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2024年3月12日 (火)

DREAM FACTORY 2024 啓蟄

4年ぶり 北信越選抜優勝

 苦境を切り拓いた心の成長

 それを受け止めた心の成長

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更新が大変遅くなってすみません。

先日、3年生の卒業祝賀会を開きました。毎年そこで3年間のドラマを1時間のフォトムービーにして卒業生に贈るとともに、現役や保護者と一緒にそのドラマを鑑賞するのですが、1月半ば~2月一杯、その制作に没頭していました。

さて、全国のブロック予選で最後になった北信越選抜大会。

4年前、コロナ禍で全国センバツが中止になった年。あの時以来の優勝です。

元日に北陸を襲った能登地震。

大会は1カ月延期され、会場も松本市の「やまびこドーム」に変更になりました。

優勝候補は石川県代表の能登高校。

去年まで3連覇中でしたが、地震で寮は使えなくなり、学校再開の目途も立たないそうです。

いたたまれない思いですが、北越の生徒たちには「だからこそ、全力で最高の試合をしよう」と伝えました。

「能登高校はいろんな人の思いを胸に闘志を燃やして戦ってくる。

どっちが勝っても負けても、ソフトテニスに本気で青春をかけて生きているチーム同士、いままででベストの戦いをしよう。それがおまえたちができる最大のリスペクトだ。」

前日の組み合わせで、能登高とは3対戦目となりました。

全勝対決でぶつかりたい。

生徒も僕も同じ思いでした。

ですが、、

2対戦目の長野代表 都市大塩尻高校に、同時展開の2面ともファイナルを落とし負けてしまいます。

エースペアを期待した安藤・渡辺は、序盤のミスをなんとか挽回してファイナルへ持ち込みましたが、ファイナルでもあえなく崩れて自滅敗退。

冨樫・吉澤ペアは、G3-0の圧倒的リードから、追いつかれて逆転敗退。

3番手として、仲間の冨樫の勝利を信じて隣で戦いをスタートさせていた下里は「魂が抜けたような気持ち」になったそうです。

下里は長野県出身の選手です。

全国で戦いたくて北越に来た生徒です。

それなのに長野県の学校に負けるということは、己の青春をかけて新潟に来た、その運命ともいうべき決心を根底から揺るがす「悲劇」だったのでしょう。

ショックなんて言葉を超越して、足元からガラガラと世界が崩れていくような感覚になったのだと思います。

下里鼓。このDream Factoryにも何度か「出演」していますが、これまでの下里はメンタル的な弱さを露呈してしまって結果を出せませんでした。

練習では問題なくても、試合になると、ちょっとした不具合が「不安」に発展して、自分が飲み込まれていく、相手に負ける前に自分に負けていくことの繰り返しでした。

2年目の夏を超えて、精神的に強くなりました。

大きな転機があったわけではありません。

挫折を繰り返し、北越畑でたくましくなっていきました。

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自分の弱さを対象化して向き合えるようになったことがすべてです。

1年生の頃は視野が狭く自分のことしか見えない子でしたが、何度も挫折し、自己嫌悪に陥りながらも、徐々に自分と向き合えるようになっていきました。

負けが確定した長野戦、下里のモチベーションが極端に下がっています。

G0-2。

気迫を失い、何でもないミスを連発しつづける状況。

以前の下里なら、このネガティブなムードに飲み込まれて、真っ逆さまに敗北へ落ちていったと思います。

このマイナスの嵐の真っ只中で、彼女は踏ん張りました。

「まだまだわからないから。」

「1-②だったら、全国のチャンスあるから。」

「きついのは分かるけど、ガンバ!」

僕の言葉に小さくうなずきながら、心を奮い立たせ、可能性を信じて挽回していく彼女に感動しました。

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最後はファイナルで勝利。

1-②で可能性をつないだものの、チームの士気は大きく下がっていました。

次は全勝の能登高校との決戦です。

ドームを出て、冬枯れの林の一角にチームを集めました。

キャプテン渡辺と新部長の土橋がありきたりな話をして、「先生お願いします」と僕に振ろうとしたその時、下里がそれを止めました。

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「ちょっと、いい・・」

溢れくる思いと涙にむせびながら、言葉を絞り出します。

「ねえ、みんなは悔しくないの?」

下里は、こういう場面で、ネガティブな状況を自らの手で切り拓くようなことは決してしなかった子です。

驚きながら、見守っていました。

「私は悔しい・・」

思いがあふれて、胸がつまって、トントンとこぶしで胸をたたきながら、なんとか言葉を紡いでいます。

「ファイナルに強い北越は、、どこに行ったの?」

この下里の熱い魂を一番深く受け止めたのは安藤だったと思います。

全勝対決をしようと誓ったのに、福井戦も長野戦も競り合いながら自滅敗退していた安藤。

目に涙を一杯にためて、真っ直ぐに、どこまでも真っ直ぐに下里を見つめていました。

見つめる、というより、心の中に深く吸い込んだ、という感じがしました。

心の底に炎が宿る、その瞬間を目の前で見ました。

これでチームは目を覚ましました。

令和5年度北信越選抜大会 能登高校VS北越高校の試合は、お互いがベストを尽くして戦う素晴らしい試合となりました。

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安藤・渡辺ペアは、リードされながらもファイナルに追いついて、今度は力強いファイナルを戦いました。

1-1で、3番勝負。

さあ、下里・土橋。

土橋もまた、ペアとして部長として、下里の思いを深く受け止めていました。

土橋も自己ベストの戦いで下里の思いに応えます。

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ファイナルの競り合いを制し、最後まで強気を貫いての勝利。

ファイナルに強い北越の復活。

戦いに魂がこもっていました。

見事な戦いだったと思います。

(下里のノートから)

北信越選抜大会 優勝。

去年のリベンジができた。この1年、この日に向けてやってきたことを表現できてよかった。

今日1日、たった1日だったけど、いろんなドラマがあり、いろんな感情の嵐に巻き込まれたけど、勝負となる3番勝負にしっかり勝ち切れたことが、全国につながったんだと思う。

勝負の能登戦の前、長野の都市大塩尻との対戦。

1番、2番がどちらもファイナルまでもつれた。キャプテンペアはファイナルに入ってもミスが続きあっけなく敗れた。私はG3-0でリードしていた凛たち(冨樫・吉澤)の勝利を信じて戦っていたけど、どんどん挽回されてきた。

そして逆転負け。

私は、あの負け方にショックを受けた。

戦いを自ら降りているような負け方にショックを受けた。

悔しくないのか・・

.

私はこの大会が長野に変更になって、長野の人たちに強くなった私を見てもらいたいと思って大会に臨んだ。

全国で戦いたい。もっと強くなりたい。そう思って北越に来た。

凛たちが力尽きて、長野戦の負けが決まり、なんか魂が抜けたような気持になった。悲しさがあふれて、戦う気力が失われてしまった。

G 0-2。

ベンチで先生が「リーグ戦だから! まだわかんないから、頑張れ!」と励ましてくれている。

初めてハッと正気付いた。

ファイナルまで挽回して勝てたのは、土俵際で自分を信じ切れたからだと思う。

「自分の弱さや質(たち)と向き合うことは必ず強さにつながる」

先生の言葉を信じてやってきた。それを証明できてうれしい。

能登戦の前に、外へ出てミーティングをした。

あの時、思い切って言ってよかった。

もしあのまま何も言ってなかったとしたら、どうだったのだろうか。

落ちているチームのギアを上げて、能登戦を戦うために何とかしなきゃと思った。

私は勇気をもってチームに伝えた。

そして、キャプテンペアは私の勇気を受け取ってくれて、信じてファイナルを勝ち切ってくれた。

私は試された。

勝負の能登戦、1-1の3番ファイナル勝負。

私は仲間に伝えたからには負けるわけにはいかない。

土橋と力をあわせて勝ち切った。

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いつもは先輩たちのDream Factoryを観て感動するばかりだったけど、私たちにも自分たちのストーリーを自分たちで作っていけたんだ。

いつも思うが、Dream Factoryの北越の先輩たちはかっこいい!

でも、強いんじゃなくて強くなっていった。

ここで、自分の弱さと向き合って、ギリギリの場面で強いアスリートになっていったんだ。

私たちのストーリーもこれで全国へ行けて終わり、じゃない。

課題なんて山ほどある。

夏の前に全国へチャレンジするために、もっともっと「強くなる!!」

(2年 下里鼓)

(下里の勇気を心で受け止めた安藤のノートから)

念願の北信越団体優勝を果たせて、本当に嬉しく思います。

昨日の夜、4年前、莉穏先輩のチームが最終戦で逆転優勝をしたDream Factory(ムービー)を観て、あの感動のドラマと本当にそっくりの展開で自分があのDream Factoryの中に立っているようにさえ感じた。でも違う。今日のドラマは、このチームで先生方と一緒に作り上げたドラマで、その中の一瞬一瞬を全力で生きたんだなあって、今実感しています。

今日のドラマのキーは、長野代表に負けた後、下里が涙をこぼしながら私たちに思いを伝えてくれた、あのシーンだ。

   みんな、悔しくないの・・・?

   ファイナルに強い北越はどこに行ったの・・・

すごい深く考えさせられた。

大事な勝負、特にファイナルで負けない北越。

それは、みんな自分の弱さと向き合い続けてきたからだ。

自分に負けない。

自分の弱さに負けない。

だから、ギリギリの場面で負けない。

それなのに、私は初戦の福井商業戦もあっさり負けた。

負けられない思いで臨んだ次の長野戦もファイナル負け。

本当にこれが北越なの?ってくらいの、ファイナルは相手の流れにはまってしまって、情けなさすぎる試合だった。

その直後の能登戦。

あれだけ強い思いがこもった言葉を伝えられて、私は絶対に3番の下里につなぐんだって誓った。

もう下里を泣かせたくない。

新潟に来ても無駄だったなんて、絶対に言わせるもんか!

だから絶対に回したい。いや回す。

厳しい場面は何度もあった。

そのたびにベンチの下里を見た。

G2-3。

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ここでこのチームの命、私が終わらせるわけにはいかないって強く思った。

そして逆転勝利!

能登戦にファイナル勝ち、そして優勝できたのは、間違いなく下里のあの言葉だ。

このチーム、本当に最高だって思う。

だからこそ、去年みたいに全国センバツの切符取っただけで終わりたくない。

全国の舞台で、何度も何度も戦い続けたい。

そのためには、本当にまだまだです。

実感しました。

私、頑張ります!

(2年 安藤愛莉)

この二人のドラマに、実は大きな伏線がありました。

約1カ月前のことです。

僕が不在だった部活でのこと。

思い通りにいかなくてミスを連発し、投げやりな態度になった安藤を下里が指摘したそうです。

それなのに、安藤は反抗的なつぶやきを下里に返した。

チームは翌日にミーティングを持ちました。

仲間の問題はチームの問題。

仲間の問題は、問題というより、チームが乗り超えるべき課題。

だから、それを乗り越えることがチームの成長。

「目の前の勝利より、人としての成長が大事」

チーム北越の原則です。

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テーマは「弱さと向き合う」

僕が読んで感動したラグビー日本代表 姫野さんの本をテキストにしました。

(第3章 本当の自分と「向き合う」より)

 ノートを書いて自分の弱さと向き合うことには、「“矢印“を自分に向ける」という意味もある。

 矢印とは、説明するのが少し難しいが「物事を考えたり、振り返る時の意識の方向」というようなものだろうか。例えば、上手くいかない理由を他人のせいにしたりして、自分自身の振り返りをしないのは「矢印が外に向いている」状態だ。学校や会社でもそういう人の顔がすぐに思い浮かぶかもしれない。ラグビーの世界でも、プロになるような有力選手の中にも「矢印が外に向いている」選手は少なからずいる。

 だが、そういう選手は伸びない。

 トップのトップ・・・一流にはたどり着けない。

 そういう選手は能力があってもケガもしてないのに、あるレベルにまで来ると伸び悩んだり、入った時は凄く期待されていたのに成長がピタッと止まってしまう。

 そして、いつの間にか表舞台からいなくなってしまう。僕はそういう選手を、大学でも社会人でもたくさん見てきた。

 彼らはほとんど例外なく、矢印を自分に向けていない。

 他人や周りの環境のほうにばかり向けていた。

 つまり自分や自分の弱さと、向き合えていない。

 自分という人間を知らない。

 わからないまま、知らないままに年齢を重ねてきたことで、自分がどこまでやれて、どこからやれないのかが自分でもわからない。自分の武器もわからないし、当然、弱さを受け入れる力も育っていない。

 だから、例えば試合に使ってもらえない状況になると、不貞腐れる。拗ねる。

 「なんで使ってくれないんだ」

 「あのコーチは全然見ていない」

 「アイツなんかより、オレのほうが絶対に力があるのに」

 そうやって矢印をチームを率いる上司やスタッフ、ライバルに向けてしまって、使われない理由を自分の中に探そうとしない。思い通りにいかないことは、全部他人のせいにしてしまう。

 他人から厳しいことを言われるのが嫌いな選手も伸びない。やはり弱さを受け入れられる柔軟性を持っていないから、順応できないまま行き止まりになってしまう。

『姫野ノート』 姫野和樹 著 飛鳥新社

安藤が「矢印」を外に向けるタイプだということはわかっていました。

あらゆる機会をとらえて、少しずつ自分を対象化させようとしてきました。

自分を対象化できれば、必ず人の心はステージUPします。

けれども、人間の「質」は自分自身と一体化しているので、それを自分から引き離して対象化するのはなかなか難しいです。

北越畑ではそれを「向き合う」という言葉に概念化して、大切にしています。

今回、姫野さんの力も借りて、チームとしてもう一度「向き合う」ことの意味と意義、そして自分の超えるべき「質」や「弱さ」について考えを深めてもらおうと思いました。

少なくとも今の安藤ならそれに堪えうるくらい心が育っていると判断したからです。

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(安藤のその日のノートより)

今日は私の「質(たち)」についてチームで話した。

私が思ってることとチームのみんなが感じてることって、大きなズレがあって、こんなにも私、周りが見えないんだなって気づかせてもらった。

私の質は、うまくいかなくなるとイライラする、ということ。

だから、昨日、自分で気づかずに態度が投げやりになっていたことを下里に伝えてもらった時、反抗的に「考えてるだけだし  (-"-)」って言ったこと、私自身が覚えていない。

私はまず、うまくいかなくなるとイライラするタイプだということをしっかり認めることからスタートだ。わかっているけど「認めていない」。

考えて見れば、私は小さい頃からうまくいかないことがあると、「もういい!」って逆ギレしたり、泣きわめいている子だった。成長した気でいたけど、私が思っているより心の成長が追いついていないんだ。

私は私の「質」を認めない限り、私の向き合いは始まらないんだ。

今日、みんなで読んだ姫野さんの本にも書いてあった。

自分は弱い人間だって認める。そこからスタートだって。

自分を知るところから。知るから、それを変えていける。

私は人に自分の感情を話すことで気持ちが少し楽になるのを知っている。

親に話す時も、自分視点で話してて、客観的なことを言わずに、自分を守るかのように話をしてる。自分の意志でそうしているわけじゃないんだけど、勝手にそういう立場で話してる。それって「逃げ」なんだって、今日はっきり思い知らされた。

うまくいかなくてイライラが募り、家で先生や仲間のことを悪いように言ってしまう。

「矢印」を人に向けて、自分が軽くなっているんだってわかった。

そんな自覚全くゼロだった。

だから「質」って怖い。

みんな本当にゴメン。

姫野さんが本で言ってる。

「矢印が外に向いている人は、それ以上伸びない。」

ビシッと書いてあった。

ある地点で止まって、それ以上は伸びないって。

それ、私だ。

自分と向き合う、つまり「矢印」を自分に向けるべきところで、それを人に向ける。

うまくいかないことを外のせいにする。

だから、いつまでたっても自分と向き合うことができない。

姫野さんは、先生がいつも言っていることと同じことを言っていた。

こんなにも同じなんだって驚いた。

ラグビーの日本代表として世界と戦っている一流アスリートも、私たちも同じなんだ。

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私は秋から勝てなくなった。

ペアが変わってもいつも県でベスト8。

先生が「技術がベスト8なんじゃない。人としてベスト8どまりなんだ。」って言ってくれた意味がようやくわかりました。

1年生~2年生の夏まで、私は元気出して思いきりラケット振って、そうやって向かっていって実力以上の結果を出してきた。

けど、最高学年になった秋から勝てない。

それは先生の言う「責任と自覚」を力にできないからだ。

言葉では「責任」「自覚」って言ってるけど、チームを背負うギリギリの場面で心がもたない。

自分と向き合うことから逃げてきたんだから、当たり前だ。

私はまだまだ未熟すぎる子どもです。クソガキです。

でも、夏のIHでは北越のエースとして戦いたいです。

全国の舞台でエース対決をして勝ち切れる選手になりたい。

人としてもプレーヤーとしても、エースと呼ばれるにふさわしい選手として戦いたい。

今まで向き合ってこなかった分、これからちゃんと自分の弱さを認めて、向き合い続けます。

誰よりも努力します。

みんな、本当にごめん。

そして、ありがとう。

(1月19日 安藤愛莉)

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改めて、この時期の若い心が成長していく様に深い感動を覚えます。

いつも思いますが、思春期の成長には仲間の関わりが大きく影響します。

でも、そういうチームの「文化」をつくり、それを促すのは、やはり指導者の姿勢だと考えています。

人間は「自分が傷つきたくないから」、仲間であっても「それ違うでしょ」とは直接言わない。逆ギレも怖い。ネット社会ですから、裏でどこで何を言われるかわからない。だから無難に、何事もなかったかのように振る舞う。

でも、本当はそうじゃないって誰もがわかっている。思春期という心の根っこをつくりあげる時期に、むしろそれは伝えるべきだし、伝えてあげることがお互いの幸せなんだという「社会」を経験させることは、大きな価値を経験することだと思うのです。

ただ、「向き合わせる」ことは途方もないエネルギーと根気強さが要ります。お互い消耗もします。ストレスもたまります。

こちらも眠れない夜を過ごします。

そんな時、心に期するのは「この子の成長、この子の人生」です。

諦めないでメッセージしながら、最後まで「この子の成長、この子の人生」と言い聞かせて畑を耕していると、必ず若い魂は何らかのドラマを得て、自分を超えていきます。

しかし、このような指導はこれから難しくなっていくでしょう。

先日送られてきた、日本スポーツ協会からの雑誌にこんなことが書いてありました。

「まだ追い込むような指導が行われている」

この文言の「追い込む」を「向き合わせる」と言い換えれば、僕の指導は世間の流れ的には間違った指導だということになります。甘い自分を対象化させるには、それと一体になって疑わない自分を追い込む必要もあります。それが「悪い指導」だとすれば、僕は退くしかありません。

でも本当にそうでしょうか。

古代ギリシャのソクラテスは問答法により、徹底的な対話で若者たちのドクサ(思い込み)を露わにさせ、「無知の知」(自分はわかっていると思い込んでいたけど、実はなにもわかっていなかったのだと悟ること)を自覚させ、自分と向き合わせることで精神の成長を促しました。

時代は変わっても人間の精神は変わらないはずです。思春期の発達課題も変わらないはずです。

精神の自立のためには、自分と向き合うことが不可欠ではないでしょうか。

部活動はその最適のフィールドだと思います。

けれども、時代はその部活動を「消滅」させる方向に進んでいます。

借りた体育館の隣で、別の競技が月謝を払った少年たちにスポーツを教えています。

「いいねえ」

「ナイス」

「どんまい、どんまい」

今後、外部化によって社会が求める青少年へのスポーツ活動や指導がこれだとしたら、もはや心の成長は指導において促すものではなく、精神的な向上を目指す者は自分自身で自分と向き合うしかなくなります。生まれつきそういう強さをもった子もいますが、多くはそうではない。だとすれば、もう中高生のスポーツの世界も克己心の養成に関しては「自己責任」であり、その結果、生まれつき「矢印」を自分に向けられる精神力の強い子とそうでない子たちの格差社会になっていくでしょう。

この点に関して、全国の高校野球の指導を始めたイチローさんが去年の暮れに興味深いことを述べています。

「高校生で自分を導くのは難しい。でも、結局自分しかいなくなっちゃう。だってそういう存在(厳しい指導者)いないでしょ。ということは自分に厳しくせざるをえない。自分を高めていこうと思ったら。自分に厳しくできる人間、中にはいますよ。そうするとどんどん自分を厳しい方に持っていく、厳しい道を選ぶ、それは若いうちにしかできないこと。でもそれを重ねていったら、大変で挫折することもあると思うけど、そうなれたらめっちゃ強くなる。でも、導いてくれる人がいないと楽な方に行くでしょ。自分に甘えが出て、結局苦労するのは自分。厳しくできる人間と自分に甘い人間、どんどん差が出てくる。厳しくできる人間はどんどん求めていくわけだから。うまくなったり強くなったりできる。求めてくる人に対しては求められる側もそれはできる。でも求めてくれなかったらできないから。でも自分を甘やかすことはいくらでも今できちゃう。そうなってほしくない。いずれ苦しむ日が来るから。大人になって、社会に出てからも必ず来る。できるだけ自分を律して厳しくする」。高校生とはいえ、自らを追い込み挫折も味わって強くなると説いた。

 チームについても「本当はこれ言いたいけどやめとこうかなってあるでしょ。でも、信頼関係が築けていたらできる。おまえそれ違うだろって。いいことはもちろん褒める。でも、そうじゃない。言わなきゃいけないことは同級生・先輩・後輩あるけど…1年から2年に言ったっていいよ今は、大丈夫。そういう関係が築けたらチームや組織は絶対強くなりますよ。でもそれを遠慮して、みんなとうまく仲良くやる、ではいずれ壁が来ると思う」と述べた。

(2023年11月6日、スポニチアネックスより)

チーム北越は、イチローさんの言う「そういう関係」が築けています。

だから、毎年「壁」を超えていく=ドラマが生まれるのだと思います。

ただ、うちのようなチームはもうレアになっていくのかもしれません。

「こんなチームもかつてはあった」というようにアーカイブ入りしてしまうのも、そう遠くない話でしょう。

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二十四節気の中で「啓蟄(けいちつ)」という言葉とそれがもたらすイメージが一番好きです。

「啓」は開く。

「蟄」は虫(ここではカエルなども含む)。

春が近づいて、雪解けした田畑の土の中で、冬眠していた虫たちが動き出す季節(3月5日~19日頃)、という意味です。

チーム北越の畑は、今「啓蟄」です。

冬の間、自分の弱さと向き合い続けた若い命たちが、動き出しています。

下里と安藤がもたらしてくれた向上を欲するエネルギーが畑に広がっています。

同時に、暖かくなってきた太陽と春風が「芽を出せ、芽を出せ」とささやいています。

「この子たちの成長、この子たちの人生」

今日もまた、「畑」に向かいます。

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