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2017年12月

2017年12月 6日 (水)

HOKUETSU Spirits~2017 襷をつなぐ~

新チーム始動!新たな旅路へ。
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 インターハイが終わり、新しいチームとしての歩みが始まりました。新しい世界への扉をこじ開けた3年生から襷が繋がれました。キャプテンに2年の山本、副キャプテンに1年の石塚を指名しました。この2人ならばチームに新しい風を吹かせてくれる、さらに襷を繋いでくれるという期待がありました。

 夏の練習ではチームとして一体感をもち、基礎技術の定着に努めました。こういうとき、心が育っていないチームだと、モチベーションが下がってしまい、練習の質が低下します。技術の定着どころか問題点ばかりが浮き彫りになってしまうことになりかねません。この点は指導する者として、いつも葛藤するところではありますが、このチームは自分自身を育てていこうとする地盤がすでに整備されていました。これは引退した3年生たちが耕してくれた素晴らしい財産でした。キャプテンの山本が国体チームの帯同選手として不在となることが多いなか、玉木、高橋を中心として2年生がしっかりと運営してくれたおかげで、練習に主体性が生まれ、整備された地盤に太く強い根を張っていきました。

【秋季地区大会】
ダブルス
優勝  山本・石塚組
3位  阿部・安中組、玉木・高橋組
5位  松尾・穂苅組
(大原・五十嵐組、岡崎・佐藤組も決定戦に勝利し、県新人選抜、県選抜インドアの権利を獲得)
シングルス
2位  山本 涼翔
3位  阿部 竜大、石塚 舜
5位  玉木 琉唯、大原 琉誠

 迎えた秋季地区大会。7ペアで挑んだ新生チーム北越は6ペアが上位大会への権利を獲得しました。唯一獲得出来なかったのは小林・渡部組。このペアは技術の不足というよりも心が未熟であったと感じます。とくに2年の小林はハングリー精神に欠け、チャレンジャーになりきれていなかったように感じます。また渡部も大事なところで凡ミスを繰り返してしまい、心の弱さを露呈してしまいました。この2人には、まず心を成長させて、しっかりとした土台の上を踏みしめていかなければなりません。この敗戦から目を背けなければ、必ず春には大きな花を咲かせるはずです。

 この大会では、とくに2年生に大きなプレッシャーがあったように思います。大きな成果を上げた先輩からチームを託された2年生。「負けてはならない」という重圧との戦いだったのではないかと思います。その中で上記の結果を残すことができたのは、己を成長させていこうという夏の取り組みの成果に他なりません。また、1年生の松尾・穂苅組は積極的にチャレンジしていき、準々決勝でも同校対決となった玉木・高橋組に対しファイナルにまでもつれる試合をするなど、大きく成長したように感じます。対して大原・五十嵐組、岡崎・佐藤組にとっては悔いの残る結果だったのではないかと感じます。勝ちたいという思いが、気負いとなり、冷静さを失ってしまったように思います。
 ソフトテニスという競技は、つくづく心に左右されるのだなと感じました。そして、心を鍛えていくことから逃げてはいけないのだなと、改めて思うことが出来ました。

 シングルスでも上位に多くの選手が入ることができました。正直言いましてシングルスの強化はほとんど行っていません。チームの地盤を整備することで手一杯で、そこまで時間を費やすことはできませんでした。しかしその中で、各選手がすべきことを考えてプレーしていったことで、このような結果を残すことができました。

【県新人選抜大会】
ダブルス
3位  山本・石塚組、阿部・安中組
5位  大原・五十嵐組、岡崎・高橋組
(シングルスは雨天により中止)

 10月には県の新人戦が行われました。この大会では1位となった燕中等の小林・関根組、2位の長岡商業の吉村・服部組に完膚なきまでに叩きのめされました。この世代は中学時代からこの4人が上位を独占しており、未だにその壁を破ることができません。地区大会での決勝の再現となった準決勝の山本・石塚と小林・関根の試合は山本が冷静に試合を運ぶことができず完敗し、もうひとつの準決勝でも阿部・安中が吉村・服部を相手にほとんど競ることができずに敗戦しました。この2ペアを超えることができなければ目標を達成することはできません。まだまだ見直せる部分、現在の課題に真正面からぶつかっていく必要があると痛感しました。しかし、この大会では地区大会で失敗してしまった大原・五十嵐組が混戦の中を戦い抜き、ベスト8に進出。準々決勝では同校対決となり山本・石塚組に敗れましたが、地区大会からの反省を生かして冷静に試合を運ぶ姿は、成長を感じさせました。

 チームとしての成長は、山本の存在によると思っています。新チームのリーダーとして、自分が何をすべきか、ということを彼は真剣に考えました。時に嫌われ役となりチームに厳しく接しました。
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 リーダーには「蟻の目」と「鷹の目」という2つの視点が必要となります。選手1人1人に寄り添う「蟻の目」と全体を俯瞰していく「鷹の目」。この2つを臨機応変に使い分け、チームを整えていきます。この能力が山本には十分に備わっており、集団を率いる者としては申し分ないと感じます。しかしながら、その能力が高いがゆえに自分よりも全体を優先してしまうということが起きてしまいます。自分の技術向上よりもチームの成長、練習の運営に対するウエイトが高くなりすぎました。そして、他の部員が山本に頼りきりになるという状態に陥ってしまいました。人に頼るというのは簡単です。間違うことも少ないでしょう。傍から見ればうまく機能しているチームに見えます。しかし、これは上辺だけを取り繕っているに過ぎません。このままではチームは停滞してしまいます。間違いなく成長が途中で止まります。

 現在のチームは山本に火をつけてもらわなければ走り出すことができません。自分自身に火をつけることができる選手が他にいません。この自分自身に火をつける『自然性(じねんせい)』の選手が出てくることが必要です。強い「思い」をもち、それが「信念」として自らの芯になっていくということ、そしてその「信念」がチームの起爆剤になること、それが個々の能力を超えてチームとして成長していくためには大切なのです。

 確かに山本は優れたリーダーですが、そのリーダーに先導されるばかりでなく、自分自身の足で突き進んでいくような集団に育ってもらいたいと思います。
 これからいよいよ全国選抜に向けた戦いが始まります。すべてはチームの成長、「信念」をもつ選手の誕生に懸かっています。
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 選手も指導者も未熟で頼りない集団ではありますが、一歩一歩、地面を踏みしめて進んでいきたいと思います。我々を応援してくださる皆様に、笑顔を届けられるようなチームを目指していきたいと思います。これからもよろしくお願いいたします。

HOKUETSU Spirits~2017 未開の旅路―受け継がれる挑戦―~

ついにインターハイ出場!
しかしその先にみえたものは・・・

団体戦前円陣 インハイ インハイ 礼
 お久しぶりでございます、男子ソフトテニス部です。県総体以来の更新となります。遅くなりましてまことに申し訳ありません。今回は、3年生の引退ならびに新チームの現状についてご報告させていただきます。といいましても、6月の北信越大会、8月のインターハイ、9月の秋季地区大会、10月の県新人選抜大会…とドラマティックなイベントは盛りだくさんでありましたので、大変ボリューミーかつ濃い味付けの内容となるかもしれません。忘年会のシーズンも控えております。胃もたれしないよう、よく噛みしめて、ゆっくりと味わってください。

 まずは6月の北信越大会から。「会津インターハイベスト8」という目標を掲げ、県総体を勝ち抜き、感涙しながらみんなで抱き合った5月28日から、私たちにとって未知のチャレンジが始まりました。現チームの中に、県総体優勝からインターハイ団体戦までの期間を過ごした経験のある人物が誰もいなかったのです。選手も、顧問も、スタッフも、誰もいませんでした。恥ずかしながら、どうやってチーム力を高めてよいのかわからない。選手たちも、何が課題で、どうすればインターハイベスト8まで進めるのかわからない、という状態でした。暗闇の中、地図も持たずに食物を求めて荒地をひた歩く旅人のようでした。

 県総体を勝ち、目標を失ってしまったまま茫然と歩みを進めている中で、なんとかこの状況を打開するべく、「インターハイベスト8を目指すならば、北信越大会は狙って優勝できる実力がなければならない」とチームに言い聞かせることにしました。中間目標を策定したのです。最終目標はあくまでも会津インターハイベスト8。そのためにも、北信越でチームの力を試そうじゃないか、と再度チームに火が点きました。旅人は安住の地を求めようとしたのです。

 しかし、チームの状態に、なんとも形容のしがたい違和感があったのです。一生懸命声を出し、きびきびと練習はしているのですが、なにかおかしい。選手たちに傲慢さが現れ、チームメートに対して攻撃的な言動を繰り返す部員が出てくるようになりました。時間が経った今になって思い返してみると、この変化は、県総体を勝ち抜いたことによって生じた副作用だったのだと思います。そもそも、北越高校男子ソフトテニス部は、けっして中学時代に優秀な成績を残したものだけが入部できるようなエリート集団ではありません。団体メンバーの中にも、「え?この選手はどこの中学校の人?」と他校の方から聞かれるような選手も多くおります。中学校時代の積み重ねが少なく、むしろ悔いの残るテニス人生を送ってきた部員が多いのです。そのため、人一倍勝利に飢えているのです。だからこそ、県総体で勝てたのです。使い古された言葉ですが、「雑草集団」であったことが、勝利の秘訣でした。可憐な花ではなく、いびつな形状の雑草でしたが、アスファルトからでも芽を出す強さがありました。しかし、一度勝利を味わってしまうと、ハングリー精神がなくなる。「自分は弱いのだから頑張る」から「俺様は県トップレベルの選手だ」という意識に変わってしまったのかもしれません。ペアのおかげで勝てたはずなのに。チームに支えられているからこそ勝てたはずなのに。謙虚さを失ったチームに、勝利の女神は微笑みませんでした。

 北信越大会当日、個人戦では山本・秋葉ペアはベスト8まで進出しましたが、飯島・田辺、阿部・中野ペアは結果を残せませんでした。2ペア共に、ペアに対する苛立ち、不信感をあらわにするような仕草が見られました。このままでは団体戦は勝てない。去年の結果である準優勝を越えるためには、優勝するしかない、と言い聞かせ、チームに再度奮起を促しました。迎えた団体戦、準決勝までは順調に勝ち抜きました。準決勝の相手は昨年決勝戦で対峙した能登高校です。能登高校は全国レベルの強豪です。全国で戦う力があるかどうかの試金石となる試合のはずでした。しかし、結果は惨敗。昨年よりも能登高校との差は開いていることをまざまざと見せつけられました。全員が全員、「このままではまずい」という認識は持ちました。ただ、どうすれば勝てるようになれるのか。部員たちは明確な答えを出せぬまま、インターハイまでの期間を過ごすこととなりました。荒地を行く旅人は、ようやく眼前の景色が暗闇で、荒地であることを認識しました。しかし、そこからどうやって食物を手にするか、どうやって安住の地を見つけ出すのか。未だ答えを得られなかったのです。

 北信越大会が終わり、チームとしての活動が残り一月ほどとなった3年生が行動を始めました。それは、チームとしての規範を厳しくすることでした。以前紹介した田中・杉戸を中心に、声の出ない部員や周囲に対して意識が向かない部員は容赦なくコートから出す。徹底して指導する。まさに「心を鬼」にして指導していました。田中も杉戸も情報の伝達が得意な部員ではありません。伝え方にまずさもあったでしょう。後輩たちに不満がたまることもありました。それでも、田中や杉戸を中心とする3年生は指導を続けました。彼らは常々私に話をしてきました。
「僕らが注意できるのもあと1ヶ月しかないんですよね。どんなに嫌われたって言うしかないですよ。このまま新チームにさせることなんてできませんよ。」
 彼らはチームの未来、北越の将来のことを考え、行動していたのです。

 豪雨に見舞われた会津の地では、飯島・田辺が個人戦2日目まで残りました。阿部・中野は全国でひとつ勝ちました。そして迎えた団体戦、一時試合を中断せざるを得ないほどの荒天でした。会場の方々が懸命にコートを整備してくださり、なんとか試合が出来ました。対戦相手は熊本県代表、熊本工業高校です。一本目から相手の技術力に面食らいました。ソフトテニスという競技は、とても天候に左右されやすい競技です。風が吹いても雨が降ってもミスが大量に出ます。基本的に荒天時は「ミス待ち」のテニス、持久戦になることが多くなります。しかし、熊本工業の選手たちは、まったくミスを恐れず、強打してきました。練習量に裏づけされた技術への自信がうかがえました。「ここまでやって、やっと全国レベルなのか」と思わずにはいられませんでした。ミスを恐れ、深いボールが打てなくなる選手。気負いすぎて、空回りする選手。そんな中でもキャプテン田辺は気迫を見せました。このチームが発動した当初から、田辺は背中でチームを牽引し続けてきました。はっきり言って、田辺は言葉によるコミュニケーション能力は低いです。口下手な男です。それでも、このチームが邁進できたのは、田辺という男の存在感、言外からにじみ出る人間性による部分が大いにありました。怪我に苦しみながらも、弱音を吐かず戦ってきました。しかし、田辺を中心とするメンバーの奮闘もむなしく、チームは初戦敗退となりました。

 会津インターハイベスト8。昨冬の県選抜を勝利したときから、呪文のように唱え続けてきたチームの最終目標です。目標は達成できませんでした。どこにあるかわからない安住の地を求めて旅を続けてきた旅人は、目標までたどりつくことなく、志半ばで倒れてしまいました。それでも、彼らの残した功績は限りなく大きなものでした。北越高校男子ソフトテニス部史上初の全国選抜大会出場、団体戦でのインターハイ出場。きっと、県を勝ってからの日々は苦しかったと思います。ベスト8という目標は立てた。しかし、そこに至る最短ルートがわからない。ただひたすらにもがき続けてくれました。彼らの一年間は、「全国で戦う」ということの意味をひたすら突きつけられているような一年間でした。「全国に行く」から、「全国で戦う」へ。チームの意識レベルをひとつ上げてくれました。きっと後輩たちが「全国で戦う」チームになるでしょう。旅人は荒地に鍬を入れたのです。鍬を入れた先に実りが生じるかはわからないけれど、今いる場所を耕し、安住の地にしようとチャレンジしてくれました。そこに種をまき、実らせるという大仕事は、後輩たちに受け継がれました。北越高校男子ソフトテニス部の歴史に大きな一ページを刻んでくれた3年生、本当にありがとう。保護者の皆様、いつもご迷惑ばかりおかけして申し訳ありませんでした。日々の活動にご理解とご協力をいただき、ありがとうございました。部員たちを成長させることができたかどうかはわかりません。それでも、インターハイまでチーム一丸となって戦うことができたのも保護者様のおかげです。急な遠征、インドア練習でのご送迎などなど…。振り回してばかりの3年間であったと思います。本当に、ありがとうございました。後輩たちは、そんな彼らのチームを超えることが使命です。全国の舞台を味わわせてくれた3年生に恩返しをするには、全国の舞台で勝つしかないですよ。その覚悟を胸に、荒地に実りをもたらそうではありませんか。
インハイ集合写真
 最後に、部長としてチームを牽引した田辺から。
 1年生のころは先輩についていくばかりで、2年生になってから副部長を務めたけれど、何をどうしていけばいいのか分かりませんでした。結局、自分たちの代になるまで先輩に引っ張ってもらっていました。自分たちの代になってから、ダメダメながらも部長としてインターハイ団体出場を達成することができました。部長になって本当によかったなと思った瞬間でした。しかし、1つだけ心残りがあります。それは、チームの最終目標であるインターハイベスト8を達成できなかったことです。この目標は、涼翔(現キャプテン山本)を中心に、達成してほしいと思います。今まで以上に厳しい練習をやっていくことになると思いますが、来春に悔いの残らないよう、今を過ごしてください。応援しています。最後に、「北越魂」を持って、がんばれ!!