DREAM FACTORY 2017 冬
北信越選抜 全勝で優勝! 2年ぶりに全国選抜へ!
冬の北信越優勝旗は7年越しの奪還!
H30.1.12~1.14 石川県小松市 こまつドーム
<団体戦>
北越 ②-1 北陸(福井)
北越 ③-0 都市大塩尻(長野)
北越 ②-1 高岡西(富山)
北越 ②-1 能登(石川)
<個人戦>
3位 前山愛・木村美月
ベスト8 水澤奈央・冨樫春菜
大雪の中の出発でした。
富山と石川の県境が通行止めになり、急遽、富山から岐阜周りで福井から入るという搦め手の攻めで何とか会場に辿り着きました。
新チームになって初めての県外大会。チームはまだ穴だらけです。国体を戦った後衛の二人(前山と水澤)を核にしながら、経験不足の新メンバーを強化している最中の大会になりました。
夏の北信越では初の団体優勝旗を手にしましたが、全国レベルまで達した3年生3人が抜けてチームの戦力は大きくダウン。それでも1年生キャプテンの水澤を中心に、どんな状況でも「へこたれない強さ」を表現できるようになってきました。技術はまだまだです。鍛錬の時間が足りません。ただ、鍛錬が可能になるくらいの「心のベース」は出来てきたと思います。
冬の北信越選抜大会は富山県の高岡西高校が6連覇中でした。遡ること7年前の優勝校は…我が北越高校です。
前日の夜のミーティングで、7年前のDREAM FACTORYの記事をみんなで読みました。
7年前のチームキーワードは「Fight Out」でした。「戦い抜く」「最後まで戦い切る」という意味です。北信越はリーグ戦です。たった1ゲーム、たった1ポイントで天国と地獄が分かれる、そういうタフな戦いを丸一日続けること。
7年前に優勝した時は、3対戦目で優勝候補の高岡商業高校と事実上の決勝を戦いました。2面展開ほぼ同時に始まった戦いは北越に勢いがあり、第1対戦はゲームカウント3-1、第2対戦はゲームカウント3-0、優勝旗がすぐそこに見えました。ところが、その時にエース前衛が目の前にフラフラと上がったイージーボールをミスしたところから流れが一気に相手に向かいます。第1対戦は3-3、第2対戦も3-2。会場の雰囲気も選手やベンチの表情も声もプレーも、何もかも相手にアドバンテージがある状況になってしまいました。大きな「流れ」という波にのまれてどうすることもできません。第1対戦は敵に3回連続のマッチポイントがありました。しかし、7年前のチーム北越はそこで踏ん張った。完全な逆風の中、我慢して耐えて、もう一度勢いを取り戻したのです。まさにFight Outしての優勝でした。
「Fight Out」、今年はもう一度この言葉と精神をチームキーワードにしました。
キャプテン水澤、そして新たに部長としてチームの魂をつくる前山、2人は夏からさらに成長していました。それぞれペアの前衛がまだ未熟でなかなか思い通りに機能しませんが、それでも常に主導権を握って全勝。
この団体戦で、チームに勇気を与えてくれたのは、3番手の阿部瑞希と田中遥奈のペアです。
2人は1勝3敗でしたが、その3敗はすべて相手のエースとの対戦。初戦の北陸高校との対戦では福井県の個人チャンピオンのエースペアにファイナル5-5まで競り合います。さらに富山県個人チャンピオンの高岡西のエースにもあと少しでファイナル勝負の接戦。最後の能登高校との対戦では、翌日の個人戦で優勝する技巧派のペアに0負けでしたが、闘志・戦術・技術のすべてにおいて自己ベストの戦いでした。3ペアで力を結集してFight Outできた、それが一番の勝因だったと思います。裏方の仕事をすべて誠実にやり遂げてくれた、1年生の入江と清野の頑張りもありがたかったです。
ただ、翌日の個人戦の結果を見ても、このチームにまだまだ全国を勝ち抜く力はないです。
でも僕らは全国から色とりどりの花を摘んできて花束をつくるチームではありません。
雪国のチームです。深い雪の下でも多年草は根を広げて春を待つのです。
長く続く冬、雪の下で着実に力をつけて、春光とともに芽を出し、夏に大きな花を咲かせます。
ベストで戦った2年阿部のノートを載せます。
和歌浦信雄さんを悼む
1月9日、日本ソフトテニス連盟理事、新潟県ソフトテニス連盟副会長の和歌浦信雄さんが逝去されました。心よりお悔やみ申し上げます。
長きにわたり新潟県ソフトテニス競技の発展と普及、さらには日本のソフトテニス競技のさらなる発展に尽力されていた最中の突然の訃報に言葉を失いました。
最後にお会いしたのは、愛媛国体で新潟県がソフトテニス競技の皇后杯(女子総合1位)を獲得したので、その祝賀パーティが開かれましたが、その席上においてでした。
あの真ん丸の目を見開いて、独特の野太い声で活躍した選手たちにねぎらいと励ましの言葉をかけてくださっていた姿が心に焼き付いています。
思い起こせば、いつも和歌浦さんは真っ直ぐでした。真っ直ぐに物事を見据え、真っ直ぐに行動された人でした。その結果、意見のぶつかりあいもありました。国体の監督として、高体連の代表として、私も何度も和歌浦さんのご自宅にお邪魔し、夜遅くまで議論したことを思い出します。ズバリと物事をおっしゃるのです。裏でこそこそするのが何よりも嫌いな人だったと思います。ですが、相手に理があると認められれば、しっかりと受け入れてくださるのです。
「支援する、と言ったら絶対に支援する。力になると言ったら絶対に力になる。だから、俺くらいの情熱をもって本気でソフトテニスに打ち込め!」
和歌浦さんの心は、いつもそう叫んでおられていたように思います。
愛媛国体で、少年女子チームが夏のインターハイで惜敗した広島にリベンジして5位に入賞したことで、成年女子の5位の得点と合わせて昭和39年以来(一巡目地元国体時)となる皇后杯獲得が決まった時、和歌浦さんは、穏やかに「ありがとう」とつぶやいて握手を求めてくださいました。
今思うと、あの静謐な「ありがとう」には万感の思いが込められていたのだろうと拝察いたします。
選手も和歌浦さんの訃報は知っていましたので、団体戦が始まる朝に集めて話をしました。
「子どものころからお世話になって応援された者は手を挙げて」と尋ねると、すぐに前山、水澤、そして冨樫の手が挙がりました。
「和歌浦さんは、いつもおまえたちのこと応援してくださっていたんだよ。きっと、今日も雪雲の上からおまえたちを応援してくれるから。和歌浦さんのためにも精一杯戦おうな。」
選手たちは深く頷きました。
和歌浦さん、子どもたちはベストで戦いましたよ。そして、7年ぶりに優勝旗を奪い返しました。
これからも頑張りますね。
雪国からの日本一、その夢は生前にお見せできませんでしたけど、必ず叶えて墓前に報告に行きますから。
新キャプテンの心に和歌浦さんの心はつながっていました。
今年も北越からJAPANの選手輩出
鈴木愛香が全日本U-20、そして前山愛がU-17に
鈴木は昨年のU-17から1ランク上でナショナルチーム予備軍のU-20選手に選ばれました。秋の最終選考会で実施されたジュニアジャパンカップでは決して良い結果を残せたわけではなかったのですが、U-17時の合宿時の姿勢や試合の内容を評価されたのだと思います。私の記憶では新潟県の高校生がU-20に選ばれたのは初めてだと思います。今後も精進を重ねて是非ジャパンのユニフォームを着てアジア大会で金メダルを目指してください。
前山は初の代表入り。U-14やU-17代表経験のある選手をジュニアジャパンカップで次々と倒し、実力で勝ち取った代表だと思います。北越で練習しているオールラウンドのプレースタイルが功を奏したようです。北越の中心選手として、日本の代表選手として、本物のアスリートになるべく、心技体それから知を深めていってほしいと思います。
県選抜大会結果
H29.12.24 新潟市秋葉区総合体育館、 12.26 燕市体育センター
団体戦
優勝(決勝リーグ3勝)
個人戦
1位 水澤奈央・冨樫春菜
2位 前山愛・木村美月
今年も多くのOGが集まり
恒例の新年会
1月3日は恒例行事となった保護者会主催の「初打ち&お雑煮会」が開かれました。
今年も多くのOGが来てくれて、この1年間の出来事を話してくれました。
毎年、本当に心が洗われる思いです。
実業団でキャプテンや中心選手を任されるようになった人、新しい仕事に慣れて今までは見えなかったその仕事の喜びややりがいが実感できるようになったという人、苦労しながらもチームや監督さんに認められて遠征に連れて行ってもらえるようになった大学生選手、大学で新しいことにチャレンジしている学生等々、この1年間の自分の成長や変化、さらに今年の課題や抱負を語ること、そしてその多くの人生経験をお互い開き合うことで新たに生まれるチーム北越の連帯感、自分の近未来について考えを巡らす在校生…。毎年、とても心が清新になり、今年も頑張ろう!という気が充ちてきます。
北越の「初打ち&お雑煮会」はすべてのチーム北越生の1年のスイッチオンとなる集まりです。
たくさんの印象的感動的な話の中で、現ダンロップの中心選手として昨年の国体2位、日本リーグ2位という輝かしい成果を残した岡村葵さんの話を紹介します。
岡村さんは、昨年のお雑煮会で、僕が「今年のテーマをスーパーポジティブにしたい」と言ったのを聞いて、自分もそのテーマで1年間戦おうと決意したのだそうです。人生をかけてソフトテニス競技を続けている日本リーグの選手として、チームや会社の期待を背負って勝利を重ねるというのはとてもタフな仕事です。それを重荷としてとってしまえばネガティブになる。実力が上の相手と戦うときに臆してしまえばネガティブな思いにつぶされる。だからスーパーポジティブに生きようと決意したというのです。その結果の大活躍。
実際、昨年岡村選手と二度戦って二度敗れたどんぐり北広島の田辺恵理さんは、年末に来てくれた時にこんな話をしていました。
「葵(岡村)は進化しました。全然違うんです。例えばペアが大事なところでミスをして、誰もが痛いなって精神的に落ちる場面でも、はじけるような笑顔で『全然大丈夫ですよ! 攻めてますから全然行けます!』と会場に響くように声かけをするんです。自分がミスをしても全く落ちないし、逆にどんどん攻めてくる。ポイントしてるのはこっちなのに、あの元気と強気に逆にイライラしてしまって、なんだか焦ってくるんです。」
二人とも素敵な話ですね。
高校時代、ペアを組んで日本一を経験(全国私学大会ダブルス)した二人が、今は別々の場所で競技を続け、そして年に1回「心のふるさと」に戻ってきて何かの力を手にして、またそれぞれの場所へ戻っていく。
また、1年が始まります。
チーム北越、今年もファイトだ!
夢を持って、ポジティブに生きような!
冬の北信越優勝旗は7年越しの奪還!
H30.1.12~1.14 石川県小松市 こまつドーム
<団体戦>
北越 ②-1 北陸(福井)
北越 ③-0 都市大塩尻(長野)
北越 ②-1 高岡西(富山)
北越 ②-1 能登(石川)
<個人戦>
3位 前山愛・木村美月
ベスト8 水澤奈央・冨樫春菜
大雪の中の出発でした。
富山と石川の県境が通行止めになり、急遽、富山から岐阜周りで福井から入るという搦め手の攻めで何とか会場に辿り着きました。
新チームになって初めての県外大会。チームはまだ穴だらけです。国体を戦った後衛の二人(前山と水澤)を核にしながら、経験不足の新メンバーを強化している最中の大会になりました。
夏の北信越では初の団体優勝旗を手にしましたが、全国レベルまで達した3年生3人が抜けてチームの戦力は大きくダウン。それでも1年生キャプテンの水澤を中心に、どんな状況でも「へこたれない強さ」を表現できるようになってきました。技術はまだまだです。鍛錬の時間が足りません。ただ、鍛錬が可能になるくらいの「心のベース」は出来てきたと思います。
冬の北信越選抜大会は富山県の高岡西高校が6連覇中でした。遡ること7年前の優勝校は…我が北越高校です。
前日の夜のミーティングで、7年前のDREAM FACTORYの記事をみんなで読みました。
7年前のチームキーワードは「Fight Out」でした。「戦い抜く」「最後まで戦い切る」という意味です。北信越はリーグ戦です。たった1ゲーム、たった1ポイントで天国と地獄が分かれる、そういうタフな戦いを丸一日続けること。
7年前に優勝した時は、3対戦目で優勝候補の高岡商業高校と事実上の決勝を戦いました。2面展開ほぼ同時に始まった戦いは北越に勢いがあり、第1対戦はゲームカウント3-1、第2対戦はゲームカウント3-0、優勝旗がすぐそこに見えました。ところが、その時にエース前衛が目の前にフラフラと上がったイージーボールをミスしたところから流れが一気に相手に向かいます。第1対戦は3-3、第2対戦も3-2。会場の雰囲気も選手やベンチの表情も声もプレーも、何もかも相手にアドバンテージがある状況になってしまいました。大きな「流れ」という波にのまれてどうすることもできません。第1対戦は敵に3回連続のマッチポイントがありました。しかし、7年前のチーム北越はそこで踏ん張った。完全な逆風の中、我慢して耐えて、もう一度勢いを取り戻したのです。まさにFight Outしての優勝でした。
「Fight Out」、今年はもう一度この言葉と精神をチームキーワードにしました。
キャプテン水澤、そして新たに部長としてチームの魂をつくる前山、2人は夏からさらに成長していました。それぞれペアの前衛がまだ未熟でなかなか思い通りに機能しませんが、それでも常に主導権を握って全勝。
この団体戦で、チームに勇気を与えてくれたのは、3番手の阿部瑞希と田中遥奈のペアです。
2人は1勝3敗でしたが、その3敗はすべて相手のエースとの対戦。初戦の北陸高校との対戦では福井県の個人チャンピオンのエースペアにファイナル5-5まで競り合います。さらに富山県個人チャンピオンの高岡西のエースにもあと少しでファイナル勝負の接戦。最後の能登高校との対戦では、翌日の個人戦で優勝する技巧派のペアに0負けでしたが、闘志・戦術・技術のすべてにおいて自己ベストの戦いでした。3ペアで力を結集してFight Outできた、それが一番の勝因だったと思います。裏方の仕事をすべて誠実にやり遂げてくれた、1年生の入江と清野の頑張りもありがたかったです。
ただ、翌日の個人戦の結果を見ても、このチームにまだまだ全国を勝ち抜く力はないです。
でも僕らは全国から色とりどりの花を摘んできて花束をつくるチームではありません。
雪国のチームです。深い雪の下でも多年草は根を広げて春を待つのです。
長く続く冬、雪の下で着実に力をつけて、春光とともに芽を出し、夏に大きな花を咲かせます。
ベストで戦った2年阿部のノートを載せます。
団体として、1位で全国選抜に進むことができた。
私は今日、誰よりもガッツを出す! そして田中を先輩としてどんな場面でも強気でリードする、この二つを絶対にやりきると決めて戦い抜いた。
前回の合宿で、私はこの二つができずに失敗した。それからどうやったら気で後輩を引っ張ることができるんだろう、そのことをずっと考えてきた。田中は素直で、自分が伝えたことには一生懸命に応えようとしてくれる。
今日、はっきりとわかった。田中は成長していた。那須の時よりもずっと。
前は、田中は私がガツンと言うと精神的に落ちていった。だから、気を使って優しい言葉がけをしていたけど、本当の信頼って絶対こうじゃないよなとも思っていた。
でも今日の田中は以前の弱い田中じゃなかった。
あえて、強くはっきりと私の気持ちを伝えた。田中はわかってくれた。伝えている意味も私の思いも。
だから、今日は1日スーパーポジティブでいることができた。
田中、ありがとう。
全国でも頑張ろうね。
2年 阿部瑞希
和歌浦信雄さんを悼む
1月9日、日本ソフトテニス連盟理事、新潟県ソフトテニス連盟副会長の和歌浦信雄さんが逝去されました。心よりお悔やみ申し上げます。
長きにわたり新潟県ソフトテニス競技の発展と普及、さらには日本のソフトテニス競技のさらなる発展に尽力されていた最中の突然の訃報に言葉を失いました。
最後にお会いしたのは、愛媛国体で新潟県がソフトテニス競技の皇后杯(女子総合1位)を獲得したので、その祝賀パーティが開かれましたが、その席上においてでした。
あの真ん丸の目を見開いて、独特の野太い声で活躍した選手たちにねぎらいと励ましの言葉をかけてくださっていた姿が心に焼き付いています。
思い起こせば、いつも和歌浦さんは真っ直ぐでした。真っ直ぐに物事を見据え、真っ直ぐに行動された人でした。その結果、意見のぶつかりあいもありました。国体の監督として、高体連の代表として、私も何度も和歌浦さんのご自宅にお邪魔し、夜遅くまで議論したことを思い出します。ズバリと物事をおっしゃるのです。裏でこそこそするのが何よりも嫌いな人だったと思います。ですが、相手に理があると認められれば、しっかりと受け入れてくださるのです。
「支援する、と言ったら絶対に支援する。力になると言ったら絶対に力になる。だから、俺くらいの情熱をもって本気でソフトテニスに打ち込め!」
和歌浦さんの心は、いつもそう叫んでおられていたように思います。
愛媛国体で、少年女子チームが夏のインターハイで惜敗した広島にリベンジして5位に入賞したことで、成年女子の5位の得点と合わせて昭和39年以来(一巡目地元国体時)となる皇后杯獲得が決まった時、和歌浦さんは、穏やかに「ありがとう」とつぶやいて握手を求めてくださいました。
今思うと、あの静謐な「ありがとう」には万感の思いが込められていたのだろうと拝察いたします。
選手も和歌浦さんの訃報は知っていましたので、団体戦が始まる朝に集めて話をしました。
「子どものころからお世話になって応援された者は手を挙げて」と尋ねると、すぐに前山、水澤、そして冨樫の手が挙がりました。
「和歌浦さんは、いつもおまえたちのこと応援してくださっていたんだよ。きっと、今日も雪雲の上からおまえたちを応援してくれるから。和歌浦さんのためにも精一杯戦おうな。」
選手たちは深く頷きました。
和歌浦さん、子どもたちはベストで戦いましたよ。そして、7年ぶりに優勝旗を奪い返しました。
これからも頑張りますね。
雪国からの日本一、その夢は生前にお見せできませんでしたけど、必ず叶えて墓前に報告に行きますから。
新キャプテンの心に和歌浦さんの心はつながっていました。
7年ぶりに優勝! 素直にまずは嬉しい。応援してくれている3年生にも、和歌浦さんにもいい報告ができる。とくに和歌浦さんには昔、「お前には才能がある。だけど何故チャンスがあるのに勝とうとしない!」と怒られたことがあった。
和歌浦さん、北信越選抜、優勝しましたよ。あの時、本気で怒ってくれてありがとうございました。
でも個人戦は5位。本当に情けない。キャプテンとして個人戦であっても団体戦として戦っているのに、離れた7コートで戦っている前山・木村に勝ちきってエネルギーを与えることができなかった。金沢学院:田川・中村との試合。ファイナルゲーム、1-6で相手のマッチポイント。「これは会津IHだ。私たちも試されている。」と思った。だから、負けるなんて一回も思わなかった。常に春菜に強気な声がけをして、今までこういう場面で入らなかったファーストも2本とも入れて主導権を握り、5-6までは追いつけた。技術的もメンタル的にも向上はあったと思う。でも勝ちたい。もっと春菜をリードして一緒に乗り越えていく力をつけたい。私自身もまだまだ。どんな状況でも変わらずに自分のテニスを貫ける、本物のキャプテンになるためにも、私はまだまだ努力が必要だ。
キャプテンとして、また全国選抜に向けて妥協せずに一人ひとりが1日1日向上がある練習をつくることができれば、このチームはもっと強くなれる。
全国選抜までの私の目標:「どんな状況でも自分を貫ける選手になる」
和歌浦さん、個人は優勝できなくてごめんなさい。
でもまた強くなって、日本一を取るので見ていてください。
逃げない 日々感謝 1年 水澤奈央
今年も北越からJAPANの選手輩出
鈴木愛香が全日本U-20、そして前山愛がU-17に
鈴木は昨年のU-17から1ランク上でナショナルチーム予備軍のU-20選手に選ばれました。秋の最終選考会で実施されたジュニアジャパンカップでは決して良い結果を残せたわけではなかったのですが、U-17時の合宿時の姿勢や試合の内容を評価されたのだと思います。私の記憶では新潟県の高校生がU-20に選ばれたのは初めてだと思います。今後も精進を重ねて是非ジャパンのユニフォームを着てアジア大会で金メダルを目指してください。
前山は初の代表入り。U-14やU-17代表経験のある選手をジュニアジャパンカップで次々と倒し、実力で勝ち取った代表だと思います。北越で練習しているオールラウンドのプレースタイルが功を奏したようです。北越の中心選手として、日本の代表選手として、本物のアスリートになるべく、心技体それから知を深めていってほしいと思います。
県選抜大会結果
H29.12.24 新潟市秋葉区総合体育館、 12.26 燕市体育センター
団体戦
優勝(決勝リーグ3勝)
個人戦
1位 水澤奈央・冨樫春菜
2位 前山愛・木村美月
今年も多くのOGが集まり
恒例の新年会
1月3日は恒例行事となった保護者会主催の「初打ち&お雑煮会」が開かれました。
今年も多くのOGが来てくれて、この1年間の出来事を話してくれました。
毎年、本当に心が洗われる思いです。
実業団でキャプテンや中心選手を任されるようになった人、新しい仕事に慣れて今までは見えなかったその仕事の喜びややりがいが実感できるようになったという人、苦労しながらもチームや監督さんに認められて遠征に連れて行ってもらえるようになった大学生選手、大学で新しいことにチャレンジしている学生等々、この1年間の自分の成長や変化、さらに今年の課題や抱負を語ること、そしてその多くの人生経験をお互い開き合うことで新たに生まれるチーム北越の連帯感、自分の近未来について考えを巡らす在校生…。毎年、とても心が清新になり、今年も頑張ろう!という気が充ちてきます。
北越の「初打ち&お雑煮会」はすべてのチーム北越生の1年のスイッチオンとなる集まりです。
たくさんの印象的感動的な話の中で、現ダンロップの中心選手として昨年の国体2位、日本リーグ2位という輝かしい成果を残した岡村葵さんの話を紹介します。
岡村さんは、昨年のお雑煮会で、僕が「今年のテーマをスーパーポジティブにしたい」と言ったのを聞いて、自分もそのテーマで1年間戦おうと決意したのだそうです。人生をかけてソフトテニス競技を続けている日本リーグの選手として、チームや会社の期待を背負って勝利を重ねるというのはとてもタフな仕事です。それを重荷としてとってしまえばネガティブになる。実力が上の相手と戦うときに臆してしまえばネガティブな思いにつぶされる。だからスーパーポジティブに生きようと決意したというのです。その結果の大活躍。
実際、昨年岡村選手と二度戦って二度敗れたどんぐり北広島の田辺恵理さんは、年末に来てくれた時にこんな話をしていました。
「葵(岡村)は進化しました。全然違うんです。例えばペアが大事なところでミスをして、誰もが痛いなって精神的に落ちる場面でも、はじけるような笑顔で『全然大丈夫ですよ! 攻めてますから全然行けます!』と会場に響くように声かけをするんです。自分がミスをしても全く落ちないし、逆にどんどん攻めてくる。ポイントしてるのはこっちなのに、あの元気と強気に逆にイライラしてしまって、なんだか焦ってくるんです。」
二人とも素敵な話ですね。
高校時代、ペアを組んで日本一を経験(全国私学大会ダブルス)した二人が、今は別々の場所で競技を続け、そして年に1回「心のふるさと」に戻ってきて何かの力を手にして、またそれぞれの場所へ戻っていく。
また、1年が始まります。
チーム北越、今年もファイトだ!
夢を持って、ポジティブに生きような!