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2024年2月

2024年2月18日 (日)

HOKUETSU Spirits 2024 ~ 感 謝 ~

北信越選抜大会3位入賞

7年振りに春の全国へ

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2024年1月1日。

 未曾有の大震災が石川県の能登半島沖を襲いました。新潟県内でも多くの被害が報道されました。被災された方々に、心よりお見舞いを申し上げます。私は以前の赴任先で、中越沖地震により被災した経験があります。規模や被害は異なると思いますが、被災地の状況や避難されている方々の心情など、少しは理解できるのではないかと思っています。今はまだ、苦しいときかと思いますが明けない夜はありません。やまない雨はありません。どうか、一日も早い復興を。心から願っています。

 この地震の影響で、1月13日に行われる予定だった北信越選抜大会が2月12日に延期されました。しかし、1か月の延期によりチームを強化できるかと言われれば疑問符がつきます。この時期の新潟は外で練習することが非常に難しく、急遽決まった延期だったので屋内練習場を確保することも、ほとんどできません。1か月間の平日で、球を打つ練習ができたのは5~6回でした。

 平日はほぼ練習ができなかったのですが、週末は福島県の学法石川高校や群馬県の高崎商業高校、前橋商業高校にお世話になりました。とくに前橋商業の監督は我々のために練習相手をしてくれる他チームにまで声をかけて集めてくれました。そのおかげでとても充実した練習を行うことができました。感謝の言葉しかありません。本当にありがとうございました。

 今、当たり前にテニスができていることを当たり前だと思わないようにしたいと改めて感じた。これからもひとつひとつのことに感謝の気持ちを持っていきたいと思ったし、もっともっと上を目指して良い成績をとって恩返しをしたい。(高澤)

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 多くの方々から支えられ、迎えた北信越選抜。

 各県の1位が集まるAリーグと2位が集まるBリーグ。Bリーグから全国選抜への権利を得るにはリーグで1位になり、Aリーグの3位校との決定戦に勝利しなければなりません。ひとつも負けられない厳しい戦いです。

 Bリーグには砺波高校(富山)、飯田風越高校(長野)、金沢学院大学附属高校(石川)、敦賀高校(福井)と我々北越の5チームが集まりました。

 最初の相手は金沢学院大附。相手の初戦を観ることができ、対策をしてオーダーを組みました。選手たちは見事に期待に応えてくれて3-0で勝利します。

 2対戦目は砺波。この試合は1番に出した高橋・小坂井にミスが重なり劣勢を強いられます。相手前衛が非常に力のある選手でしたので、やりにくかったように見えました。しかし、苦しみながらファイナルで勝利すると残り2ペアもその勢いで勝ちきってくれました。

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 3対戦目は飯田風越。この試合でも1番の高橋・小坂井が大苦戦。序盤はまったくペースをつかめず、メンタル的にも追い込まれてG1-3。さらに隣のコートで始まった2番の水野・岩目地は相手の大将ペアに押し込まれてG0-4負け。絶対絶命でした。しかし、2人は耐えました。高橋は調子が上がらないことを受け入れ、徹底してつなぐテニスに切り替えました。小坂井も自分にできることを割り切り、我慢のテニスを貫きました。徐々に点差が埋まっていきます。そして耐え抜いた2人が、またもやファイナルの戦いを制しました。そして3番の野崎・高澤は終始落ち着いたプレーでG4-0。なんとか2-1で勝利を収めます。

 最後は敦賀。ここは1番の高橋・高澤、2番の相澤・小坂井がペースを崩さず、ともにG4-0で勝負を決めてくれました。3番の野崎・岩目地は流れをつかめずG1-4で敗退しますが、Bリーグ全勝で、最後の決定戦進出を決めました。

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 Aリーグの3位は福井県代表の金津高校。毎年練習試合をお願いしている相手で、お互いをよく知るチームです。こちらのオーダーは1番に野崎・小坂井、2番に高橋・高澤、3番に水野・牛膓です。1番がG2-4。2番がG4-1で3番勝負へ。本当に最後の勝負です。

 水野・牛膓はダブル後衛。耐えました。何本でも繋ぐ、我慢する戦いを徹底しました。G1-0、G2-0、G2-1、G2-2…。徐々に相手に対応されていきましたが、それでも耐えるテニスを貫きました。相手にも焦りが見えて、ついにG3-2。チェンジサイズ。

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「攻めよう」ベンチで彼らに言いました。勇気を出してラケットを振り切ってこいと伝え、送り出しました。

 6ゲーム目、最初の水野のレシーブで前衛アタックが決まりP1-0。次の牛膓の攻めのストロークはわずかにラインを逸れてP1-1。次の水野の振り切ったフォアハンドで相手後衛のミスを誘い、P2-1。牛膓が打った相手前衛の膝下への強打が決まってP3-1。次の水野は力入りすぎてP3-2。そして最後は牛膓の中ロブで相手を走らせ、返球された球はわずかにラインを越えました。ゲームセット。ついに全国選抜への壁を超えてくれました。

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 今の2年生5人は中学時代、全国はおろか北信越大会に遠く及ばない選手たちでした。最後の大会を地区大会で敗退した選手もいます。そんな彼らでしたが、ひたむきにテニスに取り組む姿勢や情熱は本当に強く、普段の練習ではまさにコツコツと努力してきました。決して器用ではなく、技術の習得には人一倍時間を要します。何度も何度も失敗してきました。まだまだ技術もメンタルも未熟で、弱い自分と葛藤していますが、ようやく掴みました。全員で『全国』を掴み取りました。

 大会2週間前、1年生エースの一人、高澤が体育の授業で怪我をしました。足首関節の怪我で、大会までに治るかは微妙なところ。チームにとっては大打撃です。選手たちには「高澤なしで戦う準備をしよう」と伝えました。

 このアクシデントが、2年生の心に火をつけたように感じます。自覚と責任が生まれ、目の色が変わりました。このアクシデントにより水野・牛膓というダブル後衛も生まれました。

 2月2日。はやと(高澤)が怪我。大会までに治るかわからない。

 はやと、れい(高橋)に頼ってばっかじゃダメ。今こそ2年は自分たちだけでも勝てるんだって証明しないと。

 明日は一日模試で、日曜日が前商遠征。

 北信越まで、あと10日。県総体まではあと119日しかない。

 まず明日の遠征で、絶対に先週より動きができてないと×。この1週間はダブル後衛練習して、動画も見てきた。何百本でもつなぐを忘れない。何したら相手にミスが出るのか考え続ける。

 2月4日。前商、高崎と試合した。

 自分たちに課せられた役割は、楽しくワイワイやって可能性を見つけることじゃない。3番手は、1番手とあたって、颯爽と負けることではなく、粘って粘って、粘りまくる。ダブル後衛ならなおさら耐えることが必要。

 自分たちから点を取りにいかない。相手がラリーを嫌がるまでラリーする。50本でも100本でも。(牛膓)

 結果的に高澤が間に合ったことにより、様々な戦略をつくることもできるようになりました。何通りものオーダーを考えることができました。実際この日はすべての対戦でオーダーを変えて戦いました。登録メンバー8人全員を起用することができたので、体力的にも余裕をつくることができました。様々な要素が、我々にとって追い風となってくれたように思います。

 北越男子にとって7年ぶり2回目の全国選抜です。何度もこの壁に跳ね返されてきました。ついに超えてくれました。選手9人、マネージャー、保護者の皆さん、OBの皆さん、私たちに力を貸してくれた多くの仲間たち。本当にありがとうございました。今大会ほど、皆さんの支えを実感した大会はありません。

 2月14日。

 ここ2か月間のテニスは苦しかった。

 7月29日の新チームミーティングで「副キャプテン」という大事な役割を任せられた。そのときの自分は、「チームについて」という項目を作り、自分たちなりに拙いながらも“副キャプテンを全うしよう”“自分に出来ることを精一杯やり切ろう”と行動していた。それが半年経ったいま、使命感も責任感も忘れ、何のためにテニスをしているのか分からなくなっていた。

 自分たちの代はとても弱くて、いつも上にも下にも助けられてばかりだった。今回の大会でも、1年がいてくれなきゃ勝てなかった。代表決定戦での3番勝負、一週間前から練習したダブル後衛で挑んだ。オーダー発表で選ばれたときの嬉しさとは一転して、ベンチではアクエリを飲む手の震えが止まらなかった。

 中盤、自分に球が集まってきて、投げ出したいほど怖かった。泥臭く、ダサいくらいにロブで粘った。「勝ったときの嬉しさ」この一瞬のために、テニスをしていることを思い出した。2年で全国を決められて嬉しかった。

 勝ったからといって、副キャプテンの役割を全うできたわけでは到底ない。チームは小坂井に任せっぱなし、決定戦でも水野に助けられっぱなし。ダメダメな副キャプテンであることは変わらない。先生、親、OB、たくさんの方の支えがあって、今テニスができている。

 中井先生(外部コーチ)が気づかせてくれた。自分たちは中学時代、県1,2回戦止まり。それが、今では全国出場。確実に成長している。目標は全国ベスト8。まだまだやることはたくさんある。

 北越から誘いをもらったとき、寺尾先生に「全国でも勝てる選手になりたいです。」と言った。あと166日間で、技術はもちろん、人としても成長しなければならない。悔いのない高校生活にする。(牛膓)

 チームに感謝でしかなかった。

 自分は試合に出て、ボレーミスをしまくって、代表決定戦では水野・牛膓が自分の代わりに出てくれて、3番勝負を勝ってくれた。

 自信満々に出て、どんな相手にも勝ってくれるれいとはやと、2年としてプレー面でも引っ張ってくれる野﨑、小坂井、いきなり出されても勝ってくれた相澤、全然練習できてない陣形だけど勝ってくれた水野、牛膓。みんな良いところがいっぱいだが、自分だけは2年なのに良いところが1つもなかった。まだまだ下手なんだと痛感した。こんな自分でもチームが全国選抜へ連れて行ってくれるので、この恩は自分がもっと上手くなって団体戦に出させてもらって、勝って貢献したい。

 自分でもこんなにボレーがうまくいかないのは初めてで、メンタル的にもとても辛かったし、罪悪感がすごかった。もうこんな思いはしたくないから、この苦しさを乗り越えて、次は全国で楽しかったと言えるような舞台にしていきたい。(岩目地)

 北信越が1か月延期になり、たくさんのことに挑戦する時間が増えた。岩目地さんとダブル前衛をしたり、カットサーブをしたり、いろいろなパターンで試合をして経験を積んだ。最高の調子で大会を迎えることができると思っていたけど、体調を崩して1週間も身体を動かせなかった。上位大会の動画を見て後衛の知識を取り入れたり、攻めのパターンを学んだ。大会前になってネットプレーが納得いかなかったり、ストロークの距離感が合わなく、足も動かなくて不安の中迎えた大会だった。

 3年生が県インドアの応援に来てくれたおかげで北信越も切符を手にして、大会に出場できるチャンスをもらえた。他の高校にはない応援団の数で、北信越に連れて行ってくれた。

 北信越でも、保護者がみんな駆けつけてくれて、全日本選抜と全日本私学への出場権をとれた。夏の北信越で団体初戦負けを経験してからチームは変わってインターハイの団体1回戦を勝つことができた。3年生がチームを変えてくれなかったらインターハイ団体初戦敗退だったと思うし、冬の北信越で選抜の権利ももらえなかったと思う。

 自分たちはスポーツメイトやFree Style、中井先生、他県の高校、保護者、3年生、中学生などたくさんの人たちから応援があり、支えてくれたから、最後の最後まで戦えたと思う。

 最後の決定戦で、寺尾先生が自分たちでペアを決めさせたのは、信じてくれたからだと思うから、高橋・高澤で1本を守ることができた。選手みんなで最後の勝ちを握った。水野・牛膓を信じてチーム一丸で応援できて楽しかった。私学と選抜を勝って恩を返したい。ただの思い出試合にならないように、残り1か月間を大事に過ごしていきたい。「みんな、ありがとう!!」(高橋)

 まず、全国大会へ出場する権利が得られて、とても嬉しかった。この大会の1か月前くらいから、高崎商業や前橋商業の人たちに協力してもらって自分たちの強化をしてくれたし、保護者の方々が送迎などもしてくれた。大会数日前から大会中まで、中井先生は相手の分析やアドバイスをしてくれた。

 3決のときは、はやと、れい、牛膓、水野が頑張ってくれたおかげで全国へ出場することができた。いろいろな人の協力があったおかげで勝つことができたから、感謝してこれから全国に向け頑張っていこうと思う。

 勝てたのはよかったけど、自分はまた大事な場面で負けてしまった。普通にやったら勝てる相手に、変に考えすぎてしまって、硬くなってしまった。いつまでも誰かに頼るのはやめる。自分一人で決められる強さを身に付ける。3番勝負を決められる冷静さと、メンタルを身に付けたい。(野崎)

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 次の日は個人戦。水野・小坂井、牛膓・岩目地はそれぞれ能登高校、高岡商業高校に敗退しました。全国常連校との力の差を明確に感じました。ここから全国選抜に挑戦する上で、「満足してるんじゃないぞ」と言われている気がしました。

 高橋・高澤は春の北信越を優勝し、今大会も注目を集めましたが、勝敗だけでなく課題を持って戦うことを目標にしていました。練習試合ではほとんど組むこともなかったですし、ペアの連係をとる時間もほとんどありませんでした。

 しかし、大会ではそれぞれが個々の役割を全うし着実に勝利を積み上げていきました。各県の上位しか出場することができない大会ですので、劣勢になる場面は何度もありましたが、なんとか乗り越えていきました。

 残念ながら決勝戦では富山県のチャンピオンペアに惜しくもファイナルで敗れて準優勝でしたが、課題がはっきりし、将来の見通しがはっきり見えてきた敗戦でしたので、この負けを次に生かせるように、また一つ一つ積み上げていきたいと思います。

 今大会は、全国選抜という壁に挑戦し、それを達成しながらも課題がたくさん見えてきた大会となりました。私たちにとっては、大変充実した大会でした。この結果におごることなく、慢心せず、全国でも北越らしさを発揮できるように、これからも取り組んでいきたいと思います。

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 最後に、急遽延期となった大会で大会運営を担っていただいた長野県高体連、県連の皆様、本当にお疲れ様でした。ありがとうございました。