Dream Factory 2020 希望の春(応援メッセージ⑦)
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絶望から希望へ
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それは 誰かのために 精一杯生きること
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今回の応援メッセージは、平成26年卒業の星実里さんです。
実里さんは、体育大学に進学し女子サッカー部で活躍した後、地元新潟に戻ってきて県警で働いています。新潟県でも、コロナ感染拡大、そして緊急事態宣言延長という状況下、人々にもストレスがたまり、警察への通報がとても増えてきているそうです。
今、コロナで自粛、我慢が叫ばれていますが、実里さんの高校時代の「我慢」は桁外れでした。
実里さんの入学は、「応援メッセージ⑤」で紹介した小林すみれさん、山本千紘さんが入学した次の年で、翌年の新潟インターハイで日本一を目指していましたから、毎日全力奮闘、がむしゃらの時代です。何人かの仲間が去り、実里さんはこの代一人で頑張っていましたが、2年時は肩甲骨の腱板炎。ようやく復帰できたと思った矢先、冬の選抜予選直前に半月板を損傷してしまいます。特に転んだわけでもぶつけたわけでもないのです。ある日突然でした。何人かの権威ある医師に相談しましたが、結果として年が明けての手術を余儀なくされます。完治は早くて半年以上、つまり最後の県総体は出場不可能、よってインターハイの夢も事実上なくなりました。
コロナでインターハイがなくなった現3年生の絶望も大きなものですが、事故や病気があったわけでもないのに、そしてインターハイは実際にあるのに、自分だけがその夢を失う理不尽さを17歳の実里さんがどう受け止めたのか、どう打ちのめされたのか、想像ができません。
手術→絶対安静→頑丈に固定して立ち上がりからのリハビリ→松葉杖による歩行リハビリ…
冬から春にかけて、実里さんを支えたものは何だったのでしょう。
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しかし、実里さんには、この後、信じられないドラマが待っていました。
この年、実里さんの故障の他にチームの人数不足もあり、冬の選抜予選は地区予選初戦敗退。春の地区大会も負けて、県総体はノーシードからの挑戦になりました。前年インターハイベスト16のチームが次の年は県総体ノーシードだったのです。実里さんはチームリーダーとして、どれだけ、歯がゆく、悔しく、申し訳なく感じていたことでしょう。
春になって、松葉杖もはずれた実里さんは、リハビリを続けながら、新入生のあらゆる指導を一人でこなし、練習中は片足1本でのボール出し等、自分のやれることを精一杯やり続けていました。しかも全開の笑顔と元気で。チームへの「水やり」が自分の使命だと覚悟を決めていたように思います。幼いチームは実里さんの指導で徐々に心が育っていきました。
そんな頃だったと思います。実里さんは医師から思いがけない言葉を聞きます。
「インターハイになら、間に合うかもしれないぞ」
ドクターは仕組みがわからずに口にしたのかもしれません。インターハイの予選は目の前であり、そこに出場できない実里さんには、そのチャンスがないということを。
しかし、一つだけ可能性がありました。
団体戦です。
団体戦のメンバーに実里さんを入れ、間に合えばインターハイで一緒に戦えるかもしれない…
チームは一つになりました。
日々の練習には気魄が溢れます。1日1日、まるで明日がないかのような完全燃焼。
それは、絶望の中からでも、希望はないように見えても、このチームの一員として、このチームのリーダーとして、やれることをやり続けてきた実里さんの姿を後輩たちが見ていたからです。そして強いリスペクトを持っていたからです。
「大分で実里先輩とインターハイを戦う!」
チームの熱いテーマになりました。
そして、優勝しかありえない平成25年度の県総体。
「チーム星」は火の玉になって戦います。
そして、優勝…
実里さんも、後輩たちも、涙、涙の県総体でした。
人間の持つ、この時期の若い人間たちの持つ、計り知れない可能性に目が眩む思いでした。
これだけでも、十分にDreamなのですが、このドラマには第2部があるのです。
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6月の北信越ブロック総体にも、回復は間に合わず、実里さんにようやく運動許可が出たのはインターハイの2週間前でした。
実戦で試合したのは、インターハイ1週間前の練習試合。それも2試合だけ。
そして大分へ出発です。
大分インターハイでは、第1シード、東京都代表 文大杉並高校のパックに入りました。
初戦、奈良県代表 高田商業高校との試合を②-1で勝利(実里さん自身も勝利!)。
強豪、文大杉並との対戦は、0-1で実里さんに回ります。
僕は勝ち負けなどどうでもいい、実里がこうして、あの絶望にも我を失わず、チームに尽くしながら冬を生き抜き、春を迎え、こうして燦燦と夏の太陽が照り付けるインターハイの舞台に、しかも第1シードとの戦いの舞台に立っている、もうそれだけで十分でした。
ところが、実里さんは、違いました。チームを導く者として、チームの勝ちしか考えていない。
G0-2とリードされますが、後輩の目をまっすぐに見て励まし、握手をし、強気の攻めで、G2-2。
その後、競り合った中盤の大事なポイントで、実里さんの右後方に浅いロブが来ます。僕がベンチで「無理するなよ…」と思った瞬間に、実里さんが思いきり斜めにフットワークして、痛めた右足に体重を乗せるのが見えました。
目を閉じました。
祈りました、あの時だけは…
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あのポイントが大きく流れを引き寄せて、G④-2で勝利!
チームは1-②で敗退しましたが、奇跡のようなドラマでした。
こんな凄いドラマの脇役として、同じリアル世界にいさせてもらえたことに、深く感謝しました。
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今まで、たくさんの応援メッセージを送っていただき、ありがとうございました。
今回で、この応援メッセージシリーズは閉じたいと思います。
ここに載せきれなかったみなさん、ごめんなさい。
みなさんのメッセージは、すべて現役生に贈ります。
みなさんのあたたかい心、決して忘れません。
そして、必ずそれを糧にして、また新たなDreamを作っていきます。
Dream Factory チーム北越
現役生も卒業生も、かかわってくれた人たちも
そして、このブログを見てくれているすべての人も
One Teamです。
『あらゆることから力を集めて 光を放て!』
放つための光を集めていきましょう。
花に水をやり続けましょう。
そして、みんなで、乗り越えていきましょう。
コロナも、未来も、自分も。
ありがとうございました。
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こんにちは!
津野先生お久しぶりです。星実里です。
朋恵先生からメッセージをもらった時間、私は、
今度は私のメーセージが少しでも力になって頂ければ幸いです。
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体のバランスが悪く怪我ばかりしてきた私は、2年生の冬
手術をした後も県総体もインターハイもない。
「夢が絶たれた」とかの言葉では言い表せられないくらい苦しかったで
最初は自分のことだけしか考えられませんでした。
ですが、入院中も、毎日、
また、乗り越えるためにも、
退院後、後輩が外のコートで練習してる中、
こうして、後輩からエネルギーをもらいながら自分を奮い立たせてリハビリに励んでいた頃、医師から言われた「
そこから、県総体での連覇達成、そしてインターハイ団体出場までの時間はあっという間に過ぎて行きました。
きっとそれは、絶望から希望へ、心が変わっていく中で、自分は一人で生きているんじゃない、
そして、怪我の前は自分のことしか考えていなかった私が、それから1日1日を
こうして、警察官として、市民のみなさんのために役に立ちたいと思ったのも、この時の経験とつながっています。
先の見えない苦しい時期を乗り越えるためにも今、
みなさんもも気づいていると思いますが、
どんなに辛くても苦しくても、見てくれてる人はいて、
私は今、仕事でベテランの警察官と2人で24時間勤務をしています。
そんな時に、「私経験した事ないのでできません、
しかし、正直なところ、経験したことのない現場も多くあり、
怖いですが、その現場にかけつけ、心配している市民のみなさんの期待に応えるのが私の仕事です。人の命を救う為にも、法律や、
正直、私は勉強が嫌いでした。ですが、自分がなりたい像は期待に応える事だったり人の命を救う事であり
高校生のみなさんも苦しい日々が続き、既に前を向いて歩いている人、
普通じゃない今だからこそ、普通だったらやれないことができる。この大きな波が去った後に、
どんな時でも、チーム北越を応援しています!
私は、