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2018年1月

2018年1月31日 (水)

HOKUETSU Spirits ~ 2018 本物 ~

チーム北越、無念
全国選抜出場ならず



 1月13日、前日未明からの大雪で氷点下の気温の中、こまつドームで2年連続の花を咲かせることはできませんでした。
 2017年12月24日、新潟県選抜大会が行われ、チーム北越は長岡商業に為す術なく敗れ、準優勝。なんとか北信越選抜への切符は得ることができましたが、大きな不安を抱えて、北信越に臨むことになりました。
 短い冬休みでできる限りの建て直しは行いましたが、不安が解消されることはありませんでした。それでも、なんとかチャレンジャーになりきり、北信越を戦い抜くんだ、2位リーグで全勝して代表決定戦に臨むんだと、気持ちだけは強くもって北信越の日を迎えました。
 初戦の相手は石川県代表の金沢学院高校。非常に打球力の強いチームで、北越は前衛陣が非常に苦しみました。しかも経験値のない選手が多く、勝負所でミスを重ねてしまいました。山本・石塚ペアは勝利したものの、他の2ペアは負けてしまい、リーグ内1位を目指す我々にとって苦しい立ち上がりとなりました。
 第2戦、第3戦はなんとか勝利し、最終戦の富山工業戦。ここで勝てばリーグ内1位の可能性がある大一番でしたが、阿部・高橋は相手に圧倒され、玉木・安中も大事なところでミスを犯してしまい敗戦。リーグ内を2勝2敗の3位で終えることになりました。

 この大会は悪天候にも関わらず多くの保護者の方々に応援に来ていただきました。そんな中で結果を出すことができなかったことは、とても残念ですし悔しい気持ちでいっぱいです。この悔しさを乗り越えて、春に大きな花を咲かせることができるか。
 大会後、2年の高橋のノートにはこんなことが書かれていました。
 今日の練習では、「ああ、もう」や「ほんとに…」などマイナスな言葉を発していた。こういうことが試合にもつながってくるのだと思うから、今後禁止するようにする。
 高橋は県選抜、北信越選抜の初戦をまったく戦うことができませんでした。過緊張でミスを連発し、まったく戦う心になりませんでした。これを乗り越えなければいけないことを本人は痛感しているのでしょう。少しずつですが、練習の姿勢に変化が見られます。まだまだ本物になるには時間がかかるかもしれません。春までに間に合うかはわかりません。しかし、それを信じて、彼らの成長を見守りたいと思います。
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年の瀬に、ビッグニュースが飛び込んできました!


 チーム北越の卒業生で、現在日本体育大学2年生の星野雄慈がU-20日本代表に選ばれました。
 星野が2年生のときに私は赴任しました。当時から非常に能力が高く、しかも向上心に溢れていた彼は小千谷からの通学というハンデをもろともせずに全力でテニスに打ち込みました。当時の私は、指導者として右も左もわからないような状態で、彼の可能性を伸ばすことが十分にできませんでしたが、そんな環境の中でも3年次には県総体個人戦優勝、新潟県勢15年ぶりの北信越大会優勝、インターハイベスト32、新潟代表として7年ぶりの本国体出場に大きく貢献するなど、新潟県のソフトテニスの歴史を大きく塗り替えました。そして、もっと強くなりたいという一心で日本体育大学の門を叩きました。
 入学した1年目は、なかなか環境に馴染めず苦労したように聞いていますが、2年目に大躍進を遂げました。団体メンバーとしてリーグ戦や大学王座決定戦に出場を果たしました。そして8月に行われた全日本学生選手権大会(通称インカレ)のシングルスでは全国の並居る強豪がいる中、シングルスで準優勝!全国にその名を轟かせました。代表選出には、この結果が大きく関わっているものと思います。
 また11月に行われた競技者育成プログラムSTEP4でも全国の有名選手の中で飛び抜けたフィジカルで相手を圧倒したようです。
 彼の努力には感服します。もちろん在学当時から能力は高かったですが、誰よりも努力する姿勢、一切の妥協を許さない強い意思は他を圧倒します。日本体育大学という全国屈指の強豪校へ進学しても、その姿勢に変わりはなかったのでしょう。高校時代よりも更に努力を重ねたに違いありません。彼の活躍はチーム北越に勇気と希望を与えてくれます。「やればできる。」「限界なんてない。」
 このビッグニュースを受けて、チーム北越の現役選手たちもパワーをもらいました。高みを目指して、今日も一歩を踏み出します。
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和歌浦信雄副会長を悼む



 去る1月9日、長らく新潟県連の理事長を務めておられた和歌浦信雄さんが逝去されました。私自身、国体のスタッフを務めるようになってからお付き合いするようになりましたが、厳しく、厚いご指導を多くの場で頂戴いたしました。心よりお悔やみ申し上げます。