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2020年4月27日 (月)

Dream Factory 2020 希望の春

明日世界が滅びるとしても、

私は花に水をやる

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これまで生きてきた中で、いくつか心に大切に息づかせている言葉たちがあります。

これもその一つです。

もとはあの宗教改革をしたマルチン・ルターの言葉だとされている「世界が明日破滅に向かおうとも、今日私はリンゴの木を植える」です。ルターが闘ったものの大きさ(世界そのものだ)と成し遂げた偉大な業績と重ね合わせると(宗教改革? ルター? というポンツクはすぐウイキペディア!)、この言葉の重さがズシンと来ますが、僕は表題のように変えたイメージが好きで、この言葉で格納しています。

インターハイが中止になりました。

この状況でできるわけがありません。

そして後ろを振り返っても意味がありません。近未来を見ましょう。希望とは可能性のことです。

問題は、今の高校3年生のこれまでの研鑽をどう形にしてやれるか、我々指導者が知恵を結集すべきはこの1点に尽きます。厄介なのは、感染の終息状況が読めない中で3年生の残された時間だけは刻々とカウントダウンしていることです。ですが、厄介なだけです。問題を放棄するexcuseにしてはなりません。我々の競技はウインターカップもありませんし、春高も、選手権もありません。国体も今の状況であれば難しいでしょう。まずは夏の終わりか秋口にかけて、都道府県レベルで何らかの舞台を準備すべきだと考えます。高体連が厳しいなら連盟。それも難しいなら…知恵を集めます。必ず希望はあります。見ようとすれば、必ず「その状況その条件での」可能性が見えてきます。

その上で、高校3年生には、いつも通り「花に水をやれ」と伝えたい。

「水やり」を放棄すれば、その花の成長は止まります。未来に咲く花も咲きません。「花」は希望であると同時に「君たち自身」です。

毎日走っている人は今日も走ろう。昨日の自分よりほんの少しだけペースを上げよう。坂道に差し掛かったら自らを励まし、ぐっと重心を前にかけよう。

家で筋トレやアジリティトレーニングをやっている人は、ほんの少しだけ強度を上げよう。回数を先週より3回増やしてみよう。

イメージトレーニングや素振りをしている人は、集中力を高めてから(黙想したり、理想のプレーヤーの動画をみたりして脳内イメージをクリアにしたり)始めよう。

「自分への水やり」だけではなく、自分の周囲の人に感謝されたり、周囲が明るく前向きになるような言葉を伝えたり行動したり、後輩の成長を促したり、自分とかかわる「他者への水やり」も、いつも通り続けよう。

そして、希望を消さずに日々を誠実に生きる。

こういうメッセージはいつもチームには、特に上級生になる生徒には「必要な責任」として伝えています。北越の3年生は、毎年そのことを理解してくれます。

3年生の鈴木と佐藤は、毎朝、人のいない6時ころに自発的に走っていますが、その後にメールをくれます。インターハイが中止になった昨日の様子を今朝のメールでこう伝えてくれました。

ついにインターハイが中止になってしまいました。悲しいし悔しいです。だけど、そんなことこの大会にかけてきた全国の高校生みんなが思っていることで、自分だけじゃないんですよね。

昨日の夜、朋恵先生からもメールをいただきましたが、ある意味、今が本当のアスリートになれるチャンスなのかもしれません。インターハイがなくなった。とすれば、インターハイのためにテニスをする、っていうことは意味がなくなります。先生は先日、この日が来ることがわかっていたかのように、こう言ってくださいました。

「必ず、お前たちの日々の努力を表現する舞台を用意するから」

インターハイがなくなるからといって、自分たちの努力が無になるわけじゃない。チームや自分自身の向上こそが目的だ、それが真のアスリートなんだと思います。

インターハイ中止のニュースが流れた後も、会った人にちゃんと挨拶する、そんな小さなこともやりました。自分は先生を信じて真のアスリート目指して、またやっていきます。自分たちの夢の実現はまだまだ終わりません。

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昨日は1年生も入れた2グループでミーティングを持ちました。自分たちの進行役は星野でしたが、星野の1年生に伝えることがズレます。こうやって1年生に伝える側になってのズレは自分だけの問題じゃなく、1年生に混乱が広がっていったり、間違ったことが伝わったりしてしまうので、2年になったということを自覚して成長してほしいです。

私の反省としては、1年生を発表の形でしか取り込むことができなかったということです。1年生をどうやってディスカッションの輪に含めていくか、それは1年生の問題じゃなくて私たち上級生の問題です。その問題も「問題解決」が必要なことですから、2,3年生でも話し合っておきます。

近藤(2年生)がタクティクス(戦術)の考え方で疑問があるので、一緒に同じ試合を見て勉強をしたいと言ってきました。そういう前向きな姿は3年生としてすごく嬉しいです。チームとしてタクティクス力もつけていきます。

(3年 キャプテン 鈴木唯香)

昨日、インターハイの中止が決まりました。いろんな思いもありますが、先生たちを信じて前に進んでいきます。

昨日はチームでDream Factoryの内容を読んで、グループに分けてLineディスカッションにチャレンジしました。ですが、私のグループはうまくディスカッションを作ることができませんでした。

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原因としては、進行役の2年生がすぐに「まとめ」に入ってしまったこと。その「まとめ」から色々と質問してしまったことで、ディスカッションがごちゃごちゃになってしまいました。なので、途中から私も入って進めていきました。

終わってから、2,3年生で「振り返り」ミーティングをしました。私が入る前のディスカッションについて、高橋と斉藤はどうにかしようとして頑張ってもがいてくれましたが結局うまくいかず、そのことについて私に前向きな質問をしてくれました。

でも、司会に立候補した鷲尾はしゃべらず、今日の自分について積極的に振り返って失敗を生かそうとしているようには見えませんでした。もう2年生なので、鷲尾にはそういう姿勢について伝えました。その後2年生だけで話し合ってくれたみたいです。

2年生は、まだ臨機応変に会話をつないで、全体の意志を広げてまとまていく、ということができません。もう少し準備をさせて全体ミーティングに臨ませようと思います。

(3年 部長 佐藤莉穏)

こんな絶望的な状況にあっても、二人は「花に水をやり続け」ています。もちろん「いろいろな思い」は交錯するでしょう。それは当然です。その中で「今、自分がやれること」を明確にして、日々を誠実に生きている3年生を誇りに思います。

ルターのものだと伝わっている言葉のイメージを、僕が変えて心に留めているのには少し理由があります。「リンゴの木を植える」は将来実るかもしれない希望を信じて新たに行動するイメージです。不毛の地に苗を植えるイメージ。目を閉じて、実際に自分が明日世界の終わりだという前日に「リンゴの木を植え」ている姿を想像してみてください。

明日世界が滅びるとしても、私は今日リンゴの木を植える

どうですか?

では、次に、これを「花に水をやる」に換えてみます。同じように目を閉じて想像してください。

明日世界が滅びるとしても、私は今日花に水をやる

どうですか? 

その花はいつも世話をしている命です。自分が水をやらないと枯れてしまう、自分と強い関係性を有した命たちです。たとえ世界が破滅に向かっているとしても、自分が関わっているものに自分ができることをする、その「ちっぽけだけど大切な行為」の価値が浮き彫りになってきませんか。

これだけ状況が気になるとネットニュースを見ることも多いでしょう。しかし、あのネット上にはヤフーニュースのサイト上にさえ、フェイクニュース(ニュースの形をとった自己主張のPRやCM)も居座りますし、人々の不安につけこんだ刺激的なコメントが多数載っています。どうか、そんな無責任な言動やゴシップに左右されず、今、なすべきことを誠実に積み重ねていってほしいです。(新聞を読みましょう。ウラをとってないものは記事になりませんから。TVはワイドショーは見ずに《あれはショー=ニュースをネタにした娯楽です》決まった時間にニュースを見ましょう。)

最後に、2年生が送ってくれたメールの中に、こんな素敵な話があったので紹介します。

こんばんは。

今日は15分の追い込みを午前に2回やって、午後4回やりました。今日は、15分の中で、一つひとつの動作に、どこで使う動作なのか、何のために自動化すべき動作なのかを考えてイメトレしました。けど、パッとそれが頭に浮かぶものと出てこないものがあります。出てこないものをしっかり復習します。それから、今日は家の掃除をしました。自分の部屋だけじゃなく、リビングも寝室も掃除しました。

暗くなってから最後の追い込みを終わって空を見ると、空はすごく星が透き通っていました。その中で一つだけとても輝いている星がありました。何という星なのかわかりませんが、その星からすごくエネルギーをもらった気がしました。その星みたいに誰かに力を与えられるような人って素敵だなって思いました。

この出会いは、こんな状況じゃなかったらあり得なかったかもしれません。他者視線、そして環境、その二つが人を集中せざるを得ない状況にしてくれます。それが、監督やコーチという存在であり、部活という環境です。部活に行くということはその二つによって、集中環境を得ていたのです。その助けがない今、オリンピック選手でもない限り、毎日毎日、自主自律で自分を鍛え上げることは高校生には難しい課題です。

そんな中でも、自分を励まし、ラインでチームとつながり、心で監督と信頼しあうことができるのであれば、甘さに流れてしまった1日を終える時、後悔が生まれると思います。小さな後悔と次の日の決意そして実行。その波の中で、人は成長していくのでしょう。

きっとこの2年生のこの1日は「やり切った日」だったのではないでしょうか。だからこそ、輝く星の光が「透き通って」見えた。星はこの日だけ特別に輝くことはありません。星に透明な光を見た君こそが輝く1日を生きたのだ。僕はそう信じています。

高校3年生、心で連帯しよう。

令和2年度の18歳、君たちにしかできないことがある。今も、将来も必ずある。君たちこそが「希望」なのだ。

まだまだ「終わり」じゃない。

今日も自分と世界に「水をやろう!」

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