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2020年5月

2020年5月28日 (木)

Dream Factory 2020 新緑

若き指導者との対話①

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緊急事態宣言が解かれ、学校もまもなく再開されそうです。
まずは「密」を避けての分散登校で短縮授業で徐々に日常へ戻る階段を用意しての再開です。
では部活動は… 
 
部活動を「課外活動」だと強調する向きがあります。これが部活動に対するネガティブな文脈で使われると、どうしようもない徒労感と違和感に苛まれます。「授業」が「正課」であり、部活動は「課外」だ、という言葉はとてもバイアスがかかっている。これはひとえに「正」と「外」という言葉のマジックのようです。部活動は「学校教育活動の一環として学習意欲の向上や責任感,連帯感の涵養等に資するもの」(学習指導要領)であり、れっきとした学習活動です。それが主体的学習活動であるからこそ、しっかりその場を整えてあげるべきでしょう。

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「知育・徳育・体育」すべてが教育であり、そのバランスこそが人格形成の核であるということは論をまたないと思います。決して思考停止になってはなりません。全国の指導者の皆さん、議論を尽くしましょう。孤独に闘っている先生、夜明けは遠くありません。子供たちの夢の最前線にいる者として、共に頑張っていきましょう。
 

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北越の部長を務める3年生の佐藤莉穏は、先日「今年の県総体、6月24日に実施決定!!」という朝刊のニュースを見て泣いて喜んでいる、という夢を見たそうです。そして、夢から覚めてがっかりしながらも、気を取り直して支度をし、いつものように玄関のカギを開け、静かに戸を開き、まだ誰もいない道路を走り始めるのです。
もう、言葉になりません。
 
僕は、青春をかけて生きている人間の伴走者として、また、かつてその同じ18歳をブカツにかけて生きた人間として、共にこの夏を全力で燃焼したい、そのためにできることを精一杯やります。

さて、先日、ある県の中学校の先生からメールが届きました。とても熱心な先生で、行間から情熱がほとばしっています。生徒の夢を叶えたい、日本一を取らせてあげたい、純粋な思いです。

その先生とメールをやり取りしながら、不思議な気持ちになりました。なんだかかつての自分自身とメールをしているような錯覚に陥ったのです。
僕もかつて、こんな風に情熱の塊で指導していた時代がありました。経験不足、力不足を実感するがゆえの焦燥、そして苦悶、それを情熱で燃やして前へ進むしかなかった、不器用で純粋で無鉄砲な愛すべき時代です。でも、今だから言えます。その時代の闇雲な燃焼がなければ、決して夢の頂点を見ることはなかった。
 
僕は今年で59歳になります。来年は還暦です。公立高校なら間もなく退職というところです(北越高校は定年がもう少し先です)。少し前から、僕の中で、若い先生に何か伝えられるものがあれば伝えていきたい、という思いが強くなってきていました。今年に入ってから、他にも同じような熱い心を持った先生からお便りをいただきました。

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僕は選手としてはどこにでもある地方の雑草でしたし、大学も体育会で鍛えたわけでもありませんし、指導者になってからも誰かのもとで指導を学んだわけでもありません。技術や戦術であれば、他の有名な方々に聞いた方がずっと有益だと思います。そんな中で僕が伝えられるとすれば「哲学」なのかもしれません。地元の選手で日本一を目指す、その方法ではなくて、その考え方、その夢を駆動させる「観」を求めて、若い先生たちが扉をたたいてくれているのだと思います。
そのような情熱ある若い先生との対話を通して、次の世代の指導者、ひいては次の世代の選手たちとつながることができるとすれば、とても嬉しいことです。
また、現役の選手たちは、先生たちはこんなことを考えて指導してくれているんだと思い至ることができれば、時に目の前の物事を短絡的にとらえがちな幼い心を少しだけ広くしてあげられるかもしれません。
 
 
はじめまして。
〇〇中学校でソフトテニス部の顧問をさせていただいています、〇〇と申します。
 
DREAM FACTORYを読ませていただき、ぜひご質問をさせて頂きたいと思い、急なメールで大変申し訳ないとは思ったのですが、連絡をさせていただきました。
 
DREAM FACTORYのお話の中にあった、
昨年度のIH後の投稿の中にある「君が育った道のり、君から教わった選手としての生き方。」、
2019年1月の投稿の中にある「僕はこの子たちに生かされているんだな。こんな劇的なドラマの中に重要な登場人物として命を与えられているんだな。」というところが特に印象に残りました。
生徒と共にソフトテニスをさせてもらっている中で、生徒から学ぶことやこちらが与えてもらっていることが沢山あるなと感じております。先生のお話の中で、あらゆるところに「ありがとう」という言葉があり、この想いが指導者である中でとても大切なことだと改めて実感させていただいました。
 
また2015の吉藤さんのノートにあった
「あと一歩」というお話。
私自身も「あと一歩」という経験がとてもあります。その一点が取れていれば、あそこで思い切らせることができればと。
その「あと一歩」は私にとって永遠の課題です。
 
目の前の選手の為に、ぜひ津野先生から学ばせていただきたいと思っております。ご質問をさせてください。
 
☆先生が日本一になるために一番こだわっていること(モットーや大切にしていること)を教えてください。
☆「あと一歩」その先にいくために答えは自分で見つけなければならないことだと思いますが、先生の考える「あと一歩」とはなんですか。
☆今年から女子の指導にチャレンジするのですが、女子指導でこだわっていらっしゃること、男子との違いについて教えてください。
 
以上三点です。よろしくお願いします。
図々しく、このような急な質問で大変失礼なことだとはわかっております。
申し訳ありませんが、ぜひよろしくお願いします。

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こんばんは。
お便り、ありがとうございます。
 
関東は緊急事態宣言が解除されていないですよね。
生徒さんたち、どうですか?
3年生にかけてあげる言葉一つひとつが、いつもと比べものにならないくらい重いものとなると思います。先生の熱い心で、勇気を与えてあげてください。
 
Dream Factoryもずっと読んでくださっているのですね。
2015の吉藤のブログは、もう載っていないはずです。
 
長く、こうして若い人間たちと夢を共に追っていると、だんだん立場が逆転してくるような気がしてきます。若いうちは、こっちが先頭に立って切り拓いてやる、というようなシナリオでドラマを生きていたと思うのですが、最近は先生が目を留めていらっしゃる箇所のように、こちらが夢を追わせてもらっている、生かされているという思いが強くなってくるのです。不思議なものです。主客転倒、でもそれが幸せなのかもしれません。
 
さて、熱心な先生の期待に応えられるかどうか、自信がありません。
そして、正解はないと思います。ですから、教えるなど、滅相もありません。
こちらの思いの一部をしたためさせていただいて、先生がより考えを深めるきっかけになれば幸いです。
 
①先生が日本一になるために一番こだわっていること(モットーや大切にしていること)を教えてください。
 

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日本一になるためにこだわっていることはありません。
こだわっていることならあります。たくさんあります。
そのこだわりと日本一の優勝旗とどちらかを選べと言われたら躊躇なく前者です。なので、日本一になるためのこだわり、という風な考え方にはならないのです。
こだわっていることは、Dream Factoryに色濃く現れていると思います。若い人間の人格的成長です。責任を伴った成長を促し、その過程を通じて心を養う。苦境に立たされた時に依存せず、状況に振り回されず、確かだと信じることをやり切る。その力がこれからの人生に力になり、競技の厳しい場面での力になる、そう考えています。ただ、生徒の人格的成長にこだわっている方は全国に山ほどおられるでしょう。その理想へ向けてそれぞれの指導者のこだわりがあるのだと思います。そう考えると、こだわりって入れ子構造ですね。
2019年の9月号ソフトテニスマガジンに北越高校女子部の記事が載っています。先生なら御覧になっているかな? 同じようなことを聞かれて話したことがまとまっていますので、読んでみてください。
ただ、おそらく、「言葉の力を信じる」と明言するのは私くらいしかいないかもしれません。
 
②「あと一歩」その先にいくために答えは自分で見つけなければならないことだと思いますが、先生の考える「あと一歩」とはなんですか。
 

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指導者としての「あと一歩」ということでよろしいでしょうか?
シミュレーション力と決断力だと思います。
僕も若いうちから、何度も「あと一歩」で悔しい思いを積み重ねてきました。
ずっと、経験のない選手を鍛え上げて全国を目指してきましたから、「あと一歩」は市内大会レベルから地区大会、県大会、ブロック大会、全国大会、インターハイ決勝・・・と、あらゆる階層で経験してきました。僕にとってはそのすべてが貴重な経験で、日本一の富士山に登るにしても、ふもとの一歩、次の一歩と積みあがって頂点へ向かうのですから、その一つひとつに「あと一歩」があるようなものです。
近年、選手が日本一になったり、準優勝だったりという高みへ来て、ふもとの一歩を思う時、やはりあの頃はそのふもとの世界しかリアルに思い描けなかったのだと思い至ります。
先生はかなり高いレベルで「あと一歩」を求められているのだと思いますが、現時点での「あと一歩」はその一歩先の世界において、勝負になる場面のシミュレーションがあらゆる角度から高い解像度でなされれば、その一歩の確からしさは上がっていくのではないでしょうか。
 
③今年から女子の指導にチャレンジするのですが、女子指導でこだわっていらっしゃること、男子との違いについて教えてください。
 
男子を教えた経験は高校で30代の頃に4年間と、40代の頃行政職だった期間が2年あり、その時地元の男子中学生の外部コーチをしていました。男女で共通する部分はたくさんあります。同じ成長過程にある人間ですから、当たり前ですね。
ただ、思春期の女子は、この時期の男子より「信じる力」が強いと思います。

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「信じる力」は「超えていく力」になりますから、時間をかけて関係をつくっていくと、一番大切な場面で輝きます。
それから、個人差はありますが、男子は教えられたことが世界のきっかけになるのに対して、女子は教えられたことが世界そのものになる。ですから、概して男子は教わったことを踏み台にできますが、女子は教わったことの完成度を高めようとします。そこに女子選手の指導の難しさと面白さがあると思っています。
 
 
さあ、どうでしょう。
お力になれるといいのですが。
 
ハウツーで答えられるものではないので難しいです。
先生の道でいいのです。途中で投げ出さないことです。薄れないことです。
間違いは生徒が教えてくれます。
そこに素直になってください。
すべてに意味があり、すべてはつながっています。
 

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コロナ禍が早く収束し、一日でも早く生徒とあの空に抜けるような打球音が聞けますように
 
先生のご活躍とご健康を心よりご祈念申し上げます。
失礼します。
 
北越高校
津野誠司 seiji.tsuno@gmail.com
 
 

2020年5月10日 (日)

Dream Factory 2020 希望の春(応援メッセージ⑦)

絶望から希望へ

それは 誰かのために 精一杯生きること

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今回の応援メッセージは、平成26年卒業の星実里さんです。

実里さんは、体育大学に進学し女子サッカー部で活躍した後、地元新潟に戻ってきて県警で働いています。新潟県でも、コロナ感染拡大、そして緊急事態宣言延長という状況下、人々にもストレスがたまり、警察への通報がとても増えてきているそうです。

今、コロナで自粛、我慢が叫ばれていますが、実里さんの高校時代の「我慢」は桁外れでした。

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実里さんの入学は、「応援メッセージ⑤」で紹介した小林すみれさん、山本千紘さんが入学した次の年で、翌年の新潟インターハイで日本一を目指していましたから、毎日全力奮闘、がむしゃらの時代です。何人かの仲間が去り、実里さんはこの代一人で頑張っていましたが、2年時は肩甲骨の腱板炎。ようやく復帰できたと思った矢先、冬の選抜予選直前に半月板を損傷してしまいます。特に転んだわけでもぶつけたわけでもないのです。ある日突然でした。何人かの権威ある医師に相談しましたが、結果として年が明けての手術を余儀なくされます。完治は早くて半年以上、つまり最後の県総体は出場不可能、よってインターハイの夢も事実上なくなりました。

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コロナでインターハイがなくなった現3年生の絶望も大きなものですが、事故や病気があったわけでもないのに、そしてインターハイは実際にあるのに、自分だけがその夢を失う理不尽さを17歳の実里さんがどう受け止めたのか、どう打ちのめされたのか、想像ができません。

手術→絶対安静→頑丈に固定して立ち上がりからのリハビリ→松葉杖による歩行リハビリ…

冬から春にかけて、実里さんを支えたものは何だったのでしょう。

しかし、実里さんには、この後、信じられないドラマが待っていました。

この年、実里さんの故障の他にチームの人数不足もあり、冬の選抜予選は地区予選初戦敗退。春の地区大会も負けて、県総体はノーシードからの挑戦になりました。前年インターハイベスト16のチームが次の年は県総体ノーシードだったのです。実里さんはチームリーダーとして、どれだけ、歯がゆく、悔しく、申し訳なく感じていたことでしょう。

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春になって、松葉杖もはずれた実里さんは、リハビリを続けながら、新入生のあらゆる指導を一人でこなし、練習中は片足1本でのボール出し等、自分のやれることを精一杯やり続けていました。しかも全開の笑顔と元気で。チームへの「水やり」が自分の使命だと覚悟を決めていたように思います。幼いチームは実里さんの指導で徐々に心が育っていきました。

そんな頃だったと思います。実里さんは医師から思いがけない言葉を聞きます。

「インターハイになら、間に合うかもしれないぞ」

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ドクターは仕組みがわからずに口にしたのかもしれません。インターハイの予選は目の前であり、そこに出場できない実里さんには、そのチャンスがないということを。

しかし、一つだけ可能性がありました。

団体戦です。

団体戦のメンバーに実里さんを入れ、間に合えばインターハイで一緒に戦えるかもしれない…

チームは一つになりました。

日々の練習には気魄が溢れます。1日1日、まるで明日がないかのような完全燃焼。

それは、絶望の中からでも、希望はないように見えても、このチームの一員として、このチームのリーダーとして、やれることをやり続けてきた実里さんの姿を後輩たちが見ていたからです。そして強いリスペクトを持っていたからです。

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「大分で実里先輩とインターハイを戦う!」

チームの熱いテーマになりました。

そして、優勝しかありえない平成25年度の県総体。

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「チーム星」は火の玉になって戦います。

そして、優勝…

実里さんも、後輩たちも、涙、涙の県総体でした。

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人間の持つ、この時期の若い人間たちの持つ、計り知れない可能性に目が眩む思いでした。

これだけでも、十分にDreamなのですが、このドラマには第2部があるのです。

6月の北信越ブロック総体にも、回復は間に合わず、実里さんにようやく運動許可が出たのはインターハイの2週間前でした。

実戦で試合したのは、インターハイ1週間前の練習試合。それも2試合だけ。

そして大分へ出発です。

大分インターハイでは、第1シード、東京都代表 文大杉並高校のパックに入りました。

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初戦、奈良県代表 高田商業高校との試合を②-1で勝利(実里さん自身も勝利!)。

強豪、文大杉並との対戦は、0-1で実里さんに回ります。

僕は勝ち負けなどどうでもいい、実里がこうして、あの絶望にも我を失わず、チームに尽くしながら冬を生き抜き、春を迎え、こうして燦燦と夏の太陽が照り付けるインターハイの舞台に、しかも第1シードとの戦いの舞台に立っている、もうそれだけで十分でした。

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ところが、実里さんは、違いました。チームを導く者として、チームの勝ちしか考えていない。

G0-2とリードされますが、後輩の目をまっすぐに見て励まし、握手をし、強気の攻めで、G2-2。

その後、競り合った中盤の大事なポイントで、実里さんの右後方に浅いロブが来ます。僕がベンチで「無理するなよ…」と思った瞬間に、実里さんが思いきり斜めにフットワークして、痛めた右足に体重を乗せるのが見えました。

目を閉じました。

祈りました、あの時だけは…

あのポイントが大きく流れを引き寄せて、G④-2で勝利!

チームは1-②で敗退しましたが、奇跡のようなドラマでした。

こんな凄いドラマの脇役として、同じリアル世界にいさせてもらえたことに、深く感謝しました。

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今まで、たくさんの応援メッセージを送っていただき、ありがとうございました。

今回で、この応援メッセージシリーズは閉じたいと思います。

ここに載せきれなかったみなさん、ごめんなさい。

みなさんのメッセージは、すべて現役生に贈ります。

みなさんのあたたかい心、決して忘れません。

そして、必ずそれを糧にして、また新たなDreamを作っていきます。

Dream Factory チーム北越

現役生も卒業生も、かかわってくれた人たちも

そして、このブログを見てくれているすべての人も

One Teamです。

『あらゆることから力を集めて 光を放て!』

放つための光を集めていきましょう。

花に水をやり続けましょう。

そして、みんなで、乗り越えていきましょう。

コロナも、未来も、自分も。

ありがとうございました。

こんにちは!

津野先生お久しぶりです。星実里です。

朋恵先生からメッセージをもらった時間、私は、上司から事案対応や書類作成について厳しく指導を受けてる最中でした。自分の力のなさを悔しく思っていた時でしたから、その後にHPを読み、逆に、先生方や、インターハイが中止になっても前を向いて頑張っている後輩たちからエネルギーを頂きました。ありがとうございます。

今度は私のメーセージが少しでも力になって頂ければ幸いです。

体のバランスが悪く怪我ばかりしてきた私は、2年生の冬、とうとう膝の半月板を痛め、手術することになってしまいました。

あの時は、正直なんでいつも自分だけ、、、と思って絶望していました。

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手術をした後も県総体もインターハイもない。最初は何のためにリハビリをやればいいのか、チームのみんなはどう思ってるのか、コートにも立てない1人だけの三年生、部長のあり方も見つけ出せず、なんて言ったらいいでしょう、、、扉のない暗闇の部屋にいるような感じでしょうか、、、。

「夢が絶たれた」とかの言葉では言い表せられないくらい苦しかったです。

最初は自分のことだけしか考えられませんでした。

ですが、入院中も、毎日、練習終わりにその日のチーム状況の報告をもらって、場所は離れてるけどチームのみんなも必死に自分自身と戦ってる姿を思い浮かべて、自分だけ下ばっかり向いていてはだめだ、これは神様が自分だけに与えてくれた試練であり、チームのみんなや応援してくれている方々の為に、この試練を乗り越えてやろうと思うようになりました。

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また、乗り越えるためにも、その時自分にできる事を全力でやろうと思ったことを覚えています

退院後、後輩が外のコートで練習してる中、一人で学校のトレーニングルームでリハビリをしていましたが、外から聞こえる後輩たちの「がんばー!」と言う掛け声が私にとって大きなエネルギーとなっていました。

こうして、後輩からエネルギーをもらいながら自分を奮い立たせてリハビリに励んでいた頃、医師から言われた「インターハイに間に合うかもしれない」との言葉には、自分が嬉しいというよりも、後輩たちが喜んでくれることの方がずっと嬉しかった。周りの方々の支えがあったから、自分はあの暗闇で腐らず投げ出さず、自分を支えながらここまでこれたという感謝の気持ちの方が大きかったです。

そこから、県総体での連覇達成、そしてインターハイ団体出場までの時間はあっという間に過ぎて行きました。

きっとそれは、絶望から希望へ、心が変わっていく中で、自分は一人で生きているんじゃない、今までもこれからも常に、周りには先生、チームの仲間、北越魂を残して下さった先輩方、応援してくれている方々の協力、支えがあるって今の自分がいるということに気づいたからです。

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そして、怪我の前は自分のことしか考えていなかった私が、それから1日1日を、誰かのために精一杯生きようと決意し、誰かのために頑張ることが逆に自分にとって1番大きな力となってることにも気づいたのです。

こうして、警察官として、市民のみなさんのために役に立ちたいと思ったのも、この時の経験とつながっています。

先の見えない苦しい時期を乗り越えるためにも今、自分にできる事を全力でやる。

みなさんもも気づいていると思いますが、コート上での練習が全てではないですし、自宅にいるからこそ気づく自分、絶望の中だからこそ成長できることもあると思います。

どんなに辛くても苦しくても、見てくれてる人はいて、支えてくれてる人がいて、応援してくれている人がいます。今出来る事を具体的にいくつか決めて、その決めたことを全力でやってみてください。

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私は今、仕事でベテランの警察官と2人で24時間勤務をしています。どんな事案に対しても必ず2人で行動し、2人で事案対応にあたります。私たちは、当事者からしたら同じ制服を来ている警察官であり、経験年数関係なく、同じレベルの対応を求めてきます。

そんな時に、「私経験した事ないのでできません、分かりません」は通用しません。出来なくても分からなくても何とかしなければならない。その「何とかする」中でも「正しく何とかする」ことが求められます。間違ったやり方で、適当に何とかしてたら、命を預かる仕事でもあるので、人を死に追いやってしまう可能性すらあります。

しかし、正直なところ、経験したことのない現場も多くあり、どのような対応をしたらいいのか分からない事だってあります。市民のみなさんを不安にさせるかもしれませんが、私は、正しい対応をしているのだろうか…。もしこの失敗で人を守れなかったら…。と考えるととても怖いです。

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怖いですが、その現場にかけつけ、心配している市民のみなさんの期待に応えるのが私の仕事です。人の命を救う為にも、法律や、現場でやるべき対応等について、時間を見つけて必死に勉強しています。

正直、私は勉強が嫌いでした。ですが、自分がなりたい像は期待に応える事だったり人の命を救う事であり、その像になりたいと強く思ってるから、今は勉強も苦にならずに、もっと勉強したい、たくさん学びたいと感じます。

高校生のみなさんも苦しい日々が続き、既に前を向いて歩いている人、前を向いてると口では言っていても、本当は自分の中で、まだ前を向けてない人等、様々ではあると思いますが、自分がなりたい像を強く想像して、その像へ向けて行動すべきです。自分が進まなければ、永久に「なりたい」だけで終わってしまいます。その像に実際になりたいとすれば必然とやるべき事が見えてくるはずです。

普通じゃない今だからこそ、普通だったらやれないことができる。この大きな波が去った後に、この期間があったから自分は強くなれたんだって言えるよう、自分に負けずに頑張って下さい!

どんな時でも、チーム北越を応援しています!

私は、今も、これからもずっと、北越高校でソフトテニスが出来たこと、夢を追えたことは一生の宝物であり、心から感謝しています。

2020年5月 9日 (土)

Dream Factory 2020 希望の春(応援メッセージ⑥)

 苦難は傷つくために あるわけじゃない 
 
 人の力を伸ばすため
 

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今回の応援メッセージは、前に紹介した新潟東高校の卒業生、優実さんと千智さんの2年後輩にあたる、稲垣寛子さんと小竹佳恵さんです。
 
県看護師協会で、医療スタッフの確保に尽力している千智さんからは、疲弊しながらも強い使命感で働き続ける医療現場を思いやる言葉がありました。
ところが、医療従事者への偏見、その子どもへの差別等、耳を疑いたくなるような日本人の醜い言動が多く報道されています。偏見を持ったり差別したりしている人は自分や自分の大切な人が病気になったら、誰に助けてもらうというのでしょうか。
フランスやイギリスでは、夜決まった時間になると、市民がベランダに出て、一斉に医療従事者に拍手を送るそうです。あの「個人主義」の国で、医療従事者へのリスペクトを市民が一つになって表現し、「絆、おもいやり」に長じたはずの東洋の島国が、一番応援すべき人たちを差別する…。
日本はどこで何を履き違えたんでしょう…
(日本とフランスを行き来しながら小説を発表している原田マハさんの『喝采』という短編小説がネットで読めます。突然ロックダウンされたパリ、陽気で社交的なパリジャン(パリっ子たち)がどう行動したのか。そして、夜、街中に波のように響き渡る「喝采」…淡々と描写された日記風のとても短い小説です。ネットで検索して読んでみてください)
東日本大震災の時、世界を驚かせた、日本人の落ち着きと思いやりはどこへ行ったのでしょう。
「不安だからこそ、周りをあたたかくする行動を」という千智さんのメッセージ、もう一度噛みしめたいです。
 
 
さて、寛子さんと佳恵さんは、東高校が初めてインターハイに出場した時の1年生でした。先輩に連れて行ってもらったインターハイという輝かしい舞台を目にして、昨日より今日、今日より明日と、日々自分と向き合いながら、成長を重ねていきました。そしてその2年後に寛子さんは金木美才さんと組んで夢を叶えます。2年前の先輩を超え堂々の県3位でのインターハイ出場でした。佳恵さんの夢は叶いませんでしたが、寛子さんペアのインターハイ出場は、この代の3人の力が合わさってのものです。佳恵さんは、前回紹介した北越の山本千紘さんのような存在。チームにとって、いつも元気な太陽そのものでした。
寛子さんは、フラワーアレンジの仕事に就きますが、看護師への夢を捨てきれず、一念発起。新たに勉強を一から始めて国家試験に合格。現在は新潟市民病院に勤めています。新潟市民病院といえば、新潟県のコロナ感染者治療の中核病院です。多忙極まる中、メッセージを送ってくれました。

北越高校ソフトテニス部の皆さん初めまして。新潟東高校ソフトテニス部OGの新垣寛子(旧姓:須貝)です。高校卒業後、花屋の経験を経て現在、市民病院で看護師として働いています。

先日、インターハイ中止のニュースを聞いて衝撃を受けました。全てをかけて頑張ってきた皆さんや津野先生にとっては悔しくて悔しくて、どのように心の整理をしたらいいのかわからない状態だと思います。簡単に諦められることではないですし、前を向くには時間がかかるかもしれません。しかし、ゆっくりでもいいので、みんなで力を合わせて前向きに乗り越えていってほしいです。
 
今まで努力してきたことは決して無駄にはなりません。必ずみなさんの力になっているはずです。津野先生という素晴らしい先生に出逢えたこと、一緒に頑張ってきた仲間がいること、これは本当に大切な宝物です。今まで努力してきたことや苦難を乗り越えてきた経験、今みんなが身につけている力はこれからの人生で必ず役に立つときが来るはずです。
 

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私の働いている病棟では人の死を経験することも多く、年齢に関係なく急に亡くなる場合もあり、人というのはいつ死が訪れるかわからないということを実感しています。だから今という瞬間を大切に、できるだけ後悔しないように、日々当たり前のように過ごせることに感謝して過ごしています。
 
今はコロナウイルスの影響で、職場内でも外でも、心ない言葉で傷つけてくる人がいます。医療従事者であっても普通の人間なので、いつ感染するかわからない恐怖と戦いながら働いています。守るべき家族もいます。そんな中、ひどいで言葉で傷つけられるのは、心が締め付けられる思いです。
 
職業に関係なく、みんなどこで感染するかわからない状態なので、一人一人が感染しないように気をつけて過ごしてくださいね。大切な人の命を守るため、みんなで力を合わせて乗り越えて行きましょう。
 
ひとりはみんなのために、みんなはひとりのために」辛いときだけど、思いやりの心を忘れずに、頑張っていきましょうね。皆さんが少しでも早く元の生活に戻れることを願っています。
 
私は、苦難を乗り越える一番の武器は笑顔だと思っています。辛いときこそ笑顔を忘れずに。笑顔があれば、辛く苦しんでいる人を助けられることもあります。今は自分を守ること、そして自分のまわりの一番大切な人達を守ることを第一に行動していきましょう。
 
自分が辛いときや悩んでいるときに、いつも心に浮かんでくる言葉があります。
 
試練は乗り越えられる人にしかやってこない』
 
また、このような詩もあります。
 
  やさしい人ほど つらい目に遭う
   それは 心が磨かれて
   もっとやさしくなるため
 
   強い人ほど 大きな災難に見舞われる
   それは 苦難を乗り越えて
   もっと強くなるための試練
 
   いい人なのにと言われる人ほど
   苦労の連続
   それでますますいい人になる
 
   苦難は傷つくために
   あるわけじゃない
   人の力を伸ばすため
   
   苦労は神様からの贈り物
 
自分が悩んだときはこの言葉や詩を思い出し、そして高校の時の経験を活かして乗り越えて来ることができました
 
なによりも心強いのは一人じゃない、仲間がいるというのは大きな力になります。壊してしまうのは一瞬でも築き上げていくのは大変なことです。出逢えたことに感謝して、自分のまわりの人達や家族、仲間を大切にしていきたいですね。
 

次に、佳恵さん。

佳恵さんは、作業療法士として介護施設で働いています。
密接を避けよ、と政府に言われても、密接しなければ 何もできない介護の現場。
世界一の高齢化社会である日本において、重症化しやすいお年寄りが助けを求める場所。
誰かが感染すれば、即クラスターの発生が避けられない、介護の現場も我々が心からリスペクトを持って応援しなければならない職場です。
 
その佳恵さんからのメッセージです。
お年寄りに対してだけではなく、お年寄りを預けている家族にも気を遣わなければならない、毎日、身体だけでなく心もすり減っていくような状況で時間をとってくれました。

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こんにちは。

私は介護施設でリハビリ職員として働いています。施設には90歳代の方、100歳の方もいますし、誰かがコロナに感染してしまうと、認知症の方も多く、徘徊してしまうため隔離が難しく、大変な状況になってしまいます。

入所しているお年寄りも家族の面会をもう2カ月も制限しているため、家族に会えない寂しさを訴える人もいますし、家族も会えずに心配している方もいて、お年寄りにも家族にも、寄り添うようにしています。施設として、心配している家族に写真を撮ってお渡ししたり、動画を撮って見せたりアイデアを出し合って工夫しています。

また、私の施設ではデイサービスも提供していて、全国的にデイサービスで感染が広がったケースもあるため、熱を測ってから利用してもらったり、自粛をお願いする場合もあり、とても気を遣って入念に様々な対応をしています。職員自身が感染を絶対に避けなければならないという危機意識がありますから、職員も出勤前後に熱を測ったり、休憩でも3密にならないようにしたり、プライベートでも一人一人が気をつけて生活しています。マスクや消毒液が不足する中でお年寄りに感染させないように、とにかく神経を減らしながら不安な日々を送っています。


そんな中、インターハイ中止のニュースを見ました。

切なくなりました。
コロナウイルスが流行り出した頃、今頃は春の遠征で最後の調整が始まるはずだが、遠征に行けるのかなぁ…毎日の部活は…津野先生と今一緒に頑張っている高校生のこと考えていました。

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そして、インターハイの中止…3年生はここを目標にして色々なことを犠牲にして頑張ってきただろうに…と思ったら本当に切なくなりました。会ったことはないですが、きっと今まで津野先生と一緒に色んなこと乗り越えて目標に向かってきたんだろうなぁ、きっとみんな悲しくて悲しくて…でもこの気持ちをどこにもぶつけられなくて悔しくて…って皆さんの気持ちを想像しています。

なんかうまく伝えられませんが、形がどうであれ、この悔しさをぶつけられる日は必ず来ると思います。

だからこのエネルギーそのときに使えるように貯めておこうね。そして、一刻も早くコロナが終息することを願おう。

これって考えながら今自分にも言い聞かせています。

すみません。今自分が考えていることを素直にとにかく打ってみました。


先生も体調には気をつけて頑張ってください。時々北越のHP見せてもらって元気もらいたいと思います。

2020年5月 6日 (水)

Dream Factory 2020 希望の春(応援メッセージ⑤)

いつ、いかなる時も、太陽でいること

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今回の応援メッセージは、平成25年卒業の小林すみれさんと山本千紘さんです。

二人は、僕が北越に来た平成22年に北越高校に入学しました。実は他の公立高校志望だったのを、一緒に北越で日本一を狙えるチームを作ろう!という呼びかけに応じてくれたのです。今考えてみても、よく決心してくれたと思います。「信じる」だけが北越入学の根拠ですから。

その3年目、新潟インターハイの団体はあと2ポイントでベスト8というところから逆転され、夢は叶いませんでしたが、ペアとしてハイスクールジャパンカップでダブルス3位に入賞し、北越初の全国入賞を果たしました。

まずは、小林すみれさん。

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すみれさんは、実業団の太平洋工業のキャプテンを務めています。2年前に引退を決意したのですが、その年に日本リーグから実業団リーグへ(サッカーで言えばJ1からJ2へ)降格してしまいました。普通はそれでも「残念だった」と言って引退するのですが、すみれさんは決意します。ここでやめたら無責任すぎる…引退を撤回して、あと2年、キャプテンとしてこのチームを日本リーグで戦えるチームにしたい、と。

凄いことだと思います。一旦引退を決意した人間が、責任感から「あと1年」ではなくさらに「あと2年」現役アスリートを続けるということは…。

その決意を送ってくれた、すみれさんの長いメールを僕は大切に保存してあります。

今読み返してみても、熱いものがこみあげてくる、覚悟と責任感にあふれた言葉です。人間の深い尊厳を感じずにはいられません。

みんなにも是非読んでほしいので、全文載せたいと思います。

もうご存知かと思いますが、入替戦、負けてしまって実業団リーグに降格になりました。
いろいろ考えることがあって、ご連絡遅くなってしまいました。
結論、負けてよかったなと今は思っています。
たぶん、今のチームの状況で日本リーグに残留しちゃいけなかったんだなって。

今のチームで実業団リーグ経験者は私しかいなくて、他は日本リーグに昇格するぞっていうずーっと昔からの先輩たちの想いを知らない子たちなんです。あの頃、仕事も今よりもずっとしんどかった。テニスも応援なんてしてもらえなかった。今は、日本リーグにいること、応援してもらうこと、仕事を最大限に配慮してもらってることが当たり前で、甘えてばかりなんです。
勝負の厳しさというか、経験も責任もあまり感じたことがないから、いろんなことの重さが分からないんです。わたしもそんな偉そうなことは言えませんが。。。
誰もチームのことを考えられない。見ていない。他人に興味がなくて、かといって自分のことにこだわるわけでもない。だからいつもうちの選手の負けは自分に負けるんですよね。周りも状況も見えなくなって自分を失って負けるんです。

だから、今回実業団リーグに降格して良かったなって。結局残留してたら、みんなの気持ちは何も変わらずにいたと思います。中途半端やりながら日本リーグで戦う、何の進歩もありません。

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今回の負けを、ちゃんとチームの全員が個人でそれぞれ受け止めて、再スタートをして、自分たちの力で這い上がれっていうことなんです。


今回の入替戦での負けから、やっと、変わりたいって思ってくれる子が出てくれたんです。
キャプテンとしてのこの一年は、なかなか想いが伝わらず、勝ちにも繋がらず、次から次へと問題ばかり起きて、正直苦しかった。だけど、私なりに精一杯チャレンジした年でした。そこは自分を認めてあげたいと思います。この1年で後輩に伝えた種が今年、来年で少しずつでいいから伸びていって、最後に花になればいいなって思います。

それと、「今年で最後の年にします。」と年始の初打ちの時に宣言しましたが、2020年まであと2年、やることにしました。今年で最後にしたら、日本リーグの舞台でもう戦えないのかって、すごく悩みました。私にとって、日本リーグはとてもとても特別な舞台なので。
日本リーグに昇格して終わるんじゃなくて、それだけじゃ、なんか悔しすぎる、絶対後悔するって思って、先輩たちと残した日本リーグ3位の記録を超えてやるって決めました。先輩に引っ張り上げてもらって取った記録しか、個人も団体も私は持ってないので。
自分の力で、自分でこのチームを引っ張りあげて、昔の大嫌いだった自分を超えて、自分を好きになってからソフトテニス人生を終えたいと思っています。
今年入ってくる神戸松蔭大の2人は学生トップのペアです。塚川、地中っていうペアです。この間大会で一緒に団体戦したんですが、とってもいい子達で、強い子達でした。この子たちのお陰で、もう一年頑張ろうと思えたのも事実です。

全てが上手く出来てるなぁって思います。
今回の負けも、今年から厳しい戦いでも食らいついていきそうな新戦力も…。

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心新たに、また何度も挑戦していきます。
私のソフトテニス人生もラストスパートです。絶対に後悔のないように、やり抜きます!!!
私は、気持ちが吹っ切れて、すごく前向きです!

自分でも怖いくらいのポジティブです。たまにブルーな気持ちになることもあるし、辛いことも苦しいこともあるけど、周りにはたくさんの支えてくれる人がいるんだなあって思えるようになりました。2018年、結果は悪かったけど、逆にいろいろなことを感じることができた年でした。

2019年、再スタートしてまだまだ頑張ります。
ふとした時にドリームファクトリー見てます。
わたしも、この頃があったから今の自分がいるなぁって、どこか懐かしく感じて、北越がんばれ!!!って応援してます。

長々とすみません。
まだまだたくさんいろいろあるのですが、とにかくがんばります。
後輩にも負けてられません!!
報告が遅くなりすみません。
おやすみなさい。

この決意が2年前、そして1年目の終わりに、太平洋工業は入れ替え戦のリーグを全勝で勝ち抜き、念願の日本リーグ復帰を果たしました。

さあ、いよいよ日本リーグの戦いだ、という年が今年なのです。

日本リーグは冬ですが、果たして感染は収まっているのか、次々とスポーツ大会が中止になる中、すみれさんも複雑な思いで日々を過ごしているはずです。

その小林すみれさんからのメッセージです。

こんにちは。

小林すみれです。
千紘から連絡もらいました。感じたこと、言葉にしたいと思います。何かが伝わって力になれれば嬉しいです。


まず、インターハイが中止になったと聞いて、1番に感じたことは「かわいそうに…」でした。
もちろん、できるような状態じゃないことは分かっていたし、難しいと思っていました。でもまさか、本当にそんなことになるなんて…とても悲しい気持ちになりました。

全小、全中、インターハイ、インカレ、オリンピック、年齢やレベルは違えどその大会に照準を合わせてたくさんのことを犠牲にしながら必死にがんばってきたのに、そのものがなくなってしまうなんて。情熱をどこにぶつけたらいいんですかね。

私も今年が最後と思っている日本リーグがなくなってしまったら、その時何を思うんでしょう。今の自分では想像できません。その現実を突きつけられてないから。


だけど、今の高校3年生は、それが現実になってしまったわけで…DREAM FACTORY を見て、この子たちは本当に強くてかっこ良くて素敵だなって思いました。
目標がなくなってもやるべきことを見失わず、後輩の子の面倒を見て、できたこと、足りないこと冷静に見て、もっとこうします。ってすごいポジティブ。
語彙力がないので、すごいわぁ...しか表す言葉が見つからないんですけど、自分が高校生の時、こんなに真っ直ぐにポジティブでいることできたかなって...
10歳も年上のはずなのに、心がじわーっとあったかくなって逆に元気をもらいました。ありがとうございます。

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私もまだ現役で実業団でキャプテンをやらせてもらっています。
大人になると難しいことが増えてきます。みんな、それぞれの学校でエースだった連中の集まりで、プライド、考え方、性格、人間性、本当に十人十色。「私の普通」は「あっちの普通」ではありません。人によっては「普通」が全く通用しないです。みんなが同じ価値観で同じ方向を向いていたら、どんなに楽だろう。
私たちも今回のコロナウイルスの影響でテニスができなくなりました。もう2週間以上経ちます。
「今日から自粛」って仕事中に急に言われて、私が1番に考えたことは、チームの心がバラバラになってしまうんじゃないかっていうことでした。

2月に入れ替え戦で勝利して、日本リーグ昇格が決まったことで、ちょうどチームの雰囲気やモチベーションは未だかつてないくらい良かったんです。でもそれは、「みんなで練習しているから」であって、その環境がなくなったら、何もせずに怠け倒すことが目に見えていました。今まで自律してこなかった人が自律できるわけがない。
だから、自粛期間中に、毎日やること、定期的にやること、みんなが守る約束を作りました。
みんなが自分に負けずに毎日やり切れているかは、正直分かりません。確認もしません。もう社会人ですから、そこまではすべきじゃないと思っています。

連絡取ったり、会社で会話をしても、嫌な感じはしないので、少なくとも、約束守ってくれていると信じたいです。

私がこのチームのためにできること、やるべきことは、いついかなる時も「このチームの太陽でいること」です。
どんな時もみんなを明るく照らすこと。
進むべき道を照らすこと。
自分が生きているフィールド全てで太陽でいること。
集まってテニスができなくても、みんなの気持ちを前向きに、みんなが弱い自分に負けないように、みんなの陰からでも、弱さを明るく照らさないとなって思ってます!
先生、私ネガティブ人間だったんだけど、ポジティブ人間になれました。
そんな自分をつくってくれたのは、心の土台を作ってくれた北越、ソフトテニスを通して関わってきた全ての方々。

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2020年度が私のテニス人生最後の1年になります。もしこの先の大会全てがなくなったとしても、太平洋工業のキャプテンとして、このチームとメンバー、会社のためにやれることを全てやり尽くして結果以上の「何か」をこのチームに残せたら、後悔は絶対しない。完全燃焼で引退できる。
実を言うと最近少し弱ってしまって、でももう一度こうやって強い気持ちを持たせてくれたのは、DREAM FACTORY の現役生の言葉です。ありがとうございます。

人生の主役は自分だし、自分を輝かすのも、自分だし、そのために、わたしも最後までたくさんの花に水やりをし続けたいと思います

......とーっても長くなってしまいすみません。
なんか言葉は溢れてくるんですけど、いつもながらまとまらなくて。笑


言葉の力ってすごいですよね。
だれかの力になりますように。
先生にいただいた言葉や、高校生時代の経験は今の自分が太陽でいるための源泉です。
先生も、お体に気をつけてくださいね🥺
ともえ先生にもよろしくお伝えください。

山本千紘さんからもメッセージが届いています。

千紘さんは、実業団を退社してから新潟に戻ってきて、今は地元の巻ジュニアのコーチを務めています。千紘さんは、いつも笑顔。どんな時も笑顔。顔の筋肉は笑うためだけにしか使ったことがないのではないか、とさえ思える人です。テニスをするのも教えるのも楽しくて仕方ないという感じです。実際はいろいろ悩みもあるのでしょうが、そう思わせないのが千紘さんのすばらしさだと思います。全国小学生大会も開催が危ぶまれ、頑張ってきた子供たちのことを心配する日々だそうです。

先生、こんにちは。

連絡いただきました。
私自身、Dreamfactoryからいつも力をもらっているので、少しでも力になれたら嬉しいです。
 

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『インターハイ中止』のニュースをみて、自分が出るわけではないのにとても悔しく悲しく、よくわからない気持ちになりました。現役のみんなはもっともっと悔しいですよね。
それでも、Dreamfactoryからは、3年生キャプテン、部長の前に向かっている気持ちが伝わってきました。
 
現段階ではまだ連絡はありませんが、全小も中止になるのを覚悟しています。
いつも通りに子供たちと練習ができて、いつも通りに大会があって、、、『いつも通り』がどれだけありがたいことか実感しています。
今は、私自身の腕が鈍らないように、家の前でボレーボレー、球出しの練習をやっています。あとは硬式やトレーニングなどの動画を見て勉強中です。練習が再開できたときには、子供たちに負けないくらいの元気で、少しでもパワーアップした自分でいれたらなと思います。
 

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北越高校の後輩たちは、今は苦しいかもしれませんが、津野先生たちのメッセージを信じ、自分の気持ちを強くもって乗り越えてください。
すでにキャプテン、部長は前に向いているのでチームとしては大丈夫です。
私たち卒業生も、チーム北越の一員として、みんなにエネルギーを送れたらと思います。
現役のみんなの頑張っている姿が私たちのエネルギーになっているんですよ。
 
『あらゆることから力を集めて、光を放て』
必ず光を放つ時はきます。一緒に頑張りましょう。
 
先生、東高校の卒業生さんのメッセージも載せて下さってありがとうございました。
なんだかグッときました。ワンチームですね。
このような素晴らしい方が「先輩」でとても誇りに思います。

 

2020年5月 5日 (火)

Dream Factory 2020 希望の春(応援メッセージ④)

不安だからこそ、

周りをあたたかくする行動をしていきたい

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先日紹介した新潟東高校卒業生、高橋優実さんからメッセージをいただいた後、ペアだった伊藤千智さんに連絡をとってみました。

千智さんは、確か保健師さんをしていたのでは…と思い至ったのです。保健所といえば、今日本のコロナ対策の中枢を担っているところで、帰国者接触者相談窓口であり、PCR検査を実施して陽性者に対応している最前線です。どうしているかと気がかりになりました。

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高校時代の千智さんは、まさに文武両道。ソフトテニスでは、中学時代無名の選手でしたが、優実さんと組んでインターハイの夢をかなえ、その後受験勉強に集中して現役で第一志望の新潟大学医学部看護学科に合格。高校時代から、とにかく誠実、やるべきことをやるべき時に必ずやる、そういう高校生でした。

その千智さんからのメッセージです。

こんばんは。千智です。
夜分遅くにすみません。
先生はお変わりありませんか??

インターハイ中止のニュース…もしかしたらそうなるのではないか、とずっと気になっていたので、決定となった時は本当にもう、なんとも言えないもどかしい気持ちでした。そして、泣きました。
もし当時の自分だったら、どう受け止めるだろうと考えてしまうと同時に、先生は選手たちに、なんて声をかけるのだろう…そんなことを思いました。

 
命が大事…仕方がない。でも、悔しい。
でもそう思うのは私だけじゃなく、昔一緒に夢を追ってきた全国の仲間や、全国の現役の高校生、それとその姿を見てきた家族や先生たちも同じ…いや、それ以上だよな、と思っています。

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今私は、保健所や医療現場ではなく、新潟県看護協会というところで働いています。普段は看護職の就業相談や、家庭の事情等でいったん現場を離れた看護職の現場復帰を支援しています。ハローワークの看護職専門…といったところです。
医療現場は、物資も足りず、スタッフも疲弊し、院内感染のリスクと常に戦っている状況です。そんな中で私は、現在未就業の看護職に、現場復帰もしくは現場への短期間の協力応援をお願いする仕事をしています。大都市圏では医療崩壊が起き始めていて医療スタッフが不足しているので、この動きは、全国の看護協会も行っているもので、ニュースでも報道されていました。


資格は持っているけど、いったん現場から離れた方が、感染のリスクのある医療現場に応援に行く…これは、本当に覚悟のいることだと思います。現状は厳しいです。それぞれみんな大切な人がいて、自分が応援に行くことで感染のリスクを負うわけで…未就業のかたも、みんな理由があって未就業なわけで…。
自分自身も複雑な思いのまま、現場への復帰や応援をお願いしていることもあり、戸惑うことも多いです。


3年生たちは、いまどんな風に過ごしているのでしょうか。きっと少しずつでも前に進み始めているのだろう、と信じて、私の気持ちとして、こんなことを3年生にお伝えできたら…と思います。

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みなさんが持ってるたくさんの力や想い、いつでもどこでも、どんな形でも発揮できる、と信じています。
たとえば、こんな時だからこそ、いつもよりも周りの人に本気になって、周りの人にどんどんどんどん入っていって、自分の持ってるものを発揮していってほしい。
そうやって周りの人をあたためてほしい。そして、何より自分自身もあたたかくなってほしい…と。
そう強く強く願っています。
そしてそれは、今だけではなく、いつまでも、大人になってもこの先ずーっと、どんな場面でも本当に活きてきます。今は先が見えない状況だけど、そう信じて進んでほしい。大丈夫だよ、と。


この先も多くの壁に悩んだり、やりきれない思いをすることは絶対にありますよね。その時も、いつもこの3年間がなんというか…力であり宝でした。ありきたりかもしれないけど、高校3年間の時間や繋がりは、当たり前のようにずっと生きています。

今このメールを書きながら、少しネガティブになっていた自分にも言い聞かせています。先が見えない不安の中、周りの人をあたためられる行動をしていきたい、と。
先生からのメールで、こうして考えて言葉にできたことで、少し冷静になることができたように思います。
ありがとうございます。

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先生も、お身体大切にしてくださいね。
先生はわたしたちみんなの、元気の源です!
必ず…必ず、またみんなで会いましょう!

2020年5月 4日 (月)

Dream Factory 2020 希望の春(応援メッセージ③)

あらゆることから力を集めて  光を放て』

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今回の応援メッセージは、2年前の卒業生です。

阿部瑞希さん(令和元年3月卒業)

こんばんは。
「インターハイ中止」のニュースを見ました。こうなるのではないかなと思っていたところ、現実になってしまいました。しょうがないと思いつつ、やっぱり悔しさと悲しみが溢れ出てきます。

ドリームファクトリーを今日読み、現役の3年生が1番悔しいはずなのに、前向きで諦めない姿勢で、コロナに負けてないんだという、強さを感じました。

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私は現在、会社に普通に出勤しています。 
会社の中で、前まではコロナ対策は全くされてない状態でした。(県外の出張は当たり前)(密集空間でのお昼休憩)(アルコール・マスクなし)
コロナウイルスの危機感を私だけしか感じないのかというくらいです。
売り上げが上がるから県外出張行っていいのか。
みんなの命よりも、営業か? 上司に直接掛け合いました。
そしたら、『私も同感』と一緒に行動してくれて、今では、たくさん対策がとられて、お昼時間も交代制となりました。

私自身の近未来の夢も実現不可能になりました。お正月のお雑煮会で私が夢としてみんなに伝えた、フィリピン工場での勤務も、工場をこれ以上続けることができないということで、はかなく消えてしまいました。こんな風にして、コロナウイルスで沢山の夢や日々の日常などが奪われたという話をよく聞きます。私も正直、コロナウイルスがなければ世界が混乱することもなかった。と思ってしまいます。

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もしこれが私達の年であったら、あの鈴鹿インターハイでの準優勝はなかったんだな。そう思うと開催できたことや、練習できたこと、それがどれだけ幸運だったのか、感謝しなくてはならないなと強く実感しました。そう思うことで、今の3年生の無念さに心が痛みます。
自分にできることをとにかく徹底的にやる、それが、高校3年生の最後の表現の場をより早く作ることにつながるかもしれない。そう信じて、私も毎日を過ごそうと思います。

そして、また私も負けじと戦いたいと思います。コロナウイルスで夢がなくなったのではなく、
なくなったという事実からまた、別の道がきっと開けていきます。少し遠回りかもしれないけど別の道を探そうと思います。

今回も、ドリームファクトリーで勇気、頑張る力をもらいました。ありがとうございました。
一緒に頑張りましょう。

庭野真李さん(令和元年3月卒業)

こんにちは、庭野です。
お久しぶりです。

インターハイ中止になったことテレビ・新聞で知りました。先日アップされたドリームファクトリーも拝見しました。
3年生が1番悔しくて苦しいと思いますが、前向きに毎日を過ごしているようで少し安心しました。

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私は短大生として今就活をしていますが、コロナの影響で会社説明会がなくなったり、採用試験が先延ばしされている状況です。採用人数も削減されていて、なかなか上手く就活出来ていないでいます。
でもそれはみんな同じことなのでこの状況の中でも、試験を受けようと思っている会社を徹底的に調べる。エントリーシート、履歴書を丁寧に熱をこめて書く。疑問に思ったら会社に直接聞いてみる。…など就職活動に関わらず、今出来る事は妥協せずベストを尽くすようにしています。
今やれる事にベストを尽くすことで一歩・二歩先に進めていたら、必ず結果が後からついてくると思っています。なので、諦めずに乗り切っていきます。

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世界がこんなに苦しんでいる…ある時、北越女テニの部訓『あらゆることから力を集めて光を放て』この言葉を思い出しました。

どんな状況からでも、絶望的な状況からでも、必ず力を集めることができる。そう思って世界や自分の周りを見てみると、大変だ大変だと思っていた時と何か違った世界に見えてきます。
今動きが制限されている状況ですが、苦境からも何か自分の力にできる事を見つけ、蓄えて、いつか光を放つ時が来たら、誰よりも輝く光を放つ、そして誰かを幸せにする。

『あらゆることから力を集めて光を放て』

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  三年生も一・二年生も次の舞台は必ずあります。

 その夢に向かってお互い頑張っていきましょう。


2020年5月 2日 (土)

Dream Factory 2020 希望の春(応援メッセージ②)

「夢」が 脈を打って

 いつも そばにあった日々…

卒業生から送られてくる、一つひとつを読んで、返事を書きながら思うことは、本気でインターハイを目指す者たちにとって、「インターハイ」とは「大会」ではないんだな、ということです。青春期の若い魂を燃やして全力で目指した「夢」そのものなんだと思います。「生きがい」という言葉は、お年寄りに対して使うことが多いと思いますが、18歳には18歳の「生きがい」があるはずだ、と、ある場所で強く言ったことがあります。「生きがい」とは、「生きている甲斐」つまり、生きる目的、生きるパワーの源泉です。

思うに、「夢」とは幼い頃は、自分から遥か遠く離れたところにあるものでした。そして、多くの生活や責任とかかわらざるを得ない社会人になっていくと、「夢」は(子供のころの憧れとは違う次元で)また少し自分から離れたところに行ってしまうような気がします。

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その「夢」が長い人生の中で、一番自分自身に接近するのが青春期なのです。本気で求めれば求めるほど、「夢」が自分の中で息づき、脈打ち、あまりの鼓動の強さを感じて時には逃げ出したくなるけど、苦しい道を敢えてたどることでそこに近づいているんだと信じ切れる時代。息苦しいほど全力で生きている実感に胸が震える日々。イノセントで純粋な魂の飛翔への希求。

その日々は人生のたった2年と少しの短い間だけど、あの時期、確かに自分の花なるべきを信じて全力で生きた、その実感を覚えているからこそ、「中止」の報道が流れた時、立ち尽くし、料理の手を休めてTVを見つめ、思いを馳せ、悔しさに共鳴し、思いがあふれてメッセージをくれたのだと思います。

今回、北越の卒業生が次々とメッセージをくれる中で、ある教え子からメールが入りました。

それは、僕が30代のころに勤務していた新潟東高校の卒業生で、高橋優実さんといいます。優実さんは今、千葉県で小学校の先生をしています。

優実さんは、東高校に入学し、中学校の時テニス部だったというくらいの理由でソフトテニス部に入ったことで、同じ年に転勤してきた僕と出会ってしまった人です。

新潟市立東石山中学校時代は、全く無名どころか、自分が何番手だったか覚えてない、7番? 8番? という感じです。「先生、ロブって何ですか?」と聞かれたことを印象深く覚えています。初心者の方がまだ教えやすいくらいの、ゼロから、否マイナスからのスタートでした。優実さんは新潟市のジュニア合唱団にも所属していて、高校生ですからリーダー格でした。

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「インターハイ出場」という「夢の種」を自ら望んだわけでもなく植えられた優実さんはとても悩んだ末、「インターハイ」という見たことも聞いたことも想像すらできない「夢」に、自分の青春をかけることを選びます。そして3年生の夏、ペアの伊藤さん(後述)と組んで地獄リーグ(インターハイ出場の5位6位決定リーグ)を全勝で勝ち抜き、「夢」を咲かせたのです。平成11年、指導者としての僕を初めてインターハイに連れて行ってくれた子でした。その優実さんからのメッセージです。

ご無沙汰しています。お元気ですか?東高校でお世話になった優実です🌻

インターハイ中止の速報を、夕飯を作っている時に夫から聞きました。迷った末、やむにやまれずメールした次第です。インターハイの舞台を目指していた、特に3年生にとってどんなにやるせない気持ちか。考える間もなく、感情の方が先にグッと込み上げてきました。魂が覚えてるんだなぁと思いました。

北越に入ってきた子たちは、私とは違って、もしかしたら最初から目指していたのかもしれません。悔しくて切なくて、名前も顔もわからなくても、夢をもって目指しているたくさんの人たちのことを思うと涙が勝手に出てきます。

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夢を追ってきた3年間という貴重な時間、その最後の年に目標を失った高校生に私には何ができるか、考えずにはいられませんでした。何ができるか考えても考えても思い浮かびません。

高校卒業して何年たっても3年間の記憶は濃いままだし、今でもその時のことが今の自分を支えています。人生という長いものさしてみたらインターハイは通過点で、一瞬なんですよね。その一瞬が輝かしいものになるようにずっと磨いてきたわけだけど...だから、磨いてきた日々がとても尊くて…

うまく言葉が見つからないのですが、どうか腐らないでほしい。

ッカリして悔しくて泣いてしまうときがあったとしても、腐らないでほしい。

折れないでほしい。プツンと緊張の糸が切れてしまわないように。

私はインターハイ行きが決まった後にプツンと切れてしまったというか、逃げてしまったというか、真っ直ぐなみんなに真っ直ぐでいられなくなってしまった…。

心配で北越のテニス部のHP見ました。

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驚きました。3年生グッと踏ん張っていますね。腐るどころか後輩を育てようと引っ張る気持ち、強いです。私は弱かったなぁ。引っ張っていくことは昔からうまくできません...が、支えになりたいなぁと思っています。

花を咲かそうとしていた場が消えて不安に思うこともあるでしょうけれど、どこでどうなるか、人生わかりません。時期が来るまで、辛抱強く、力をためて、咲く日が来るとことを信じて、強く美しくいてほしい。

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つぼみのままで終わることなく、必ず咲く日がくると信じて。たとえどんな咲き方であっても、花になろうと自分と向き合ってきた3年は絶対に無駄ではない! 尊い日々なのです。

「花」である以上、咲かないわけがない。咲く運命なのです。

く時期が今じゃなかっただけ。

どんな色に咲くか、どうやって咲くか、咲く日を楽しみに待ちたいと思います。
『咲かない花はない』だから、枯れないで!腐らないで!諦めないで!

そう生徒さんにお伝えください。

(津野からの返信)

優実、久しぶりです。
温かく、そして熱いメッセージというより心そのものをありがとうございます。
感動しました。

ホームページも見てくれたのですね。

優実、このメッセージ、HPに載せてもいいですか?

北越生だけじゃなく、全国の高校生アスリートへの応援メッセージとして。



優実、逃げ出したなんて言わないでよ
青春時代なんて揺れ動いてなんぼだよ。あなたの合唱団をやめて僕を信じてテニスにかけた、その決意と潔さがあなたをインターハイに連れて行ったのだし、夢が叶った後の落ち込みがあるから、また今こうしていたたまれずに連絡くれるわけでしょ。すべては波なんです。

僕にとって、スタートからゴールまで一番高低差があったのは優実です。
君は僕に勇気と可能性を示してくれたんですよ。
決してネガティブにあの時代をとらえないでくださいね。

光と影、どちらにも意味、いや意義があり、両方を経験した人が一番貴いのです。

(優実さんからの再返信)

光と影・・・いつも先生は私が失敗したな、と思うことを、自分のことが嫌いになりそうな弱い部分も受け止めてくれて、それでもいいと言ってくれる。そして、真剣に向き合うべきところで目を背けようとすると、それは違う!と気づくまで待ってくれる。

ありがとうございます。

私のメールが少しでもお役にたてるなら、いくらでも!

一粒の雫となって、花が咲くお手伝いができるのなら、こんなに嬉しい話はありません。

先生、大事なことを伝え忘れていました。

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私、世代は違っても、レベルも学校も違っても、会ったことなくても、「夢を持ち、叶えようとしてきた」先生の教え子たちが、同じ仲間だと思えたんです。だから、何かできることは?と考えて考えて・・・気持ちを伝えることくらいしかできなかったんですけど。


先生、私はHPで、力をもらったんです。先生と北越高校のソフトテニス部の仲間から。3月の内容は「こんなときだからこそ」、最近更新の内容は「こんなときでも変わらず」ってメッセージを読み取ったのですが、合っていますか?

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色々ごちゃごちゃ考えて不安になっていたのに、大事なことはすごくシンプル。フッと余計な力が抜けた気がしました。そして、ちっちゃな人間になりそうだったなぁと。

変わらずに踏んばっている3年生に力をもらいました。先生からも大事なことを思い出させてもらいました。迷い、不安になったらきっとまたHP見ると思います。何度も何度も。



変わらず頑張っている姿は、エネルギーいっぱいですね。ありがとうございます。

 

2020年5月 1日 (金)

Dream Factory 2020 希望の春(応援メッセージ①)

「どんな時も北越魂を持って!」 

 

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インターハイ中止! の報道を聞いて、高校時代にテニスコートで「夢」の実現を信じて毎日ボールを追い続けたかつてのDream Factoryのメンバーたちから、多くのメッセージが届いています。

すべては紹介しきれませんが、北越高校生を超えて、「夢」を亡くした高校3年生に、小出しにして先輩たちからの応援歌と絆を届けたいと思います。

第1弾は、つい数か月前まで、同じコートで成長を見守ってくれていた水澤と冨樫から。

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From 水澤奈央さん(令和2年3月卒業)

こうやってチーム北越に参加することが出来てとても嬉しいです。
佐藤からインターハイ中止の次の日に連絡が届きました。今までの感謝、そしてまだまだ頑張るという決意が文章からもすごく伝わってきました。そしてその後に先生が書いたドリームファクトリーを読ませて頂いて、自然と涙が溢れました。こんなにみんなは苦しい時も前を向いて、ひたむきに泥臭く頑張ってるんだなと私自身とてもエネルギーを貰えました。
ありがとうございます。

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私は今埼玉県の方で生活しています。部活動は8月まで出来なくなってしまいました。ですが、4月30日からWebでの授業が始まるので、この機会にたくさんの本を読んだり、苦手な古典を勉強しています。最初はトレーニングを毎日したり、プレー動画を見たりしてソフトテニス中心の生活を送っていました。ですが、この状況だからこそもっと自分の視野や知識を広げるべきだと考え、勉強にも力を入れて今は過ごしています。


先日、大学の部活動の活動で、ペップトークというものをオンラインで勉強させていただきました。その中で今の状況を受け入れ、とらえかたを変更し、どう行動すべきかを考え、実行することが大切だと痛感させられました。後輩のみんなはそれをやってくれていると思います。


励ましやメッセージよりも私からはみんなに感謝を伝えたいです。みんなは尊敬出来る後輩であり、希望の光です。たくさんのエネルギーをありがとう。3年生はその魂をまだまだ燃やし続けて一緒に頑張っていきましょう。またいつか一緒にテニスがしたいです。

津野先生も体調にお気をつけてお過ごしください。
コロナがおさまったら練習にも参加させていただきたいです。

失礼します。

From 冨樫春菜さん(令和2年3月卒業)

お久しぶりです。
コロナでインターハイも無くなり、莉穏、唯香はとても悔しいと思いますが、去年のインターハイの悔しさがきっとあるはずなので、2人を全国でもう1度も戦わせてあげれなくなったこと、私もとても悔しく思います。

徳島に来て、1ヶ月が経ちます。
有難いことに徳島は、部活は禁止ですが自主練は自由に出来ます。北越のみんなからしたら、とても羨ましい状況だと思います。

しかし、時間も短く楽しくやっている人の方が多いです。私は何よりも目標があるので、他の人よりも厳しくきつくやってしまい長い時間練習してしまいます。だけど、一緒になって自分から厳しくやる人は中々いないです。そこが大学の難しいところです。なので、周りを上手く巻き込みながらやっています。1人でサーブをしたり、もっと打ちたいけど、他の人は終わってしまう時は、プラスに考え、部屋でタクティクスやテニスの勉強をしようと考えました。

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そして、毎朝30分のランニングと夜のストレッチ、筋力トレーニング、練習後のRUNの追い込みなど1人でやれる事はやってます。
私は宮崎インターハイで勝てなかったこと、自分を表現出来なく、たくさんの人にコートで恩返し出来なかったこと、仲間をもっと戦わせてあげれなかったこと、今でもずっと悔いがあります。それが今、私の原動力となっています。悔しさをどんな時も忘れない為に、団体で負けて整列している写真をコピーして、壁に貼り毎日見えるようにしました。後は、生活面でも整理整頓をする事やみんなの使う炊事場を自ら掃除したりしています。
今は、大会も無くなってしまいましたが、コロナがおさまれば、また戦いが始まります。
絶対に大学でリベンジできるように、後悔のない1日1日を生きたいと思います。
どんな時も北越魂を持って、泥臭く、誠実に生きていきます。
また、北越のみんなとどこかで会えることを楽しみにしています。
失礼します。

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