったですが、やっぱりテニスを続けてきてよかったと心から思っています。」
「インターハイでの団体準優勝,本当に本当におめでとうございます! 本当にお疲れ様でした。とんでもない偉業だと思います。灼熱の地でまさに台風の目のごとく、選手一人ひとりの個性が躍動していたように見受けられました。しかもインターハイでもう1勝という課題をちゃんと残してきたことも、彼女たちらしいというか、とっても素晴らしいです(笑)。私自身は昨日夕方に仕事が落ち着いてからインターハイの様子を調べはじめて、そこからインハイTVに釘付けになり、20時過ぎまでライブ映像を拝見して帰宅できなくなりました。長丁場すぎますね、ソフトテニスの試合は。決勝まで進む選手と監督の負担はどれほどかと…、想像を超えていました。今回の結果はある意味新潟県にとっても衝撃だったと思います。確かに県外選手をスカウトして強化するという道もあるのでしょうが、他県とスカウト合戦をして同じ土俵で仮に勝利を得たとしてもこれ程の衝撃はありません。津野先生のように地元選手をしっかり育てていく覚悟と指導力があれば、地方から毎年毎年アップセットを起こし続ける面白いチームができる。このスタイルを長年追い求めてきた津野先生だからこそ結果として示すことができたんですね。相当な時間とエネルギーと育成力とが必要なのでなかなか真似はできないでしょうが、以前から津野先生のお話を伺って感じていたことが今回確信できたように感じました。選手にとっても先生にとっても、今回のインターハイが何かの結実であり、またスタートであることを願っています。素晴らしい試合を本当にありがとうございました。」
3年生がチームを作れない年は、団体で勝てない。
これは繰り返し僕がチームに伝える教訓です。
春まで、本当に今年は危ないと思っていました。3年生が責任と自覚を引き受けないからです。2年生の水澤にキャプテンを任せるのは適材適所ですからいいとして、その分チームをまとめる仕事、1年生にハートを伝える役割、横道脇道に彷徨うチームに喝を入れる責任、チームのハート作りを3年が引き受けようとしない、指導者として僕も苦しんでいました。口で言うのは簡単ですが、それを心底了解させるのは時間がかかります。深い信頼に基づかない指導など他人のお説教と変わらないですから。
でも、チームは変わりました。県総体の様子もこのブログに書きましたが、部長の庭野とフィジカルリーダーの阿部がまず脱皮して大きく進化してくれました。5月の連休の後、前山が少しずつ自分と向き合えるようになってきました。木村はセンバツの後から、毎朝自分と向き合うために走りつづけ、その成果なのか、日々の言動が頼れるものになっていきました。
そうして迎えた鈴鹿IH。脱皮した「蝶」たちが舞いました。
記者さんにはお答えできなかった、今年のドラマ。
いつものように、生徒たちのノートから浮き彫りにしてみます。
送られたメッセージの多くから「感動」を伝えていただきました。それは、おそらく、決勝の最後、ファイナルまでもつれて、才能も経験も技術も昇陽高校の選手には及ばない田中・阿部の平行陣ペアが、ガッツと意地と根性でボールを打ち合い、競り合っている姿からではなかったかと思います。
監督の僕自身、田中・阿部が見せた三重戦のパフォーマンス(G1-2で打ち切り)と決勝での戦いは、理屈で説明できないものだと思います。多分練習試合で戦ったなら、0勝10敗、しかもすべて大差ではないか、それくらいの力の差はあったと思います。阿部は県総体3回戦敗退(ペア鈴木)、田中は県大会ベスト8でやっとIH出場(ペア冨樫)ですが、IH個人戦では全くいいところなく初戦敗退。冨樫が頑張って挽回の糸口はつかむのですが、田中は応援している者がため息をつくくらいの自滅敗退です。それが、なぜ団体戦であのように奇跡のような戦いができたのか。それはひとえに阿部の力です。阿部のオーラで田中が何段階もバージョンアップするのです。
阿部瑞希という選手は決して運動センスがあるわけではありません。身体の機能性も悪く、諸関節が曲がらないし使えない。新潟県加茂ジュニア出身、同じジュニアの前山の陰にいつも隠れていた選手です。ただ、阿部の並外れた才能は「ガッツ」です。絶対にあきらめない。それはパフォーマンス的にも、精神的にもです。多くの逸話がありますが、その最たるものは2年生の春先、体育でシャトルランの測定をしていた際、限界を超えてやり続けた結果、アキレス腱を切った、そこまでは普通の頑張り屋ですが、阿部は、自分が決めた回数まで切れたアキレス腱で走り続けたというのです。その結果の重症…。チームとしても試合の前で本当に痛く「いい加減にしろ!」と怒ったのですが、本人はアキレス腱を切ったとしても自分の目標達成の方が大事だろう、というわけです。ジュニアを指導していた先生は「野生児」だと言います。県総体のシードを決める3年春のハイジャパ県予選でも、胃腸炎で3日間も食事をとれない状態で、練習もできずに参加し、3位入賞。その時の阿部のテーマは「3年としての姿を見せる」なのです。胃腸炎で練習にも来れず「姿を見せる」も何もないだろうと思うのですが、阿部は違うのです。確かに大会に「姿を見せ」、しかも本当に3日間食べてないのか、という動きと元気で、ペアの1年生を盛り立てて、賞状を手にさせるのです。1年生の鈴木と組むことについても、阿部は自分から強く希望したのです。その理由は「唯香は才能があるのに、それを出さない。私が組んで唯香を変えたいから」なのです。こんな理由で最後の3年生の県総体のペアを希望するなんて、僕の常識を超越します。何度確かめてもブレない。このシード決めの大会では3位に入ったのですが、本戦の県総体では3回戦敗退。鈴木が狙われました。阿部は何もできず、最後の挨拶に歩み寄ります。それでも阿部のモチベーションは下がりません。春の全国選抜で田中と組んで敗退した、その田中と組んでリベンジをしたい、その思いをずっと持ち続けます。ですが、県総体の団体戦、北信越総体の団体戦、復活してきた2年生の今井にチャンスを与えたので、阿部は4番手ベンチスタートです。期待して使った今井はまだ進化の途上で、二つの大会ともに、2回戦から選手交代で阿部の登場。阿部はガッツを前面に出してチームに元気と勇気を思い出させる。その繰り返しです。このIHでも今井の体調が大会1週間前に悪化、団体メンバー確定は1週間前のことです。すべての経緯は、よくわかった上で、阿部は与えられたチャンスに全力を尽くします。自分がコートに立つかどうかはわからない。けれど、3番手後衛としてほぼ確定している2年生の田中を3年生として責任を持って指導しつづけるのです。選手として出たいけれど、3年生として自分のできることを悔いの残らないようチームの日本一のためやり遂げる、そういう覚悟があるのです。すごい人だと思います。阿部瑞希という18歳の人間は僕の18歳の想定マックスを超えますし、常識も超えていく、心から尊敬します。
ペアの2年生田中遥奈は、運動能力の高い選手ですが、精神的に幼く、なかなか思いが伝わらない。阿部は根気強く、言葉を変え品を変えて指導しつづけます。大会直前の阿部のノートからは、田中を何とかして進化させたいという阿部の切実な思いが伝わってきて、心が痛みます。
今、こうして、阿部の前日のノートをワープロで打っていて、この想いと言葉が、8月2日に見せたコートの外やコート上での実際の阿部の姿と全く重なり、この言葉たちに微塵の誇張も放言もなく、本当にそのまま言葉通りに実行されていたことに驚きと感動を覚えて、涙が溢れてきます。昨今の大学スポーツでの「言葉と実際」の乖離、政治家たちの「言葉と実際」の隔たり、世間ではどんどん「言葉」が軽くなっているようですが、阿部瑞希をはじめとするチーム北越の生徒たちの言葉と実際のリアルな行動、その完全な一致に僕はただ深く感動します。
瑞希、僕は君に謝らなければならないことがある。
僕は君に「ガッツだけでは全国を戦えないよ」確かにそう言った。
でも、僕が間違っていました。
「ガッツだけでも全国を戦える」
君が証明してくれました。
君は8月2日のノートでこう書いている。「アスリートは自立することで自分の良さが出てくる。そしてそれを信じ切って戦う。それが強さだ。」
君の場合、その「良さ」がガッツだったんだね。誰にも負けない、究極のガッツ、それを追究して自分を高め、それを信じて戦う、シンプルだけどそれが強さなんだ、君はそう言葉で言い、実際に行動で証明した。
田中をあそこまで戦える選手にしたのも君の力だ。いつか幼い田中もこのことに深く気づき、君に心から感謝する日が来るよ。その時は、きっと田中は君と同じように後輩に大切なことを伝えているはずだ。
日本一のガッツをありがとう。
君を一生忘れない。
3年生の木村も、いろいろありましたけど(笑)、成長しました。一番「あらゆることから力を集めて」いたのは木村でしょう。先輩、同輩、後輩、指導者、あらゆる人を総動員して、もがいてきました。しかし燃費が悪すぎて、なかなか光にならない。分け入っても分け入っても青い山(山頭火)、ならぬ、集めても集めても黒い闇(美月)でしょうか。ですが、春の全国選抜の後、木村は自分と向き合うために毎日朝走ることを自らに課します。雨の日も嵐の日も。遠征の日も合宿の日も、みんながまだ寝ている中、一人で起きて走り続けました。全国いろんなところを走ったはずです。それが光になっていったのか、その相関はよくわからないのですが、間違いなく精神的に安定して練習に取り組めるようになっていきました。以前はほぼ毎日、うまくいかないと自分の技術も感情を処理できず泣いていましたが、陽が長くなるにつれ、メンタル的にも技術的にも落ち着いてきました。冷水のがぶ飲みでIH1週間前にお腹を壊す、という大失態も彼女らしいといえば彼女らしい。そして直前に復帰した時、チームに「どっきりカメラ」をしかけられ、感激して大泣きをする、すべて木村らしいです。
当日、木村は、三重戦、そして決勝、誰が戦っているんだ、という変貌ぶりでした。これほど人は変わるのか、もちろん精神的にもタクティクス的にもリードするキャプテン水澤の力は大きいですが、そうだとしてもキーとなる三重戦でエースに3ポイントゲームで勝利、決勝の昇陽戦でもG0-2の劣勢から、二人で挽回していき、木村の連続ポイントで逆転という高いクオリティのシナリオは、全くの想定外でした。
その木村の前日のノートです。
さて、前回のブログで僕はこう書きました。
「本当の自立力+自律力が求められるのは、自分の思い通りにならない状況下においてです。簡単には決めさせてくれない。打っても打ってもまた攻め返される。自分の考えを見透かされたかのようにポイントされる。そのような相手に主導権がある場面で、自分や指導者を信じて自分のできることに集中し、苦しい場面でも投げ出さず逃げ出さずに我慢して、その先に必ずやってくるチャンスでギアを入れる。その繰り返しに耐えうるメンタル的フィジカル的タフネスが必要です。それを表現しきれた水澤や木瀬・平岡選手はチャンピオンになり、耐えられなかった選手は負けた。けれど、この成長期にある人間はどこで本気になるかわからない。その自分の中に眠っているギアの場所に気付き、手探りでレバーを握り、ぐっと自分の生きる日々をシフトチェンジできたら、絶対可能性はあります。」
札幌のハイジャパダブルスで、準決勝、シングルスで日本一になった水澤ではなく、前山にボールを集められて負けました。そのことも隠さずに書きました。その上で、僕は前山にこう言いました
「前山、俺がDream Factoryで『前山にボールを集められて負けた』って書いたのは、最終的にお前に自信があるからだよ。もしIHでお前にボールを集められたくないなら、お前の進化を信頼していないなら、あんな風に書くわけないだろ。」
実際に、5月の連休以降、前山は変わってきていたのです。「変われ、進化しろ」のメッセージは常に発信しているのですが、口やノート上でいくら「次は」とか「今度は」とか「対策は…」とか言っても、性根の部分で本気で変わりたいと思わなければ、人間変われるものじゃありません。前山もこれまで、思い通りにならない時に自分の幼さ、未熟な心がいつも顔を出し、我慢がきかず、強気と無謀を履き違えて自己コントロールを失っていきました。その幼さを僕と二人で『愛ちゃん』と名付けて向き合い続けたことは以前書いた通りです。「向き合う」ことの本当の意味をわからせるのにとても多くの時間がかかりました。でもようやくコントロールできるようになってきたのです。制御できるというより、制御しようとする意志がブレなくなってきたと言ったほうがいい。そこまで二人で来れたということです。もちろん、それでも失敗は何度もあります。日常でも、僕の見ていないところで『愛ちゃん』は奔放に振る舞いますから。ある日、僕は前山にこんなことを言ったことを思い出します。
「前山、おまえ自分を信じ切れたことないだろう。そして今まで生きてきて、本当に誰かを信じ切った経験ってないだろう。」前山の顔が曇ります。図星だからです。そして続けてこう言いました。「でも、俺、お前のこと信じるよ。お前は最後、絶対自分を信じて戦う。おまえはおまえ自身を信じきれてないだろうけど、俺はおまえのこと信じきれるよ。これだけ裏切られてきても、俺はおまえを信じるよ。」
その時、前山は今まで見せたことのない表情になりました。この人は何を言っているんだ、そんなことを言う人間がいるのか、という驚きが目の奥をよぎったように思いました。
前山が自分を信じて戦えるようになっていったきっかけは、県総体で庭野のために戦った、その時に感じた「自分を大きくさせるもの」の存在ではなかったかと思います。誰かのために戦うことが、人を強くさせる、そのような人を持っていることの幸せと強み。今回のインターハイで、2年生の今井が大会1週間前にドクターストップ、仲間思いの前山はそのことを自分のことのように残念に思います。そして、団体戦前日のノートにこう書きます。
第1シード、選抜優勝校の三重高校との準々決勝、3面同時展開でしたが、水澤・木村ペアが敵のエースを④-0で倒し、真ん中のコートでは田中・阿部のペアが激しいラリーの応酬でまだG1-1と競っている中、前山・冨樫が歴史を開くマッチポイントを迎えていました。前山が高い打点で「おりゃー!」という「けた違いの気魄」を込めて振り切ったボールがネット白帯にぶつかりながらも、強い想いに後押しされてネットを越えた瞬間、僕は動くことができませんでした。勝利に感動したからではありません。前山が最高の舞台で自分を「超えた」ことに深く感動したからです。誰かに感謝したくなって下を向きました。涙が溢れました。
最後に、部長としてチームのハートを作り、IHでは裏方の統括として、サポートをまとめあげた、庭野真李のノートを載せます。
庭野なしには、今回の躍進はない、そう断言できます。このチームの鍵ガール、長い戦いがすべて終わって声をかけた時、彼女は声が出ませんでした。すべて戦いに出し切って、残った声がない。かすれるとかハスキーとかそんなもんじゃありません。残った声がない。ただの声じゃなく、魂を込めた全力の「伝え」なので、空っぽになるのです。それが今年のチーム北越のリーダーです。だからここまで来ました。お疲れ様、ありがとう。
素晴らしいリーダーでした。
最後の最後に、この日にいたるまでの僕のソフトテニス指導歴(一部ソフトボール指導歴を含む)何十年間のうちの数年間、僕とともに本気で夢を目指した数多くの真っ直ぐで純粋な青春たちに、改めて感謝の気持ちを伝えさせてください。岩手県西根町立西根中学校、遠野市立土淵中学校(ソフトボール部)、栃尾高校、新潟東高校、巻高校、北越高校、それぞれ場所は違うけれど、高い山の頂上を目指しつづけてここまで来れました。みんなと過ごした日々のおかげです。ありがとう。
でもね、まだ団体頂点立ってないからね。だいぶ身体ガタがきてるけど、残された時間で頑張るからね。てっぺん立ったら、小千谷の片貝の花火大会で記念の花火を夜空に飛ばすのが夢なんだ。その時はみんな小千谷に来てね!
※今年のサプライズ旅行は、伊勢神宮→鳥羽水族館→鳥羽港→答志島への旅でした。
第1シードを倒し、
夢の頂点まであと一歩!
平成30年度 鈴鹿インターハイ
(7月30日~8月2日 三重交通G スポーツの杜 鈴鹿 庭球場)
団体戦
1回戦 シード
2回戦 ②-1 羽黒(山形)
水澤・木村 ④-1 三浦・福島
前山・冨樫 ④-2 石井・池添
阿部・田中 1-④ 白幡・川又
3回戦 ②-0 高田商業(奈良)・・・(皇太子様 御覧試合)
阿部・田中 ④-2 籠谷・石井
水澤・木村 ④-1 山田・木原(恵)
準々決勝 ②-0 三重(三重)
水澤・木村 ④-0 竹田(真)・藤城
阿部・田中(打切り)高場・花尻
前山・冨樫 ④-3 田川・浪岡
準決勝 ②-1 須磨学園(兵庫)
阿部・田中 0-④ 木瀬・平岡
水澤・木村 ④-1 牛留・安保
前山・冨樫 ④-3 江藤・掃部
決勝 1-② 昇陽(大阪)
阿部・田中 3-④ 蓮岡・吉田(澪)
水澤・木村 ④-2 上野・岡田(麻)
前山・冨樫 2-④ 吉田(さ)・吉岡
「私は超える!」
これが、今年1年、鈴鹿IHまでのチームスローガンでした。
昨年、会津IHでベスト4まであと一歩のところで負けてしまった。2年連続で阻まれたベスト4への壁。そして、チームの主力であった3年生が抜けた後の新チームは精神的に幼い選手が多かった。その幼い自分と向き合い、超えていかなければ全国で戦うことができない、そのような思いから作った年間スローガンでした。
今回の鈴鹿IHで見せたこのチームのドラマは、僕の想定をはるかに超えていました。
記者さんに、表彰式の後インタビューされました。
「失礼ですが、春の選抜では初戦敗退ですよね。しかも同じ6人(スーパー1年生等の加入なし)ですよね。そのチームがたった4カ月でどうしてこれほど強くなったのですか?」
簡潔に語れることと、簡潔に語ってしまっては真実を損なうことと、物事には二つあります。この記者さんの疑問は全くごもっともなのですが、それは簡単には語れないことです。
あえて、言ってしまえば、同じ6人のメンバーが、当時抱えていた自分の弱さと真剣に向き合い、それを超えていったからだ、とは言えると思います。
「私は超える!」
本当に彼女たちは超えていきました。その結果としての全国準優勝。ここに至るまでの彼女たちのひたむきな日々に心から敬意を贈りたい。
決勝戦の後、本当に多くの方々から祝福のメッセージをいただきました。
彼女たちの戦いは、多くの人に勇気と希望を与えたようです。
メッセージの一部を紹介させていただきます。
「準優勝、おめでとうございます。選手たちの闘う心に感激しました。惜しかったですが、素晴らしい試合でした!」
「すごいです。感動しました。先生が書かれている北越のブログの内容とリンクして、先生と生徒の気持ちに震えました。おめでとうございました。」
「チーム北越、準優勝おめでとうございます。優勝まであと1ゲーム、惜しかったです。でも、津野先生がずっと取り組んできたことの成果が次々と出てすごいです。お疲れさまでした。」
「団体2位、おめでとうございます。本当にみんなよく頑張っていて勇気と感動をもらいました。前山、木村、阿部、3年生が本当に成長していて驚きました。特に阿部が田中を引っ張って戦う姿、最後まで力強い声をコートに響かせて攻め続ける姿も中継からよく伝わってきました。庭野も全力でサポートしていたと思います。とにかく本当に感動しました。日本一まであと一歩でしたが、多くの人にエネルギーを与える戦いだったと思います。私も悔しさと感動で涙が溢れました。」
「準決勝からインハイTVで見てました。水澤のハイジャパ優勝も感動しましたが、今日の戦いも感動させてもらいました。鈴木保科田辺が抜けて大変だよ、と言っていたチームが堂々の準優勝、すごいと思います。団体決勝の舞台、全国のファイナリスト! 本当に1歩ずつてっぺんに近づいてますね。いい試合を見させていただきました! 先生、選手のみなさんありがとうございました。」
「素晴らしい戦いを観させて頂きました。日本一まではあと一歩…でしたが、日本一魅了する戦いをしてくれたと思います。感動をもらいました! 俺も、もっと頑張っていこうと思いました。」
「準優勝おめでとうございます。ライブ配信で見ていました。うまく言葉で表せませんが、本当に力をもらえました。気づいたら見ていた母と二人で泣いていました。日本一が目の前にあったからこその悔しさもあると思います。私も悔しかったです。でも準優勝という結果はみんなの頑張った最高の結果だと思うので、胸を張って新潟に帰ってきてください!」
「団体準優勝おめでとうございます。インハイTVに釘付けでした。あと一歩のところで、本当に悔しいです。来年こそは優勝しましょう。北越を目標に頑張ります。本当に勇気をもらいました。」
「先生! インハイ団体準優勝おめでとうございます。動画でリアルタイムで応援していました。本当にインハイ優勝がもうすぐ近くにあるんだなと感じました。団体に強い北越、やっぱり最高ですね。チーム力にただただ感動です。みんなの闘う姿を見て、勇気と元気をもらいました。自分もあんな風に引かずに迷わず攻め続けるプレーをしたいと思います。今後も津野先生らしく、北越らしく、頑張ってください。選手にも『おめでとう!』と伝えてください!」
「激戦、お疲れ様でした。新潟で応援している私でも疲れ果ててしまったのですから、現地で応援している保護者のみなさん、サポーターの子供たち、選手、先生の疲労感は半端ないですね。正直、春の地区大会を見た時、今年はインハイに行けないのではないかと心配していました。今年のチームは間に合わない、と思いました。それなのに、この試合。強くなったんですね、驚きました。三重戦から涙腺崩壊してました。少しずつ日本一に近づいている! 先生、来年ですね! 絶対日本一! 応援しています。」
「みなさん本当におめでとうございます。頂点まであと少しというところで、悔しさもあると思いますが、みんなの頑張りと優勝候補の壁を破っての準優勝という快挙はいろんな人にすごいパワーを与えています! 母校の北越女子ソフトテニス部が決勝! という文字を見て驚きと感動で心がいっぱいになりました。卒業してからもいろんなパワーと勇気を伝えてくれる津野先生に高校時代に出会えたことに感謝します。平成最後の夏、すごい感動をありがとうございます!」
「インターハイ団体2位、おめでとうございます。インハイTVを見ていて、私の現役の時のことも思い出しました。そして今の私にとってもすごい勇気をもらいました。実は今、仕事でつらいことが多いのです。ですが、みんなの試合を見たら、私も頑張らなきゃ!と思いました。これからもずっと応援しています。」
「準優勝、おめでとうございます。北越らしいいいチームになりましたね。見てて感動したし、パワーをたくさんもらいました。3年生と水澤が本気でチームを作ったのだなと感じました。木村、成長しましたね。たくさんの壁を乗り越えてきた証拠ですね。前山も阿部も去年の二人とは別人でした。最高学年として責任を持ちながら戦っている姿が見ていてわかりました。前山、去年と違って全然チャラくなかったです。北越の立派なエースになりましたね。」
「インターハイ準優勝おめでとう! 家族で乾杯したよ! 友達として本当に誇らしいよ! 私たちももう一花咲かせたい、まだ諦めたくないって思いました。元気もらいました。どうもありがとう。本当におめでとう。」
「インターハイ団体準優勝おめでとうございます。未だに信じられない思いです。みんな本当に頑張りましたね。三重戦と決勝戦はライブ配信で見てました。一人ひとりの成長が感じられ、涙が止まりませんでした。チーム力って本当に大事なんだなって、改めてみんなが示してくれました。日本一まであと一歩、素晴らしい戦いをありがとうございました。北越のみんなとまたテニスをしたいなと心の底から思いました。私もみんなに負けないよう頑張ります。」
「インハイ準優勝、おめでとうございます。日本一まであと一歩でしたね、惜しかったです。私もハラハラドキドキしていましたが、すごく嬉しい気持ちで一杯です。『あらゆることから力を集めて光を放て!』という北越の部訓って、改めて凄い言葉だなとしみじみ思うんです。私もうまくいかないことが多かったりチーム内の嫌なところが見えたりしていたのですが、この言葉を思い出して、自分に集中できるようになったんです。うまくいかない状況や他人の嫌なところからでも人は力を集めることができるんですよね。そして光に換えていくことができる。様々なことからプラスのエネルギーを集められるんですよね。これから私もインカレが始まります。4年目にしてやっと自力でインカレの切符を手にすることができました。やっとです…。いろいろ苦しいことも多かったですが、やっぱりテニスを続けてきてよかったと心から思っています。」
「インターハイでの団体準優勝,本当に本当におめでとうございます! 本当にお疲れ様でした。とんでもない偉業だと思います。灼熱の地でまさに台風の目のごとく、選手一人ひとりの個性が躍動していたように見受けられました。しかもインターハイでもう1勝という課題をちゃんと残してきたことも、彼女たちらしいというか、とっても素晴らしいです(笑)。私自身は昨日夕方に仕事が落ち着いてからインターハイの様子を調べはじめて、そこからインハイTVに釘付けになり、20時過ぎまでライブ映像を拝見して帰宅できなくなりました。長丁場すぎますね、ソフトテニスの試合は。決勝まで進む選手と監督の負担はどれほどかと…、想像を超えていました。今回の結果はある意味新潟県にとっても衝撃だったと思います。確かに県外選手をスカウトして強化するという道もあるのでしょうが、他県とスカウト合戦をして同じ土俵で仮に勝利を得たとしてもこれ程の衝撃はありません。津野先生のように地元選手をしっかり育てていく覚悟と指導力があれば、地方から毎年毎年アップセットを起こし続ける面白いチームができる。このスタイルを長年追い求めてきた津野先生だからこそ結果として示すことができたんですね。相当な時間とエネルギーと育成力とが必要なのでなかなか真似はできないでしょうが、以前から津野先生のお話を伺って感じていたことが今回確信できたように感じました。選手にとっても先生にとっても、今回のインターハイが何かの結実であり、またスタートであることを願っています。素晴らしい試合を本当にありがとうございました。」
3年生がチームを作れない年は、団体で勝てない。
これは繰り返し僕がチームに伝える教訓です。
春まで、本当に今年は危ないと思っていました。3年生が責任と自覚を引き受けないからです。2年生の水澤にキャプテンを任せるのは適材適所ですからいいとして、その分チームをまとめる仕事、1年生にハートを伝える役割、横道脇道に彷徨うチームに喝を入れる責任、チームのハート作りを3年が引き受けようとしない、指導者として僕も苦しんでいました。口で言うのは簡単ですが、それを心底了解させるのは時間がかかります。深い信頼に基づかない指導など他人のお説教と変わらないですから。
でも、チームは変わりました。県総体の様子もこのブログに書きましたが、部長の庭野とフィジカルリーダーの阿部がまず脱皮して大きく進化してくれました。5月の連休の後、前山が少しずつ自分と向き合えるようになってきました。木村はセンバツの後から、毎朝自分と向き合うために走りつづけ、その成果なのか、日々の言動が頼れるものになっていきました。
そうして迎えた鈴鹿IH。脱皮した「蝶」たちが舞いました。
記者さんにはお答えできなかった、今年のドラマ。
いつものように、生徒たちのノートから浮き彫りにしてみます。
送られたメッセージの多くから「感動」を伝えていただきました。それは、おそらく、決勝の最後、ファイナルまでもつれて、才能も経験も技術も昇陽高校の選手には及ばない田中・阿部の平行陣ペアが、ガッツと意地と根性でボールを打ち合い、競り合っている姿からではなかったかと思います。
監督の僕自身、田中・阿部が見せた三重戦のパフォーマンス(G1-2で打ち切り)と決勝での戦いは、理屈で説明できないものだと思います。多分練習試合で戦ったなら、0勝10敗、しかもすべて大差ではないか、それくらいの力の差はあったと思います。阿部は県総体3回戦敗退(ペア鈴木)、田中は県大会ベスト8でやっとIH出場(ペア冨樫)ですが、IH個人戦では全くいいところなく初戦敗退。冨樫が頑張って挽回の糸口はつかむのですが、田中は応援している者がため息をつくくらいの自滅敗退です。それが、なぜ団体戦であのように奇跡のような戦いができたのか。それはひとえに阿部の力です。阿部のオーラで田中が何段階もバージョンアップするのです。
阿部瑞希という選手は決して運動センスがあるわけではありません。身体の機能性も悪く、諸関節が曲がらないし使えない。新潟県加茂ジュニア出身、同じジュニアの前山の陰にいつも隠れていた選手です。ただ、阿部の並外れた才能は「ガッツ」です。絶対にあきらめない。それはパフォーマンス的にも、精神的にもです。多くの逸話がありますが、その最たるものは2年生の春先、体育でシャトルランの測定をしていた際、限界を超えてやり続けた結果、アキレス腱を切った、そこまでは普通の頑張り屋ですが、阿部は、自分が決めた回数まで切れたアキレス腱で走り続けたというのです。その結果の重症…。チームとしても試合の前で本当に痛く「いい加減にしろ!」と怒ったのですが、本人はアキレス腱を切ったとしても自分の目標達成の方が大事だろう、というわけです。ジュニアを指導していた先生は「野生児」だと言います。県総体のシードを決める3年春のハイジャパ県予選でも、胃腸炎で3日間も食事をとれない状態で、練習もできずに参加し、3位入賞。その時の阿部のテーマは「3年としての姿を見せる」なのです。胃腸炎で練習にも来れず「姿を見せる」も何もないだろうと思うのですが、阿部は違うのです。確かに大会に「姿を見せ」、しかも本当に3日間食べてないのか、という動きと元気で、ペアの1年生を盛り立てて、賞状を手にさせるのです。1年生の鈴木と組むことについても、阿部は自分から強く希望したのです。その理由は「唯香は才能があるのに、それを出さない。私が組んで唯香を変えたいから」なのです。こんな理由で最後の3年生の県総体のペアを希望するなんて、僕の常識を超越します。何度確かめてもブレない。このシード決めの大会では3位に入ったのですが、本戦の県総体では3回戦敗退。鈴木が狙われました。阿部は何もできず、最後の挨拶に歩み寄ります。それでも阿部のモチベーションは下がりません。春の全国選抜で田中と組んで敗退した、その田中と組んでリベンジをしたい、その思いをずっと持ち続けます。ですが、県総体の団体戦、北信越総体の団体戦、復活してきた2年生の今井にチャンスを与えたので、阿部は4番手ベンチスタートです。期待して使った今井はまだ進化の途上で、二つの大会ともに、2回戦から選手交代で阿部の登場。阿部はガッツを前面に出してチームに元気と勇気を思い出させる。その繰り返しです。このIHでも今井の体調が大会1週間前に悪化、団体メンバー確定は1週間前のことです。すべての経緯は、よくわかった上で、阿部は与えられたチャンスに全力を尽くします。自分がコートに立つかどうかはわからない。けれど、3番手後衛としてほぼ確定している2年生の田中を3年生として責任を持って指導しつづけるのです。選手として出たいけれど、3年生として自分のできることを悔いの残らないようチームの日本一のためやり遂げる、そういう覚悟があるのです。すごい人だと思います。阿部瑞希という18歳の人間は僕の18歳の想定マックスを超えますし、常識も超えていく、心から尊敬します。
ペアの2年生田中遥奈は、運動能力の高い選手ですが、精神的に幼く、なかなか思いが伝わらない。阿部は根気強く、言葉を変え品を変えて指導しつづけます。大会直前の阿部のノートからは、田中を何とかして進化させたいという阿部の切実な思いが伝わってきて、心が痛みます。
田中は、フィジカルリーダーとして、いろいろな仕事を任せられている。けれど、なかなか自覚がない。自覚って、人から言われて出て来るものじゃない。田中自身の中から湧き出てくるものじゃないと、リーダーとして誰も認めない。誰もが認めるリーダーになってほしくて、先生や真李や私は伝えている。でも伝えれば伝えるほど、田中の表情は曇り、声が死んで、あの目になる。もう、その「田中」はたくさん。「旧田中」はダメ。「新田中」にならないと。それが「超えていく」ってことでしょ。ただ、田中は絶対に心をわかってくれる。ペアとしてこれだけ一緒にやってればわかる。話せばわかってくれるけど、それをもっと深く心で受け入れてほしいんだ。田中はそれができるって信じているから伝えているんだよ。伝えてくれる一人ひとりの言葉は皆違う。一人ひとりは同じ人間ではない。だから、いろんな経験や願いが言葉になる。だけど、皆思いは一つ、田中に成長してほしい、それだけなんだよ。田中は幸せだよ。日本一を目指す中で17歳になって、恵理先輩(田辺恵理:どんぐり北広島)や先生方、心から熱く伝えてくれる人がいること、本当に感謝すべきなんだよ! リーダーの心になること、それが必ず大事な場面で自分を助けてくれるから。(7月30日 阿部瑞希)
田中は個人戦、初戦で負けた。夕方に冨樫と二人で戻って来て報告してくれた。やはり、勝負のかかる大事なところで、田中が頑張れない。いろんな人から伝えてもらったことを力にすることができなくて負けしまったこと、私も悔しい。やっぱり、やるべきことをやらないで、それを誰かやってくれる、そういうことを日々続けていけば、大事な場面で自分を信じることなんてできるわけがない。信じ切れる自分であるために、今日もまた強く伝えた。二人で決めたこと、信じてやり続けてね。今日の個人戦は、やり切ることができない「情けない自分」に負けたんだって、強く強く強く思って、それを忘れずに、個人戦のあの情けない負けがあったから、団体戦は戦えたんだ!って思えるように。
私の最後の戦いがいよいよ始まります。ここまできて、まだ足りないところはたくさんあるけど、日本一に向けてできることはまだある。明日は田中、冨樫も練習に加わる。先生はいないけど、どこよりも気魄込めて団体戦日本一のために頑張ります。1年間、日本一を目指してやってきた。明日は最後の練習だ。全てをかけてソフトテニスにかけてきた私の3年間を意味のあるものにするために、田中を最後まで信じて、一緒に戦う心を作ります。(7月31日 阿部瑞希)
明日はいよいよ団体戦。私は9年間テニスを続ける中で、北越の先輩達に憧れてこのチームに入り、ここで3年間食らいついて生きてきた。去年の会津インターハイが私の全国初舞台で、先輩達はすごいドラマを作ったけど、私はシード校には歯が立たず、先生に「ガッツだけではどうにもならない世界なのだよ」と伝えられて、それから1年、技術もタクティクスも、そしてフィジカルはリーダーになって日本一を目指してきた。
会津インターハイの帰り道で、ベスト8からベスト4への壁があることと、私達一人ひとりにも乗り越えて行かなければならない壁がある、ということで、新チームの年間スローガンを「私は超える!」と決めて、偉大な先輩達を超えていこうと誓った。
私は3年間の想いを1球1球に込めて明日は戦います。私のソフトテニス人生最後の戦いを、私は私らしく戦いたい。私はどんなボールでも決して諦めずに食らいついて、誰よりもガッツ出して戦う。
そして、田中…。
田中とは、春のセンバツで悔しい思いをして、それから4ヶ月、技術、タクティクス、人間としてあるべき姿、本気になって成長させてきたと思う。田中は単純な奴だけど、素直で、私の言葉を心で受け入れてくれると思っている。まだ幼くて伝えていることがよくわからないかな、って思うときはあるけど、いつかは絶対わかって、もう私がいなくても、その大事なことを後輩へ真っ直ぐ心から言える先輩になってほしい。そう信じて、私は伝え続けます。今日も団体戦のメンバーとして、応援される者として、わかってほしいことを相当伝えた。一つ一つにちゃんと意味がある んだよ。田中をコートの外から熱く応援してくれる人がたくさんいるんだから、今まで伝えられてきたことを心でわかって、やるって決めたことは意地でもやる!
私は、田中を信じています。田中と全国の舞台で春のリベンジをします!
チーム北越の3年として、私はコート上で精一杯私を表現します。(8月1日 阿部瑞希)
今、こうして、阿部の前日のノートをワープロで打っていて、この想いと言葉が、8月2日に見せたコートの外やコート上での実際の阿部の姿と全く重なり、この言葉たちに微塵の誇張も放言もなく、本当にそのまま言葉通りに実行されていたことに驚きと感動を覚えて、涙が溢れてきます。昨今の大学スポーツでの「言葉と実際」の乖離、政治家たちの「言葉と実際」の隔たり、世間ではどんどん「言葉」が軽くなっているようですが、阿部瑞希をはじめとするチーム北越の生徒たちの言葉と実際のリアルな行動、その完全な一致に僕はただ深く感動します。
今日という日は、ソフトテニスの競技人生、最後の戦いだった。
何も知らないガキだった中学生の私が、「厳しい戦いをあんなに楽しそうにプレーする」北越の雰囲気に憧れて、北越の門をたたいた。先生には、ガッツだけではどうにもならないって言われたけど、私の強みはこのガッツだ。
私はストロークの威力もスピードもなく、技術的にも下手くそだけど、とにかくボールに食らいつく、ガッツ出す、それだけでも、やり切ることができれば、全国でも戦えるんだ、そう強く実感した1日だった。
三重高校を倒してベスト4への壁を超えて、準決勝に競り勝った次の瞬間から、私にとって、全く未知の世界が始まった。
決勝戦、陽がすっかりくれたコートに入場して、3面展開で試合が始まった。
私は、プレーボールの1球目から、1球1球に思いを込めて、相手のコートに打ち込んだ。チーム、仲間、先生、そして田中を信じて戦えた。だから、ボールにもエネルギーを込められたし、フォローや厳しいボールも拾いまくれた。
楽しさ…奈央(水澤)が言ってた「全国トップの舞台で戦う楽しさ」ってこのことなんだ、今日1日ですごくよくわかった。
この広い会場の中で最後まで戦っている二つのチーム、日本一をかけて1球1球に3年間の想いと精一杯の情熱を込めて打ち込んだ。そしてポイントした時に田中とハイタッチしてベンチと応援してくれる人たちと一緒に喜ぶ。本当にすっごくすっごく楽しかった。
決勝のファイナル。去年のように0-6からの挽回、奇跡のドラマの再現はできなかった。でも、田中と二人で、「粘り強く、泥臭く、何本もラリーをする」というプレースタイルで、トッププレーヤーたちと打ち合えたこと、それは3年間の私の集大成だし、私の誇りになる。中学の実績がなくても、下手くそでも、頑張ればできるんだ。去年からずっと先生に「最後まで捨て駒でいいのか!」と叱咤され続けてきた。この言葉が私を一番奮起させた。心にぐっとくる言葉だった。先生、下手くそな私でも最後まで信じてくださってありがとうございました。そして3年間、いや9年間、テニス一筋の私に、好きなことを最後までやらせてくれ、朝早くからお弁当を作り続けてくれたお母さんに心から感謝したい。
ただ、私にはまだやるべきことがある。それは田中をアスリートに変えることだ。田中はまだまだ考え方が幼い。昨日もその前も、今日の朝だって、心を伝え続けた。そして二人で戦えた。ただ、これからは最上級生としてチームを作っていく責任がある。自立してほしい。アスリートは自立することで自分の良さが出てくる。そしてそれを信じ切って戦う。それが強さだ。私はそう先生や仲間から教えてもらった。田中や鈴木、新チームのみんなにはそのことをわかってほしいと強く思う。
三重戦や決勝は3面同時展開だった。もうこうなると先生は一人ひとりにアドバイスなんてできない。だからこそ自立が必要なんだ。今どういう状況になっているのか、二人でコミュニケーションをとって判断し、プレースタイルを選択し、実行していく。その自主性がないと3面展開で勝利なんてできない。日々のコミュニケーションと自主自立、毎日の生活では些細なことかもしれないが、それを北越は大事にしている。その些細なことの積み重ねがこういう大事なところにつながっているんだ、って強く思わないとダメなんだ。日本一は日常生活から。
改めて、先生、3年間ご指導ありがとうございました。
明日から、私は今まで受けた恩を後輩へ送っていきます。恩送りとして後輩を成長させ、チームを指導します。これからもよろしくお願いします。(8月2日 阿部瑞希)
瑞希、僕は君に謝らなければならないことがある。
僕は君に「ガッツだけでは全国を戦えないよ」確かにそう言った。
でも、僕が間違っていました。
「ガッツだけでも全国を戦える」
君が証明してくれました。
君は8月2日のノートでこう書いている。「アスリートは自立することで自分の良さが出てくる。そしてそれを信じ切って戦う。それが強さだ。」
君の場合、その「良さ」がガッツだったんだね。誰にも負けない、究極のガッツ、それを追究して自分を高め、それを信じて戦う、シンプルだけどそれが強さなんだ、君はそう言葉で言い、実際に行動で証明した。
田中をあそこまで戦える選手にしたのも君の力だ。いつか幼い田中もこのことに深く気づき、君に心から感謝する日が来るよ。その時は、きっと田中は君と同じように後輩に大切なことを伝えているはずだ。
日本一のガッツをありがとう。
君を一生忘れない。
3年生の木村も、いろいろありましたけど(笑)、成長しました。一番「あらゆることから力を集めて」いたのは木村でしょう。先輩、同輩、後輩、指導者、あらゆる人を総動員して、もがいてきました。しかし燃費が悪すぎて、なかなか光にならない。分け入っても分け入っても青い山(山頭火)、ならぬ、集めても集めても黒い闇(美月)でしょうか。ですが、春の全国選抜の後、木村は自分と向き合うために毎日朝走ることを自らに課します。雨の日も嵐の日も。遠征の日も合宿の日も、みんながまだ寝ている中、一人で起きて走り続けました。全国いろんなところを走ったはずです。それが光になっていったのか、その相関はよくわからないのですが、間違いなく精神的に安定して練習に取り組めるようになっていきました。以前はほぼ毎日、うまくいかないと自分の技術も感情を処理できず泣いていましたが、陽が長くなるにつれ、メンタル的にも技術的にも落ち着いてきました。冷水のがぶ飲みでIH1週間前にお腹を壊す、という大失態も彼女らしいといえば彼女らしい。そして直前に復帰した時、チームに「どっきりカメラ」をしかけられ、感激して大泣きをする、すべて木村らしいです。
当日、木村は、三重戦、そして決勝、誰が戦っているんだ、という変貌ぶりでした。これほど人は変わるのか、もちろん精神的にもタクティクス的にもリードするキャプテン水澤の力は大きいですが、そうだとしてもキーとなる三重戦でエースに3ポイントゲームで勝利、決勝の昇陽戦でもG0-2の劣勢から、二人で挽回していき、木村の連続ポイントで逆転という高いクオリティのシナリオは、全くの想定外でした。
その木村の前日のノートです。
いよいよ明日が運命の団体戦だ。ついにこの日が来たんだ。1,2年生の時の私はクソで、いつも応援席(コート外の金網の外)でガッツポーズをするだけの「金網クラブ員」だった。でも私は全国で勝ちたいから北越に来たんだ。最初で最後のインターハイ団体戦。私たちが主役だ。去年の3年生が抜けて、1年前私たちが立てたスローガン「私は超える!」 3年生の悔しさを見て、来年こそは、って決めたんだ。日々の小さなことからも逃げずに向き合ってきた1年。本当にあっと言う間だった。
私は初の全国舞台の戦いで(全国私学大会)、忘れもしない3月24日、中村学園高校に本当にしょうもない試合をして団体戦をぶち壊し、そこから初めて自分自身と本気で向き合った。次の日から、三重のインターハイまでやり続ける、そう決めて毎朝走った。必ずそれが力になるって信じてやり続けた。
私は特に同じ学年の3年生に本当に感謝している。真李も瑞希も愛も、常にしょうもない私の力になってくれた。1,2年生もだし、先生方、両親…たくさんの人の支えがあって、ここまで来れた。
だから、私にとって明日の試合は「恩返し」の試合だ。
その強い想い。明日は戦います。3年最後の恩返しの試合。戦いきります。(8月1日 木村美月)
さて、前回のブログで僕はこう書きました。
「本当の自立力+自律力が求められるのは、自分の思い通りにならない状況下においてです。簡単には決めさせてくれない。打っても打ってもまた攻め返される。自分の考えを見透かされたかのようにポイントされる。そのような相手に主導権がある場面で、自分や指導者を信じて自分のできることに集中し、苦しい場面でも投げ出さず逃げ出さずに我慢して、その先に必ずやってくるチャンスでギアを入れる。その繰り返しに耐えうるメンタル的フィジカル的タフネスが必要です。それを表現しきれた水澤や木瀬・平岡選手はチャンピオンになり、耐えられなかった選手は負けた。けれど、この成長期にある人間はどこで本気になるかわからない。その自分の中に眠っているギアの場所に気付き、手探りでレバーを握り、ぐっと自分の生きる日々をシフトチェンジできたら、絶対可能性はあります。」
札幌のハイジャパダブルスで、準決勝、シングルスで日本一になった水澤ではなく、前山にボールを集められて負けました。そのことも隠さずに書きました。その上で、僕は前山にこう言いました
「前山、俺がDream Factoryで『前山にボールを集められて負けた』って書いたのは、最終的にお前に自信があるからだよ。もしIHでお前にボールを集められたくないなら、お前の進化を信頼していないなら、あんな風に書くわけないだろ。」
実際に、5月の連休以降、前山は変わってきていたのです。「変われ、進化しろ」のメッセージは常に発信しているのですが、口やノート上でいくら「次は」とか「今度は」とか「対策は…」とか言っても、性根の部分で本気で変わりたいと思わなければ、人間変われるものじゃありません。前山もこれまで、思い通りにならない時に自分の幼さ、未熟な心がいつも顔を出し、我慢がきかず、強気と無謀を履き違えて自己コントロールを失っていきました。その幼さを僕と二人で『愛ちゃん』と名付けて向き合い続けたことは以前書いた通りです。「向き合う」ことの本当の意味をわからせるのにとても多くの時間がかかりました。でもようやくコントロールできるようになってきたのです。制御できるというより、制御しようとする意志がブレなくなってきたと言ったほうがいい。そこまで二人で来れたということです。もちろん、それでも失敗は何度もあります。日常でも、僕の見ていないところで『愛ちゃん』は奔放に振る舞いますから。ある日、僕は前山にこんなことを言ったことを思い出します。
「前山、おまえ自分を信じ切れたことないだろう。そして今まで生きてきて、本当に誰かを信じ切った経験ってないだろう。」前山の顔が曇ります。図星だからです。そして続けてこう言いました。「でも、俺、お前のこと信じるよ。お前は最後、絶対自分を信じて戦う。おまえはおまえ自身を信じきれてないだろうけど、俺はおまえのこと信じきれるよ。これだけ裏切られてきても、俺はおまえを信じるよ。」
その時、前山は今まで見せたことのない表情になりました。この人は何を言っているんだ、そんなことを言う人間がいるのか、という驚きが目の奥をよぎったように思いました。
前山が自分を信じて戦えるようになっていったきっかけは、県総体で庭野のために戦った、その時に感じた「自分を大きくさせるもの」の存在ではなかったかと思います。誰かのために戦うことが、人を強くさせる、そのような人を持っていることの幸せと強み。今回のインターハイで、2年生の今井が大会1週間前にドクターストップ、仲間思いの前山はそのことを自分のことのように残念に思います。そして、団体戦前日のノートにこう書きます。
風花、あなたはチームで一番、弱い自分を「超えよう」としてきたね。けど頑張りすぎたのか、ドクターストップ。すっごく悔しいね。けど、みんな風花の頑張りをしっかり見てきたよ。わかってるよ。だからちゃんとコート上で私たちは私たちを表現するから。風花に優勝旗渡すから。待っててね。ちゃんと見ててね、一緒に超えてきたこのチームの姿。一緒に戦ってきた仲間として、風花に絶対エネルギー贈るよ! 13人で戦い切る。
去年の会津IHの私は、全く戦えず、チームの夢を終わらせてしまった。あの自分にリベンジするためにここへ来た。あの幼い私に、中村学園に、三重に、文大に。それが明日。ついに明日だ。ミーティングでこれまでのDream Factoryチーム北越の歴史を振り返って、これが北越だ。私はここへ来て本当に良かった、って改めて思った。明日は去年の続き。受け継いだドラマを今度は私たちが必ず超えてやる!
苦しいに決まっている。簡単なことじゃない。よくわかっている。けど「団体に強い」これがチーム北越。チーム力、ペア力、どこよりも向き合ってきたから、怖いことない。
あとは自分信じて、チーム信じて、先生信じて。
よし、13人のラスト。コートに立つ者として、ラケット振り切って「前山愛」を表現する。そして、けた違いの気魄で、「私は超える!」(8月1日 前山愛)
第1シード、選抜優勝校の三重高校との準々決勝、3面同時展開でしたが、水澤・木村ペアが敵のエースを④-0で倒し、真ん中のコートでは田中・阿部のペアが激しいラリーの応酬でまだG1-1と競っている中、前山・冨樫が歴史を開くマッチポイントを迎えていました。前山が高い打点で「おりゃー!」という「けた違いの気魄」を込めて振り切ったボールがネット白帯にぶつかりながらも、強い想いに後押しされてネットを越えた瞬間、僕は動くことができませんでした。勝利に感動したからではありません。前山が最高の舞台で自分を「超えた」ことに深く感動したからです。誰かに感謝したくなって下を向きました。涙が溢れました。
初戦の私、小さかった。試合後、気を作り直すためにコートを出た。そこで冨樫と一つになれた気がした。私の思いをちゃんと伝えて、心をぶつけて、冨樫は「はい。」って心から返事してくれた。
ペアとしても、この場にいたくてもいれない風花のために、という思いが強かった。
3回戦は皇太子様の御覧試合で他の2ペアが勝ってくれた。さあ三重戦。私たちの壁。先生に「田川・浪岡」とやりたいって伝えた。試合はプレーボールから気力で圧して一気にG3-1。けどここから私が大事にやりすぎるし、冨樫も積極性を欠いた。何球もラリーが続いたが、気が入ってないボールだから先手を取られ続けた。そしてファイナルへ。その時、ベンチで先生にこう強く言われた。「ボールを入れに行って負けるなら、ラケット振り切って負けて来い! そっちの方が俺もお前も後悔はない!」 この言葉を信じ、先生を信じて、フラットでラケットを振り切っていった。すると冨樫も絡むし、相手のミスも出る。そしてマッチポイント。今まで逆クロスに打っていたトップ打ち。思いきりセンターに思いを込めて振り切った。「チームのために!」って強く思って! それがネットイン。壁を越えた。
準決勝は須磨学園。1-1の三番勝負。G2-3でマッチゲームを取られる。苦しかった。けど、迷わずひるまずラケットを振り切った。チャンスは思いを込めて、大きな声とともに相手のコートにボールを突き刺した。ファイナルは完全にこっちのペースになった。もう弱い自分はいなかった。自分と闘い続けて、そして打ち克った自分を表現できた。
ついに決勝。3面同時展開で大阪昇陽高校との対戦。苦しい戦いの中、G2-2。そこから相手にセンターを突かれ始めて、ペアとして対応が遅れた。最後はやっぱり無難な私が出て、相手のウイニングショットでゲームセット。
奈央(水澤)は頑張って逆転してつないでくれたのに、木村もやり切ってくれたのに、私が日本一の夢を終わらせた。この決勝は、弱い私との向き合いが遅かった私への試練だったのかなと思う。もっと早く自分と向き合えていれば…。
でも、後悔はない。日本一を狙った。本気で狙った。今まで大事なところで逃げていた私。大事な場面で何度も風花を思った。弱い自分と戦って、涙流しながら逃げずに乗り越えようとしていた風花を思った。それでフラットに最後までラケットを振り切れた。風花の頑張りがなければ私たちの準優勝はない。たった一人の頑張りがチームを強くする。「愛、バンカイ!」「ガマンだよ!」私のことをこんなに分かっている人がこのチームにはたくさんいる。だから頑張れた。ガマンできた。すべてをエネルギーにできた。
たくさんの人に支えられて強くなってきた3年間。「向き合うこと」その大切さを痛感した3年間。日本一を獲れなくて悔しいけれど、私、変われたかなと少し思う。「超えて」全国準優勝、それはとても嬉しいことだ。
「信じてくれる人を信じ切る」
これが私が一番後輩に伝えたいこと。
私は信じることができなかった。「人を心の底から信じたことがない。」先生にそう言われて確かにそうかもと思った。先生の言ってくれることは分かったし、信じようとも思った。けどそれは口だけで、心からじゃないので何も変わらなかった。それが大事な場面で出る。
「俺にとっては試合で勝つより、おまえが『愛ちゃん』に勝つことの方が大事なんだ」
先生からそう言われて、そっから私の中の『愛ちゃん』と向き合いながら、人の心、自分の心も理解しようとしたし、先生を信じるって心から思えるようになった。だから、三重戦、苦しい展開でファイナルに入った時、先生の一言で自分は変わった。先生も自分も信じ切れた。先生、私を信じて3番手においてくれてありがとうございました。
それから、北越が大事にしているコミュニケーション。須磨学園戦で、流れが相手にあり、冨樫がめっちゃ弱気になってストロークもボールを入れにいく、ヒッティングボレーも入れにいく。「やばい」と思って、冨樫の目をぐっと見た。そして言った。
「弱気になってどうすんの! 風花のために勝つんでしょ! 奈央(隣のコートで同時展開)は絶対に勝つよ!」
そこから冨樫の目が変わって、私をぐっと見た。そして「はいっ!」って太い声で言った。去年なら、私がそこまで強く言うと半泣きになってしまった冨樫。もうあの時の冨樫じゃなかった。ちゃんと成長してた。そこからの逆転勝利。本気のコミュニケーション、人を変えるには絶対必要。だからこそ1年生にも先輩後輩関係なく、積極的に伝えてほしい。しっかり伝えることで逆に信頼関係ができる。それは北越だからこそできること。それが苦しい時に必ず支えになるから。
冨樫、去年のリベンジできたね。(前山・冨樫で昨年の会津IH個人戦、三重:田川選手に初戦敗退)きついこと言ったけど、信じてついてきてくれてありがとう。
お父さん、お母さん、お姉ちゃん、いつもありがとう。国体、リベンジするからね。もっと強い私、見せるからね。
「私は超える!」
実現できたかな。3日間の日本一を目指した鈴鹿インターハイ、テニスが楽しかった!(8月2日 前山愛)
最後に、部長としてチームのハートを作り、IHでは裏方の統括として、サポートをまとめあげた、庭野真李のノートを載せます。
庭野なしには、今回の躍進はない、そう断言できます。このチームの鍵ガール、長い戦いがすべて終わって声をかけた時、彼女は声が出ませんでした。すべて戦いに出し切って、残った声がない。かすれるとかハスキーとかそんなもんじゃありません。残った声がない。ただの声じゃなく、魂を込めた全力の「伝え」なので、空っぽになるのです。それが今年のチーム北越のリーダーです。だからここまで来ました。お疲れ様、ありがとう。
素晴らしいリーダーでした。
みんな、お疲れ様。そして、ありがとうございました。
日本一にはあと一歩届かなかったけど、チーム力が日本一でなかったら絶対ここまで来ていない。選手、サポーター、ドクターストップがかかっているのに鈴鹿まで来て精一杯声を出して応援してくれた風花、保護者のみなさん、男子テニス部、新潟で応援してくださった多くの方々、そしてなにより津野先生、本当に本当にありがとうございました。本当にこのチームで良かった。北越に来て本当に良かった。今、改めて思います。
絶対に日本一を獲れるって信じてチーム作りをしてきた。この思いがみんなに届いたし、一人も諦めている者はいなかった。全員が信じていた。実績なんて関係ない、シードなんて関係ない、チームとしての団結力、強い想い、信じる力、それが団体戦に強い北越の強みだ。
この3年間、本当にいろんなことがあった。2年で部長を任されてからが特にそう。コミュニケーションが取れなくていったん部長を下ろされたけど、今思うとその方がよかった。ターニングポイントは紫雲寺での練習の時、「変わろうとしていない」って先生にコート出されて、「変わりたい。本当に変わりたい。」と心の底からにじみ出るように思った。先生は、本当に一人ひとりのことをよくわかっているから、小手先は通用しない。先生の期待に応えようとして動いていた自分を先生は「変わろうとしていない」と言う。そうじゃないんだ。失敗してわかったけど、「このチームの夢を強く思って、その夢を叶えるために自分が生きる。」そういう方向で自分のすべてを見つめなおした。だからトンチンカンだと言われようと、自分なりにチームの夢の達成のためだと思ったら行動するようにした。そうしていたら、先生は県総体の前にもう一度私を部長にしてくださった。選手としてはダメダメだった私についてきてくれて、県総体を戦ってくれて、私に優勝旗を渡してくれた仲間たち。そして一緒に全国で本気で日本一を獲りに戦った仲間たち。本当にありがとうございました。
「私は超える」このスローガンの下で1年間やってきたけど、今思うのは、このスローガンは誰かひとりだけが超えてもダメなんだということ。それぞれ一人ひとりが自分を超えていく、その結果として団体戦の勝利になるんだということだ。私は毎日、このノートの最後に「チームに花を咲かせる」と書いた。書きながら本当にそう強く思って1日を終え、次の日に備えた。
個人戦の2日目、団体メンバーが練習しに行った後、私たちサポート組は個人戦の決勝を見た。文大の優勝が決まった瞬間の選手と応援団の喜ぶ姿を見て、あの喜びを団体戦で実現させたいと強く思った。本気でそう思えた。最後に火をつけてくれた。だから、今日1日、私はこのチームで絶対日本一を獲るんだって強く思って、本気の声をかけ続けた。そして一緒に戦い続けた。
よく「自分を信じて」と選手に声掛けをするけど、まず私が選手を信じてなければダメなのではないかと思った。特に「超えて」ほしかったのが愛だ。それはずっと愛を見てきたからそう思ったんだと思う。3番勝負を任される愛、今の愛なら絶対に超えられる、そう心から愛を信じて応援できた。本当にこれまでの毎日の一つひとつ、1日1日の本気の積み重ねなんだ。
本当に最高のチームでした。ありがとうございました。(8月2日 庭野真李)
最後の最後に、この日にいたるまでの僕のソフトテニス指導歴(一部ソフトボール指導歴を含む)何十年間のうちの数年間、僕とともに本気で夢を目指した数多くの真っ直ぐで純粋な青春たちに、改めて感謝の気持ちを伝えさせてください。岩手県西根町立西根中学校、遠野市立土淵中学校(ソフトボール部)、栃尾高校、新潟東高校、巻高校、北越高校、それぞれ場所は違うけれど、高い山の頂上を目指しつづけてここまで来れました。みんなと過ごした日々のおかげです。ありがとう。
でもね、まだ団体頂点立ってないからね。だいぶ身体ガタがきてるけど、残された時間で頑張るからね。てっぺん立ったら、小千谷の片貝の花火大会で記念の花火を夜空に飛ばすのが夢なんだ。その時はみんな小千谷に来てね!
※今年のサプライズ旅行は、伊勢神宮→鳥羽水族館→鳥羽港→答志島への旅でした。