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2016年7月

2016年7月14日 (木)

DREAM FACTORY 2016 初夏

3年生 深い絆で戦った北信越
北信越総体 団体・個人ともに銅メダル

H28.6.17~6.19  富山県 高岡市スポーツコア

北信越02

<団体戦>
1回戦  北越 ③-0 七尾(石川)
2回戦  北越 ②-1 高岡商業(富山)
準決勝 北越 0-② 金沢学院(石川)


個人戦は 2年鈴木・保科が3位!
新潟県として3年ぶりのベスト4


北信越01
<個人戦>
【大原・岡崎】
 1回戦 シード
 2回戦 ④-1 高岡西(富山)
 3回戦 2-④ 金沢学院(石川)
【前山・田辺】
 1回戦 シード
 2回戦 ④‐2 岩村田(長野)
 3回戦 ④-3 七尾(石川)
 4回戦 1-④ 能登(石川)
【鈴木・保科】
 1回戦 シード
 2回戦 ④-2 松本蟻ケ崎(長野)
 3回戦 ④-0 高岡西(富山)
 4回戦 ④-2 金沢学院(石川)
 5回戦 ④-1 高岡西(富山)
 準決勝 3-④ 金沢学院(石川)

うちの部にはマネが一人います。いや、正確には、かつていました。
そのマネは選手としてインターハイを経験したマネです。

岡崎楓は、新津第五中出身の選手です。
同期の和田、松浦、大原はジュニア時代から活躍していた選手(トップは全中優勝の見附の子たちでしたが)で、一人だけ無名の中学選手として北越に来ました。きっかけは、冬に北越高校で実施している新潟市内の中学生強化練習に参加したことだそうです。こういう明るく一生懸命な雰囲気の部活で自分を高めたい、そんな素朴な憧れで入部した子です。その無名選手が入学してから2か月後にはインターハイ出場を決めるのです。これがそもそもの「ボタンの掛け違え」でした。ペアとして組んだのが、去年リーダーとして炎のチームを作り上げた吉藤でした。でもあの頃は吉藤もまだ未熟な2年生、岡崎は入学したてでチーム北越が大事にしていることも、自分と向き合う厳しさもその価値も何もわからないうちにインターハイ出場を果たしてしまったのです。全国の高校生テニスプレーヤーが憧れてやまないインターハイ出場という栄誉をさしたる苦も無く手に入れてしまった。これではこの世界をなめてしまいます。こういうことは人生でもよくある話です。そしてこのような棚ボタ大ラッキーはその後の道のりを狂わせることが多い。悪い予感はやはりその通りで、その1年後の県総体で、吉藤・岡崎ペアはまさかの3回戦敗退。それでも出場を決めたインターハイ団体で花を咲かせてもらいたくて、岡崎には多くの宿題を課しましたが、岡崎はその試練に応えることなく、逃げ出してしまいました。ひと夏ぐるぐると彷徨いましたが、お家の人の我慢と温かい見守りで、なんとかドロップアウトだけは踏みとどまって、2学期からマネとして復帰しました。当初はマネとしても自己中心的な部分が多くありましたが、後輩たちとかかわりながら、岡崎は人間として少しずつ成長していったと思います。
今年の3年生は1年次から、多くの全国大会へ代表選手として出場してきました。ただ、1,2年の時はイノセントでいられるので思い切って挑んでいけばいいのですが、2年の夏以降は、最上級生としてチームをまとめあげていく責任が生じます。この1年間、責任あるリーダーシップがとれる人間となるよう、3年生にあらゆる場面で指導してきたのですが、なかなか思うように育てきれませんでした。このDREAM FACTORYでも紹介したように、今年の県総体は1,2年生で団体優勝旗をもってきました。
ですが、3年生がこれで終わっていいわけはありません。奮起を促し、あるべき自分と現実の自分とを向き合わせ、さらに一歩上の自分を追究させたい。3年生という期間はとても短いですが、僕は3年生が3年生の間に成長することは、彼女らのためにもチームのためにもとても大切なことだと考えています。
今回の北信越は、県総体で実力を発揮できなかった3年生をあえてメインに据えて戦いました。
ほぼ自己ベストで戦えた3年生、その核になったのが岡崎でした。

春季地区大会の直前まで、マネをやっていた岡崎が、急遽選手として出場し、インターハイをかけた県総体個人戦、ギリギリの勝負に競り負けはしたものの、大原の自己ベストを引き出し、そしてこの北信越大会で松浦・大原の力を発揮させるまでの軌跡を彼女のテニスノートを中心にたどってみます。

遡ること数ヶ月、3年生になる春休みの岡崎のノートから。



今日は、朋恵先生が来られた。それぞれの課題をメニューにしたような応用練習がたくさんできた。先生がセンバツでいない中、マネの私がもっと発想力と提案力をつけられたらいいのに。
練習後、竹内先生と話す機会があった。最近思っていることを話してみた。「自分、マネージャーになってよかった。」ってこと。自分が物事を客観的に見れるようになったキッカケは、マネージャーになったことだと思う。選手として、自分の課題に追われていた時は自分のことで精一杯だった。今はもっと全体を見る余裕が生まれた。
先生が言うことすべてが本当にその人のため、その人の幸せのためなんだって気づいて、私の中に深い尊敬の思いが生まれた。そういう風に見方が変わったら、ほんの些細な一言でも、すごく幸せになれる時がある。以前の私には何も見えなかった。目の前の幸せを逃してきたのが、すごくもったいない。大原、松浦にも気づいてほしい。インターハイの前に気づいてほしい。
自分は2年生の夏に逃げて、選手をやめ、今はマネージャーやってるけど、もううしろめたさはなくなった。今までは1年生とBチームを見てきたが、これからは同じ学年の3年生とどう関わっていくかが自分の大事な仕事なんだな。(3月26日)



なぜ3年生が本番で力を出せないか。先生が考えるキッカケになる話をしてくださった。北越が代々受け継いできたもの、それは自主自立の精神だ。いも虫の話…。いも虫はいも虫でいる方が絶対に楽だ。目の前にある葉っぱをむしゃむしゃ食べて寝て、起きてまた食べてまた寝て…。でも似ても似つかない蝶になぜ成ろうとするのか。あえて自分をグチャグチャにぶっ壊して、全く違う形に変態して、危険な空に残り少ない自分の「人生」をかける。蝶はそれが本能だ。けど、人間だって「変態」する必要があるはずだ。今までの居心地の良い自分を捨てて自分を変える。先生は絶対に変われると言う。でもすごく勇気のいること。変われたら、きっと「あの時の自分は…」って人に話せる。
私は入学したての頃は、人間性がコートで出る、なんて言われても、正直、よくわからなかったし、実際のところ、信じてもいなかったかもしれない。でも2年目にして良くわかる。大原、松浦なんか見ていると本当に良くわかる。全部コートに出る。先生はよく言う。3年はチームを作れ。3年生の試合は必ず責任感が強さになる。逆に言うと、責任感の伴わない3年生は1,2年の勢いに負ける。
今日だって、大原、松浦はチームに何をした? もう忘れたのか。この前の遠征帰りにバスで伝えたこと。田辺、岡村の代の先輩たちから教えてもらったこと。皇子先輩から伝えられたこと。もうチームに興味ないのか。もう仲間に興味ないのか。後輩はどうでもいいのか。3年生の力は技術だけじゃないんだって。チーム作り、後輩に任せっきりでいいのか? 私は嫌だよ。だって私たち4人って、1年生の時Aチームで伸び伸びとやらせてもらってきたじゃないか。何の責任も考えず、そういう部分は全部先輩がかぶってくれてたんだよ。少なくとも、1年生にはインハイまで伸び伸びやらせてあげようよ。それ、うちらの責任だよ。(3月30日)

これからハイジャパ予選、地区大会と続いていく。先輩方のドリームファクトリー読んだ。まずは石井・依田先輩、命先輩の「普通の子3人で叶えたインターハイ」の所。
私はもう選手ではないけれど、こういうペア力に憧れていたなと思い出した。先輩たちは最後の県大会直前でも、ペアのこと、チームのこと、そして自分がチームやペアのためにするべきことを書いている。常にペアとチームとぶつかっている。本気でぶつかり合って、本音で言い合って、最後はペアと自分を信じて戦う、という感じだ。
私も大原、松浦ばかりに力を注いでいてはだめなんだな。チームが最後に底力を発揮できるようにチーム作っていかなくちゃだな。先生はいつも誰かのために戦え、という。だから苦しい時に頑張れるんだよ、と。
私が本気でチームに力を注いだら、いつかコートの外にいる私から選手が力をもらえる時がくるだろうか。(4月18日)


この4月の予感めいた岡崎の想いが今回の北信越大会で現実になろうとは本人も全く予測できなかったと思います。その上、まさか自分が北信越のコートに立つなどとは夢にも思っていなかったはずです。運命は面白い。
大原未来という3年生がいます。小学生からテニスをしていて、とても恵まれたセンスをもっています。ところが感情コントロールがきかず単純ミスから自己崩壊していくタイプの選手で、メンタル面を中心に改善を図ってきたのですが、なかなか指導が身につきません。ただ、この大原がなぜか岡崎と組むとメンタルがいい状態でいられるということに気がつきました。長くペアを組んできた和田や松浦ではコントロールが効きません。僕が指導しても納得いかない顔をしているのに、岡崎と話すと素直な表情になって戻ってくるのです。不思議な関係です。この二人、普段から特別に仲がいいというわけではないのです。ですがテニスコート上で一緒になると、お互いのいい所が出てくる。1,2年生がぐんぐん伸びてきた結果、3年生4人で2ペアを組むこととし、思い切って大原・岡崎で最後の県総体にかけてみようと決心しました。ペアというのは本当に不可思議です。エース前衛とエース後衛を組ませても必ずうまく機能するというわけではありません。このあたりが二人で戦うことを基本とするソフトテニスの面白い部分でもあります。もちろん、岡崎は春までマネでしたから、ペアとして考えた時に技術的なマイナスは生ずるでしょう。ですが、岡崎にしかできないこともあります。特に大原と組む場合は、大原が自己コントロールを失わないで戦い抜けるかどうかが最大のポイントです。力のある選手です。しかし敵と戦う前に自分の中にいる敵に食われてしまう、そこが大原の最大の問題でした。岡崎と組むことによる技術的な減ポイントが-3だと仮定して、岡崎と組むことによる心理的な加点ポイントが+5だとすれば、技術的減ポイントがないペアと組んでも心理的に崩れる可能性が-5なら、岡崎と組む方がチャンスはあるでしょう。そして、僕にその勝算もあったのです。
県総体、ベスト8決めで長岡商業のエースペアとあたることになりました。大原が崩れないのなら、互角で戦うと踏みました。

H28県総体開幕。
大原・岡崎ペアは、順当に4回戦まで失ゲームゼロで勝ち進みました。序盤~中盤に必ず雑なミスが重なる大原が勝負となる決戦まで失ゲームゼロというのは、それだけ心技体が充実しきっていたことを意味します。そして勝負の5回戦、長岡商業のエース平行陣との対決です。
序盤、岡崎のミスが入り苦しい場面もありましたが、大原は自己ベストで戦い抜きました。最後まで自分のストロークを笑顔で貫き、岡崎とコミュニケーションをとって、何本もエースを取りました。
G3-2リード、第6ゲームでは陣形が崩れた時のフットワークが乱れ、ファイナルに突入しました。ファイナルも一進一退の攻防でしたが、あと一歩及ばず、二人のトライはベスト16=北信越大会出場で終わりました。

県総体14 県総体13 県総体15
大原は自己ベストで戦った。負けて泣いてから、「大原、自己ベストだったよ」って声かけた。私と組んで、自己コントロールを失わなかったのは、3試合目。そして今回が自己ベストだ。先生に「(相手が)もってくるボールだけ止めろ」と言われた時、正直、そんなに全部任せて大丈夫なのかと思った。でも、そんな心配は不要だった。あれほどナイスボールを何十本も打ち切れるものなのか。練習では絶対にない姿だった。それから、いつかの遠征の帰りにバスで「試合中にも大原からのコミュニケーションがほしいんだ」って伝えたことがある。大原、今日はたくさん声をかけてくれた。私の単純なミスは相変わらずあったが、それでも戦いは最後まで互角だった。私はファイナルの4ー6からなんとかしなくちゃと思って動いた。でも4ー6からじゃ遅いんだ。リスクを負うプレー、先生の指示がなくても勇気出して勝負したらわからなかった。もしかしたら、それで負けていたかもしれない。もしかしたら、それで勝ってインターハイへ行けていたかもしれない。それは誰にもわからない。でも私はリスクを負わなかった。そして負けた。
この悔しさは、ここで終わらせてはいけない。まずは明日の団体戦だ。
敗者は心で泣いて、潔くチームのために笑顔で力を注ぐ。団体スタート!(5月27日)


このDREAM FACTORY「2016 春」でお伝えしたように、今回の県総体は1,2年生の成長と強い自覚で勝ち抜きました。結果として、3年生が自己ベストを出せなかった。特に、和田・松浦は3回戦敗退というまさかの番狂わせで敗退しました。
北信越を前にして、3年生には、自分を見つめ、弱さと向き合い、本気でぶつかりあうことで、自分の限界をぶっ壊し、それを強い意志で超えていってほしいと願っていました。

昨日、松浦といろいろ話せた。松浦の思いも聞いた。悩みも聞いた。大原がどう言おうと、松浦には「私」を目の前の「私」として見てほしい。ありのままで見てほしいって伝えた。
そして今日の練習後、3年生4人で本気でぶつかった。いろんな本音が出た。最初は私の言うことに反発していた大原も最後にこう言ってくれた。「岡崎、今まで誤解してた。岡崎が私にしてくれていたこと、それが何のためなのか、先生に言われてやっとわかった。今までヒドイこと言ってごめんね。私、岡崎と頑張りたい。」大原が誰に言われたわけでもなく、自分の意志で私を呼んで涙で顔くしゃくしゃになりながら話してくれた。嬉しかった。わかってくれたんだ。「よろしくお願いします。頑張ろう。」って、二人とも涙の笑顔で握手した。(6月5日)


3年生は絆を深めながら、北信越大会を迎えます。
北信越、個人戦前夜のミーティング。

ミーティングで先生が前山(1年)に本気で心から伝えているのを見ながら、「自分、気付くのが遅かったんだな。」って悔しい思いで聞いていた。先生は夢を叶えるためにはどうしても今のままじゃダメなんだって、必死に伝えようとしている。先生は前山に成長してほしいって強く願っているんだ。
本当は、自分も1,2年生の時、こうして何度も伝えてもらっていたんだよな。あの頃はまだガキで考え方も幼くて、先生の伝えようとしている真意がわからなかった。目の前の壁をつらいこととしかとらえられなかった。
自分、3年になってもう一度選手やることになって、練習中の1本のミスを流せなくなった。1,2年の時はわからなかった。口じゃ色々言ってても、正直ミスを深く気にかけてなんていなかった。ありえない…。なんで今更わかるんだよ…。
悔しいけれど、自分が選手として日本一を目指すには、もう遅い。
でも、日本一のためにできることがある。
明日の個人戦が私と大原の最終戦だ。この大会にすら参加できなかった和田と松浦の分まで戦い抜く。(6月17日)


大原・岡崎の最終戦。
1回戦 シード
2回戦 ④-1 高岡西(富山)
3回戦 2-④ 金沢学院(石川)
団体優勝することになる石川1位の高校のレギュラーでした。
ゲームカウント2-2と互角にわたり合いましたが、フットワークの甘さから失点につながり突き放されました。
岡崎は、自己ベストでしょう。1年生でインターハイを決めた時でさえ、ほとんどはペアの吉藤がゲームを作り、おいしい所だけいただいた勝利でした。3年の県総体、大原のベストを引き出したメンターの役割はすばらしいものでしたが、自分で勝負して戦ったわけではありません。今回は勝負しました。県総体の悔いをこの戦いに活かし、何度も勝負しました。その時、岡崎がどこから力を得ていたのか、彼女のノートを見て初めて知りました。
そして、次の日の団体戦、3年が4人で心を一つにして戦っていたことも。

北信越03 北信越06 北信越05
北信越、個人戦。
3回戦、金沢学院の秋本・山森に2-④負け。
序盤、相手はセンターから入ってきた。それを私は読んで2本きれいに止めた。G1-0リード。でも簡単にゲームをとれたことで少し安心した部分があった。その小さな緩みが大原にも伝染したような気がする。相手は二つのコーナーを有効に使って攻めてきた。中ロブにも苦しめられた。G1-2で逆転される。そこでのベンチワークで、朋恵先生に「座布団!」って言われて、自分に喝を入れた。相手の最大の武器であるクロスボールを狙いにいったがフォローされて得点にならない。P1-3だが勝負に出た。県大会で、リードされていながら勝負できずに負けた、そんな試合だけはしたくなかった。クロスシュート、ポーチ! 相手は気にしてネットした。そこから流れがきて、G2-2に追いついた。だが、そこからこっちの攻めが甘い。前衛に仕事され、大原もアタックにいくが、その2次攻撃に足がついていかず失点。それが3本あった。そしてゲームセット。
ただ、大原は前にバスで私と約束したこと、ちゃんとやりきってくれた。私がミスしても「大丈夫、私が全部取る!」すごいことを毎回言ってくる。でも嬉しかった。
そして、3年全員で戦えたのが何より嬉しい。苦しい時、自然とベンチの後ろに目が行った。そこには和田と松浦がいる。二人ともすごい声で応援し続けてくれている。敵の応援団が30人くらい、うちは二人。それでも二人の声はしっかりと届いた。リスクを負って勝負に行こうと思う時、二人を見る。そして勝負してポイント取った時も二人を見る。二人とも両手を突き上げてガッツポーズしてくれている。松浦、和田、ありがとう。
もちろん、悔いがないわけじゃないが、私は最後、自分のすべてを出して、3年4人で戦えた。
明日は、私の番。
先生が、もう一度3年生にチャンスをあげたい、とおっしゃってくれた。
それなら、明日は私たち、この会場のどの3年生よりも濃く充実した1日を生きなければならない。
3年間の想い、どこよりも強く!
(6月18日)

北信越09 北信越10 北信越11 北信越12
北信越、団体戦3位。
準決勝で、優勝した金沢学院に負けた。
チャンスをもらった3年 松浦・大原は、準々決勝の高岡商業戦で、ひどい試合をした。
応援しながら本当に悔しかった。普段言われていることをやっていないミスの連続。それがどれだけ応援する者をがっかりさせてしまうのか。
2番3番が勝って、準決勝に進むことになった。選手交代はなし。先生は3年を最後まで信じてくれてる。
試合に行く前、松浦と大原を呼んで伝えた。
「ねえ、やることやろうよ。私の分までリベンジして! 私はフェンスの外だけど、一緒に戦ってるんだよ。自分らだけが戦っているわけじゃないんだって!」
そしたら、大原が泣きながら「ごめん、岡崎。背中たたいて!」って。
背中に想いを込めて、握手もして、「よし!」って心一つにしてコートに送り出した。
松浦・大原の相手は、敵のエースペア。3年同士の戦いだ。
あいつら、やってくれた。本気で敵のエースを倒しにいってくれた。
数え切れないくらい、大原は私の方を見て目を合わせてくれた。そして強くうなずき合えた。ガッツポーズもどれくらい一緒にやっただろうか。欲を言えば勝ちたかった。勝って1,2年生につなぎたかった。
心を熱くさせてくれる試合だった。でも負けた。
先生も言う。
確かに戦った。そして競った。
でも負けだ。
勝ちきるには不足している部分がいくつもある。
できないのではなく、やることを怠っている部分が必ずある。
やっぱり、私は3年には自己ベストで戦ってほしい。
大原は私と組んだ時と松浦と組んだ時の心の違い、もうわかるはずだ。それを自分の言葉で明彩加(松浦)に伝えてほしい。そして明彩加はそれを受け入れること。そしてペアを作っていくこと。
3年、岡山インターハイまで残り40日、「苦しい充実」精一杯明るく生きよう!
(6月19日)


先日、国体2次選考会があり、岡崎は和田と組んで、北越選手としての最終試合に臨みました。
運命ですかね。同じリーグに、また長岡商業のエースペアがいます。
戦いは選手に任せました。自ら考え、判断し、苦境においても状況を読んで作戦変更し、なんとか勝利につなげていく力を信じて戦ってほしかったからです。
結果は負けですが、岡崎は県総体とは全く違う選手として戦いました。
相手の心を読み、自分の判断でどんどん勝負しました。リスクも負ってスマッシュを狙いに行きました。
当然ミスも多くありましたが、フォワードがフォワードとしてポイントを取りに行く姿勢をゲームセットのコールまで貫きました。立派な戦いでした。
みなさんのチームには、途中でドロップアウトしていく仲間はいますか?
北越でもあります。
岡崎もその道へ行く可能性がありました。
でも、「その道」ではなく、「この道」に帰ってきて、こんな素晴らしいエンディングを迎えることができました。
温かく見守ってくれたお家の方に感謝しましょう。
未熟な人間がより確かな人間になるために、この場で自分を磨いていく。挫折はあって当然です。むしろあった方が良い。でも、その挫折した時に、「その道」に行ってしまうのではなく、「この道」で泣いて、苦しんで、もがいて、仲間とともにまた「この道」を歩み始める。その意志が動くこと、それが一番価値のあることではないかと思います。
どこで目にしたのかは忘れました(本だったか、曲だったか…)が、印象に残っている一節があります。

乗り越えられない時には、乗り越えなくていいんだよ。
乗り越えられないなら、ただそこにいればいいんだ。
その場から逃げ出さなければ、それでいいんだ。
いつか、乗り越えられる日が来るかもしれないじゃないか。

選手、引退しました。
最後、泣いたのは、選手じゃなくなることが悔しかったのではなくて、先生とギュッと心のこもった握手ができたことが嬉しくてなんです。
大原と組んで県総体で負けた相手にリベンジしたかったな。
でも、あれが自分なんだ。
今回は、どんどん得点を取りに行った。でもミスになる。
ただ、北信越から自分、リスクを負って思い切り勝負するようになった。遅かったけど、勝負する前衛として最後戦えてよかった。
津野先生、朋恵先生、竹内先生、柳先生、セルシーの村上先生、医科学センターの皆さん、西野さん、整骨院の先生、鍼灸院の先生、そしてお母さん、たくさんの人に支えてもらった選手生活でした。
ものすごく濃い充実した月日でした。
ありがとうございました。
先生、これからもよろしくお願いします。
私は他の3年生、このままで終わらせません。
(7月9日)


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