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2020年8月

2020年8月22日 (土)

Dream Factory 2020 盛夏(2)

個人ダブルス 新潟地区代替大会

3年 岩田栞 自己ベストを大きく超えて有終の美!

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ノーシードからベスト8

第1シード鈴木・佐藤との「同士討ち」で幕!

8月1日(土)in 新潟市庭球場

◎岩田栞・三浦瑞姫ペア

🔶予選リーグ

 対 燕中等学校 0-④ 勝利

 対 巻高校(シード) 2-④ 勝利

→予選リーグ突破

🔶決勝トーナメント

 1回戦 対 巻総合 1-④ 勝利

 準々決勝 対 北越(鈴木・佐藤) ④-0 敗退

→大会ベスト8!!

◎優 勝  入澤瑛麻・本間友里那(北越1年)

 3 位  鈴木唯香・佐藤莉穏(北越3年)

 ベスト8 岩田栞・三浦瑞姫(北越3年・1年)

  同   星野結衣・高橋咲羽(北越2年)

  同   高野凛・鷲尾祐稀(北越2年)

(3年 岩田栞のノートから)

本当に私は今日幸せな時間を過ごさせていただきました。

昨日決めた「笑顔で感謝を伝える」という目標を、ペアの三浦の力も借り、ずっとベンチに入ってくださった先生の力も借りて、私は人生最高の試合でやりきれた。もう、本当に感謝しきれない。

試合に入るまでの待機時間に、感謝を伝えたい人ひとりひとりの名前と顔を思い浮かべた。

ミスもあった。イージーミスも犯した。

でも、その直後にその人たちのことを思って、自分のベストを出して絶対に笑顔で感謝を伝えるんだって思ったら、次のプレーに集中できた。

予選リーグ最大の難敵、巻高校のシードペア。

劣勢に立たされた。スキルもセンスも全然相手が格上。

チェンジサイズの時、先生から戦術の指示をいただいた。

そして私だけにこう言ってくれた。

「いいか、岩田。あの二人は高いセンスを持っている。センスじゃ絶対にかなわない。だけど、あの子たちは誘いを断ったが、お前は広島から信じてここへ来た。信じる心と高い志は絶対お前が上だ。思いっきりぶつかって来い!」

どんな状況にも諦めない心。論理的に教えてくださるスキル、そして相手に応じたタクティクス。北越で私はどこよりも濃くて充実した時間を生きてきた。とても上手だけど淡々とポイントを重ねている相手に、1年生の三浦も食らいついているのに、このまま負けられない!と思った。

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とにかく、監督を信じて、ペアを信じて、自分はやるべきことを明確にして、1本1本集中しよう。

G0-2。

そこから、1-2。→ 2-2。追いついた!

絶対に来る!と思ったアタック。

柳先生が動画まで紹介してくださってずっとボール出ししてくれたプレーだ。

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この巻戦で止められた!

G3-2。逆転‼︎

それからスマッシュ。

これも前日に柳先生にお願いして練習させてもらった。菜月にはアドバイスをもらっていた。

「手だけになっているから、もっと下半身で」と。

あの時は本当に無心に打てた。

習ったリズムのキーワードだけを声に出して無欲で打てた。

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三浦は最後まで私を真っ直ぐに見て信じてラケットを振ってくれた。

振り回されても必死に走ってカバーしてくれた。

そしてゲームセット!

決勝トーナメントの初戦にも勝利して、私は最後の大会で自己ベストを大きく超える結果を残した。

しかも、私のソフトテニス競技の最後の試合が、なんと3年間共に過ごしてきた唯香と莉穏との同士討ちのベスト4決めという、今でも信じられない夢のような1日だった。

こんなドラマみたいなことが、本当に実現するんですね。

技術もフィジカルもない、しかもハート面で後ろ向きな私が、やれることと言ったら、信じることと、気持ちを強く持つことしかなかった。そして練習で繰り返し確認した「今、やるべきこと」の明確化。

先生は、Aチームよりも、私たちペアに付きっ切りでベンチに入ってくださった。そして的確なアドバイスと励ましを与え続けてくださった。

私に光が集まりました。

本当に本当に、周囲の人の力で、私はあの場所に立ち、あそこまでやれた。

感謝しかありません。

ありがとうございました。

大会10日前、岩田は真っ暗な闇の中にいました。

コントロールできない感情、そこから派生する体調不良、思うように進まない受験勉強、不甲斐ない自分を責めては体調を崩し、眠れない夜を迎える。身も心もぐちゃぐちゃでした。

7月の連休前の前日「こんな自分では、真っ直ぐに夢を目指す仲間の足を引っ張るだけで迷惑をかける」と言って泣きます。

すべて泣き言を聞いてから、一言告げました。

「岩田、ダメだ。いいから来い。」

ネガティブな感情に包まれると、人はネガティブ世界の中に閉じこもり、外部との扉を閉ざします。ある意味、自己防衛なのでしょうが、閉じた世界、閉じた語法の中で、考えたり、悩んだりしても全く解決の道は開かない。

僕は思索的な人間だと思っています。20代の頃に激しく苦悩した時期があります。その時、思想に救われた経験が、その後の精神的バックボーンになりました。

「真実」なるものに疑問を持ち、それだからこそ「ホンモノの真」を希求し、また跳ね返され、自己嫌悪に陥り、でも光に吸い寄せられる蛾のように、また「真なるもの」を探し求める…熱病のようでした。なんとも若いですねぇ、、ああ、恥ずかしい…

その時、「若い」僕を救ってくれたのはフッサールの現象学とそれを解説してくれた竹田青嗣さんの著書でした。

キーワードは「判断停止」「生活世界」「関係性の束」

ずれているかもしれませんが、現象学的「還元」から僕が学んだ考え方はこうです。

真実だとか、本質だとか、正しさだとか、ホントウの自分だとか、そんな客観的なものは実はどこにもなく(どこにもないから求めるのはムダだとする相対主義とは違うのですが)、それを追い求めて闇の中を彷徨ったり、それを探し求めても、苦悩している時に使う語彙や語法の中で循環するだけで決して答えは見つからない。よって、一度スイッチオフ「判断停止」して、「客観世界」(だと思われる思考世界)から抜け出す。すると、たとえば、自分自身というのは、統一的な「ホントウの自分」があるわけではなく、様々な「生活世界」の中で自分と他者との「関係性」を生きているということがわかる。Aという世界(たとえば会社)での関係性とBという世界(たとえば地域スポーツクラブ)での関係性は同じ自分が関わる社会や集団だとしても異なるものだ。関係性が異なるのだから、それぞれの「正しさ」だとか規範だとか、振る舞い方や為すべき言動は変わってくる。だから、統一的な「ホントウ」を求めるよりも、それぞれの「生活世界」の中で、より良好で生産的な関係性を構築していく方が「より充実した生」を得られるし、そのような「関係性の束」の総体として自己は存在する。

このパースペクティブを得たことによって、僕の人生観は大きく変わったと思います。さらにこの考え方の射程は想像を超えた大きさを持っていて、人生観のみならず、仕事観、教育観、テニスのコーチングにも波及しています。

さて、岩田。若い頃の僕とも重なります。

去年のDream Factoryでも紹介しましたが、岩田は広島県北広島町から来た子です。毎年「どんぐり北広島チーム」へ行って強化していただいているのですが、その際に出会った子です。

高い理想を持ち、途上国での持続可能な開発に参画したい意志を持っています。ただ、このような高い志を抱いているのですが、完全主義者でもあり、小さな躓きが大きなマイナスのうねりとなって自分を飲み込んでしまうという弱点を抱えています。

今回も同じパターンでした。うまく回らない現実と高い理想に引き裂かれ、自己否定の嵐が吹き荒れていました。

こういう時は、「判断停止」して、その自己世界(客観世界だと信じているが、実は自分が作り出している創作世界)から抜け出すことが大事です。たとえ「受験世界」や「身体健康世界」でうまくいっていなくても、Dream Factoryの世界は、それとは別の「関係性」です。今、「別の」と言いましたが、「別」であるからこそ、こっちの関係性で自信を得たならば、他のうまくいかない世界でも必ず変化が生じるものです。「関係」は別々ですが、関連し合ってもいる。大切なのは、統合しようとしたり、「本来の自分」や「理想の自分」を措定しないことです。弱点や欠点を認め、落ちているなら、その世界を一旦スイッチオフにして、別な「関係性」の扉を開いてみることです。そして、誰かが自分を救ってくれたり、自分に有益なものを期待したりするのではなく(そんなことを望めば、「ここも私には合わない」などと評価してまたマイナススパイラルに陥る)、その関係性の中で自分ができる小さなプラスを積み重ねるのです。

岩田の長所に「素直さ」と「信じる力」があります。理屈的にも感情的にも全く同意できないのですが、「いいから来い」と言われると不本意ながらも「はい…」と言う素直さです。

岩田は僕に救われたと言いますが、この素直さが「蜘蛛の糸」であり、ネガティブな岩田を救ったのだと思います。

連休の初日、目をパンパンに腫らして来た岩田でしたが、いきなりチームビルドの準備不足を指摘された3年生の佐藤と鈴木が、深く反省しながらもチームを盛り立て、真剣に再構築しようとしている姿に触れ、生来の誠実さが目覚めていったように見えました。岩田の表情がみるみる変化し、動きも行動も変わっていきました。

自分は傍観者ではいられない。これは3人のドラマだったのだ。そのドラマの最終章を今3人で生きているのだ、そのことを言葉ではなく、実体として感じたのだと思います。

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4日間の強化練習の間、どこの誰が「参加できない」と泣いていたのかと疑うほど、岩田はチームに貢献し、佐藤と鈴木をサポートし、1年生、特にペアになる三浦の面倒を付きっ切りでみてやっていました。

3日目にチームはアップダウンのコースを持久走したのですが、トレーニングをしていない岩田はきつそうでした。「無理するな」と言いましたが、岩田は1周遅れ、2周遅れとなっても最後まで走り切り、チームから祝福されました。

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代替大会は、連休中親身に面倒をみていた1年生三浦とペアを組みました。予選は巻高校のレギュラーペアのリーグに入っていました。三浦は中学時代1度もこのペアの選手に勝ったことがないと言っており、岩田が最後の大会で予選突破するのは難しいかなと思いました。

なんの力が集まって、このDreamが叶ったのか、よくわかりませんが、4日間の生き様が厚い雲に覆われていた岩田の「強さ」を活性化させたのは間違いありません。自分だけの世界をスイッチオフして、他者に真剣になる。自分への評価は棚上げしてチームビルドに邁進する。そうすることで自己の「良さ」が花開き、他者も自分も幸せになる。このパラドックスを岩田はリアルに表現したのです。

1年生の三浦は自己ベストです。岩田が引き出しました。4日間の深い「関係性」が強い絆を育みました。岩田は今の自分にできることだけを誠実に、しかし精一杯やりました。そして勝ち切りました。

岩田栞もまた、この北越Dream Factoryのかけがえのない一人として、足跡を残し、後輩たちに勇気と希望を与えて、青春を終えました。

岩田栞さん、疾風怒濤の青春期をこのチームで過ごしたこと、そこで得た「光の種」を生きる力にして、いつか世界に羽ばたいてくださいね。

県団体戦9連覇を成し遂げた後の岩田のノートを紹介する前に、一言御礼を述べさせてください。

コロナ禍でインターハイが中止となったことで、たくさんの方々から励ましの言葉やお便りをいただきました。一部はこのブログに載せさせていただいた通りです。

ありがとうございました。

心配をおかけしましたが、今年の3年生は、立派に自分の青春を表現しきって終わることができました。「コロナ禍の残念な学年」ではなく「災禍の中でも夢と希望を決して失わなかった誇りある学年」として記憶されるべき生徒たちだと思います。

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すべてが終わって、この3年間を振り返ってみます。

広島からきて1年目、初めて北越の教えに触れました。緻密で論理的なスキルの説明、テニスノートの書き方、先輩方の熱い指導など驚きの連続でした。

ですが私はあまりにも下手で、先生からの指導を体で表現出来ない自分自身に消極的になる事もありました。

迎えた夏の県総体で先輩方が、弱さを抱えながらも、磨いてきた北越の教えをコート上で圧倒的に表現する姿に心奪われました。三重インターハイでは、あと2点で日本一という所まで行くも、惜敗

その後、新チームになり、私も本格的にマネージャーとなりました。しかし、マネージャーになって初めての大会である冬の北信越で、サポート面の大失敗をしてしまいます。その時先生に伝えられました。

「岩田のマネージメントで、チームは負ける」

この言葉が本当に悔しくて、ずっと3年の最後まで残る教訓になりました。

2年目の夏、宮崎インターハイ。大好きな3年生と戦う最後の団体戦で、鈴木・佐藤の2年生ペアは自分に負けて戦いにならず、3年生の力になることができませんでした。あの夏、私たち3人の2年生は、砂をかむような悔しい思いを経験しました。

「こんなんじゃだめだ!!」が私達の代のスタートでした。

私は3年生から指名されて部長を任せていただきましたが、チームの状態によって私の感情は大きく動いてコントロールできず、体調不良で休ませて貰うことが続きました。

部長の責任を全うできず、部長を莉穏に交代した後、コロナの休校による帰省で完全に心が折れました。一人だけ闇の中にいる気がして、後ろめたく、全く前向きになれませんでしたが、学校が再開してからの先生の言葉でマイナスの闇から救い出され、チームに戻りました。

こんな私でも快く受け入れてくれたチームの皆には感謝しかありません。その後も出てしまう自分の感情面の「質(たち)」も受け止めて、支えてくれました。

そして、あの代替大会の個人戦での奇跡のような戦い…

あんなドラマが私にも選手として作れるなんて、思いもしませんでした。本当にみんなのおかげです。

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感謝しかありません。ありがとう…

1週間後の団体では、怪我で離脱したキャプテンの為に、そして3年生の為にと皆が力を出し切ってくれました。唯香と莉穏が、苦しかった1、2年生のあの時期を乗り越えて、最高の笑顔でベンチに手を振る姿を見て、本当に嬉しかったです。3人で3年間頑張ってきて本当によかったです。

最後先生から「今日のサポートは完璧! 岩田のおかげで連覇できましたわ!」
と伝えて貰って、ずっと心にあった1年の冬、北信越で伝えられた事と真逆な言葉を最後に貰って、本当に嬉しく幸せでした。

私が北越で学んだ1番は「自分の弱さ認めた上で、自分が出来ることを精一杯やる」という価値です。私はここでこの一生の宝物をプレゼントしてもらいました。
完璧主義者で、自分に何かできないことや劣っていることがあると、それを苦にして前向きになれなくなる自分。でも、そんな自分の短所も全部ひっくるめたものが自分自身で、自分の「質」とつきあいながら、生きていこうと思えるようになりました。

こんなちっぽけな私でも、あのドラマのような感動を手にできたのです。

きっと、これから何度も私は「マイナスの雲」に包まれるんだと思います。その時は、この3年間を思い出して、最後には光が集まるよう、前を向いていこうと思います!

マイナスからだって「力」を得ることができる。

あらゆることから力を集めて光を放て!

3年間ありがとうございました。

(3年 岩田栞)

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2020年8月13日 (木)

Dream Factory 2020 盛夏(1)

怪我のキャプテンと「心は一つ」

夏の新潟県大会 団体9連覇!

8月8日(土)in 新潟市庭球場

準々決勝 北越 ②-0 長岡

準決勝  北越 ②-0 村上

決勝   北越 ②-1 巻

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5日前の重症でした。

靭帯付着部剥離骨折。ギブスで固めて松葉杖を引いてきた鈴木を見た時、これは無理だと思いました。鈴木は最後まで出場の望みを捨てずにいましたが、大会前日にギブスを外してコートに立ったものの、ランニングさえできませんでした。びっこを引きながら続けていたジョグをやめ、激痛が走り言うことをきかない足をみつめ、腰に手をやり、空をみつめ、また足をみつめて、それでもまた走り出そうとする鈴木にかける言葉などありません。

しばらくして、自分で私の所へやってきました。

軽く深呼吸をして、「先生、明日、無理です。すみません…」

そう絞り出すように口にすると、大粒の涙があふれて止まりません。

チームを集めました。

(キャプテン 鈴木唯香のノートから)

今日、自分が出ないことを決めた。

ギブスをつけた1週間、前日に外してテーピングで固めれば試合にも出られるという医者の言葉も信じたかったし、自分自身何が何でも絶対に大会には出ると周りにも言っていた。

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でも、ギブスを外してコートに立ったものの、ジョグから始めてみたけど走れない。

泣けてきた…

悔しくて悔しくて、それでも自分は北越のキャプテンとしてここにいる。

戦えないキャプテンが、目指してきた戦いの前日に何が言えるんだ…

自分を整理できなかった。

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でも、先生がみんなを集めて伝えてくれた。

「一番申し訳ない気持ちでいっぱいなのはキャプテンだ。明日の戦いのために一番チームを思って生きてきたのがキャプテンだ。そのキャプテンが直前の怪我で戦えなくなった。それでチームは支えを失ってガタガタになるのか。それとも逆にキャプテンの強い思いと一緒に一致団結出来るチームなのか。」

そして、栞も必死にみんなに訴えてくれた。

私の分まで戦おうって。

その話を聞くみんなの目を見ていたら、特に団体メンバーは心で受け止めてくれたって信じれた。

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明日の戦いに向かって今も時間は刻々と進んでいる。自分の感情に流されている暇はない。

最後の練習時間、私の代わりに戦ってくれる2年生の、星野、高橋、高野にボールを出した。「これ、明日使えよ!」って思いながら、ボールを出し続けた。


莉穏、最後の最後に一緒に戦えなくて本当にごめんなさい。

3年間、二人で数えきれないほど失敗ばかりしてきて、数えきれないほどぶつかりあってきたね。明日は高校テニス人生ラストの日だから、莉穏にはその全てを最後の舞台でぶつけてきてほしい。

私も栞も一緒に戦うから。

厳しい場面でも、一人一人がその厳しさに立ち向かっていく北越の戦いを全員がやり切って、9連覇を果たしてほしい…

みんな、ごめんね。

(3年 佐藤莉穏の前日のノートから)

いよいよ明日になった。

唯香、やっぱりダメだった。

みんなの前で必死に涙をこらえて話す姿、心が痛かった。

でも唯香が一番辛いはずだ。先生も言っていたけど、人生って何が起こるかわからない。

「何で?」っていう不運や不幸に見舞われた時、嘆き悲しむのは当然だけど、大切なのは、そこから立ち上がって前へ進むこと。チームは試されている。

先生は私たちに問いかけた。

キャプテンでエースが欠場する中でもチームは誇りを持って戦い続けられるか?

これは何より、私に対する問いだ。

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コロナでインターハイが中止になってからも、唯香はこのチームにエネルギーを与えてくれたよ。

戦うみんなの心に唯香はいる。栞もいる。だから、私が先頭に立ってチームの心を引き出してみせる。団体で強い北越を表現してみせる。

3年間、本当にいろいろあった。

たくさんの人の力を借りて強くなってきた。

そして明日が最後の戦いだ。

私には、先輩たち、先生、チーム、みんな後ろについている。

唯香と栞の分まで、私がコートで3年間の全てを表現する!

優勝旗を二人へ! 二人とも、待っていてね。

そして見ていてね。これが私たちの北越での3年間だよ!

Dscf5848_2(令和2年8月9日 新潟日報より転載)

9連覇 達成!

本当に、ただ嬉しくて、たくさんの方への感謝で一杯です。

唯香と栞に優勝旗を渡すことができて本当に良かった。

今日の1日を改めて振り返ってみる。

初戦から、私も含めて少し固かったが、徐々に本来の私たちを取り戻していった。

そして迎えた準決勝、村上高校戦。

オーダーは自分たちで決めた。

もちろん、私が絶対に当たりたかったのは、秋冬の個人チャンピオン日野・伊藤組。

整列したら正面だった。バッチリだ。あっちも笑ってた。

さあ、いよいよ試合開始。

このペアにリベンジするために練習してきた。

秋も冬も1ゲームさえ取ることができずに完敗してきた相手だ。冬の北信越個人戦、向こうは準優勝でこっちは初戦負けだ。

ベンチで唯香の眼をグッと見て、ハイタッチしてコートに出た。

1球1球、唯香と一緒に戦った。

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1本1本に思いを込めて、自分のすべてを出し切った。

その思いをペアの星野も感じてくれて自己ベストで戦ってくれた。

そして④-0勝利!

やっと、

やっと、

リベンジしたね、唯香!

さあ、ついに決勝戦。

やはり巻高校が上がってきた。

本当は敵の1年生エース石山たちとやりたかったけど外れてしまった。

3面同時展開。先に2勝するだけ。

私がまず1勝して、後を後輩に託したい。

私は真ん中のコートで戦っていた。両隣りのコートで後輩たちが闘志を前面に出して戦っている。

2年生ペアの高野・高橋も、敵のエース、ユースアジアチャンピオンに食らいついている。あの高橋が気魄を込めて向かっていってる。

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1年生ペアの入澤・本間もベンチに向かって大きくガッツポーズしている。数か月前には想像もできなかった姿だ。唯香と二人で入澤と本間を指導してきた。感覚だけでテニスをやらないこと。教わったことを丁寧に学び実践すること。そしてコート上では自己表現すること。その一つ一つがいろんな人への感謝の現れになるのだということ。

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ベンチでも唯香が、栞が、後輩たちが、チーム応援できない中でも、精一杯の思いを重ねてコートへ力を送ってくれている。

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私は、表現のしようのない充実感と感謝に包まれて試合をしていた。

そして1ゲームも渡さず勝利した。

入澤・本間も勝利して優勝が決まった!

どのチームよりも強い思いがあること。どのチームよりも信じ切れる力があること。

それが全てだと思っている。

2年生と1年生には本当に感謝している。キャプテンが直前の怪我で戦えなくなった逆境に負けず、私たちを信じて、私たちの思いを感じて北越らしく戦ってくれた。

私はこのチームを誇りに思います。

コロナで叶わなかった全国選抜、インターハイ。

先生、そんな中でも、私は1年前の宮崎インターハイのリベンジはできたでしょうか?

コロナでインターハイが中止と決まっても、先生のことを信じて最後までやり切って本当に良かったです。

今回、こうして大会を開催してくれた高体連の先生方、何とか私たち3年生の表現の場を作っていただいた多くの方々、ありがとうございました。

津野先生、朋恵先生、柳先生。

3年間、たくさん指導していただきました。

悔しくて、情けなくて何度も何度も泣きました。

でも今になれば全てがわかります。その一つ一つがかけがえのない大切な成長の場だということが。

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北越って本当に素晴らしい世界でした。

先生たちがここまで寄り添って一緒に歩んでくれる、そして大きな夢と人としての成長が得られる。

日本一のスキル、フィジカル、タクティクス、そして「人」を教えていただきました。

「日本一」の舞台に立つことはできませんでしたが、いつか必ず後輩たちがやってくれると信じています。そのために、これからは「恩送り」として、私が受けた恩を倍にして後輩に返します。

先生、悔いは何もありません。

私はここへ来れて本当に幸せでした。応援してくれた両親にも感謝しています。

私をここまで育ててくださってありがとうございました。

(3年 佐藤莉穏 8月8日)

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