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2019年10月19日 (土)

HOKUETSU Spirits 2019 ~ 夢 ~

 チーム北越の3年生に穂苅匠という選手がいます。白根第一中学校出身、前衛。

 彼が中学3年生のときの地区大会を観戦したとき、当時の顧問の先生に声をかけられたことがきっかけでした。中学からソフトテニスを始め、実績はまったくなし。顧問の先生が赴任されたのが2年生のときだったので、1年ほどしかまともにテニスを教わってはいない選手でした。ただし並外れた運動能力を持っており、「もしかしたら」という期待の持てる選手ではありました。

 入部当初は圧倒的なレベルの差を感じたと思います。ついていけないと感じたことも1度や2度ではないと思います。私は普段の練習をみていて、「きっとうまくなる」という予感はしていましたが、それは本人の自覚、努力があってこそです。

 幸いこの学年は非常に仲が良く、技術の有無に関わらずコミュニケーションが活発でした。こういった環境であったことも穂苅が最後までやり切れた要因だったと思います。

 2年生の春の県総体。穂苅は1学年上の小林風雅という選手の組んでのエントリーでした。残念ながら新発田中央高校のエースペアにファイナルで敗退(彼らはインターハイ出場を決めました)し、穂苅は小林を引退させました。

 県総体の最終日。最後のミーティングの後、2人はずっと話をしていました。ときに笑いながら、ときに涙しながら。その様子はあたかも小林が穂苅に襷を繋いだようにみえました。

 

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 秋からはダブルフォワードに挑戦しましたが、なかなか結果は伴いません。地区大会はベスト8、新人戦は初戦敗退。どこにゴールがあるのかわからないマラソンを駆けるようにもがいていました。

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 光が差してきたのは4月。恒例の奈良明日香遠征でのことです。後輩の佐藤陽太とのペアリングで全国の選手と多くの試合を行いました。この様子をみて「なんとかなるかも」という確信めいた感情を抱きました。迎えたHJS予選。順調に勝ち上がりベスト8進出。準々決勝は同校対決となり松尾・新部ペアに敗退しましたが、ついに公式戦で結果を残しました。

 

 しかし、そううまくはいかないものです。5月の連休のあとに行われた地区大会では第5シードだったにも関わらずまさかの3回戦敗退。県総体出場権への敗者復活にも負け、自力での県総体出場を逃してしまいました。幸い他のペアが自力で県総体出場を決めてくれたおかげで、各校に2枠ずつ与えられる「学校枠」で県総体出場となりました。

 このままでは県総体に出場しても、意味がないだろうと思いました。チーム北越にとって県総体は「出場することに意味がある」大会ではけっしてありません。3年間の集大成にする気もありません。そのことを彼に伝えました。

 時間は限られていました。毎日毎日、遅くまで残って自主練習を行いました。何度も何度も話をしました。そして県総体前夜、「これで勝てなかったら仕方ない」と思える状態にまでもっていくことができました。

 迎えた県総体は地区大会の汚名返上とばかり、アグレッシブに戦い続けました。学校枠での出場であり、厳しい組合せでした。苦しい場面もたくさんありました。しかし、彼らの心は最後まで折れませんでした。またしても準々決勝で同校対決に敗れましたが、2日目のインターハイ出場決定戦を2勝1敗で6位入賞。夢の舞台をつかみ取りました。

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 インターハイ出場を決めて臨んだ北信越大会。佐藤・穂苅ペアはシードをもらっていましたがまったくいいところなく初戦で敗退。今までに例のない強風の中での試合ではありましたが、条件はみな同じ。なのに負けたことに対して、戦えなかったことに対しての悔しさがまったく見えませんでした。県総体前、あれだけ必死に取り組んできた自主練習もあっさり切り上げるようになりました。彼に言いました。

「インターハイ出場を決めて、目的を果たしたと思ったのなら大間違い。チームは日本一を目指して練習している。今とっている行動が日本一に向かっていると胸を張って言えるか。」彼らの心に再びスイッチを入れました。

 インターハイまでの1か月。練習試合、強化練習でできることはやりました。穂苅は必死で戦いました。その結果、インターハイでは1回戦を突破。2回戦では強豪高田商業を相手に健闘むなしく敗れましたが、本当によく頑張りました。3年前「もしかしたら」と思った選手が宮崎の地で最後の戦いを迎えられたことを誇りに思います。素晴らしい選手に育ちました。そしてペアを組んだ佐藤陽太。あの襷は間違いなく受け継がれました。

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 あのとき声をかけてくれた顧問の先生、素晴らしい出会いをありがとうございます。

 先生の予想は超えてくれたでしょうか?