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2024年9月27日 (金)

DREAM FACTORY 2024 夏の終わり

記録よりも記憶

チーム北越(新潟)  佐賀国スポで 有終の「挑戦」

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長い長い2024の夏がようやく終わりました。

このブログの更新も4カ月ぶりになります。

サボっていた訳ではありません。

インターハイの記事を書けませんでした。

チーム北越は自分と向き合って強くなっていくチーム。

秋は県内大会で負けることも珍しくありません。

早春の全国選抜の時期はまだまだ固い蕾、北信越を抜けても全国ではとても勝ち切れません。

でも向き合ってきたエネルギーが爆発する夏。

真夏に咲くひまわりのように、県総体からインターハイで、このチームは毎年のようにたくさんのドラマを刻んできました。

前回の記事で紹介した安藤と冨樫は、その後行われた北信越総体でも力を発揮し、各県の第1シードを次々に破って準優勝。

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団体でもチームは決勝で優勝した能登高校に3番勝負のファイナルで競り合う充実した戦いを見せて準優勝。

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そして臨んだ長崎インターハイでしたが…

今までのチーム北越が強味にしていた勝負どころでのミス…

向かっていく強さを発揮する場面での逃げ、無難な選択…

いい流れで来ているのに試合前の指示と真逆の戦術変更…

それでもまだ立て直せるのに、勝負となる第6ゲームをことごとく落として、個人戦も団体戦も勝負から降りていきました。

戦わない…

戦わない…

国体でコーチをお願いすることになる長岡商業の高橋陽介先生は、

「どんな戦いを演じてくれるんだろうと楽しみに観ていたが、返ってきたのは『白紙の答案』だった」

と印象的な表現で総括してくれましたが、まさに言い得て妙。

選手たちもうなだれていましたが、僕もショックでした。

なぜ? という問いが振り払っても振り払っても纏わりついてきます。

負けるのはいいのです。ベストで戦い切れば。

負けても未来につながるドラマがあればいいのです。

しかし、何もありませんでした。

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チームの負けは監督の責。

どこで何を違えたのか、僕は何を失敗したのか。

大会直前の合宿の充実ぶりと選手たちの自信に満ちた目の輝き。

その姿がリアルでしたから、苦しい自問自答が続きました。

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何もないのですから、このブログも書くことができませんでした。

一晩寝付けない夜を過ごして、夜明け前の薄明かりの街を歩いて出した結論。

このチームが咲くためには、もうひと夏が要る、ということ。

最後の舞台を国体に変えて、3度目の夏をこの子たちと真剣に生ききってみよう、ということでした。

ウインターカップや春高があるバスケやバレーボール等と違って、この競技には夏が2回しかありません。

下から積み上げていくローカルレベルの選手たちの伸び期は「The夏」です。

でも今年のチームは2回の夏では熟さなかった。

「桃栗三年」じゃないですけど、核となる選手が不在の年は3度目の夏が必要だ、そう結論づけました。

正解かどうかはわかりません。

でも、こういう時は何らかの腹を括らないと扉は動かないものです。

幸い、今年の新潟県国体チーム(今年から名称は「国スポ」ですが、何だか締まりの悪いネーミングで、ここでは旧称の国体で統一します)は北越高校が主体で監督も僕が務めることになっていました。

実は去年からそうだったのですが、僕から見て去年の北越主体の国体チームは未熟。

とても他の人に託すことなど申し訳なくて、自分で責任を負いました。

2年がかりで引き受けて強化していく青写真を持ってのことです。

案の定、昨年のブロック国体は全敗の最下位。

長く国体に関わってきましたが記憶にない惨敗でした。

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インターハイから戻って、休養を挟んで国体強化合宿初日。

朝から電話・メールが次々と来て、体調不良、メンタル不良の続出。

来るには来たもののモチベーションが落ちていて、選手をやる自信がないのでサポートに回りたいという者も複数。

もうズタボロです。

帆は折れ、船底に穴が空き、漕ぎ手は不在…

これで再出航するんですか、という状況。

卒業後もテニスを続ける意志のない3年生が、全てをインターハイに賭けて虚しく敗退した後、進路の準備や手続きに追われながら、更に国体に臨むモチベーションを高めていくのはなかなか難しいです。

それはもちろん理解する。

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でも、でも、でも、です。

3年前の夏、中学3年生だったこのメンバーが揃って体験入部に来てくれました

県レベルのローカル選手たちでしたが、それぞれに光る物を感じて、皆を集めて話をしました。

「君たちは磨けば輝くものを持ってる。このメンバーが集まったら全国で戦えるよ!」

そして集まってくれたその子たちの最後の夏です。

こんなインターハイがこの子たちの最終章であっていいはずはない

それはあり得ない。

ここは誘ったこっちの踏ん張り所です。

ああ、いくつになっても試され続けるんだな、そう思いました。

この雰囲気を救ってくれたのは、長岡商業から国体候補選手に選ばれた伊藤春蘭です。

前回の記事で紹介ように、県総体団体決勝でエース対決を圧倒的な気迫と実行力で制した長岡商業の3年キャプテンです。

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身体的には不器用だけど、溢れて止まない気迫とどこまでも真っ直ぐな実行力。

正式な強化合宿前から北越高校の練習に自主参加してくれて、コートに響き渡る春蘭の「ガンバ〜〜!」という掛け声に何度もチームは勇気づけられました。

どんな時でも前を見ようとする安藤を国体キャプテンに指名し、春蘭の気迫がチームの「気」を湧き立て、チーム新潟はようやく船出しました。

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僕は毎年、夏にテーマを決めて本を読むことにしています。

今年のテーマは「時間」。真木悠介さんの『時間の比較社会学』をテキストに考えます。

この本は「死ぬとわかっているのに生きる意味あるの?」という問い、つまりニヒリズムからの脱却を目指して、古今東西の「時間」を社会学的に比較検討する、とてもスリリングでワクワクが止まらない考察が展開される本です

このニヒリズム的な問いはコンサマトリー(現実充足的)な生において満足が得られず、生きること=頑張ることに意味を見出せなくなることで発生します。

どうせ頑張ったって叶わないんだから頑張る意味なんてねーよ」というわけです。

これはもっと大きなスパンに置き換えると「どうせ死ぬんだから生きる意味なんてねーよ」という問いと全く同じですから、そうなると由々しき問題として立ち上がってきます。

そしてこのニヒリズムは、3年目のインターハイでも全くいい所無しで終わったチーム北越のメンタルそのものだと言っていい。

ですから「次こそやれるよ」的な安直な励ましは功を奏さないでしょう。

真木氏は人生に意味を見出せず苦しんでしまう理由を「時間は未来へと無限に続いている」という観念と「過ぎ去った時間は過去へと葬り去られて戻らない」という観念に我々が囚われているからだとして、そのような「時間」の観念は西洋文明の限定的な成り立ちから作られたもので、決して事実でもなければユニバーサルなものでもないことを明らかにしていきます。

読んでいた本の考察の目的と目の前の喫緊の課題がバッチリ合致して驚きました。

こういうこと結構あるんです。そこで、ニヒリズムに囚われている北越の子たちに向かって、僕は合宿でこんな話しをしました。

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おまえたちはきっと、目標とする大会が未来にある時、今度こそこうやって戦おう、自分の弱さを克服して戦おう、と思っているだろう。(みんな頷き)

で、その未来がやってきて、「今」になって、最初は意気込んでいても何かが思い通りにならないと、また不安になったり、さっきのプレーは違ったとか過去を振り返ったりして、今にフォーカスし切れない、そんなことがよくあるだろう。(みんな深い頷き)

そしてゲームセットが告げられ挨拶をした後、ずっと自分がやらかした過去を反省するだろう。今だってまだ引きずっている人もいるんじゃないか。(唇を噛み締める)

どうして人は「今」を精一杯生きようとしないで、このまま負けるかもとか、あのプレーこうしておけばとか、未来や過去にフォーカスしてしまうんだろう。

生きてるのは「今」なのに、どうして「今」を生きないのか。(眼差しが深まる)

「ある」のは「今」しかないんだよ。(ちょっと分かんないという顔)

日めくりってあるだろう。365日一枚一枚朝にめくっていくやつ。

いつだって「今」しか現れない。

次の日やその次の日、1カ月後2カ月後なんて「今」においては「ない」んだよ。

過去だって同じ。過去の出来事を建設的に「今」に生かすなら、つまり「今」と一緒に生きさせれば過去は「ある」って言えるけど、ネガティブな振り返りなんて「今」を殺すだけなんだから、「今」にとってその過去は「ない」んだよ。

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ほとんどの高校生、地区予選や県大会、インターハイでラストの試合を終えた99%の3年生高校ソフトテニスプレーヤーにはもう最後の夏なんてない

悔いが全く無しで最後の大会を終われる奴なんてほとんどいないよ。(春蘭から大粒の涙が流れ落ちる)

「もしも可能なら、もう一回、もうひと夏鍛えて再挑戦させてほしい」、そう思う奴なんてたくさんいるよ。(僕自身がそうだった)

でも、お前たちには、その「もうひと夏」があるんだよ。

「過去」を今に生きさせる「今」が目の前にあるじゃないか。

勝つかどうかなんて仮想の未来のことなんだから「ない」んだよ。「今」には関係ないんだよ。

なあ、みんな、授かった「もうひと夏」を精一杯生きようぜ。

そして、1回目で叶わなかった「あの舞台」へもう一回チャレンジしよう!

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そこから2カ月間のチームの成長には目を見張りました。

夏休みいっぱい、遠征と修正練習を交互に積み重ねていきました。

3回目の夏を生き切ることで、こんなにも逞しくなるのかと驚かされました。

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北信越ブロック国体では、勝負となる富山戦にエース吉澤・土橋ペアがまず勝利。

続くシングルスでは経験値の低い下里が接戦を制して本国体出場を決めました。

全勝対決となった石川戦は負けましたが、去年の全敗最下位からこの小粒チームで本国体に復帰しました。

吉澤・土橋ペアはエースとして柱になってくれましたし、下里が春蘭との絆を深めてメキメキと力をつけていきました。

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9月にはインターハイ団体優勝の東北高校に練習試合に行きました。

去年は「無謀にも来てしまってごめんなさい」というほどの惨敗でしたが、今年は競り合える試合が増え、勝つこともできて、選手たちは「ひと夏」の成果を実感したと思います。

日本一のシングラー天間さんとも何回もやらせていただき、下里は1試合だけですがG2-2のアドバンテージを戦えるまでになりました。

いざ、佐賀へ!!

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こうして臨んだ佐賀国体でしたが、初戦の神奈川戦、0-③で敗退し、チーム新潟は最後の挑戦を終えました。

心技体知、チームベストの力をつけることはできましたが、結果という「花」を咲かせることは叶いませんでした。

ですが、インターハイの負けとは全然違います。結果は同じ初戦敗退ですが、あの強風の中でも、3年生の選手たちは「ひと夏」鍛えてきたことをやろうとし続けました。

充実した攻めで追い詰めてくる神奈川に対して、未来や過去に振り回されることなく、「今」に集中して、戦い続けました。

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キャプテン安藤は慣れない強風に苦しみながらも誓い通りシュートボールを打ち合いました。

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ブロック国体後、選手に返り咲いた渡邉七瀬はこの夏から取り組んだサービスダッシュで挑み、あの風の中でも怯まずに前へ行き続けました。

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土橋は2年生ペアの吉澤にミスが続いても、約束通り真ん中に立ってポイントを狙い続けました。

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シングルスの下里は、相手のマッチポイント=チームの勝利ポイントを凌いでゲームを奪い返し、チームの希望をつなぎました。

冨樫もそしてチームを救った春蘭も声を限りに叫び続けました。

2年生の吉澤茉子は強い風にフットワークが雑になりミスで自滅でしたが、誓った通り自分のベストシュートを打ち続けようとしました。

今回の戦いは決して「白紙答案」ではありませんでした。

明確にそれぞれの長所をキャンバスの真ん中に置いて、戦いの「絵」のモチーフは良くわかりました。

それでも神奈川は強かった。

これでいいです。

清々しい「少年女子」の戦いだったと思います。

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最後のノートに伊藤春蘭は「記録よりも記憶」と書きました。

なんと的確な表現でしょうか。

彼女たちの「もうひと夏」は記録に残りませんが、それぞれが将来、この「ひと夏」を振り返った時、自己肯定の礎になる「記憶」として深く刻み込まれたはずです。

それは将来の「今」にこの「ひと夏」を蘇らせて、その「今」に勇気と充実を与えてくれる「生きた過去」になる「記憶」です。

新潟県の2024シングラー下里鼓のノートです。

3年目の夏、3年間の高校テニス人生が今日で終了した。

長いようで短く、内容のいっぱい詰まった充実した日々だった。
 
結果としては神奈川県に0-③負け。目指していた「あの舞台」には届かなかった。
私はシングルスで2-④負け。私の負けでチームの敗退が決まった。
悔しさは溢れてくるけど、でも、「私は戦い続けた」と胸を張って言えるのが救いだ。
長崎での、あの中途半端な戦いではなかった。
どんな場面でもどんな状況でも、私の心の真ん中には伊藤春蘭がいた。
特にG1-3での相手のマッチポイント。以前の自分だったら、ネガティブな感情に引き込まれてそのまま負けていた。
ファーストサーブを構えながら集中を高めていたら、自然と春蘭の姿が浮かんできた。こんなことは初めてだった。

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練習中のあの春蘭の声と姿がはっきり浮かんだ。
粘って粘ってこのゲーム奪って、G2-3。

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でも、平川のカッティングの技術は夏より上がっていた。
あの強風の中、あれだけ精度の高いカッティングを続けられて、私はなんとか返球するのがやっとの状態だった。
私にストーリーがあるように、あの子にだってストーリーがある。
夏の練習試合の後も試行錯誤しながら、自分のスタイルを磨き続けてきたんだと思った。
 
私がこうして新潟県チームのシングラーとしてここに立てたのは、全て春蘭と私につきっきりで指導してくださった陽介先生のお陰だ
春蘭には自分にないものをたくさん学ばせてもらった。
春蘭と二人で切磋琢磨し合ってお互いを高めてきた。

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シングルスは孤独だなぁと初めは思っていたが、春蘭から「私たちは二人でペアだ。下里・伊藤ペアだ」って言われて、自分の中で何かが変わった。今日も苦しい場面で何度も目を合わせて二人で戦った。
 
伊藤春蘭、こんな短い付き合いだけど、私にとって一番尊敬できる人だ。
人間が他者を尊敬するって、一緒に過ごす時間の長さは関係ないんだ。
春蘭はいつも全力投球だ。練習中も、私と試合する時も、チームに声を掛ける時も。
表裏がなく真っ直ぐだ。そして思いをなんとかして伝えようとしてくれる素晴らしい人。

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春蘭、本当にありがとう。
出会えて良かった。
 
津野先生
3年間ありがとうございました。
たくさん負けて、たくさん泣いて、少しは強くなったって思ったのにまたダメで、また泣いて…
そんな3年間だった。
それでも、私が今はっきりと言えること、それは「北越でやってきたことに嘘はない」ということ。
 
私の「質(たち)」は「ネガティブ・不安気質」だった。
その「質」に真っ直ぐに眼を向けさせてくれて、自分が闘うべきものを教えてくれた。チームも「私の闘い」を見届けてくれる。私は北越でそうやって成長してきた。
それなのに、長崎インターハイで情けない試合をして、国体強化に切り替わる時、自分は自信がないからサポートに回ろうとした。今では、そんなこともあったなって遠い昔のように思える。
あの日、先生は、
「本当にそれでいいのか⁉︎」
10年後20年後に今日を振り返った時、悔しい思いで『あの日に戻ってやり直したい』って思わないと言えるか⁉︎」
そう伝えてくださいましたね。
あの場面がなかったら、あのままネガティブな気持ちに流されていたら、春蘭との深い絆もなかったし、、陽介先生からの熱い指導も受けられていなかった。何よりこの2カ月間の人としての成長がなかった。
先生、あの日、私の人生を変えてくれてありがとうございました。
そして先生を信じてシングルスにチャレンジして本当に良かったです。
本国体への出場を決めた北信越国体の富山戦、その後、練習試合とは言え、天間選手に競り合えたこと、佐賀に来てからの直前の京都との練習試合でファイナル6-4のマッチポイントから4本連続ポイントされて負けた時、陽介先生から「あの4本にお前の回答はどこにあったんだ。何も自分で選択してないじゃないか。最後にそれをどうするかは、俺も春蘭もどうすることもできない。最後はお前自身なんだぞ!」って厳しく教えていただいたこと。
たった2カ月間だったけど、私は深いドラマの中で成長できたんだなって思います。私に関わってくれたたくさんの人に感謝します。

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この国体への2カ月を最終章として、私は北越での3年間で人間的に大きく成長できた。
どれだけメンタルがスポーツに影響を与えるのか、よくわかったし、その部分でかなり強くなれたと思う。私の「味噌屋」気質は常に私を苦しめ、私の厄介なクソメンタルは今日も顔を出し続けたけど、私はそれに負けることなく戦い切った。私が北越に行くって決めたのは、全国で戦えるスキルの向上と人としての成長のためだ。その両方を果たせたことに誇りを持ちたいと思います。
 
これで私の長い長いソフトテニス人生は終わりです。
長野から来て最後まで頑張れたのは、親の支えがあったからこそだ。
お母さん、一緒に新潟に来てくれてありがとう。
そして長野に残って私を支えてくれてありがとう、お父さん。
最後まで私を見届けてくれて、本当にありがとう。
 
この先、自分はどんなことがあってもそこから逃げずに挑戦し続ける。
北越の3年間でつけた力で私の将来を切り開いて行きます。
 
3年間、本当にありがとうございました。

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下里鼓
 ・
下里は1年目、自分のことだけに一杯一杯で、全く周囲や他者に気を配れず、僕から「自己中」と言われた子でした。技術的にも伸び悩んだ時期が多かったです。一つ言われるとそのことだけにすがりついて全体性に目がいかない。この壁には「味噌屋」とネーミングしました。「味噌作り百年続く伝統の技!」的なこだわりが彼女の可能性を狭めると思ったからです。
その下里が、春蘭と切磋琢磨しながら絆を深め、友情を育み、リスペクトし合うまでに成長したこと、負けた相手の成長を感じて言葉にできるほどになったこと、陽介先生の指導を短期間で消化し血肉にしていく柔軟性が育っていたこと、自分の「質」を認めコントロールするようになれたこと、すべて君の成長のたまものです。素直に嬉しく思います。
最後に土橋日加里のノートを載せます。
土橋は3年間、ほぼ毎回、脇役か「悪役」を演じてきました。
身体の固さ、考えの頑なさが悪い方向に現れることが多く、試合ではミスが出ると止まらなくなり、僕からは「土橋祭り」と揶揄される状態が頻発しました。
それでも土橋が最後に新潟県のエース前衛として国体を戦い抜くまでに成長できたのは、土橋の誠実さ、そして性格的な大らかさと素直さにあると断言します。土橋はよく仲間からイジられますが、大らかに笑って受け入れ自虐ネタに変えてしまいます。

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技術の習得が不器用でネガティブに陥ることもありますが、泣いて唇を噛み締めながら、また短期間で立ち上がってきます。そのレジリエンス力も長所です。2年生になって後輩の吉澤と組むようになってから、自分の弱点、自分の頑なさに目を向けていくようになりました。
インターハイでの大失敗でメンタルがガタガタに落ちかけましたが、また立ち上がって日々学びを深め、3年間の全てを賭けて佐賀国体に挑みました。
 
1回戦、神奈川に敗退。
悔しいけれど、先生と、最後まで向上しながら戦えたことが嬉しいです。
でも、やっぱり全国で結果を残したかったな、という思いが残ります。
 
私は1年生の時からずっと試合を放り出すような戦いをして、何度もチームやペアの夢を壊すようなことをしてきました。その埋め合わせをしたいと強く思って臨んだ佐賀国体でしたが、最後もチームを勝ちに導くことができずに終わってしまった。
私は中学から前衛になったけど、技術もないし動きもただサイドに(後衛と逆のスペース)しか行かないような、何もわかってない前衛だった。それが3年になってようやく相手後衛との駆け引きとポジションの取り方がわかって、試合でも駆け引きポイントが増えた。でも、この国体では、風が強く吉澤のミスが続いてしまい、身につけた力を発揮することはできなかった。それでも先生は最後のミーティングで、「結果としてできなかったけど何を目指して何をやろうとしているのかがしっかり伝わってきたよ」って言ってくれて嬉しかった。
 

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私は北越の3年間で、人としても物事の考え方にしても大きく変われた。
何より、自分の意志や考えを本当にはっきり持てるようになった。
先生が繰り返し伝え続けてくれたこと「自分と向き合う大事さ」は 、これからも大切にしていきたい。
1年生の頃は「向き合う」なんて何も分からず、2年生になってから少しずつ自覚できて、3年生になってから、更に責任と自覚を求められる中で自分と深く向き合うことの大切さを教わった。
 
私は試合を壊すようなことをし続けて、練習でも本当にうまくいかない日々が続いてキツかったけど、なぜか先生は絶対に見放さないって1年生の時に感じて、信じてやり続けることがどれだけ大事かわかった。

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先生は覚えていますか? 1年生の時でした。
先生に「お前さ、人をとことん信じたことってある?」って聞かれて、「私、人を信じてしまうのが怖い」って答えたこと。
あの時は人を信じることとテニスの向上に何の関係があるんだと思っていました。
でも先生自身が、どんなに私が悪くても見捨てずに、何度も何度も信じてくれたこと、そして夜遅くなっても私ができるまでボール出しをしてくれたこと、ずっと一緒に考えてくれたこと。そして先生やチームを信じて夢を叶えていった先輩たちの話を聞くうちに、私は人を信じて行動する勇気を持って生きれるようになりました。
 

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どんなにうまくいかなくても、投げ出してしまいたくなるような時でも、信じて努力をし続けたら何かが少しずつ変わり出す。そしてそれがいつか大きなものになること。
これからの私の人生の真ん中に置いておきたいことだし、後輩にも継ぎたいもの。
 
3年間、このチーム北越で自分と向き合ってきたこと、今日「花」に換えることが出来なくて悔しいですが、でも私はこの3年間を誇りに思いたいです。
 
本当にありがとうございました。

 

土橋日加里

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さて、長らく綴ってきたこのブログも、今回で僕の執筆は最後になります。
お読みくださっていた皆様、ご愛読ありがとうございました。
僕は本年度で、15年間お世話になった北越高校を退職します。
これからは柳直子先生が主顧問となり、チーム北越を率います。
きっと、このブログも柳先生の筆で書き継がれることと思います。(注:未了解事項)
僕は外部指導者(これも嫌なネーミングですね。決して「外部」じゃないのに。)としてチーム北越をサポートしていきます。
これからも、チーム北越をよろしくお願いします。
 北越高等学校 女子ソフトテニス部 
        監督 津野 誠司
 

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